第四隻 5話 助けて、ツクヴァル
◇◇◇
『ローロラ! 一般兵に食料を回さないで前線の精鋭に回せ! 効率悪いんだよ!』
あの子の言葉で、目の前の景色が一瞬あの頃に戻ったみたいに広がった。
血の臭い。肉が腐敗した臭い。火に焼かれて焦げた人の臭い。
それだけでも地獄だった。地獄だったけれど、私は祈祷魔法を使えるからある程度の傷なら止血できたし、火傷も完全では無いけれど治せた。
だけどどうしても、魔法じゃ治せないものがあった。
『⬛︎⬛︎様!! この人、飢えているんです!! 栄養失調になっているんですよ!!』
食事。
ご飯が足りないのは病気でもなんでもない、ただの飢えだ。
だから祈るだけじゃどうしても治せなかった。私が祈ったとしても彼らの腹を満たすことはできなかったし、そのまま傷の治りもどんどん悪くなって衰弱していった。
『だからなんだ? いいから前線に回せ!! そこの精鋭が死んだら今度こそ我が国は負けるぞ!!』
『し、しかし!!』
『いいから回せ!!』
私の目の前で「助けて」と呟く兵士を見てひゅ、と息が浅くなった。腕はすっかり細くなって、肋骨も浮いていて、そこまで衰弱しているから怪我の治りもすごく遅くなっていた。
(仕方ないことよ)
それを、目を背けて見ないフリをした。
(そうしないと負けるもの。一般兵に回している余裕なんてないわ!)
(大丈夫、勝てば全部こんなの終わるもの……!!)
結果、我が国は敗戦した。
王が精霊通信で敗戦を告げるのを聞きながら、私はただ立ち尽くしていた。
(じゃああの時に見捨てた人たちってなんだったの?)
(ベルンクス峠は優勢じゃなかったの? なんで負けたの? なんで、なんで、なんで───────!!!)
違う。
なんで負けたか知りたかったんじゃない、そこに怒りたかったんじゃない。
それよりももっと先の原因を考えようとしたら、キリがなくて辛いから考えないようにしていただけ。
「本当は、何に怒りたかったんですか!!」
貴方に何がわかるの?
そうやって見透かそうとしないでちょうだい、気味が悪いわ。
「……私は」
やめて。
考えないで、私。
「私は」
…………。
そうだ、私は。
「勝てるって言い続けた軍にも」
向こうの国なんて、自分たちの底力を見せれば必ず勝てると煽った王国軍。
「それを止めなかった、王様も」
王国軍の言いなりになり続けて、ただ力を与えるだけになった王様。
「それを信じた、みんなにも」
自分たちは強い、だからこそ戦うべきだと熱狂した国民。
「そして何より……」
王国軍と王様の言葉に心酔していた自分。
一緒に熱狂した自分。
勝つためには犠牲も必要なんだと、一般兵に食料を回さなかった自分。
それを全て信じようとしていた、自分。
「私……ずーっと……」
「私に……怒っていたのね……」
◇◇◇
泣いていた。
ローロラさんは、泣いていた。
声すら上げられず、ただ静かにその場で涙を流していた。
上手く言葉が出なかった。
私は、この人の気持ちを何も考えず偉そうなことを言ってしまっただろうか。
私みたいな、この世界の戦争を経験していないような人間がずけずけと言うようなことではなかっただろうか。
ローロラさんが見てきたものを、私は知らない。
きっと、全部わかることなんてできない。
(それでも)
それでも、だ。
ツクヴァルがあんなふうに言われているのを私は見過ごせなかったし…………。
ローロラさん自身も、あのまま怒りを吐かせ続けるだけで放っておけなかった。
「…………」
なんて言おうか?
辛かったですね、って言うべきか?
大変でしたね、って慰める?
