第8章 肩に担いだ杖
メイは三日、監督と口をきかなかった。
監督は気にしなかった。
四日目、練習の合間の休憩時間に、村の広場が騒がしくなった。
給水を兼ねて向かったシオンたちは、角を曲がって足を止めた。
給水機の扉が開いていた。
主要部品を抱えた男が一人。そばに、モヒカン頭に肩パッド姿の男が二人。赤い羽根と銀色の鎖をぶら下げたリヤカーを、堂々と横づけしている。
近くには、血を流した警備の民兵がうずくまっていた。
「何してるのよ、あなたたち!」
メイの声と同時に、剣白とシオンも前へ出た。
「お前たちは休憩しなと言ったはずだよ」
肩に杖を担いだ監督が、後ろから言った。
「はぁ? 何言ってるの? 盗賊よ?」
「見りゃ分かるさね」
「警備の人たちが怪我してる。助けないと!」
シオンが言った。
「休めと言ったのが聞こえないのか!?」
メイが何か言いたげに剣白を見ると、彼はもうあぐらをかいて、水筒を開けていた。
座る前に見ていたのは、監督の歩幅と、杖を担いだ肩だった。それだけで、自分が出る必要はないと判断していた。
「ひゃはっ! てめぇ、何水飲んでんだこらぁ? 燃やしちまうぞ!」
「ひゃはは~、やっちまってよ、兄貴ぃ~」
男たちの顔が剣白へ向いた隙に、シオンは民兵へ駆け寄ろうとした。
三人目が、その前へ立った。
「ここは通さねぇぜ~」
笑い声が重なった。
「ひゃははははー、あ?」
一瞬だった。
監督がおもむろに近づいたと思ったら、シオンを遮っていた男の足が上を向いていた。
頭が地面を打った。
「ば、ばば、ばばあ!! 何しやがった!」
一人が詰め寄ると同時に、もう一人が宙を舞った。
ドシャッ。
部品は、監督の足元に置かれていた。
「ひいぃ、なな、何もんだ婆ぁ!」
「あたしゃ見たまんまの婆さね。危うくあんたまで寝かせる所だったよ。それ、早くそいつら持って帰りな。よくもまぁこの村を襲ったもんだね、あんたら素人かい?」
「だ、誰が素人だコラァ! 調子に乗ってると痛い目み――」
ズチャ。
男が監督の杖をつかんだように見えた。
次に見えたのは、地面へめり込んだ男の顔だった。
「うるさいやつだねぇ」
シオンは民兵の横へ膝をついていた。エレーヌが追いつき、傷へ小さな光を当てた。
血は止まった。
痛みまで消せる魔法ではなかった。民兵は腕を抱えたまま、それでも何度も礼を言った。
監督は息と傷を確かめ、無事だった警備兵を手招きした。
「あんた、村の連中を先生んとこへ連れてってやんな。死にはしないさね。大丈夫」
杖の先が、地面に並んだ男たちを指した。
「殺してなかったから、こいつらは生かしてやったさね」
メイとシオンが、目を見開いて監督を見ていた。
剣白は目を閉じていた。眠っているように見えた。
「監督……今の、何をしたの……?」
「灸をすえた」
監督は、民兵についていこうとした村人を呼び止めた。
「ほら、そこのあんた! 付き添いに何人もいらん! こいつらを村の外へ捨ててきな! このけったいなリヤカーごとね!」
銀色の鎖が、荷台へ載せられた男の肩へ引っかかった。
メイは、さっきの監督の動きを思い返した。
男を投げた、あの一瞬。
踏み込んだ足元に、小さな光が見えた気がした。
次の瞬間には、もう消えていた。
*
「監督って、昔からあんなだったの?」
メイは、村の外へ引かれていく派手なリヤカーを見ながら言った。
シオンは少し考えた。
「この村に、ものすごく強い傭兵がいたって話なら聞いたことあるけど……」
「そんなことも知らずに、婆さんの指導を受けとったのか」
さっきまで民兵の様子を見ていた老人が、呆れたように言った。
「私は他の街から来たんだから!」
メイが言い返すと、老人は鼻を鳴らした。
「ちょっと待ってろ」
そう言って、近くの家へ入っていった。
しばらくして、古い魔力写真を抱えて戻ってきた。
「ほれ」
包みを開く。
昔の村の練習場だった。
何人かの選手に混じって、一人だけやけに背の高い女が立っていた。百八十センチ近くある。整った顔立ちに、鋭い目。剥き出しの腕は鍛え抜かれていた。
肩に担いでいるのは、杖ではなかった。
丸太のような棒へ、釘が何本も打ち込まれていた。
背景には使い込まれた練習用の標的と、土の地面が写っている。
メイは写真と、目の前の百二十センチを見比べた。
「どなたですか」
「よしだ・しょうこ。そこにおる」
老人が監督を指した。
「今もそれで呼べるぞ。怒られるが」
「名前で怒っとるんじゃない」
監督は写真を取り上げようとした。
メイが先に持ち上げた。
「元選手だったんですか」
「元傭兵でもある。あれが現役の頃は、この村へ来る盗賊は道を間違えたやつくらいじゃった」
メイは写真の腕を見て、それから昼に見た小さな光を思い出した。
魔法の使えない男が身体だけで戦うのとは違う。あれほどの肉体と魔法適性が、一人に揃っていた。いまは衰えた身体を、使う瞬間と場所を知り尽くした技術で動かしている。
老人は楽しそうだった。
「四十くらいまで出とったな」
「まだ出られた」
「年齢制限だと、中央に断られてな」
監督は口を曲げた。
「勝っても壊れずに帰ってくるんだ。文句があるかい」
「まだやるつもりが、断られたって暴れた話は皆が知ってる話だぞ」
「揉めてない。話し合っただけさね」
「三人ほど壁に刺さったと聞いとるが」
