第六隻 6話 学習性無力感 トラウマ
「────言って何になるんだ?」
最初に聞こえた返事は、この言葉だった。
「俺らが役場のやつに、まともに取り合って貰えると思ってるのかい?」
「それに言ったって、ここを支配してるのはトゥルソンだしねぇ……」
「そもそも役場なんて最初から私たちに目もくれてないんだから、邪魔と思われて追い払われるよ」
スラム街の人たちが小声で話し出す。
「半グレか」
そして、初めて聞く〝トゥルソン〟という名前に、ツクヴァルがそうぼそりと呟いた。
「スラムじゃだいたいちいせえところだと半グレが、でけえところだとマフィアが支配してるからな」
ツクヴァルはそう言って腕を組むと、何か嫌なことを思い出したように顔を顰めた。
「…………」
黙って見る。
スラムの人が次々と諦めたように話し始めているのを見て、私はどこか既視感を覚えていた。
『俺たちがさ、クソみてぇな理不尽な努力して歩み寄る必要ってあんのか? 結局こうなるんだよ、結局な。何も変わんねえよ』
『お前に合わせてると楽だしな』
『俺のやりてえことって、それってそんなに必要か?』
ツクヴァルとの会話。
変わらないと、諦めていたあの表情。
その瞬間に、私は色んなことに納得をした。
(この人たちは、何をしても変わらないって思わされるような環境にずっといたんだ。だから私たちを頼ったんだ)
そして同時に、ツクヴァルもそういう環境にずっといたのだと……改めて、理解した。
私は心のどこかで、「この人達ももう少し頑張れば良いのに」と思っていたかもしれない。ツクヴァルに対しても、なんでもっと色々話さないんだろうとか、そういうふうに思っていたかもしれない。
(多分それって、違ったんだ)
日がどんどん沈んで、辺りが少しずつ暗くなっていく。
街灯が設置されていないスラム街は、ただ景色が黒くなるばかりだ。代わりに、手持ちのランプの灯りをつける人がちらほらと出てきた。
その景色が異様に寂しくて、栄えている町とは全然違くて。
彼らは最初から諦めているのではない。諦めさせられたんだと、今、わかった。
ノトヴァの男の人が黙っている私を見て、ちょっと気まずそうに話し始める。
「……まあ、だからこそ俺らはあんたらに感謝してるんだよ。目を向けてくれたしな」
私の気分を害したかったわけじゃないんだとでも伝えるように、そっと話しかけてきた
明らかに気を遣ってきていた。それが伝わってきた。この人たちが優しいのは、別に変わらないなと思った。
「だからさ、一旦こういう話はなしにしてみんなで酒でも────」
「いや」
だとしてもだ。
それでもだ。
私の中には、譲れないものがあった。
「それなら私が言いに行きます」
ツクヴァルが腕を組みながら、私をじっと見ていた。
「……またあの話が通じねー役場の奴らに言いに行くのか?」
「行く、私が行ってくるツクヴァル」
ツクヴァルが目を細めた。
「誰も行かないなら、私がいく!! もう暗いし、ツクヴァルはここにいてスラムの人達が魔獣とかに襲われないように見てて!!」
「ちょっと待て、お前一人で───」
荷物を持って、私は役場の方へと走っていく。
役場ってそもそも何時まで開いてたっけ? 今行ったって、職員さんの迷惑かも。
そんなことが頭をよぎった。それでも、私は足を止めることができなかった。
(だって何もしなかったら、あの人たちはまたお腹を空かせることになる)
走る。喉が渇く。
(それはダメ、何とかしなきゃ。何とかしないと、飢えちゃう!!)
走る。走る。走る。
急がないといけないから、走る。どうにかしたいから、走る。私は立ち止まりたくなかった、走り続けたかった。すぐにでも何とかしたかった。
そして。
【負けたのよ、私たち】
ノイズ音がした。
走っているうちに、目の前の景色の色がだんだん変わっていることに気がついた。
テレビの前で泣いている……〝お母さん〟。
配給が貰えなくてため息をついている〝お父さん〟。
私は走り続けた。役場へと走り続けた。よく分からない景色が目の前に広がっていても、それでも走り続けた。
私は何回も唾を飲み込んだけど喉の渇きが収まらなかった。
そして、ひとつ。
気がついた。
(あれ)
違和感に。
(私ってなんでこんなに、お腹が空くことが怖いんだっけ?)
