第19章 どちらの正しさも
「こんなの間違ってる」
シオンが言うと、セラフィマはうなずいた。
「そうね」
その返事を予想していなかったことに、シオンは気づいた。
正しいと言われるつもりで来た。
必要だから構わないと、冷たい声で言われるつもりで来た。
「でも、じゃあ明日、供給を止めたら何人死ぬの?」
セラフィマの目は、まっすぐだった。
「止めろとだけ言ってるんじゃない」
「なら、どうするの」
「危険な競技を続けて、また誰かを」
シオンは、机の決勝資料を見た。
支援札の一覧があった。
傷を治す。魔力を戻す。失った力を、完全に取り戻す。
あのとき、剣白は立った。
「だったら、死人が出ないようにすればいいじゃない!」
セラフィマの顔を見た。
「あの競技場、全部が魔法の装置なんでしょう。死ぬほどの球が当たる前に止めたり、倒れた人をすぐに回復させたり。それもできないの?」
「できるわ」
シオンは次の言葉を失った。
セラフィマは、目を逸らさなかった。
「致命傷になる前に球を止める仕組みも、緊急の回復を組み込むことも。技術がないわけではない」
「じゃあ、どうして」
「最初の競技の記録を、読んだでしょう」
境界を引き、目標を置き、刃物を置かせた。
そのあとに続いた改定の頁を、シオンは思い出した。
球の仕様。
魔力付与。
選手への攻撃。
「ええ。あの人は競技を危険にした。供給源を得るために。私たちはそれを知って、続けてきた」
セラフィマは支援札の一覧を閉じた。
「誰も死なずに帰れるようにすれば、新しい供給源は減る。競技を安全にすることが、この制度のもう一つの目的を妨げるの」
棘の間を走った雷が、シオンの目に浮かんだ。
風の壁。
自分を見た、リリの目。
「じゃあ、ルールが違ってたら……リリは助かったんじゃないの?」
セラフィマは目を逸らさなかった。
「……そうね。そもそも、死ぬような目に遭うこと自体なかったでしょうね」
シオンの指が、冷たくなった。
仕方なく死者が出るのではなかった。
出ないようにすることを、選ばなかった。
「それで、いいの」
声がかすれた。
セラフィマは配分表を引き寄せた。
「安全に変えたその日に、すべての供給が消えるわけではないわ。でも、いま供給している人たちも、いつかは止まる」
交換予定の欄へ、指を置いた。
「村へ配ったコアも永久ではない。交換も補充も、新しく必要になる分もある。それとは別に、中央から届く食料や熱を、今日も待っている街がある」
指の先に、いくつもの地名が並んでいた。
「競技を安全にすることと、いまの供給を全部止めることは同じではない。でも、どちらも、その先に足りなくなる分をどうするかという話を避けられないの」
シオンは、紙を見た。
セラフィマは静かに続けた。
「それがどうしたというの? たった一人の死体を使うだけでどれだけの数の人間が助かっていると思うの? あなたがこれまで暮らしてこれたのも、これから暮らしていけるのも何のおかげだと思ってるの?」
机の上の配分表に、村の名があった。
「それを知ってなお、すでに死んだ人間の尊厳を守るという理由だけで、あなたはこの世界の理となってしまった仕組みを壊してしまうというの?」
セラフィマの指が、紙の端をつかんだ。
「壊すなら壊してよっ!!」
紙が少し破れた。
彼女はそれを見た。
まるで、自分の声が何をしたのか、あとから確かめるようだった。
シオンは何か言おうとした。
給水所が浮かんだ。
硝子の入った診療所。
肉の入った椀。
夜に転ばず帰れる道。
リリと笑った、三本の街灯。
どれも、嘘ではなかった。
「何も言い返せないようね。それはそうよ」
セラフィマは、破れた端を指で押さえた。
「ここ数日この真実を知って考えただけのあなたに分かるような事なら、十年以上このことだけを考え続けてきた私に分からないわけがないもの! 数百年考えてきた私の一族に分からないはずがないもの!!」
