第23章 三人の一撃
「私から」
メイが言った。
剣白が球を渡した。
目を閉じ、息を整える。
メイが球を持つ間に、剣白は想いを一つずつ拳へ集めていた。
シオンはセラフィマを見た。
彼女は像の斜め前へ戻っていた。
右手が、胸元に近かった。
あの札を、まだ使っていない。
中身は分からなかった。けれど、レジェンダリーに無意味な外れ札はない。
回復か。防御か。こちらの攻撃を返すものか。
何であっても、残ったシンボルへ通さなければならなかった。
シオンは監督を見た。
監督も、剣白の肩を見ていた。
メイの呼吸は戻らない。シオン自身も、開いた指が震えていた。
この一撃を打てば、剣白はもう立てなくなるかもしれない。
外せば、次の球を三人で迎えることもできない。
もう一度はない。
シオンが小さくうなずく。
監督も、一度だけうなずいた。
「ここで使う」
温存していた攻撃強化札を開いた。
光が、球へ重なった。
傷は消えない。
疲れた腕も、軽くはならない。
それでも、この一球だけは強くできる。
「通すよ」
シオンが言った。
誰に言ったのか、自分でも分からなかった。
メイの足元に、小さな輪が出た。
広い道ではなかった。
踏む瞬間だけ、「前へ加速」が働く光。
身体が前へ出る。
球が手を離れる。
一つ目の経路で上がり、二つ目で横へ滑った。敵はその先を見た。
シオンが腕を開いた。
球は敵へ行かず、剣白の前へ落ちた。
剣白の肩から、力が消えたように見えた。
あれほど重そうな身体が、風に揺れる布ほど静かになった。
観客のざわめきが変わった。
足が一歩、進んだ。
彼の背後に、輪郭が重なって見えた。
いまの姿か、想いの中にいる人々か。
リリが見えた。村人が見えた。メイと監督が、その背後に重なった。
自分の姿までそこにあった。
シオンには一瞬、球を拾いに行くいつもの背中が見えた。荷物を両手で持った背中。子供を肩へ乗せた背中。
「多想転衝」
拳へ乗せた力が、球へ入った。
空気が潰れる音がした。
剣白の膝が折れた。
メイは、球の先へ輪を置いた。
あのときより、少ない。
「加速」。向きをわずかに変え、次も「加速」。
逆らって止める命令は、一つも置けなかった。
必要な場所へ、残った力を通す。
球が輪を抜けた。
もう一つ、メイの輪が光った。
球の力がさらに増した。
押さえ込める大きさを、すでに越えていた。
だから押さえ込まなかった。
指先に力を入れなかった。
時間が遅くなったように感じた。
メイの息。
剣白の靴が土を踏む音。
セラフィマの目。
すべてが別々に見えた。
世界が止まったわけではない。
止まってくれたら、もっと簡単だった。
シオンの身体のほうが、もう余計なことを一つもできなくなっていた。
腕を流した。
球は中央の物理選手の届くぎりぎりを抜けた。
その先に、シンボルがあった。
そこへ、まだ導けていた。
*
来るのね。
セラフィマは、剣白の拳が球へ入った瞬間に分かっていた。
あの再戦で見た一撃。
メイの輪を抜け、シオンの腕に沿って曲がる球を見て、懐の札へ指を掛けた。
完全反射。
この球を、3倍の威力にして返せる。
これを使えば勝てる。
そう確信した次の瞬間、向こうのシンボルが見えた。
あの三人が、諦めるとは思えなかった。
剣白は、膝をついている。それでも立とうとするだろう。メイも、残った力を出すだろう。
シオンは、必ず前へ出る。
3倍にして返せば。
あの子が、その前に立てば。
指が止まった。
真上へ返せばいい。
誰もいない空へ。三人にも、シンボルにも向けずに、この一球を逃がすことはできる。
客席の旗が、視界の端に入った。
中央の旗だった。
勝てる札を持ちながら、捨てる。
相手を傷つけたくなかったから。
その理由を、あの旗の下で待つ人々へ言えるだろうか。
なぜ勝ち筋を捨てた。
誰の代表として立っていた。
まだ誰も口にしていない声が、耳の奥でした。
空へは逃がせない。
シンボルへ返せば、シオンが出る。
封じられていない。
使い終わってもいない。
魔力が切れて開けないわけでもなかった。
それでも、使えない。
昨夜、自分の前で泣いていた顔が、球の向こうにあった。
地下の扉を開けたのも、自分だった。誰にも話すなと言われたことを、あの子に話した。
いまさら、何もなかった顔には戻れなかった。
戻ろうとすることにさえ、疲れていた。
けれど、負けるわけにもいかなかった。
明日も水を待つ街がある。灯りを消せない病院がある。この制度のほかに、それを支えるものはまだない。
シオンなら、前へ出る。
そう考えている自分の足が、もう像の正面へ踏み出していた。
守らなければならない。
懐から指を離した。
身体は、止まらなかった。
*
シオンの腕が、もう一度流れた。
球は残った像へ向かっていた。
あと少し。
メイの加速と、剣白の力。そこへ重ねた支援の光。
輪の命令は、もう球へ渡されていた。その先で狙いを戻せるのは、球を追い続けるシオンだけだった。
その全部を送り切ろうとして、指の先から球の感触が抜けた。
腕を動かした。
球はついてこなかった。
いままで導いた軌道のまま、シンボルへ飛んでいく。
その線上に、中央の魔法少女がいた。
「避けて!」
相手も、球を見ていた。
受ける姿勢を捨て、横へ跳んだ。叫びが届き切るより早く、身体が軌道から外れた。
よかった。
シオンの息が、一瞬だけほどけた。
空いた場所へ、セラフィマが飛び込んだ。
その両手に、札はなかった。
セラフィマは、無事な右腕を前へ突き出した。
闇の力が球へ絡みつく。
もう片方の腕も上げた。
折れた左腕だった。
白い光の力が、その掌に集まった。
痛みで指が震えた。
それでも、出力を落とさなかった。
自分が止める。
シンボルを守り切る。
光も、闇も、これ以上は出せなかった。
二つの力が、正面から球を挟んだ。
一瞬だけ、軌道がぶれた。
速さは落ちなかった。
シオンは腕を引いた。
もう、球は戻らなかった。
折れた腕が耐えきれなかった。
白い光が、腕と共に砕けた。
光の破片が、血の色を帯びて飛び散った。
残るのは、闇の力だけだった。
セラフィマは退かなかった。
残った腕を起点に、闇が膨れ上がった。
球を覆い、肩を越え、彼女自身の輪郭まで呑み込んだ。
観客席で、魔法少女が息を呑んだ。
監督の杖が、肩から落ちた。
魔力暴走。
シオンにも、その言葉が浮かんだ。
それでも闇は、球を放さなかった。
パァァァアン!
破裂音にも似た轟音が、競技場を叩いた。
球が、巨大な闇を突き破った。
闇ごと。
そして、セラフィマごと。
黒い力が裂け、その向こうで身体が弾かれた。
球はシンボルへ達した。
耐久表示が0になった。
老人の頭が消えた。
終わりの笛が鳴った。
観客が叫んだ。
セラフィマの身体が落ちた。
狙っていたのは、シンボルだった。
でも、あの威力を選んだのは自分だった。
シオンは中央線を越えた。
試合は終わっていた。
そのことだけは、間違いなかった。




