第9章 冴えわたる名推理
勝利のあと、村には小さな市場ができた。
布を広げて物を並べるだけの場所だったが、雨の日には屋根の下へ入れた。
次の勝利で、診療所の窓に硝子が入った。
医師が風を気にせず道具を並べられるようになった。かつて選手だけに出されていた肉が、子供の椀へ入る日も増えた。
メイは市場で呼び止められるたび、最初は戸惑っていた。
「足、まだ痛むかい」
「それは先月です」
「じゃあ、よくなったんだね」
大きな街で聞かれていたのは、次も勝てるか、だった。
ここでは、寝たか、食べたか、洗濯物はどこへ干したか、だった。
うっとうしいと思う日もあった。
ある朝、誰からも声を掛けられないまま練習場へ着くと、妙に落ち着かなかった。
*
その朝、剣白が練習場にいなかった。
家にも、広場にもいなかった。
「大きいのに、見つからないですね」
メイが道の先を覗いた。
シオンは村の裏手へ回った。
小高い岩山の上に、人影があった。
あの肩幅は、間違えようがなかった。
「何してるのー? 練習始まるよー!」
下の道から呼ぶと、剣白は村を見下ろしたまま答えた。
「おう」
少しして、岩を下りてきた。
「探したんだから」
「すまん」
剣白が球の入った袋を持った。
三人で、練習場へ向かった。
*
練習を終えて広場へ戻ると、配給倉庫の前に人が集まっていた。
帳面を持った男が、同じ棚を何度も指していた。
「どうしたの?」
シオンが聞いた。
「食料の在庫が合わないんだとよ」
荷車のそばにいた村人が答えた。
「それは大変。数え間違いじゃないの?」
メイが倉庫を覗いた。
「絶対違う! 俺はちゃんと責任を持ってこの仕事を引き受けてるし、引き継ぎのやつとも確認してる。朝、配り終えたときには、きちんとあった」
担当者は帳面を開いた。
引き継いだ相手も、隣でうなずいた。
「でも、鍵を閉めて、外で見張ってるんだよね? どうやって……?」
シオンが言うと、担当者の顔が赤くなった。
「俺じゃない! 俺はちゃんと見張ってた!」
「あなたがやったとは言ってないよ」
「怪しいな」
横から、別の男が言った。
よく広場で声を掛けてくれる男だった。荷物を持てずにいる人を見ると、自分の用事を後へ回す。メイも市場で何度か助けられていた。
「だって鍵があるのに、どうやって入るんだ? 入口は見張ってたんだろ?」
「それはそうだが、俺にも訳が分からねえ」
「自分の家族にだけ、多く配ったとか?」
人垣の後ろから、声がした。
「そんなことはしていない!」
「どうだか」
広場の男が言った。
担当者は帳面を握り締めた。
村長と監督が、人垣へ入ってきた。
「しかし、これは困った」
村長が小声で言った。
「彼はそのようなことをする人物ではない。わしはそう思う。でも、このままでは他の者が……」
「都会にゃ、学者や探偵などという仕事をしてるやつもいるが、こんな小さな村じゃ、そんな頭をしてるやつは……」
「お前が犯人だろ」
剣白が言った。
広場の男を見ていた。
「はぁ?」
いくつもの声が重なった。
「な! 何を言いやがる! 鍵が掛かってて、見張りもいるのに、どうやって俺が中に入るんだよ!」
「うん、そうだよ。ていうか、びっくりしたなぁ。あなた、そんなキャラじゃないでしょう?」
メイは剣白を見上げた。
剣白は男の腕を見た。
「服の袖に錆がついてるぞ」
「……錆?」
シオンが同じところを見た。
袖の外側に、赤茶色の筋があった。
「どっ、どこに。ああ! あれれ? なっ、なんだこれ。なんだろうな、ははは。そ、それがどうしたよ!」
「屋根に上って、倉庫の裏手の屋根を剥がして、中に入ったときについたものだろう」
「ええ!」
メイが倉庫を見た。
入口からは、屋根の裏側は見えなかった。
「どどど、どど、どういう、どどど、どういうことだってばよ」
男の手が、袖を隠そうとして反対側をつかんだ。
「腕の錆だけで、そこまで分かるなんて……」
シオンは剣白へ向き直った。
「剣白って、頭もよかったの?」
「人は見かけによらんものじゃが、こいつは見かけでなんも分からん」
監督が呟いた。
「どういうことだ! 明らかに取り乱してるじゃないか!」
荷車のそばの村人が言った。
「説明が必要だな」
村長が男へ向いた。
「そ、そうだ! 俺を犯人みたいに言いやがって」
担当者が帳面を抱え直した。
「ち、違う。俺じゃない! あんまりびっくりした答えだったんで、驚いただけだ! しょ、証拠もないのに、他人を犯人扱いしやがって!」
「お前もだろう!」
