第五隻 5話 ローロラとパルヤ。そしてヒロコの異様さ
◇◇◇
「……つまり、パルヤくんはヴィージからの逃亡兵で、アノトだったの?」
話してしまった。
ヒロコを付近まで見送ったあと、僕とローロラさんは施療所で待機していた。
時刻は20時30分。静寂の中でカチ、と時計の針の音だけが部屋に響いた。
バクバクと心臓が鳴っている。何を言われるのか、怖い。
膝の上で組んだ指に、知らないうちに力が入っていた。今まで黙っていて、騙していたという後ろめたさが襲いかかってくる。
喉が妙に渇く感覚がした。
さっきから何回も唾を飲み込んでいるのに、全然マシにならなかった。
数分の沈黙の後、ローロラさんが口を開く。
汗がぶわ、と噴き出てくるのを感じた。
ローロラさんは、こう言った。
「……恨んでいない?」
その、一言だった。
「…………」
僕は拍子抜けしたというか、思いがけない言葉に少し動揺してしまった。その様子に気がついたローロラさんが、また言葉を続けていく。
「そもそも、最初にヴィージに攻め込んだのは私たち、ゲルヴィでしょう」
七年前。
僕たちが住むヴィージ国は、小国ながらどんどんと発展していき豊かになっていた。
それを見たゲルヴィ国が「ヴィージはそのうち脅威になる」と言って、攻め込んできたのが始まりだった。
「…………」
僕は黙った。
「恨んでいないかといえば、嘘になります」
そうだ。
そもそも、ゲルヴィが攻め込んできてヴィージを侵略しようとしなければ、少なくともあんな戦争にはならなかった。仲間は死ぬ必要がなかったし、大国のゲルヴィがわざわざ自分たちを支配しようとして来るのも……正直、強欲すぎると思っている。
「……それでも」
それでも、だ。
「正体を隠してたとはいえ助けてくれて、この町の人のことをよく知ってしまって、ローロラさんや店長、それに……ツクヴァルみたいな人を見ていたら……」
「僕は、完全には憎めなくなってしまいました……」
今でもふと、考える。
のうのうと逃げて、侵略国の人間たちを好きになって、普通に暮らしている僕は、良くない人間なのだろうと。正しくない人間なのだろうと。
ずっと、そんな思いがある。
そして、そういう好きな人間たちが、偏見やヴィージへの敵意を口にする度に、僕の中でぐつぐつと煮えたぎるような恨みが湧いているのも事実だった。
全て事実だからこそ、雁字搦めになって辛かった。
「……ごめんなさい」
ローロラさんが謝った。
僕はそれに対して、上手く何かを答えられなかった。
何故なら、僕にはもっとほかの……複雑な感情があったからだ。
「……ローロラさん、恨みはありますよ。ですがね」
「ヴィージもね、最悪なんですよ。本当に、最悪なんです」
僕の返答に対して、ローロラさんが少し困った顔をした。
「ヴィージ軍はですよ、とにかくどれだけ戦力を使っても良いからベルンクス峠だけは押さえろってずーっと話していたんです。実際、それで勝ちましたからね」
「……そうね、あの時は凄かったわ」
「本当に汚い勝ち方なんですよ、あれは」
ローロラさんの瞳が揺れた。
「ヴィージの勇者、赤銀の十字」
「彼女の魔法を完全にするために、多くの捕虜と一般兵を生贄に出していました」
とある禁術があった。
人間の命を差し出せば差し出すほど魔力が増して、大きな威力を出せるようになる魔法。
それを扱える人間がいた。それが、赤銀の十字だった。
ゲルヴィの白銀の残光、ヴィージの赤銀の十字。
ゲルヴィには大きな戦力があった。しかしそれはヴィージも同じだったのだ。
白銀魔法に炎と多くの血が混ざり、赤く光る。まさに赤銀、そして十字の炎が降り注ぎ戦場を焼いていった。
それがあの、ベルンクス峠の地獄を作り上げたのだ。
「そ……」
ローロラさんが震えながら口を開いた。
「そんな恐ろしい魔法を使っていたこと、ヴィージの人はみんな知っているの……?」
僕は目を細めた。
「……知っていたと思います」
「…………」
「みんな口に出さないだけで、そうしているんだろうって……少なくとも、軍にいた人間は分かっていたと思います。……いや、民間人も」
「そう、だったのね……」
「分かっていながら、生贄を差し出していました」
お互いにまた、静かな時間が流れた。
