第5章 二つ残っていた
対戦相手が入ってきたとき、エレーヌの指が固まった。
「あのチーム」
シオンが振り向くと、彼女は小さくうなずいた。
前の代表たちが見た相手だった。
その大男は、試合前からよく喋った。
「その腕で球を受けるのかい」
敵の大男がリリを見て言った。
「折れそうだなあ」
「折るつもりで投げるんでしょう」
リリが答えた。
「分かってるなら話が早い」
男は笑った。
シオンは審判を見た。審判は登録札を照合していた。
挑発は反則ではなかった。
試合は、最初から選手を狙って進んだ。
シンボルへの道を開くために、守る人間を減らす。教わった戦術の一つだった。それを選ぶ人間の顔が楽しげであることまでは、教本に書いていなかった。
リリは風で受けた。
球を直接つかむ力ではない。吹かせた風をぶつけ、押す向きを変える。
止めきれない球を横へ逃がし、剣白が拾う。シオンは敵の肩越しに空いた像への線を見つける。
二度、成功した。
その間に、自陣のシンボルも750を割った。片翼が消え、支援選択の笛が鳴った。
男は三枚を見比べ、一枚を取った。
すぐには使わなかった。
再開後、三度目の攻撃権を握ると、リリと、その背後の像を見た。
「さてさて、そろそろかなぁ?」
取っておいた札を開いた。
属性攻撃力強化、2倍。
足元の線を光が走った。
この競技場そのものが、巨大な魔法装置だった。支援札の効果も、属性強化も、シンボルの耐久表示も、フィールドに刻まれた術式が管理している。
「おい! おめえの魔法をこの球に込めろ!」
隣の魔法少女の肩が跳ねた。
彼女は球を見て、向こうのリリを見た。
男が顎を上げた。
少女は目を伏せ、両手を球へ向けた。
雷が棘の間を走った。
札の光が重なり、放電が太くなった。単に投げる力が倍になる札ではない。付与された雷そのものが強まっていた。
「さてお嬢ちゃん、今回はシンボルを狙うからよ。逃げるなら逃げていいぜー」
男は笑った。
リリの後ろには、片翼を失った像があった。
剣白がそちらへ踏み出した。
男の腕が振られた。
リリの風の壁が白く光った。
「下げて!」
シオンが叫んだ。
リリは下げなかった。
背後にはシンボルがあった。片方の翼が欠けている。ここを通せば、大きく削られる。
球を包む風が歪んだ。
リリの目が、シオンを見た。
何か言おうとしたように、唇が動いた。
球が壁を抜けた。
身体が浮いた。
シオンの耳には、そのあと地面へ球が落ちる音だけが、異様にはっきり聞こえた。
「リリ」
走り出そうとした足を、剣白の腕が止めた。
雷がまだ地面を這っていた。
「待て」
「離して」
「待て」
剣白の声が、初めて大きくなった。
審判の笛が鳴った。
「タイム」
医療係が入った。
白い布が広げられた。
布の端から出たリリの手首に、編み紐が残っていた。
自分の手首にも、同じ色がある。
「まだ、ライフが」
リリの欄で、三つのうち一つが消えていた。
当たって、落ちた。
規則どおりだった。
まだ二つ、残っていた。
医療係が首を横に振った。
印は、まとめて消えた。
誰かがシオンの肩へ触れた。
監督だった。
「交代を入れる」
「いま?」
自分の声が、知らない人の声に聞こえた。
「まだ試合は終わっとらん」
「リリが」
「分かっとる」
「分かってるなら!」
監督は怒鳴り返さなかった。
声だけは平らだった。
杖を握った手の節が白くなっていることに、シオンは気づかなかった。
担架が外へ運ばれた。
敵の大男が首を回した。
「続けるんだろう?」
球を介さない直接攻撃は、即退場。
シオンはその規則を思い出した。自分の掌が、相手へ向けて上がりかけていたからだった。
剣白が横に立った。
「俺を見るな。球を見ろ」
相手ではなく、剣白のほうを見ていたことに気づいた。
すがりつく先を探していた。
エレーヌが境界線へ来た。
土のついた靴先を、もう一度結び直した。ほどけてはいなかった。
「あれれ? またかわいいのが来たなぁ?」
男が首を傾げた。
「細い腕だなぁ。今度のもすぐ壊れそうだ」
エレーヌの膝が震えた。
それでも、線を越えた。
「剣白。エレーヌから目を離すな」
監督が言った。
「何があっても守れ」
声が一度、途切れた。
「……もう誰も倒させるな」
剣白がうなずいた。
再開した試合は、長くはもたなかった。
エレーヌが立てた土壁は、一球で砕けた。それでも次を作った。剣白が二人分を受け、シオンのパスが初めて結界へ触れた。
球は跳ね返らなかった。
何の怒りも持たないように、真下へ落ちた。
最後に、両翼と片脚を失っていた老人の頭が消えた。
敗北の笛が鳴った。
帰りの待機室で、リリの荷物を誰が持つか、誰も言い出さなかった。
剣白が持った。
軽かったはずだった。
彼は、両手で持った。




