8 宿主
街のシンボルだった噴水のプールに割れ目が入り水が流れ出し、辺りは雨上がりのように泥でぬかるんでいた。
泣き崩れるテッサに掛ける声も探り当てられず、踏鞴を踏むように距離を取る。
疲れ切った顔の大人が数名掛かりで遺体を運び、テッサがそれに無言で付き従うのを呆然と見送ると、俺は独り残された。
朝日が高く昇り気温が高まっていくのに、心の凍えはますます酷くなっていく。
感情的に涙を流すような気力も湧かず、かと言って何もかも忘れて笑うような気分にはなれるわけがない。
徐々に人が集まり始めると遅れてきた街の衛兵に押し出されたので、俺は現場を眺めるのを止めて、小さく息を吐き出した。
身を翻し、とぼとぼとその場を離れようとすると、そんな俺の背中にどこか聞き覚えのある声が掛けられた。
「もし、あなた。うちの息子……ケイドの知り合いですか?」
その名を聞いて振り返ると、その人にどこか面影のある中年男性が真っ直ぐに俺を見つめていた。
目尻は赤く腫れ、服の袖には涙を拭った染みが薄らと残っている。その男は目を猫のように開き、ガッガッと高らかな靴音を鳴らして迫り来る。俺は反射的に逃げ出しそうになるが、踵を踏ん張って体重を支え、その場に留まった。
「あなたは……」
「私は、ケイドの……父親です。あいつが私のことをどう思っているかは分かりませんが」
「そうでしたか、それは……お悔やみ申し上げます。俺は、ケイドに誘われて仲間になろうとしていた……冒険者です」
仲間ならなぜ守らなかったのか。そんな叱責を覚悟して顔を上げるが、彼は怖いほど落ち着いた表情を浮かべていた。
「あいつは、ケイドは……あの馬鹿息子は、昔から『冒険者になる』と毎日のように夢を語っていました」
「そうですか……」
「親の心子知らず、冒険者になると宣言された親がどう感じるかなんて、知りもしないのでしょうね」
「そう……なのかもしれませんね」
ケイドの父は、息子と同い年の俺にその面影を探してしまったのか、不意に天を仰ぎ見た。
小さく鼻を啜り、目を瞑り、息を整えてから、彼は静かに声を震わせる。
「どうか、仇を討とうなんて事は考えないでくれ……あなたはどうか、息子のことなど忘れて立派な冒険者に……」
「分かりました……仇討ちは考えません。そして俺は、立派な冒険者になってみせます……ですが、ケイドのことは、胸に刻んだ彼との、たった一日の思い出は、決して忘れませんよ」
前世の記憶を持つ俺は、自分でも驚くほどすんなりと、そんな台詞を吐き出していた。
商人として鍛えられた知識と経験が、相手を感動させる最適な言葉を構築してしまう。
文字通り父親と息子ほど歳の離れた彼は、そんな事も忘れるように膝をつき、俺の胸ぐらを掴み、人目もはばからずオンオンと泣き出した。
俺は子供をあやすように彼の背中を撫でながら、大のおとなが泣き叫ぶのを冷めた目で見た。
この後、どうしようか。
ケイドと一緒に冒険者になるという計画は白紙になった。
テッサとヴェインとミラ、残った三人と再結成……は、多分無理だろうな。
どうしても亡きケイドの事を思い出してしまうだろうし、おそらく俺と他三人では彼に対する温度感が違う。
一日に満たない関係ならこんなものなのか、あるいは俺が薄情なだけなのか……
……仲間が死んだというのに、俺は俺自身でも不思議なほど何も感じていなかった。
ぼんやりと今後のことを考えていると、ようやく彼は静かに泣き止んだ。
泣くだけ泣いて、感情を全部吐き出してスッキリしたような表情で、少しだけ恥ずかしそうに頬を赤らめて、一言「ありがとう」と漏らす。
何に対する感謝なのかを聞くような無粋な真似はしない。ただ一言「ああ」と返す。
立ち上がった彼に背を向けて、歩きだす。背後にもう一度「ありがとう!」と叫ぶ声が聞こえたが、片手を上げるだけで振り返らずに、そのまま俺は人海に気配を混ぜ隠した。
しばらく歩き、徐々に大通りから離れ、人気のない裏路地に入り込み、誰に見られることなく俺は石壁に額を当てる。
