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第9話「刀を置く日」


 水面に、見たことのない映像が映っていた。


 街だった。明治の街だった。


 煉瓦の建物。ガス灯。行き交う人々——それはいつもと変わらなかった。しかし今日の映像には、何か違うものがあった。最初は分からなかった。見ていて、ようやく気づいた。


 腰だった。


 誰の腰にも——刀がなかった。


 刀がないこと自体は、今までも同じだった。しかしこの映像の刀のなさは、違った。刀が「ない」のではなく、刀を「外した」映像だった。外すことを、法律が命じた映像だった。


 廃刀令。


 明治九年。刀を帯びることを禁じた法律が、水面に映っていた。


 街を歩く男たちの腰は、空だった。刀を差していた場所が、空だった。その空白が——この場所にいる全員の胸の、どこかを、静かに突いた。


   *


 最初に動けなくなったのは、近藤勇だった。


 見ていた。見ていたが、体が固まっていた。映像の中で街が動いていた。人が歩いていた。世界が回っていた。しかし近藤だけが、動けなかった。


 刀のない腰。


 その映像が、近藤の内側にある何かを、じわりと押し続けた。


 近藤が守ろうとしたのは幕府だった。将軍だった。徳川の世だった。それが消えていく様を、近藤はここで見てきた。見て、何とか受け取ってきた。しかしこれは——また別の消え方だった。


 武士が、武士でなくなった。刀を帯びることが、法律の一行で禁じられた。武士の魂が、紙切れ一枚で消えた。


 近藤は、無意識に手を腰へ持っていった。


 何もなかった。この場所では、刀は斬れない。それは分かっていた。それでも手が行った。何十年と繰り返してきた習慣が、死んだ後もまだ、体に刻まれていた。


 土方歳三も——同じだった。


 黙ったまま水面を見ていた土方の手が、腰に触れた。触れて、何もないことをゆっくり確かめて、静かに離れた。


 近藤はその動作を見ていた。土方も、近藤が見ていることに気づいていた。


 二人は、何も言わなかった。


   *


「ふん」


 芹沢鴨が、水面を見たまま短く言った。


「そういうことになったか」


 あっさりした声だった。しかしその目が、いつもと違った。水戸訛りが、このときだけどこかへ消えていた。


「文句はないですか、芹沢さん」


 沖田総司が聞いた。いつもの軽さがなかった。本気で聞いていた。


「文句があっても、もう遅えだろ」


 芹沢は言った。


「俺たちはもう死んでる。あの世から文句を言っても、誰も聞かねえ」


「そうですね」


「……ただ」


 芹沢は、少し間を置いた。水面から目を離さなかった。


「刀を差せない武士なんて——武士じゃねえな」


 誰も反論しなかった。できなかった、というより——全員が、同じことを思っていたからだった。


   *


「刀が消えたのではない」


 山南敬助が、静かに言った。


 全員が振り返った。山南はいつも静かだったが、このときの静けさは少し違った。


「刀が必要ない世になった」


「それは——」


 近藤は言いかけた。


「悲しいことではないかもしれない」


 山南は、水面を見たまま続けた。


「新選組は刀で戦った。しかし刀で戦う必要があったのは、刀で戦う敵がいたからだ。その敵がいなくなれば——刀は要らなくなる」


「山南さん」


 近藤は言った。


「それは——私たちの存在を否定することに、ならないか」


 山南は、近藤を見た。


「否定ではない」


 一呼吸、置いた。


「完了だ」


 その言葉が、場の空気を変えた。


「私たちがやったことは——終わった。終わって、その先に新しい世が来た。その世が刀を要らなくした。それは——私たちの仕事が終わった証拠かもしれない」


 近藤は山南の言葉を受け取った。受け取ったが——すぐには頷けなかった。押し返す言葉も、出なかった。


 土方は、黙ったまま聞いていた。


   *


 久坂玄瑞は、複雑な顔で水面を見ていた。


 長州が倒幕を成し遂げた。その長州が作った明治が——長州の志士たちの刀まで奪った。自分たちが命をかけて作った世界が、自分たちの象徴を消した。その矛盾が、久坂の胸にずっと刺さっていた。


