第17章 ここは私に任せろ
洞窟の前に、屋根ができた。
屋根の下に器を置けば、雨の日も水を配れた。
屋根の横に畑ができた。
熱を生む鉱物を使って、寒い夜を越せた。少量ずつ得られる資源は、何もなかった人々にとっては、奇跡に等しかった。
奇跡には人が集まった。
彼は誰かの家の壁を立てた。子供の食事を運んだ。怪我人を寝かせる場所を空けた。
彼女の願いを果たしていると思えた日には、洞窟へ帰っても少し呼吸が楽だった。
やがて、列に刃物が現れた。
昨日は自分が少なかった。
あの家は人数を偽っている。
遠くから来た人間へ、なぜこちらのものを渡す。
彼は間へ立った。
「足りるように分ける」
「足りねえから言ってんだ」
言い返されて、答えがなかった。
その夜、外の小屋が燃えた。
彼は火を消しながら、洞窟の奥へ煙が行かないか、そればかりを気にした。
もう争わないですむように。
彼女の声が、消火の水音の向こうから聞こえる気がした。
*
最初の競技は、後のものよりずっと小さかった。
境界を引き、目標を置き、人々に代表を出させた。
刃物を置け。
家を焼くな。
食べ物を奪うな。
争うなら、ここで争え。
勝った側には多く分ける。負けた側にも、生きて帰るものは残す。
彼がそれを言えたのは、配るものを持っていたからだった。
空の手で平和を説いたのではなかった。
この仕組みを守るなら水が来る。壊すなら、守っている側すべてを敵に回す。人々は、言葉だけでなく水路を見て同意した。
しばらく、うまくいった。
試合のあと、同じ場所で食事をした。
負けた代表が、悔しそうに椀を持った。
勝った代表が、次はもっと鍛えてこいと笑った。
彼はそれを見ていた。
彼女にも見せたい、と初めて思った。
見せられないことは、考えなかった。
村は街になり始めた。
子供が育ち、家族を持ち、新しい家が必要になった。遠くの集落が参加した。畑が広がった。水路が伸びた。
供給量を書いた紙と、必要量を書いた紙が、合わなくなった。
彼は配る量を減らした。
人々は我慢した。
さらに減らした。
人々は黙らなくなった。
「今度は、誰の子供を後回しにするんだ」
その問いが、彼の机に居座った。
*
事故が起きたのは、よく晴れた日だった。
魔法少女が倒れた。
勝とうとして限界を超えた。
身体に残った魔力が消えず、腕から肩へ、光の筋が這っていた。
「魔力暴走だ!」
誰かが叫んだ。
医療係が何度も名を呼んだ。
返事はなかった。
彼が駆け寄ったとき、懐が熱を持った。
ずっと布に包んで持っていた、幼馴染の身体から落ちた小さな結晶片だった。
布を開く。
欠片が淡く光っていた。
洞窟の鉱物が、幼馴染に反応したときと同じ色だった。
彼は少女を見た。
結晶片を見た。
もう一度、少女を見た。
似ている。
それだけだった。
それだけで、彼の頭の中に、水路が浮かんだ。
空の椀が浮かんだ。
少女は、誰かの大切な人だった。
「ここは私に任せろ」
言葉が出た。
周囲の人々が、安堵した。
彼に任せれば何とかなると思ったのだった。
その安堵が、いちばん重かった。
少女を洞窟へ運んだ。
助けるためだとは言わなかった。
何のためかも言わなかった。
結晶片を鉱物へ近づけた。
鉱物が光った。
翌日、生成量が増えた。
彼は机の二枚の紙を見た。
数字が合った。
洞窟へ戻った。
幼馴染の前に立った。
今日、誰かが救われた、と言おうとした。
言えなかった。
*
次に死んだ魔法少女は、魔力暴走ではなかった。
球を受けた。
倒れた。
それだけだった。
彼は、あの結晶片を握ったまま少女のそばへ立った。
光った。
ほんのわずかだった。
見間違いだと思おうとした。
できなかった。
少女を洞窟へ運んだ。
翌日、生成量がまた増えた。
彼はその夜、初めて、自分が何を知ってしまったのかを理解した。
魔力暴走は条件ではなかった。
最初の手掛かりだった。
*
以後の記録には、競技の改定が増えていった。
球の仕様。
魔力付与。
選手への攻撃。
戦術の自由。
観客が熱狂した一方で、身体が限界を迎える選手も増えた。
彼はそのたび、街に届く水を数えた。
犠牲になった人の数も書いた。
二つを同じ頁には書かなかった。
スポーツ以外の略奪には、厳しい制裁が加えられた。制度を守る街がまとまり、違反した街を攻撃した。
戦争は減った。
死は、競技場へ集められた。
選手の名が広場に刻まれた。
子供たちは、その名を誇らしげに覚えた。
彼は英雄と呼ばれるようになった。
*
古い記録を読み終えても、シオンはすぐに顔を上げられなかった。
地下の机は、冷たかった。
「仕方なかった、で済ませるの?」
セラフィマへ聞いた。
「済まないわ」
「でも、あなたたちは続けた」
「ええ」
監督が、改定記録を見ていた。
剣白は腕を組んでいたが、拳が固く握られていた。
「いちばん最初の人は」
メイが聞いた。
「いま、どこに」
セラフィマは奥を見た。
「まだ、供給している」
誰も、すぐには意味を受け取れなかった。
三百年。
数十年という記録ですら長すぎると思った。
その何倍もの年月が、目の前の通路の先にあった。
「なぜ?」
「分からない」
また、その答えだった。
「生きたまま最初の鉱物と反応したためか、もともとの性質か。他の理由か。記録を重ねても、答えは出ていない」
「まだ、考えてるのかな」
シオンは言った。
セラフィマは首を横に振らなかった。
うなずきもしなかった。
「分からない」
その言葉を初めて口にした人が、誰だったのか。
シオンは、古い記録の筆跡を思い出した。