そこでようやく、自分がツクヴァルの話も聞かずに飛び出してきたことにも気がついた。
そして、立ち止まった。
ノイズが鳴り止まない景色を見て、〝何か〟を思い出しそうになった。
その瞬間。
「あーこいつが最近うろついてるギルドのやつだっけ?」
「今日役場にもなんか言ってて面倒そうだったからなー」
────後ろから男性の声が聞こえて、現実に戻る感覚がした。
振り向いた時にはもう、男の一人に肩を掴まれ、もう一人に口元をハンカチで塞がれていた。
◇◇◇
「あいつ一人で突っ走りやがって!!」
ヒロコの後を追いかけようと、あいつが走ってった方向へ駆け出した。
したら、後ろから声が聞こえた。
「……なあ、行っちゃったぞ」
ボソッとしたそんな声。
俺は走るのをやめて一旦立ち止まった。急に踏ん張ったせいで土が思いっきり跳ねた。
喋った奴の方を振り向いた。
「……っ」
すげー気まずそうに目を逸らしていた。
他にも、キョロキョロして慌てているやつとか、小声で「どうする?」とか話してるやつとか。
なんつーか色々な反応してる奴がいたけど、自分からヒロコを追いかけようとしてるやつはいなかった。
「なあ」
俺が話しかけると、ビクッと肩震わせて恐る恐るこっちを見てきた。
「追いかけねーのか?」
俺が聞くと、ただでさえ静かだったのにまたすげー静かになった。ヒソヒソ話す奴すらいなくなった。
こういう空気、正直苦手なんだよな。誰かがなんかしら言わねーかなって思って頭をボリボリ掻いて暫くそいつらのことを見ていたら、やっとキャッツのやつがひとり喋り始めた。
「……悪かったよ、色々と」
「へえ?」
最初に言われたのは謝罪だった。
「あんたらがこんなにお人好しだって思わなかったんだ。本当に悪かった」
「俺はそうでもねーけどな」
「だけど、ヒロコちゃんは一人で走って行っちゃっただろ。それに、あんたら冒険者だろ? それなのに、他の場所に行こうとしてるのを引き止めようとして悪かったよ。もう俺らのことは気にせず────」
「言いてえのは」
そいつが喋ってる途中で俺が言うと、また黙った。
「そういうことじゃねーと思うぞ」
それでまた暫く空気がしんとしやがった。
あーまた気まずくなったなとか思うと正直めんどくせえけど。
俺が話すことは、なんかもう決まっていた。
「俺らがいなくなったらまたお前ら飯食えなくなるんだろ? ヒロコはお前らがジリツして常に食えるようになって欲しいって思ってんだよ」
「……俺らだって、それが一番良いと思ってる」
「ヒロコはお前らのために話に行くって言ったぞ。お前らは自分のことなのに行かねーのか? まあ、行っても変わんねーって思ってんだろうけどな」
そしたらキャッツのやつが俺のことを睨んだ。
「……俺らだって、別にサボりたいわけじゃ────」
「わかるよ」
俺が言うと、スラム街の奴らが顔を上げ始めた。
「わかる。変わんねーだろって思ってたわ」
そういや俺って誰かと話す時にあんまり人の顔見れてなかったなって、なんか知らねえけど今ふと思った。
けど、今日はこいつらの顔がよく見える気がした。
上手く言えねえけど、さっきよりは弱気でもなさそーだなって思った。
そしたら次はノトヴァの女が俺に話しかけてきた。
「……変われるんですか?」
「変わることもあるっぽいぞ」
「変わらなかったら、どうするんですか?」
「さあな。俺はそこまで頭良かねーよ」
日の落ち方を見ると、多分ヒロコが走ってから十分くれえ経っていた。
そろそろ追いかけねーとちょっとやべえなと思って、大剣担ぎ直してそっちの方へ歩いてく。
「ま、お前らは何やったって無駄だって思ってるかもしんねーけどよ」
いつも通り、足元に魔法陣を出す。
「俺もヒロコと同じようにお前らが常に食えるようになったらいいんじゃねえのって思ってんぞ」
「お前らのこと嫌いじゃねーからな」
────俺はそのまま、跳躍魔法を使ってヒロコの方へ走ってった。
飛ぶ直前、いっこ小さく声が聞こえた。
「……あのさ、私行こうかな」
ま、こいつらも腑抜けじゃねーってことだなって思うと、俺も結構良い気分だった。




