不穏
あくる日。
職場の片付けをしているトリヤのもとへ、同僚たちが集まってきた。
「突然だな、トリヤ。
結婚して一緒に花屋でもやるのか?」
「聞いて驚けよ。俺、明日から伯爵家のご令嬢の護衛になったんだ」
「……は?お前が?」
「なるべく早く来てほしいってことでさ。
ここを辞めるのも、向こうが急いでるからなんだ」
トリヤは自慢げに言いながら、箱に自分の荷物を詰めていく。
「お前、護衛なんてできるのかよ?」
「見込んでくださってるんだから、これから努力するさ。
じゃ、元気でな」
「お前正気かよ...最近はあの伯爵家もいい噂聞かないけどな...」
軽い足取りで職場を後にしたトリヤは、
そのままリリアの花屋へ向かった。
ちょうど客足が途絶えたのか、
リリアは店内でお茶を飲みながら休憩していた。
「リリア!!聞いてくれよ!
俺、明日から伯爵家のご令嬢の護衛になったんだ!」
「え……?護衛?」
リリアは驚きのあまり、手にしていたカップを落としそうになった。
トリヤはカフェでの一件は伏せ、
伯爵令嬢を助けたこと、
その結果護衛に選ばれたことだけを話した。
「助けたのは……トリヤらしいわね」
「だろ?いつもしてることなのに、こんなに評価してもらってさ!」
そこからトリヤは、伯爵令嬢がいかに可憐で美しいかを熱っぽく語り始めた。
「やっぱり高貴な方は違うよなー。
もう全然違うんだ。あの美しさはどうやっても言葉にできない」
リリアは、目の前で自分以外の女性を朗々と褒めるトリヤに、どんな反応をすればいいのかわからなくなった。
「そんなに……美しいのね……」
「ああ、俺は幸せ者だよ。
そうだ、だから明日から帰りが遅くなるんだ。
今までみたいにここに寄れなくなるけど……
でもリリアも鼻が高いだろ?
なんたって彼氏が伯爵令嬢の護衛になるんだからさ!」
ずっと一方的に話し続けるトリヤに、
リリアは口を挟むことすらできなかった。
(トリヤがこんなに喜んでいるのに……
私ってば、なんて狭量なのかしら……)
そう思いながら、リリアはただうんうんと頷き、
トリヤの話を聞き続けた。
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トリヤの勤務は順調そのものだった。
鍛錬では「筋がいい」と褒められ、
日中は美しいマリーデの側で護衛を務め、
そのたびに「頼りになるわ」と微笑まれる。
トリヤはすっかり有頂天になっていた。
そして、マリーデが纏う香りは、思わず引き寄せられそうなほど甘美で、
胸の奥がふわりと浮くような多幸感があった。
マリーデの屋敷には、日中多くの客人が訪れた。
若い令嬢から高齢の貴族まで、皆が談笑し、
最後には小瓶のようなものを箱に入れて帰っていく。
トリヤはその様子を黙って見守っていた。
「あの小瓶は何なのですか?」
「言ってなかったかしら。うちでは香水も扱っているの。
お客様の好みに合わせて調合しているのよ」
「なるほど」
(マリーデ様の香りも、きっとご自身に合わせて調合しているんだ……
あの香りは、まさにマリーデ様そのものだ)
「最近、バラの数が減っているのか、なかなかエキスが手に入らないのよね」
「バラですか?」
「ええ。お好きな方も多いから困っているの」
その言葉を聞いた瞬間、トリヤの脳裏にリリアの顔が浮かんだ。
そして、その日は帰りにしばらく足が遠のいていた花屋へ向かった。
「リリア!久しぶり!バラが欲しいんだけど」
「トリヤ、久しぶりね。お仕事は順調?
バラなんて、今の寒い季節じゃ手に入らないわ」
「首都の一等地近くで店をやってるんだろ?
色んなツテがあるんじゃないのか?
マリーデ様がどうしても欲しがってるんだ、なんとかしてくれよ」
「そんなこと言われても……」
手に入らないものは手に入らない。
南方に行けばあるかもしれないが、
ここまで運ぶ間に枯れてしまうし、
何より日数がかかりすぎる。
「……ごめんなさい……」
「なんだよ、役に立たないなあ!」
トリヤはイライラを隠そうともせず、
乱暴に店舗のドアをガンッと蹴りつけ、
足早に去っていった。
(そんな……どうして、そこまで言われなきゃいけないの……?)
静かになった頃を見計らって、
アロカが店に入ってきた。
「リリア、大きい音がしたけど……大丈夫か?」
「アロカ……」
リリアは、ここで全部を話したくなった。
けれど、どう説明してもトリヤのことを悪く言ってしまいそうで、ぐっと堪えた。
トリヤはマリーデが香水を扱っていると聞いてからは、リリアの店から花を強引に持って行くこともしばしばあった。
「俺が伯爵家で重んじられたほうがリリアも嬉しいだろう?」と言われるとリリアは強く出られない。
(偉くなるより、側にいてほしい)
その一言が出ないのだ。
止めてほしいと言ってもトリヤは聞く耳を持たない。
そのうち周囲も成り行きを知って、リリアを心配するようになった。
「もう付き合えないって強く言ったほうがいいんじゃないか?」
「アロカ…でも今は慣れない環境でこんなことをしてしまっているのかも」
リリアがへにゃりと笑うと、アロカはもう何も言えなくなってしまう。
「そうだ、珍しいレースのリボンがあったから、
サンプルだけど使ってみてよ」
「わあ、可愛い!ありがとう、アロカ」
アロカは自分なりにリリアを元気づけようと決心した。
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