9 老婆
テーブルを挟んで向かい合うと、老婆は優しく微笑んだ。
孫を相手する祖母のような態度に居心地の悪さを感じながら肩を小さくして黙っていると、彼女は「さて」と気持ちを切り替え、真面目な顔をして俺を見て口を開く。
「まず確認だが、君……ルインは、この辺りの出身ではないね?」
「ああ、そうだ。俺は隣の……ここから西に行った先にある小さな国で生まれ育った」
「西に……ってまさか、あんた、ヒノサキの出身かい?」
「ヒノ……何だって?」
聞き覚えのない単語を問い返すと、彼女は「ああ……」と何かを思い出すように相槌を打った。
「いや、この辺りでは違ったかな? 東方の国では君の国を、日の沈む国ってことでヒノサキと呼んでいるんだよ」
「そう……なのか?」
そういえば、前世の冒険者達は符牒のように様々な国名を言い合っていたな。
国から出ることのない商人や猟師には無用の知識だが、冒険者として活動するなら少しずつでも覚えた方が良いのかもしれない。
老婆の冒険者は何かを考え込むように黙り込んだ。どうやら俺の故郷を聞いて、何か思うところがあるらしい。
質問が一段落と判断した俺は、「あの……」と言いながら彼女に向けて小さく手を上げる。
「なんだい? 私に何か聞きたいことでもあるのかい?」
「そうだな……外で起きたあの騒動は、あれは、お前達が原因か?」
「騒動……? ああ、私達……というよりは、私の弟子ね。例の男と交戦したらしい。アリスには後片付けを手伝わせているところよ」
あっけらかんと答えた彼女に、俺は苛立ちを露わにしながら続けて問いかける。
「お前達が好き勝手に暴れたせいで街はメチャクチャになったし、死人も出た……」
「死人……まさかあの子、市民に被害を出したのかい!? な、なんてことを……」
「ああ、ケイド。これから仲間になって一緒に旅をしようとしていた。そんな男をお前達は……」
恨みの籠もった俺の言葉を聞いて、彼女は「ん?」と首を傾げた。
「ルイン、もしかしてあんたの言ってる『ケイド』てのは、冒険者かい?」
「あ、ああ……そうだ。あいつは……あいつは……っ!」
たった一日の関係ではあったが、俺にとっては人生で最も輝いた一瞬だった。
こんな俺のことを仲間に誘ってくれて、将来の夢さえ語り合った。先の見えない俺の道標になるはずだった……
そんな優秀な冒険者の死を目蓋の裏に映しながら拳を握ると、目の前の老婆は小さく肩をふるわせる。
「あはっはっは! な、なぁに言ってんだい、あんた。冒険者は一般市民じゃないだろう? びっくりさせんじゃないよ、こちとら生い先も短いババアなんだから。はぁ……心臓止まるかと思ったよ、ひひひっ」
ひとしきり笑い声を上げた彼女は、落ち着きを取り戻すように「ふぅ」と息を吐き出した。
反論する気も失せて黙っている俺を見て、不思議そうに首を傾げる。本当に、仲間の死などなんとも思っていないようだ。
「っ!? 人が……死んだんだぞ、お前達のせいで!」
「まあ死んじまった者はそれまでとして。そんなことよりルイン、ヒノサキ出身ってことは、ルインも属性持ちかい? あの国では属性発生率が九割を超えるなんて聞いたことがあるが、それは本当なのかい?」
「そんなこと……そんなこと、だとっ!? 人が死んだんだぞ、お前達のせいで!」
「だから、その話はもう良いだろう、しつこいねえ。それよりさっきの話、どうなんだい。属性は、あるんだろう?」
「……風だ。」
説得するのを諦めた俺は、手の平を上に向けて属性核を単体で励起させ、手の中に小さな風の塊を産み出した。それは周りの空気を巻き込んで、俺を中心に渦を巻くようなそよ風が吹く。
目に見えない空気の流れが髪や服を揺らし、床の埃が舞い上がり流れるのを見ると、彼女は笑顔を引き攣らせて固まった。
「すごいね……その歳で、ここまで属性を使いこなすとは」