シオンは唇を噛んだ。
涙が出た。
悔しかった。
言い返せないことだけではなかった。
十年以上。
セラフィマからの手紙が短くなった頃。
会っても笑わなくなった頃。
村へ来なくなった頃。
シオンは彼女を、中央での立場が変わり、自分とは遠い人間になったのだと思った。
自分を見下すようになったのだと思った。
思うことで、自分を守った。
理由を聞いても、言わなかったかもしれない。
それでも、聞こうとしなかった。
「あなたたちはこれまでプレイヤーとして街の人々とは比べ物にならない恩恵を享受してきたはずよ」
セラフィマの声は、また静かになっていた。
「それにその代償に命を失いかねない危険なゲームに参加することも了承していたはず。ならいいじゃない? そうでしょう?」
シオンは自分が署名した紙を思い出した。
「死ぬことになっても構わないと誰でもない自分自身で決めて参加している人々なのよ。どこかからさらってきた人間などではない。死ぬことも覚悟の上のゲームに参加して命を落とした人間。ならいいでしょう?」
最後の問いは、少し弱くなった。
「その尊厳を踏みにじっているわけではないわ。人々の役に立てているの!」
セラフィマがシオンを見た。
「役に立っているのよ!」
シオンが答えないうちに、セラフィマは小さくうなずいた。
「もうそれでいいでしょう?」
机の縁を握っていた手が、離れなかった。
シオンは、涙をぬぐった。
同意すれば、彼女は少し楽になるのかもしれない。
目の前にいる元親友が、その答えを欲しがっていることは分かった。
けれどリリの顔があった。
地下の、あの顔が。
「亡くなった魔法少女や、暴走を抑えきれず成れの果てとなった魔法少女たちが資源として搾取され続ける数十年を、一切の意識もなく苦しみもないと誰が言えるの!」
セラフィマは動かなかった。
「役に立つからいいじゃないとか、それがなければみんな生きていけないとか、覚悟もなく真実も知らずにその立場に置かれた人々には関係のない話だわ!」
シオンは息を継いだ。
「あなたはきっと正しい! 大多数の人たちから見ればきっとそうよ。でも私には、亡くなって搾取され続けるリリの表情が、『苦しい! 誰か助けて』って、そう無言の叫びをあげているようにしか見えなかった!」
「それが」
セラフィマは言いかけた。
思い込みだ、と続けることはしなかった。
シオンは彼女を見た。
「思い込みであると誰が言えるの? 少なくとも何かを生み出しているなら、それはどこか生きているのかもと思えるような事ではないの?」
自分にも証明はできない。
分かっていた。
だからこそ、無視してよいと言えなかった。
「私はいい! あなたもきっとそうよ。真実を知ってしまったのだから。それならばきっと、自分の意志で役立ててほしいと言える。きっと最後にはそう思う」
声が震えた。
「でも何も知らずにそんな状況に置かれて、実は意識があったなら? わけもわからず枯れ果てるまで、延々と苦しみ続けなければならないとしたら、あなたは自らではない、自分の大事な人にそれを背負わせる事が出来るの?」
セラフィマの唇が開いた。
閉じた。
「その子を目の前にして、それでも『みんなの役に立ってるのよ』って真顔で言えるの?」
窓の外で、鐘が鳴った。
夜間の給水切替を知らせる鐘だった。
二人はその音を聞いていた。
どこかで今、桶が満たされている。
どこかで今、灯りがついている。
そのことが、何一つ間違いではない夜だった。
*
「みんなで考えるべきだと思う」
長い沈黙のあと、シオンは言った。
「私たちは神様じゃない。誰を使って誰を生かすか、一人で決めていいはずがない」
「何人なら、決めていいの」
セラフィマが聞いた。
シオンは答えられなかった。
「百人なら、知らされない人は納得する? 千人で決めたら、リリは苦しくなくなる?」
「ならない」
「秘密が漏れたら?」
「それも、考えなきゃいけない」
