第七話 母と息子の再会
内幸町の小さな占い店。
午後、ひとりの男性が店を訪ねてきた。
「いらっしゃい。今日は何を占ってほしいんだい?」
内海ヨシエは、いつもの調子で声をかけた。
「鑑定をお願いしたいのですが」
「いいよ。そこに座りな」
男性は椅子に腰を下ろした。
「まず、お名前と生年月日を教えておくれ」
「奈良岡達也です。四十九歳です」
ヨシエの手が、ほんの一瞬止まった。
奈良岡。
その姓には覚えがあった。
かつて夫だった男の姓だ。
そして、達也。
自分が産んだ息子と同じ名前だった。
「生年月日は?」
男性が告げた日付を聞き、ヨシエは静かに息をついた。
間違いない。
息子の誕生日だった。
しかし、目の前の男性の顔から、幼い頃の面影をすぐに見つけることはできなかった。
四十九年という年月は、それほど長い。
ヨシエは、いつものように机の上を整えた。
「それじゃ、始めようかね」
筮竹を手に取り、卦を立てる。
一本一本、丁寧に数を分け、陰と陽を定めていく。
やがて卦が整うと、ヨシエは易経の言葉を確かめながら、男性の話に耳を傾けた。
「仕事のことで、少し迷っていまして」
「そうかい。今まで、ずいぶん頑張ってきたようだね」
「ええ。若い頃から、いろいろありました」
「人生なんて、そんなもんさ。順風満帆ばかりじゃ、面白くもないだろう」
男性は、少し笑った。
ヨシエは卦を読み解き、これからのことについて言葉を選びながら話した。
鑑定は、ひと通り終わった。
ヨシエが筮竹を片づけようとしたとき、男性が口を開いた。
「先生」
「なんだい?」
「ボクの顔、覚えてませんか?」
ヨシエは、男性の顔をじっと見た。
名前も、生年月日も、もうわかっていた。
けれど、目の前にいるのは、記憶の中の小さな男の子ではない。
四十九年を生きてきた、一人の男性だった。
「……達也なのかい?」
「はい」
「そうかい。大きくなったねえ」
それだけだった。
達也は、少し笑った。
「ネットで先生の名前を見つけたんです。内海ヨシエ。母の旧姓と同じだったので、もしかしたらと思って」
「そうかい。よく見つけたね」
「最初は、違う人かもしれないと思いました。でも、年齢を見て、もしかしたらと」
「そうだったのかい」
「会いたかったんです」
ヨシエは、達也の顔をもう一度見た。
幼い頃の顔は、もうそこにはない。
けれど、目元や話し方に、かすかな面影が残っている。
「そうかい」
ヨシエは、静かにうなずいた。
「それで、今までどうしてたんだい?」
「いろいろありましたよ。父の実家で育ちました。仕事もしましたし、家庭も持ちました」
「そうかい。頑張ってきたんだね」
「母さんも、頑張ってきたんでしょう?」
「そりゃそうさ。あたしだって、いろいろあったよ」
二人は、しばらく向かい合っていた。
過ぎた年月を、今さら取り戻すことはできない。
けれど、それぞれが自分の人生を歩いてきた。
どちらか一方だけが苦労したわけではない。
ヨシエは、机の上の筮竹を片づけた。
「お茶でも飲むかい?」
「いただきます」
「そうかい。ちょっと待ってな」
ヨシエは、奥でお茶を用意した。
湯飲みを二つ並べ、達也の前に置く。
「熱いから、気をつけな」
「ありがとう」
達也は湯飲みを手に取った。
「母さん」
「なんだい?」
「また、会いに来てもいいですか?」
「何言ってんだい。来たけりゃ、いつでも来ればいいさ」
「ありがとう」
「それより、腹は空いてないかい?」
「え?」
「蕎麦でも食べに行こう。あたしの行きつけの店があるんだよ」
「蕎麦ですか?」
「そうさ。昔から通ってる店でね。なかなかいい店なんだよ」
達也は笑った。
「ぜひ、ご一緒させてください」
「よし。じゃあ、行こうかね」
ヨシエは、いつものように鞄を手に取った。
長い年月を経て、母と息子が再び並んで歩き出す。
特別な言葉も、涙もなかった。
ただ、二人には、これから一緒に過ごせる時間がある。
ヨシエは、店の鍵をかけながら言った。
「さあ、行くよ。おいしい蕎麦を食べさせてやるからね」
達也は、その後ろを笑顔でついていった。




