5-2:温泉
マップに立てたピンの位置には、小さな泉があった。
赤く染まった岩に囲まれている。
肩から降りた真壁は、傍に駆け寄ろうとして、べちょっと転んだ。
「おい、大丈夫か?」
「岩がぬるっと滑りました」
「どっか打ってないか? 怪我は?」
「ちょっと手のひらを擦りむきましたけど、それだけです」
若桐はしゃがんで、真壁の手足を細やかに確かめた。
「うん。手のひら以外は、格別大きなキズはないな。よし……」
「すっごいぬるぬるします」
「そもそも、おまえはいま靴のサイズがあってないからな。もっと用心深く歩け」
「はい……」
しょぼんとした真壁の頭を撫でてから、若桐は改めて泉のふちに屈む。
〝弱アルカリ性・ナトリウム鉱泉・飲料可〟
「都合いいな〜……」
呆れたような声で、若桐が呟く。
「守さん。温泉って言ってませんでしたっけ?」
隣で膝をついていた真壁が、泉に手を入れて言った。
「温泉だよ?」
「だって、冷たいですよ?」
「27度つってたからな。あったかかねぇだろ」
「ほかほかのお風呂を想像してました」
「だったら、上空から湯気が見えただろ」
「じゃあ、これ沸かしたら温泉ですか?」
「まぁ、お肌ツルツルになるんじゃね?」
掬って、口に含んでみる。
「スポドリそっくりの味……」
「え〜、酸っぱいんですか? じゃあお肉の味付けにならなくないです?」
「おまえは食欲ばっかりだな」
「だって、守さんがクマは美味しいって言うから」
「クマはクマ味って言っただけだろが……」
頬を丸く膨らませている真壁を、若桐は目尻を下げて見ている。
「守さん、一応しょっぱいわけですから、これから塩とれませんかね?」
「どんなもんでも、煮詰めりゃ塩になるだろうが……。その〝煮詰める〟道具がねぇじゃんか」
「あ、そっか。……あれ? それで守さん、あんなにサバイバルキットの話してたんですか?」
「いや、正直あれには鍋釜は入ってないからな。火起こしだの、浄水だのは、ぶっちゃけ今はさほど必要ない」
「そっか……。海上での一人用ボートとかばっかりですもんね」
「まぁ、ナイフがありゃよかったんだが……」
真壁が泉に手を付けると、いきなり水面が数センチ下がった。
「あ、ホエールに吸い込みやがったな」
「えっ? 駄目でした?」
「いや、駄目じゃないけど……」
「なにか、問題ですか?」
「いや、海上で吸水出来るか、試してみたかったんだ」
「あ、そうか! じゃ、戻します?」
「どっちにしろ使うだろ。いいからあっちに行こう。ここは足場が悪いから、おまえをブン投げる前に転びそうだ」
「はい」
二人は、泉から少し離れた位置に立つ。
「じゃ、これ持って」
「パラシュートのライン? 何に使うんですか?」
「先端に水を掬うものを繋げたら、回収出来るかなって……。まぁ、時間掛かるけど……?」
「ああ、なるほど。井戸みたいにってことですね」
真壁は肩に束ねたラインを持った。
「オッケーです」
若桐は足場を確認してから、真壁を抱き上げる。
「いくぞ」
「……V2……離陸します!」
パッと若桐が手を放すと、真壁はシュパッと空中高くに飛び上がった。
「無線クリア!」
「よし、ゆっくり降下してこい」
降りてきた真壁は、やっぱりイーグル戦闘機の機影をしている。
「ライン、降ろせる?」
「そっか……、肩からラインを降ろさなきゃ……ですよね?」
真壁は、ほぼ独り言のように「あれ?」やら「こうして……」やら言っている。
空中に停止しているF-15という、実にシュールな絵面を見上げながら、若桐はジッと待っていた。
すると、機体の後部からどう見てもラインとは全く違うものが出てきた。
「百合緒。それ……、アレスティング・フックだぞ?」
「え〜? ちゃんとラインを降ろしてるんだけどなぁ……?」
そも、さほどの長さがないはずのアレスティング・フックが、するするする……っと伸びている。
「シュールを通り越して、ナンセンスだな、こりゃ……」
「守さん、ラインの先っぽ、水面につきました」
「うん。俺から見ると、アレスティング・フックが伸びてて……。なんかこう……フィギュアスタンドみたくなってるけども」
「先っぽに桶とか釣って、掬えれば海水も確保出来ますよね。じゃあ、ラインをホエールに格納しま……」
水面が、またしても数センチ下がった。
「百合緒さん? 今、なにしたの?」
「……ラインの先端が触ってると、僕が触った認定されるっぽいです! これなら海水も、たっぷり持って帰れますね!」
「いや、たっぷり持って帰られても、鍋がないちゅーの」
きゃっきゃと真壁がはしゃぐと、こころなし飛んでるイーグルの翼が揺れたようだった。
※
アレスティング・フック:垂直着陸が出来ない戦闘機が、空母に着艦する時に使うかぎ針状の棒。1.5メートルぐらいの長さしかない。