そこで僕は、強く実感したのだ。
戦争は、思ったよりも僕たちの心に……深い傷を残していたのだと。
「そっか、私って……」
ローロラさんが、窓の外に見える景色を眺め目を細めながら話した。
「ツクヴァルが……白銀の残光だとも気が付かなかったし、あなたのことも外から来た人だって気が付かなかった。色んなことを決めつけて、実際その人がどんな人かなんて、全然わかっていなかったのね」
少しだけ悲しそうに、そして小さく笑っていた。
また少しの間、静かになる。
「話してくれてありがとう……でも、どうして私に言おうと思ってくれたの?」
ローロラさんが呟くように聞いた。
「それは……ほら、ローロラさんってヒロコに優しいじゃないですか。それを見て、打ち明けてみようかなって」
そう話した時、ローロラさんの目がぱちくりとした。
「ほら、ヒロコって記憶喪失って言ってますけど多分ヴィージの人間じゃないですか。だからっていうか」
「ん? そうね、暗い髪のアノトの子だしそんな雰囲気はしていたけど……」
「ヴィージ訛りも結構ありますし。最初店に来た時に、『うわー同胞が来ちゃったなー』って思ってたんですよ。それで一回、僕の地域の食文化についてピンポイントで聞いてきたから、僕を連れ戻しに来たスパイなんじゃないかと思って突き飛ばしちゃって」
「……ん?」
「僕のツノが外れたのを見て本気で驚いてたんで、そういうわけじゃないんだなとはわかりましたけど。やっぱり記憶がなくても無意識に覚えてるものがあるというか────」
「待って、あの子ってそんなにヴィージの訛りがあるかしら」
ローロラさんが、本気で不思議そうな様子で僕に聞いてきた。
その瞬間、空気が少し変わったような気がした。
カチ、と。また時計の針の音が響く。
「……あ、確かに、ヴィージ人のゲルヴィ語をあんまり聞いたことない人だとわからないかもしれないですね? 僕は結構聞き慣れてるというか」
「私、むしろあの子の発音がキャッツの訛りに聞こえてたわ」
「……え?」
お互い、顔を見合わせる。
ローロラさんは冗談を言っているようには見えなかった。
僕も、聞き間違えているつもりはない。
「……ローロラさんは確かにキャッツの訛りがあるように聞こえますけど、ヒロコからはあんまり聞こえなくて───」
「ヒロコって、親族にキャッツの人がいるのかと思ってたの。それくらい聞きやすいのよ、あの子の発音」
真剣な顔つきで、ローロラさんが僕に話した。
同じ人間の、同じ言葉を聞いているはずなのに。
……どうして、聞こえているものが違う?
「……あの人、本当に記憶喪失なだけなんですかね」
僕がそう呟くと、ローロラさんは答えなかった。
「……ヒロコって、何者なのかしらね」
代わりに、また疑問を呟いていた。
────そのタイミングで、ローロラさんの精霊通信にヒロコからの連絡が入った。
◇◇◇
「テメェ、ら……!! ふざけんなよコラァァ!!」
私とツクヴァルが治安隊の拠点から出ていこうとすると、一人の男が腹を押さえながら怒鳴ってきた。
「……ちょっと、あんまり叫ばないで。治療してるのよ」
「このキャッツ女!! テメェも調子に乗んなよ!!」
さらには治療しているローロラさんにまで叫ぶ。
そのうるさい声を聞いて、思わず顔を歪めてしまった。
「私たち、帰ります」
「帰る!? テメェら自分が何やってんのかわかってんのか!!」
男が私を睨みつけてきた。私も、負けずに言い返す。
「……たとえ私が何かをしていたとしても、貴方たちのやっていることの方が、よっぽどおかしいと思います!!」
傷と痣だらけのツクヴァルを見る。
ツクヴァルはただ、黙って私の肩を借りながら男のことを見ていた。
唇の端が切れて血が滲んでいる。
……痛そうだ。
「はっ、自分の立場がわかってねえなこのアノト女が!!」
男が嘲笑うように私へ言った。
「テメェらの言うことなんて誰が信じるか!! 見てろよ、俺らが役場を脅せばテメェらなんか────」
その時。
「い、いっ、いいえ。私が証言します」
建物の外で、とある声が聞こえた。
────その方向を確認すると、なんとそこにはいつも役場で受付をしているキャッツの女性が息を切らしながら立っていた。