「身振り手振りの話し合いさね!」
メイはもう一度、写真の釘を見た。
老人は笑いながら帰った。
写真は置いていった。
メイは監督の横へしゃがんだ。
「今の、教えて」
「どれだ」
「さっきの。何をしたのか、見えなかった」
「あれは私の身体で覚えたやり方だ」
監督は自分の足を、杖で軽く指した。
「お前の身体じゃない」
「じゃあ、どうすれば」
「お前は何がしたい」
風が、干してある競技服を揺らした。
メイは、すぐには答えなかった。
大きな街へ戻りたい。
自分を外した人間を見返したい。
期待していたと言って去った人々に、間違いだったと言わせたい。
どれも本当だった。
けれど、球が来ると分かっているのに脚が動かなかった瞬間の恐怖を、その言葉では説明できなかった。
自分が一発を決めたあと、仲間が二発目を受けていた。
そのあとも。
ずっと。
「監督……TDBが上手くなりたいです」
言ってしまうと、涙が出た。
監督は困った顔をしなかった。
「やっと競技の話になったな」
杖が、メイの足先を軽く叩いた。
「立て。泣いたままでいい」
練習は、驚くほど地味だった。
球を一メートル動かす。
メイは小さな輪へ「停止」と仕込んだ。転がってきた球が止まる。次に「右へ」。最後に「加速」。
球は、横へ置いた標的に当たった。
メイは息を吐き、膝へ手を置いた。
「止める必要があったか」
監督が聞いた。
「狙いを変えるために」
「速い球なら、その速さを全部お前が消すことになるぞ。もう一度走らせる分も払うのか」
メイは三つの輪を消した。
今度は、進んでくる球の先へ「右へ30度」と置いた。
球は止まらず、同じ標的へ当たった。
メイは膝へ手を置きかけて、やめた。
「……同じところに、届いた」
「もう一本、できるか」
輪を出した。球が曲がった。
また標的に当たった。
「さっきより、楽です」
メイは土へ、三本の線を引いた。停止。右へ。再加速。
最初と最後の線を消した。
「先に止めなくても、曲がる場所を変えればいいんだ」
次は標的を少し下げた。「少し下へ」。続く輪には「右へ30度」。
転がる勢いを残したまま、球が標的へ寄った。
「進んどるものを進める。使える力を、まず使え」
必要な場所だけ輪を出す。
通ったら消す。
消すのが遅ければ、監督の杖が地面を鳴らす。
「まだ捨てとる」
「今の一瞬だけで?」
「一瞬が百回ありゃ、百瞬だ」
「そんな単位ないです」
「お前の無駄にはある」
メイは輪を見つめた。
「場所を飛ばすことも、できるんです」
大きな輪を二つ、数歩離して開いた。片方へ入った球が消え、もう片方から転がり出た。
メイの膝が落ちた。
監督が、その先へ出そうとした手を杖で遮った。
「もう一度はやるな」
メイは返事より先に、息を吸った。
「繰り返して、身体に魔力が残り始めたらどうする。暴走まで行ってからでは遅いぞ」
輪を消した指が震えていた。数歩を省くために払った力で、いくつ普通の輪を作れただろう。
「できることを、全部使えとは言っとらん」
「……はい」
「それに、雷を入れた輪は作れんのだろう」
「私、雷の属性はありません。炎も。命令なら何でもできるわけじゃないです」
「なら、持っとるもので組め」
シオンは横で軌道を変える練習をした。
メイの輪を外れた球にも、腕を流して追いつく。
「今の、私には戻せないんです。輪に触ってないから」
「私は、あなたみたいに先へ命令を置いておけないよ」
メイの短い加速へ、流れる腕を合わせる。
互いに相手が補ってくれると思うと、球は落ちた。
互いに自分で全部やろうとすると、球は変な方向へ飛んだ。
剣白が何度も拾いに行った。
「ごめん」
シオンが言うと、彼は球を返した。
「次」
日が暮れて、メイは肩で息をしながら立っていた。
球が来た。
短い光が一本、走った。
球は剣白へ届いた。
監督が次を投げた。
メイは、動けた。
派手な音はしなかった。
髪も逆立たなかった。
ただ、もう一度、足が前へ出た。
メイは自分の膝を見て、それから監督を見た。
老婆は杖を肩に戻した。
「明日もやるぞ」
メイは、涙の残った顔でうなずいた。
翌日、練習の終わりに、エレーヌの土壁が崩れた。
球で割れたのではなかった。厚くしようとして、上まで保てなかった。
「もう少し練習すれば」
彼女が言いかけると、監督は首を振った。
「狙う場所や使い方は変えられる。だが、生まれ持った最大出力まで、頑張った分だけ増えるわけじゃない」
エレーヌは土を見た。
「お前さん、自分がダメな人間だと思っとるだろ。複数を扱えるだけで、どれだけ凄いことか分かっとらんな。魔法自体も、誰もが使えるようなものじゃない」
小さく切れた指先から、血がぽたぽた落ちていた。エレーヌが光を当てると、止まった。
大きな傷を塞ぐ力には、足りない。壁も球を止められない。
それでも、二つとも彼女の力だった。
「学校の教師でもやれば、子供が擦りむくたびに治してやれる。砂遊びで大きな滑り台も作ってやれる。そんな、子供たちの憧れになれるような能力だ。辛ければ考えるといい」
「試合を、辞めても?」
「お前の値打ちまで、なくなりはせんよ」
監督は足元の土を、杖で軽く叩いた。
「球を一瞬で止める壁とは違う。遊ぶ子に合わせて、少しずつ積めばいい」
エレーヌは指の血を拭いた。
すぐに答えは出さなかった。