「君」


 高杉晋作が、久坂の隣に来た。


「……複雑だ」


 久坂は言った。


「そうじゃろな」


 高杉は水面を見た。


「しかし——考えてみろ」


「何を」


「君が死んだから、そうなったんじゃないか」


 久坂は、高杉を見た。


「君たちが命を使って作った世界が、刀を必要としなくなった」


 高杉は静かに言った。


「刀を必要としない世界を作るために、刀で戦った。それが成功したということじゃないか」


 久坂はしばらく黙っていた。


「……成功、か」


「成功だろう」


「しかし——あの街を歩いている人間たちは、僕たちのことを知らない」


「知らなくていい」


 高杉は言った。


「知らなくても、歩けている。それが——君たちの仕事の結果だ」


 久坂は水面を見た。刀のない腰で、穏やかな顔で歩く人々が映っていた。その顔を、久坂はしばらく、ただ見ていた。


   *


「刀がなかったら——わしは何者じゃ」


 岡田以蔵が、ぽつりと言った。


 膝を抱えて座っていた。水面を見ていた。以蔵にとって刀は全てだった。刀があったから動いた。刀を持つことが、以蔵の存在理由だった。刀がなければ——何者でもなかった。


 沖田が、以蔵の隣に来た。


「私も同じことを考えていました」


 沖田は言った。


「剣がなければ、私は何者だったのか」


 以蔵は沖田を見た。


「刀がなくても——人間か」


「……人間です」


 少し間があった。


「刀は道具でした。使うための道具。道具がなくなっても、使っていた人間は残る」


「しかし——わしは刀しかなかった」


「そうじゃない」


 沖田は言った。


「以蔵さんには先生がいた。以蔵さんを人として見てくれた人間がいた。その関係は、刀がなくても存在した」


 以蔵は沖田の言葉を聞いた。


 武市の顔が浮かんだ。東洋の顔が浮かんだ。龍馬の顔が浮かんだ。


「刀を持っていなくても——ここにいる」


 沖田は続けた。


「刀が斬れない場所で、ここにいる。それが——刀の外にある自分じゃないですか」


 以蔵は何も言わなかった。


 しかし——膝を抱えていた腕が、少しだけ、緩んだ。


 武市半平太が、音もなく以蔵の隣に来た。何も言わなかった。ただ、隣に座った。以蔵は武市を見た。武市は水面を見ていた。二人は並んで、水面を見た。


   *


「刀のない世界を——わしは夢見ちょった」


 坂本龍馬が、水面を見たまま言った。


「開国して、外国と対等に付き合うて、戦のない世を作る。刀で解決するんじゃなく、言葉で解決する世を作る。それを夢見ちょった」


 近藤が、龍馬を見た。


「けんど——」


 龍馬は続けた。


「刀を持って戦うた人間を、消すつもりはなかった。刀で守ろうとした人間の、その志まで消すつもりは——なかったがじゃ」


 龍馬は近藤を見た。


「消えたのは刀じゃ。近藤さんたちじゃない」


「近藤さんたちが守ろうとしたもの——仲間への誠実さとか、信じたものへの忠義とか——そういうものは、廃刀令では消えない。法律で消えるもんじゃない」


 近藤はしばらく黙っていた。


「俺たちが守ろうとしたものは——刀だったのか」


 自分に問うような声だった。


「違うじゃろ」


 龍馬は答えた。


「……違う」


 近藤は言った。


「刀は——手段だった」


 その言葉が出た瞬間、近藤の中で何かが動いた。分かっていた。ずっと分かっていて、言えていなかった。しかし声に出した瞬間に——何かが、確かに変わった。


「刀は手段だった。俺が守りたかったのは——仲間だった。秩序だった。人が人として生きられる世だった」


「そうじゃ」


 龍馬は言った。


「刀がなくなっても——それは消えない」


「消えない」


「この場所に、近藤さんたちがいる。それが証拠じゃ」


 近藤は水面を見た。廃刀令の映像が揺れていた。刀のない街が揺れていた。しかしその街を歩く人々の顔は——穏やかだった。争っていなかった。斬り合っていなかった。ただ、歩いていた。


