72 赤面
昨晩と同じように、リンはガオの迎えよりも先に来た。
そのときリョウが行っていたゲームが終わるのを数分だけ待ち、昨晩と同じように連れて帰る。
託児所を出たところで、ふと思い出したようにリンが言う。
「帰りに少しだけ買い物してもいい? 本屋にも寄ってあげるから」
「本屋って、中央の方の?」
「ええ、その予定だけど」
もし該当する書店がリョウも訪れたことのあるアワル書店であるなら、リョウは店主の男性に顔を覚えられている可能性がある。
想定外の方向からランの盗みが露見するかもしれないことをリョウは危惧したが、リョウ自身が本を読みたいと言ってしまった手前、リンの提案を断る理由がない。
「……母さんは何を買う予定なの?」
「ランプ用の油を切らしちゃったの。役場の近くにいつも行く店があるから、そこに行くつもりよ」
アワル村の中央部は、役場の周りを円形の広場が取り囲み、そこから東西南北に大通りが伸びるような構造になっている。
二人が南の道から中央広場に入り、外周を反時計回りに歩いていると、リンの同僚と思われる人たちから挨拶されたり、世間話のために呼び止められたりすることが何度かあった。
リンがその度に笑顔で応対するのを見て、リョウは何とも言えない気恥ずかしさを覚える。
母親の後ろにひっそりと隠れるようにしてやり過ごそうとするリョウに、大人たちも特に何も言及しなかった。
東の道に入って数十メートル進むと、左側に「アワル書店」と書かれた看板がある。
リンは店に一瞥もせず進んでいるので、お目当ての店はもう少し先にあるようだとリョウが考えていると、今度は正面から歩いてくる女性に話しかけられた。
「リンさん、お久しぶりです」
「メイユちゃんかしら? 帰ってきてたのね。もう働き始めてるの?」
(メイユ……? 聞いたことある名前だな。
確か、母さんが何とか院からもうすぐ帰ってくるって言ってた……)
確か、リョウ自身に魔法を見せた医官が配置転換されてどうこうみたいな文脈の話だったので、医者かそれに準ずる職業に携わっているのだろうとリョウは想像する。
リンの言葉を併せて考えると、学院を卒業してアワルに帰ってきたということになるのだろうが、目の前の女性はかなり幼く見えるため、リョウは少し混乱する。
十歳になった次の年から六年間学園に通い、更に三年間学院に通うという話を考えると、学院を卒業するのは二十歳になる年ということになる。
しかし目の前の女性は、比較的発育の良い中学生と言われても違和感ないくらいの見た目だった。
何なら、森の中で出会ったヌルールの方が年上と言われても納得できる。
「七月から働き始めることになってるので、厳密にはまだですね。
常に人手不足な職場なので、もうお手伝いは始めてますけど」
「仕事は大変?」
「最近は森の中から魔物が出てくることが増えて、怪我人も多くなっているらしくて、いつもよりは忙しいらしいですけど、なんとか頑張ってます。
もう少し落ち着いたらですけど、ぜひリンさんにもお礼させてください」
母親の仕事用の笑顔に最初は気恥ずかしささえ感じていたリョウだったが、自身の母親へ向けられる言葉が概ね感謝をはじめとする好意的なものであったことは、少し誇らしくも思っていた。
「そういえば、実家も北の方よね。どうしてここにいるの?」
「王都で学んだ知識だけでは足りないと思ったので、魔物について学べる実践的な本があればと思ってここに」
メイユは書店の看板を手で指し示した。
「あら、そう。
……その後って、何か用事があったりする?」
「家に帰って勉強するだけのつもりでしたけど、リンさんの頼みなら何でも聞きますよ!」
メイユは左手をおでこに当てて、敬礼のようなジェスチャーをした。
「もし迷惑じゃ無かったら、この子の話を聞いて、本選びを手伝ってあげてくれない?
将来どんな仕事に就きたいか迷ってるらしいから、メイユちゃんの話も聞かせてあげてほしいわ」
リンは隠れるような位置に立っていたリョウの背中を押して、前に差し出すようにした。
いきなり矢面に立ったリョウは、緊張で顔が強張る。
「は、初めまして。リョウです。七歳です」
メイユは、少し腰を屈めてリョウの顔を覗き込んだ。
「この子がリョウくんですか。リンさんがよく自慢してた、あの……」
突然、リョウは両肩を掴まれてメイユと引き剥がされる。
自分の母親の力強さにリョウは驚いたが、メイユは想定通りだったようで、腰を屈めた姿勢のまま目線だけを上にして、リンに向かって笑いかけた。
リンは、悪戯っ子のような笑みを見せるメイユにため息をつきながらコインケースを取り出し、数枚の硬貨をメイユに差し出す。
「え、多すぎませんか? というか、リンさんは一緒じゃないんですか?」
「私は他にも買うものがあるから、それが終わったらここに戻ってくるつもりよ。
リョウが個人的に欲しい本もあるだろうし、リョウの本を三冊選んだら、お釣りはメイユちゃんの就職祝いってことにするわ。
何かとお金もかかるでしょうし、少しでも足しにしてくれると嬉しいかな」
今度こそ、メイユは驚きの表情を見せた。
口を開けたまま、フリーズしたかのように数秒留まるメイユだったが、やがて瞳孔が潤んでくる。
やがてメイユは姿勢を正し、両手を器のようにして硬貨を仰々しく受け取ると、
「リンさんのご厚意痛み入ります!
このメイユ、必ずや期待以上の成果をもたらして見せましょう!」
と大声で宣言した。
その大声によって周囲の視線が三人に集まる中、リンは顔を真っ赤にして
「じゃあ、頼むわね……」
とだけ小さく呟き、逃げるように歩き去ったのだった。