「そうか? これぐらい、風属性使いなら誰でも出来るだろ?」
「はは、は……流石はヒノサキ、化物ばかりか」
実際のところルインの記憶には、この程度のことで自慢したがるような風属性使いはいなかった。
ルインの両親も風属性の使い手だった。二人は俺のように属性を分割こそしていないが、それでも今の俺よりは遥かに高く属性を出力することが出来た。二人が夫婦喧嘩をしたときなど、家の中で嵐が巻き起こったものだ。
俺の物ではない記憶を思い出しながら懐かしい気持ちに浸りそうになる。無造作に手を閉じて風の核を握り潰すと、ぶわっと最期に風が広がった。
室内にいるほとんどの商人や冒険者は風の正体に気づく様子もない。開放された窓から入り込んだ自然な風だとでも思っているのだろう。
唯一その原因が俺にあることを知っている彼女は「ふむ……」と小さく、何かを決意したように頷いた。
「ところで、ルイン。ここに来たってことはあんた、東へ向かう足を探しているんだろう?」
「え、ああ……そうだが、それがどうかしたのか」
「さっき聞いてきたんだが、五日後に出立する商隊があるらしい。それ以外に、個人単位で東へ向かう者はいるだろうが、冒険初心者にはお勧めできないねぇ」
「……何が言いたい? そっちから言い出したんだ、情報量を払うつもりはないぞ」
「誤解させたね、そんなつもりはないよ。ただ、どうせ暇になるだろう? それなら五日間だけのお試しで良い。私の弟子になってみないか?」
「俺が……おまえの、弟子、だと!?」
ただでさえ冒険者は嫌いだというのに、よりによってケイドを……仲間になるはずだった男を殺す原因になったこの女の?
ははっ、あり得ない。馬鹿馬鹿しいと思って首を横に振ろうとしたところで、彼女は間髪入れず口を挟んだ。
「言っておくがルイン。師の教えなく英雄になれるほど、今の世の中は甘くはないよ。もちろん西国に閉じこもってひっそりと暮らすならそれで十分かもしれないが、東国でそんなのは通用しやしない! 独りきりで英雄になるなんてのは、物語だけのはなしだよ!!」
口角泡を飛ばさんばかりの態度に対し、俺は逆に心が冷めていくのを感じた。
俺みたいなはぐれ者を弟子にしても、普通に考えたらメリットなんて一つもない。だとしたら普通じゃないことを考えてるに決まっている。
うまく騙して奴隷商にでも流すつもりか、あるいはあいつの弟子……アリスとか言う女冒険者の噛ませ犬にすることが目的か。どうせそんなところだろう。
「悪いな、俺は誰かの弟子になるつもりはない。他を当たってくれ……」
そう言って俯くと、彼女は残念そうな顔で笑った。
「そうかい……わかった、無理強いはしないよ。だが一つだけアドバイスをさせてくれ。本気で上を目指すつもりなら、弓なんて道具を武器にするのは止めた方が良い。魔力や属性を纏う相手に、遠距離からの攻撃は通らないからね」
そうやって余計なアドバイスをする彼女に背を向けて、俺はその場を後にすることにした。
流石に五日後にならないと商団が旅立たないというのは、嘘ではないだろう。だとすればここには、明日以降にでも来ればいい。
出入り口の扉を開けると、ちょうど入ってきたあの女の弟子とすれ違った。彼女は俺を見て「おっ!」と声を上げたが、室内から「アリス、こっち来なさい!」と声を掛けられ、渋々従った。
建物を出ると、街の騒ぎは既に収まり、いつも通りの喧噪が戻っていた。
濡れた地面は既に乾き、破壊された噴水は応急手当を施され、職人らしき人々によって作り替えられていく。
ついさっき、あんなことがあったとは思えない笑顔に満ちた景色を見て、吐き気がこみ上げる。
「あの女の弟子にならなくて良かったのかい……?」
頭の中で鳴り響く声を「うるさい」と黙らせて、俺は逃げるように駆けだした。