剣白が、村の裏手を指した。
「裏の廃墟に、みんなで行けば分かる」
「ちょちょちょ、ちょっと待ってくれ! なんでそこまで分かるんだ! あんた何なんだ!」
男の口が開いたまま止まった。
「あっ……」
村長は、しばらく待った。
「どういうことだね?」
*
数人が廃墟へ向かった。
シオンとメイも、あとを追った。
屋根が半分落ちた家だった。道に面した壁は崩れていたが、奥には雨の当たらない場所が残っていた。
小さな鳴き声がした。
母猫が、古い布の上で身を固くしていた。
腹には、何匹もの子猫が取りついていた。
近づいた村人へ、母猫が歯を見せた。
「そこまででいい」
誰かが言った。
壁際に、食べ物とミルクがあった。
倉庫で使っている包みだった。
村人が一つ持ち上げた。紐へ挟んだ小さな札に、配給用の印があった。
倉庫の屋根を確かめに残った者も、あとから来た。
裏手の板金が一枚、外して戻されていたという。留め具の錆が、新しく剥がれていた。
男は、村長の隣でうつむいた。
「……俺だ」
担当者が息を吐いた。
「俺がやった。すまねえ」
猫が、また鳴いた。
男はそちらを見た。
「最初は、自分の分を持ってきてたんだ。けど、それじゃ足りなくて」
言葉が止まった。
母猫の腹へ、子猫が頭を押しつけていた。
村長は、包みと猫を見比べた。
誰も、すぐには口を開かなかった。
前よりは、食べられるようになった。
それでも倉庫の帳面には、村人の分しか書かれていない。余ったように見える袋にも、次の配給日が決まっていた。
男が持ち出した分は、誰かへ渡せなくなる分だった。
「だからって、勝手に持っていっていいことにはならん」
村長が言った。
「分かってる」
男は担当者へ頭を下げた。
「あんたにまで、ひどいことを言った。すまなかった」
「……本当だよ」
担当者は、帳面の端を指で直した。
「俺の家族まで、疑われたんだぞ」
男は頭を上げなかった。
「僕の分も分けるよ」
後ろから声がした。
振り向くと、ついてきた子供が立っていた。
「私の分も」
小さな女の子が、その隣へ出た。
「私の分も、少し分けるよ」
女の子の母親が言った。
いつの間にか、廃墟の前に人が増えていた。
先に猫を見つけた子供が親を呼び、その親が広場の人へ話していた。
「もとはもっと少なかったしな。みんなで分ければ、猫数匹くらい養えるさ」
「うちの子たちも、あんなに大事そうに言うもんだから。大きくなったら、遊び相手にもなるしね」
女の子がしゃがんだ。
母親は肩へ手を添え、それ以上近づかないようにした。
「少しずつだよ。誰か一人が、ご飯を抜いたりしないようにね」
子供はうなずいた。
担当者が帳面を開いた。
「分けるって人の分は、配ったあとで別に集めよう。倉庫から勝手に減らしたら、また合わなくなる」
村長がうなずいた。
男は顔を上げた。
「す、すまねぇ。すまねぇ、みんな!」
膝が落ちた。
両手をついて、泣いた。
「まったく、あんたは。他人のときには遠慮なく相談しろっていうのに、全く困った人だね!」
女の子の母親が言った。
村人たちが笑った。
母猫はまだ、こちらを警戒していた。
女の子は離れたところへ座り、小さく手を振った。
*
「監督、あの人どうなるの?」
帰り道で、メイが聞いた。
「しばらくは反省さね、馬鹿者が。正直に話せばいいものを」
監督は倉庫のほうへ顎を向けた。
「屋根も直させる。帳面の不足も、村長と話をつけにゃならん」
「反省で許してもらえるってことね? よかった」
シオンが息を吐いた。
「ああー!」
突然、メイが声を上げた。
「剣白さん、なんであんなの分かったの? ミルクとかついてた? あの人に」
「それだけが分からなかったね。あんた、昔、探偵でもやってたのかい?」
監督まで足を止めた。
「監督、昔のことは詮索するなって、いつも……」
「仕方ないだろう。さすがにこれは予想外だ」
全員が剣白を見た。
「大したことではない。今朝、小高い岩山の上で全部見てただけだ」
シオンの口が、少し開いた。
監督の杖が、肩の上で止まった。
メイが、剣白と岩山を交互に見た。
「それを最初に言いなさいよ!」
剣白は、わずかに目を逸らした。
「・・・・・、猫のためなら、仕方ないかと思ってな」
「その見た目で村の子供たちと発想が同じっ!」
シオンが吹き出した。
監督も、こらえきれずに声を上げた。
二人は顔を見合わせ、ますます笑った。シオンは腹を押さえ、監督は肩の杖を下ろした。
剣白は、黙って立っていた。