「考える間に狙われる子を、誰が守るの」
シオンは俯いた。
セラフィマも、勝った顔をしなかった。
「それでも、あなたが一人で潰れるよりは」
シオンが言うと、彼女の目がわずかに揺れた。
次の瞬間には、机の書類へ戻っていた。
「明日、試合ね」
「……うん」
「手を抜かないで」
「抜かない」
「私も抜かない」
シオンは扉へ向かった。
出る前に振り返った。
「昔みたいに話せたらよかった」
セラフィマは、破れた配分表をそっと重ね直していた。
「昔は、知らなかったから」
扉が閉まった。
シオンは廊下に立ったまま、しばらく歩けなかった。
扉の内側で、セラフィマは椅子に座った。
配分表の破れ目を、指でなぞった。
最初にこの机の前へ座らされた日にも、同じ形の配分表があった。
英雄の血を継ぐ者として知っておかなければならない、と言われた。
誇らしい話を聞くのだと思った。
先祖が資源を見つけたときのこと。
戦争を終わらせたときのこと。
自分もいつか、人から感謝される仕事をするのだと思った。
その日、地下へ連れていかれた。
戻ってから食事を出され、食べられなかった。
灯りを作ろうとして、掌に闇が生まれた。
それまで出せたのは、光だけだった。
強い喜びや決意で魔力の質が変わったという記録もある。生まれ持った量や属性が変わることは、滅多にない。それでも彼女には、地下で真実を知らされたあとに起きた。
光を出し直すと、小さな灯りはともった。そのそばに、消えない闇があった。
幼いシオンから来ていた手紙が、部屋にあった。
今度は一緒に練習しよう。
字の下に、へたな球の絵が描かれていた。
セラフィマは、その紙を持って立ち上がった。
会いに行こうと思った。
誰に話してもいけないと言われていたが、シオンなら、と考えた。
部屋を出て、シオンに会いに行こうと廊下を歩いた。
手紙を持つ手を見て、足が止まった。
会ったら、泣くだろう。
何があったのか聞かれる。
黙っていれば、なおさら心配する。
話せば、あの子も同じ場所へ来る。
その頃のシオンは、弱い球を大げさに曲げては得意そうな顔をしていた。うまく曲がらなければ、球のほうが悪いような顔をした。
まだ、そういうことで笑っていた。
セラフィマは道を引き返し、部屋の椅子へ戻った。
返事を短く書いた。
しばらく忙しいから。
その「しばらく」が、一年以上になった。
会う機会がなくなったわけではなかった。
会うたび、何を話せばよいのか分からなくなった。
お前は変わった、と言われるほうが、知ってしまったことを話すより簡単だった。
嫌われたと思っていてくれたほうが、シオンは追ってこない。そう思い、誤解を訂正しなかった。
簡単だったはずのものが、積み重なると息を塞いだ。
やがて自分で配分を決めるようになった。
来月まで供給を減らせない街があった。
今月も減らせなかった街だった。
死者の搬送記録が来た。
それを待っていた自分に気づいて、洗面所へ立った。
顔を洗って戻った。
戻れば、書類は同じところにあった。
誰かが代わりに消しておいてはくれなかった。
*
セラフィマは、机の引き出しを開けた。
古い手紙を出した。
へたな球の絵は、まだ分かった。
地下で追い返すことはできた。
警備員は待っていた。
あのとき、自分が扉を開けた。
今夜、シオンは同じ机の前に立っていた。
みんなで考えるべきだ、と言った。
それができれば、と思った。
できない、とも思った。
自分が最初に考えたことと同じだったからこそ、手放しで信じられなかった。
それでも、言ってくれたことが嬉しかった。
嬉しいと思うことまで、間違いにしたくなかった。
セラフィマは手紙を戻した。
明日は勝たなければならない。
その結論だけは、いつもと同じ場所へ戻ってきた。
灯りを消そうとして、配分表を直していないことに気づいた。
紙を継ぎ、必要な数字を写した。
夜が、また短くなった。