   *


 誰かが何かを言いかけた、その瞬間だった。


 気がついたら——三人が、いなかった。


 山南が、いなかった。以蔵が、いなかった。沖田が、いなかった。


 消えた瞬間を、誰も見ていなかった。いつ消えたのかも分からなかった。会話の途中だったのか、終わってからだったのか——それすら、誰にも分からなかった。


 ただ。


 さっきまでいた場所に、誰もいない。


 近藤は三人がいた場所を順に見た。何もなかった。跡もなかった。気配もなかった。


「……坂本さん」


 声が出た。


「消えた、のか」


 龍馬は、すぐには答えなかった。


 近藤は山南がいた場所を見た。「完了だ」と言った山南は——完了したのか。それとも別の何かが起きたのか。


 以蔵がいた場所を見た。腕が緩んだ以蔵。武市と並んで水面を見ていた以蔵。


 沖田がいた場所を見た。


 沖田は——笑っていたのか。


 近藤はそこで止まった。沖田の最後の表情を、思い出せなかった。見ていたはずだった。しかし思い出せなかった。笑っていたようでもあった。笑っていなかったようでもあった。どちらでもあったようでもあった。


「……坂本さん」


 近藤はもう一度言った。


「これは——何だ」


 龍馬はしばらく水面を見ていた。


「分からん」


 龍馬は言った。


「分からんけど——悪いことじゃないと、わしは思う」


「なぜ」


「分からん」


 龍馬はまた言った。


「ただ——わしはそう思う」


 近藤は龍馬の横顔を見た。何かを納得しているようでもあった。何も納得していないようでもあった。近藤には、読めなかった。


   *


「俺は」


 土方が、ゆっくりと口を開いた。


 全員が土方を見た。土方がこの場で自分の言葉を出すのは——珍しかった。


「最後まで、刀を置かなかった」


 水面を見たまま言った。


「函館まで戦った。降伏しなかった。刀を置くことが——負けを認めることだと思っていた」


 間があった。


「しかし——刀を置いた人間が、あの街を作った。刀を置いて、生きた人間が、あの明治を作った」


「トシ」


 近藤は言った。


「いい」


 土方は言った。


「俺の選択だった。後悔はない。ただ——置いた人間が作った世界を見て、それが悪い世界でないなら——それでいい」


 近藤は、何も言わなかった。


 芹沢は、何も言わなかった。しかし——その目が、少し柔らかくなっていた。


   *


 しばらく、誰も口を開かなかった。


 水面の映像が揺れていた。廃刀令の街が、静かに揺れていた。


 その沈黙を破ったのは、芹沢だった。


「……そういや」


 ふと周囲を見回して、言った。


「伊東は、どこへ行った」


 全員が顔を上げた。


 伊東甲子太郎が——いなかった。


 いつからいなかったのか、誰にも分からなかった。山南たちのように、消えた瞬間を見た者もいなかった。気がついたら、いない。ただ、いない。


「……気づかなかった」


 近藤は静かに言った。


 土方は何も言わなかった。伊東とは最後まで相容れなかった。しかしその横顔には——何かが、静かに宿っていた。


   *


 空気が少しだけ変わった。重さが、わずかに緩んだ。


 それを感じたのか——芹沢が、龍馬の方を向いた。


「坂本」


「なんじゃ」


「一つ聞いていいか」


 龍馬は芹沢を見た。土方も、いつの間にか同じ方を向いていた。


「お前は——なぜ刀より先に銃を持った」


 場が、ぴりと動いた。


「刀の腕は誰よりもあったと聞いてる」


 芹沢は続けた。


「なぜ捨てた」


「捨てたわけじゃない」