悪夢を消すように目をきつく閉じ「クソッ」と力なく弱音を漏らすと、頭の中に不快な耳鳴りが反響した。
「あーあ、せっかく仲間が出来そうだったのに、残念だったね♪」
「うるさい黙れ、黙れ……」
「でもキミは知っていたはずだ、冒険者は簡単に死ぬことを。まさか忘れたわけじゃないだろう?」
「うるさい、うるさい……うるさい! 誰だ、俺の中で好き勝手に話す、貴様は誰だっ!」
「誰って……そういえば名乗ってなかったね。僕はルイン。キミという魂に肉体を提供した、言わばキミの宿主……あるいは残滓、みたいなものさ。まあ今はまだ、キミの感情が不安定になった時にしか表出できないんだけどね」
「俺の……前世の?」
「ああ、そうだよ。さすが、察しが良いね。ふふっ……ああそうだ、このままだとフェアじゃないからこれだけは言っておこうかな。キミは、あまりヘラらない方が良いよ。キミの精神が崩れるほどに、そのとき零れた感情が糧になって僕は力を増すみたいだから」
「……お前が力を増すと、どうなる?」
「それは僕にも分からない! もしかしたらこの体を乗っ取れるかもしれないし、ただ力が増すだけで何もないかも……」
「…………黙れっ!」
瞑目して深く息を吸い込むと、声の気配はふっと静かに消えた。
滝のように噴き出した汗が裏道を通り抜けるそよ風に晒され、気化熱が奪われる。
しばらく動かずに息を整えていると、悍ましい吐き気は少しずつ消えていった。
ようやくまともに動き始めた頭を使って、今後のことを考える……
「この街には……もう居られない。テッサ、ヴェイル、ミラ。女冒険者の二人組、フードの男。会いたくないやつが多すぎる」
かと言って、どうするか。ルインが産まれた最西端の国に戻る? いや、それはない。
あの国は、脱国者に制裁を加えず受け入れるほど緩くない。運が良くて奴隷墜ち、あるいは普通に死刑ということもあり得るだろう。そんな国に戻る選択など、国を抜けた瞬間に捨てている。
「やはり……東を目指すしかないか」
前世の故郷を目指す、という意味もある。だがそうでなくても、冒険者とはそもそも東を目指すのが常識だ。
人類領域は西に近づくほど人の支配が強く、東へ向かうほど魔の脅威が高まっていく。
英雄は西で生まれ東に屍山を築くと言われている。
そんな先人に習うわけではないが、前世ではそういう生き方に、どこか憧れていた。
俺は息が落ち着くのを待って、ゆったりと背筋を伸ばした。
「そうとなれば、情報を集めないとな」
前世の知識があっても、西方から東方までの長い道のりを知っているわけじゃない。
西方から東方に物資を運ぶ商人の集団の存在を聞いたことがあるので、それを利用するしかないだろう。
そういえば冒険者の武勇伝でも、盗賊などから守る護衛として同行し、東を目指す展開は定番だった。
裏道を出る直前に一瞬だけ立ち止まり、拳を握り「よしっ」と自分を鼓舞し、俺は情報が集まるあの、掲示板が乱立する店に向かった。一階の解放された広場では、昨日冒険者同士の争いがあったとは思えない盛況ぶりだ。
とはいえ今回は一階部分に用はない。俺は煙突掃除の仕事を達成して初心者クラスにランクアップした冒険者カードを提示して二階に上がり、そこで後悔した。
「おや、君は……たしか、ルインくんと言ったかな?」
そこに居たのは冒険者マントを優雅に揺らす、師匠と呼ばれていた冒険者の老婆。
彼女は俺を見て笑顔を浮かべ、手招きをするようにゆらゆらと手を揺らす。
逃げ……られない。俺が一歩でも後ろに下がったら、俺の首は彼女の手に掴まれることだろう。
「あんたは……?」
「そう警戒しなくていい。私は君と話をしたいだけなのだよ。弟子のアリスは使いに出しているからここには居ないし、私はあの子と違って無理に勧誘したりはしないから……安心してくれ」
「……そうか、わかった」
どうせ抵抗しても無駄なのだ。
俺は招かれるままに彼女の向かい側にある席に腰を下ろした。




