第2章 噛む球
中央都市は、遠くから見ると昼間にも光っていた。
給水塔。送電塔。白い温室の列。街道を行き交う荷車の数だけで、村の一年分の人出を超えているように思えた。
門の石壁には、競技外の戦争と略奪を禁じる盟約が彫られていた。背けば中央都市と賛同都市すべてを敵に回す。その下には、かつて制裁を受けた街の名があった。街道の案内には、もう載っていない名だった。
門をくぐったシオンは、噴水の前で足を止めた。
水が上へ飛び、誰の桶にも入らず、池へ戻っていた。
「なつかしいなー」
シオンが言うと、リリが顔を向けた。
「あ、そうか。昔ここに住んでたんだっけ?」
「うん……」
池の縁に、欠けた石があった。子供の頃はそこを踏み台にしていた。
同じ年頃のあの子と、並んで水を覗き込んだ。
隣に誰かが立つ場所を、シオンは空けたまま見ていた。
リリが覗き込んできて、ようやく一歩ずれた。
「飲めるのかな」
「飲むな。口が噴出口に巻き込まれる」
監督は歩きながら答えた。
競技場の待機室には、一般リーグの対戦表が貼られていた。
すべての試合を終えた時点の上位3チームが、中央リーグへの参加資格を得る。一度負ければ終わり、という競技ではなかった。
一般リーグの報酬も配給も、中央リーグに比べれば小さい。それでも村には、その一勝分が必要だった。
最初に渡されたのは、誓約書だった。
受付係が、書面の項目を順に指した。
「競技中は重傷を負うことも、死亡することもあります。また、魔力暴走によって、外見や意識が元の状態から大きく変わる場合があります」
シオンは、指された文字を追った。
「亡くなられた方や、そうした変化のあった方については、中央で対処し、保管や埋葬を行う場合があります」
「家には、帰れないんですか」
リリが聞いた。
「状態によります。そのままご家族や所属街へお戻しすることで、大きな精神的負担や混乱を招くこともありますので。中央で適切に対処するための規定です」
受付係は次の項目へ指を移した。
「これまでの参加者の皆さんにも、同じ条件で許諾いただいています。お読みになって、同意できる場合にのみ署名してください」
シオンは何度も読んだ。選手は競技中の負傷および死亡の危険を承知する。魔力暴走による変質と、中央による対処・保管・埋葬についての条項もあった。身も心も捧げ、所属都市のために戦う。規定に従い、審判の裁定を受け入れる。
隣で、リリも紙へ顔を近づけていた。
シオンは署名欄へペンを運んだ。
ペン先が一瞬、止まった。
身も心も。
妙に大げさな言い回しだと思った。
それでも、署名欄へ名前を書いた。
まつお・シオン。
リリがその隣へ署名した。剣白の筆跡は、意外に細かった。
そのあと、魔法少女三人は一人ずつ能力を確かめられた。
魔力量、属性、能力系統。
リリが風を起こす。シオンが小球を動かす。エレーヌは治癒を示したあと、小さな土の壁を立てた。
「二系統ですね」
記録係は欄を二つ埋め、測った値を横へ書いた。
エレーヌは、その小さな数字を見て手を下ろした。
剣白には魔法の検査がなかった。
検査員が黒い箱を運んできた。
「公式球です」
箱の中で、何かが笑った。
半分は棘だった。磨き上げた刃のような棘が、球の曲面に沿って並んでいる。もう半分には目と口があった。丸くて大きな目が、こちらを順番に見た。
リリがそっと手を振った。
球は歯を見せた。
「安全面です」
検査員が目と口のある側を指した。
「安全とは」
シオンが聞いた。
「比較的、です」
剣白が球を持ち上げた。口の縁へ指を掛けると、球は当然のように噛んだ。
鈍い音がした。
剣白は眉一つ動かさなかった。
数秒後、球の顎のほうが先に緩んだ。
「フィジカル枠の方でも、普通はもう少し驚かれるんですが……」
「そうか」
シオンとリリが吹き出した。
検査員は何かに丸をつけて去った。
シオンは、自分がこれから参加するものについて、もう一度考えた。
コートは広かった。昔のドッジボール場なら四面ほど収まる、と説明を受けていたが、立ってみるまで広さを実感できなかった。村の練習場では縄で代用していた境界線が、本番では白く発光していた。その外側にも二十メートルほどの余白があり、さらに向こうに薄い膜のような結界が見えた。
上空へ上がれるのは二十メートルまで。球には高さの制限がない。外へ曲げて戻す球もある。だが結界へ触れた球は、跳ね返らず力を失って落ちる。
リリが小声で復唱していた。
「落ちた場所が中央線よりこっちなら、うちの球」
「そう」
「向こうなら向こう」
「そう」
「じゃあ、ど真ん中は?」
「審判の仕事だ」
監督が答えた。
両陣の奥には、翼の生えた筋肉質な老人像が立っていた。
両手を腰に当て、胸を張っている。
笑顔だった。
村の練習用の柱とは、あまりに違った。
「エンジェルおじいちゃん……」
シオンが呟いた。
「うちのを守れ。向こうのを壊せ」
監督はまったく笑わなかった。
耐久値は1000。削られると、片翼、もう片翼、片脚の順に消えていく。どこへ球が当たったかではなく、残った耐久を見せるための変化だった。最後に頭が消えれば試合終了。
あるいは、片方の選手が全員行動不能になっても終わる。試合そのものに制限時間はない。
開始の笛が鳴った。
相手の第一球は、シオンの顔を狙って飛んできた。
教本には、相手選手への攻撃は合法、と書かれていた。
紙で読むのと、棘が迫るのは違った。
シオンは右手を引いた。触れずに、球そのものへ魔力を届かせる。水面へ線を引くように手首を返す。
近くの小石なら、指は待っていられる。いまは球の速さへ、腕も意識も追いつかせなければならなかった。
球は曲がった。
曲がりすぎた。
「リリ!」
「分かってる!」
リリの風が球を押し上げた。棘が彼女の肩をかすめ、球は落ちていく。
その下へ、剣白の手が入った。
地面には触れなかった。
審判が腕を上げた。
「捕球。攻撃権移行。ライフ減算なし」
シオンは肩で息をした。選手に当たっても、落ちる前に誰かが取れば、ゲーム上のライフは減らない。
けれど、リリの肩からは血が流れていた。
三つあるライフは、傷を三回まで消してくれる仕組みではなかった。ゼロになればコートを去る。だがゼロになるまで身体がもつという約束は、どこにもない。
「次、丁寧に」
リリが笑って言った。
シオンはうなずいた。
剣白が球を差し出す。
「返すぞ」
「私に?」
「向こうに」
「あ、うん」
攻撃権を得てから一分以内に攻撃を始めなければならない。表示盤の数字が減っていく。
シオンは球の少し横へ手を添えた。
剣白が投げた。
球の勢いは、自分の力でどうにかするには大きすぎた。だから止めなかった。腰を回し、肩を開き、腕を円にする。剣白の投げた力を、そのまま横へ滑らせる。
相手の魔法少女が正面に張った盾を、球は回り込んだ。
ただし像までは届かず、物理選手の腕に収まった。
「ほう」
相手がこちらを見た。
「その速さで、まだ曲げるのか」
受け取った球とシオンの間を、相手の魔法少女が見比べた。子供の投げた球でさえ、飛んでいる間に操れる者はほとんどいない。
シオンの膝は、まだ震えていた。
それでも、次にどこを通せばいいかは見えていた。