「しかし銃を選んだ」


「……時代が変わっちょったがじゃ」


 龍馬は言った。


「刀でいくら強うても、銃の前では関係ない。それは分かっちょった。分かっちょったから——先に持った。それだけじゃ」


「それだけか」


 土方が言った。


「それだけじゃ」


「俺たちは最後まで刀だった」


「知っちゅう」


「お前には——悔しくなかったのか。刀を置くことが」


 龍馬は土方を見た。しばらく黙っていた。


「……悔しかった」


 静かな声だった。


「悔しかったき、腰には差し続けた。最後まで差し続けた。ただ——使わんかっただけじゃ」


 土方は何も言わなかった。その答えを——ゆっくりと、受け取っていた。


   *


「それとな」


 芹沢が、また口を開いた。今度は声に、妙な色があった。


「北辰一刀流の免許皆伝——ありゃあ本当か」


 その瞬間だった。


 武市が——ほんの少し、顔を背けた。隣にいた中岡慎太郎が武市の顔を見て、すかさず口元を押さえた。


「本当じゃ」


 龍馬は即座に言った。


「本当か」


「本当じゃ」


「千葉道場での話だろ」


 芹沢は言った。水戸訛りが、このときだけ妙に楽しそうだった。


「千葉重太郎とは仲がよかっただろ。頭を下げれば——」


「ちゃんともろうたがじゃ!」


 龍馬が少し早口になった。


「正式に、もろうた。ちゃんと、もろうたがじゃ」


 武市の肩が、微かに震えた。中岡が完全に顔を逸らした。


「武市さん」


 土方が静かに割り込んだ。


「何か知っているか」


 武市はしばらく黙っていた。


「……さあ」


 堪えきれない笑いを押し込めながら、武市は言った。


「龍馬のことは、龍馬に聞いてください」


「武市さんっ!」


「そうですね」


 武市は真顔で言った。目だけが笑っていた。


 吉田東洋が、武市の隣で静かに咳払いをした。それだけだった。それだけだったが——東洋の肩も、かすかに揺れていた。


「……ちゃんともろうたがじゃ」


 龍馬は三度目を言った。誰も何も言わなかった。その沈黙が——答えだった。


 近藤は、龍馬を見ていた。


 この男が——ムキになっている。


 あの坂本龍馬が、巻物一枚のことで顔を赤くして三度も同じことを言っている。近藤は生前、龍馬とは敵対する立場だった。会ったことすらなかった。しかしここで初めて見た龍馬の姿は——近藤が想像していたものと、少し違った。


 中岡は肩を震わせたまま水面を見ていた。高杉は口元を引き結んでいたが目が笑っていた。久坂は——少し前まで廃刀令の映像を見て胸に矛盾を抱えていた久坂は——今や完全に顔を伏せて、声を殺して笑っていた。あれほど深刻だった顔が、嘘のようだった。


 それを見て、近藤も——もう限界だった。


 隣を見ると、井上源三郎が口を真一文字に結んでいた。その隣で河合耆三郎が天を仰いでいた。松原忠司は下を向いた。平山五郎は咳払いをした。新見錦にいたっては、もう完全にそっぽを向いていた。


 全員が、笑いを堪えていた。


 そして——芹沢と土方が、並んで龍馬を見ていた。


 近藤はその光景を見て、ついに堪えられなくなった。


 芹沢鴨と土方歳三が、肩を並べて同じ男を追い詰めている。生前、この二人が同じ方向を向いたことが——あっただろうか。新選組の中で、この二人が笑いの種を共有したことが——あっただろうか。


 あるわけがなかった。


 しかしそれが今、目の前で起きていた。


 龍馬という男は、不思議な空気を持っていた。敵も味方も関係なく、気づいたら同じ方を向かせてしまう。生前は船中八策で世を動かした男が、死んだ後は巻物一枚で場を動かしていた。