(いや、それよりも言いたいことは)
私は決めていた。
少しだけ、ズレているのかもしれないけど。
「ご飯」
「一緒に食べて、一緒に話しませんか」
それを、言いたかった。
「私、貴方がどうしてそんなふうに思ったのか……全然知らない、全然知らないのに今日、喧嘩みたいになっちゃいました」
ハンカチを差し出すと、ローロラさんは黙って受け取った。
「だから、一緒に話させてくれませんか。……これは」
「これは、私がそうしたくて、言ってることなんです」
ここであった全てを見ていない私にきっと正しいことは言えない。
できるのは、この人と話すことだけ。
差別は良くない。ツクヴァルを傷つけて欲しくない。その上で、この人のことを無視したくもない。
「…………」
赤くなった目でローロラさんが私のことを見てきた。
「おバカね」
そう一言、話した。
「でも、そうね……」
そして、目を細めた。
「確かにご飯を食べながらなら、ゆっくり色々と話せるかもね」
ローロラさんが笑った。
それを見て、私も少しだけ泣きそうになった。
(そっか)
堪えながら、考えた。
(みんな……色々、あるんだよね)
パルヤも、ローロラさんも、ツクヴァルにしてきたことを擁護はしたくない。失礼なことをしたのなら、態度を改めて謝って欲しいと思っている。
だけどやっぱり、この人達のことを知ってしまうと……。
嫌いになんて、なれなかった。
だって私は、この人達のことを知ったその瞬間から、少しずつ好きになってしまったから。
「じゃあ、良かったら今度パルヤのところに行って────」
そこまで言いかけた時。
─────窓の方を見ていたローロラさんの顔から、急に笑みが消えた。
「……?ローロラさん?」
後ろの窓の方へ振り返ろうとした瞬間、ローロラさんが小さく手を伸ばして私を止めた。
「動かないで」
「え?」
「そのまま。窓の方、見ないで」
さっきまで泣いていた人とは思えないくらい、低くて小さな声で話してくる。
何があったのか分からないまま固まっていると、外から微かに金属の擦れる音が聞こえた。
ひとつじゃない。
何人かいる。
そのまま耳を澄ませていると、今度は地面を踏む重たい足音が聞こえた。
「ヒロコちゃん!!」
─────ローロラさんが大きめのクローゼットの中へ、私を押し込んだ。
「隠れて!!」
「す、すみません!!何が!!」
「治安隊よ!! 最近来ていなかったから油断してた……バタバタしてたから、中に来るかも!!」
私がローロラさんの名前を呼ぼうとした時、そっとハンカチで口を押さえられた。ローロラさんは口元に指を立てて、「静かに」と笑った。
「大丈夫よ、私に任せて」
「……ッ!!」
そのままそっとクローゼットを閉められた。
クローゼットの外から、男の人の声が聞こえる。
私は隙間からその光景を眺めることしかできなかった。
「どーもローロラちゃん! 俺たちが来たのに中でバタバタ音させて、なにしてんの!」
「……いえ、ちょっと片付けをしていて」
クローゼットの扉越しに聞こえる、会話。
私は震えていた。
怖かった。
(ま、前に……ツクヴァルと初めて会った時に怖いこと話してた人たち……だよね……)
体が動かない。
「へえーそうなの? なんか面白いものあったりして! ちょっと中入って……」
「すみません、片付いていないので!!」
ローロラさんが、中へ入ろうとした治安隊の男を突き飛ばした。
その反抗的な態度が癪に触ったのか、治安隊のやつらが青筋を立ててローロラさんに近付く。
「このクソアマ、突き飛ばしやがったな……!!」
「連れて行け!!」
「……ッ!! やめて!! 離して!!」
ローロラさんが腕を引っ張られて連れていかれそうになっている。
(どうしよう、どうしよう、どうしよう)
動けない。動きたくても脚がすくんで立ち上がれない。ドアを開けられない。
ローロラさんが私を庇って連れていかれる、それなのに私は何もできない。偉そうに言い返したり喋ったりばっかりして、肝心な時に動けない!!
(助けて)
私の頭に思い浮かんだのは
(助けて、ツクヴァル!!!)
あの、長いうさぎ耳の男の姿だった。
心の中で叫んだ瞬間、
「────よお」
「久しぶりじゃねーか。裏路地ぶりか?」
本当に、あの声が外から聞こえてきた。