   *


 その空気を、吉田東洋が破った。


「……まあ、そのあたりにしてやりなさい」


 東洋が、笑いを含んだ声で芹沢と土方の間に入った。


「龍馬が困っちゅう」


「困っちゅうって——わしは困っちょらん!」


「顔が困っちゅう」


「困っちょらん! ちゃんともろうたがじゃ、あの巻物は!」


 東洋は龍馬を見た。その目が、穏やかに笑っていた。


「分かった、分かった」


「分かっちゅうか?」


「分かっちゅう」


 龍馬は東洋を見た。東洋の顔を見て、少し黙った。それから——ふっと、力を抜いた。


「……東洋さん」


「なんじゃ」


「笑うちゅうやないですか」


「笑っちょらん」


 東洋は言った。目が完全に笑っていた。


「ちゃんと聞いちゅう」


 龍馬は、東洋を見た。それから芹沢を見た。土方を見た。笑いを堪えている近藤たちを見た。顔を伏せたままの久坂を見た。


 しばらく黙っていた。


「……なんじゃ、この場所は」


 誰も答えなかった。しかし——笑いが、静かに広がっていた。


   *


「海援隊は」


 土方が、話を変えた。


「京に三百人入ったという話がある」


 龍馬は土方を見た。


「三百人——」


「そういう話が広まっていた」


「……話が、広まっちょっただけじゃ」


「実際は」


「五十人——前後じゃ」


「五十人」


「五十人ほどじゃ」


 土方は龍馬を見た。


「あの夜——近江屋に入ったのは」


 龍馬は、少し黙った。


「二人じゃ」


 静かな声だった。


「わしと、中岡じゃ」


 中岡が水面を見た。その目が、少し遠くなった。


「二人で」


 近藤は呟くように言った。


「二人で、あの夜を迎えた」


「そうじゃ」


 龍馬は言った。


「三百人おったら——もう少し、何かが変わっちょったかもしれんけどな」


 誰も笑わなかった。場が、しんと静まった。龍馬は水面を見た。中岡は、まだ遠くを見ていた。


   *


「桂との御前試合は」


 芹沢が切り出した。


「本当か」


 龍馬は少し間を置いた。


「……本当じゃ」


「勝ったのか」


「勝った」


 芹沢は龍馬を見た。それから、武市を見た。


「武市さん。見ていたか」


「見ていました」


 武市は頷いた。


「勝ったか」


「……勝ちました」


 武市は言った。


「龍馬が、勝ちました」


 東洋が小さく頷いた。東洋もその場にいた。見ていた。それは本当だった。


「ほう」


 芹沢は龍馬を見た。意外そうな顔だった。


「本当に勝ったか」


「勝ったがじゃ」


 龍馬は言った。しかし——少し間があった。


「まぐれじゃったけどな」


 武市が顔を背けた。中岡が今度こそ声を殺して笑った。東洋が、また静かに咳払いをした。


「まぐれ、か」


 土方が言った。


「まぐれでも——勝ちは勝ちじゃ」


 龍馬は言った。


「そこは胸を張っていい」


 土方の言い方は珍しかった。褒めているのか、揶揄しているのか——判然としなかった。


 龍馬は土方を見た。


「……土方さんに言われると、素直に喜べんな」


「なぜだ」


「なんとなくじゃ」


 芹沢が、短く笑った。


 この場所に来て——初めて聞く笑い声だった。


   *


 全員が、水面を見ていた。


 廃刀令の映像は、まだ揺れていた。刀のない街。刀のない人々。しかしその人々は——歩いていた。穏やかに歩いていた。笑っている人がいた。子どもが走っていた。


 刀がなくても、世界は動いていた。


 刀がなくても、人々は生きていた。


 かつて刀を持って戦った男たちが、刀の斬れない場所から、その映像を見ていた。


「できちゅうじゃ」


 龍馬が、また呟いた。


 今度の声は、今までとは少し違った。


 答えの出ない問いを抱えた呟きでもなかった。何かが解けた後の声でもなかった。


 ただ——受け取った声だった。


 全部を受け取って、それでも「できちゅうじゃ」と言った声だった。


 水面が揺れていた。


 風はない。時間はない。


 ただ、揺れている。


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             第9話「刀を置く日」——了


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