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71 復調

リョウはいつもより一つ多く用意されていた平パンを手に取り、思い切り齧り付く。


台所では、リンが鍋を火にかけていた。

漂う甘酸っぱい香りから、その中身がパンと相性の良いトマト系のスープであることは想像できたものの、リョウには溢れる食欲を抑えることができなかった。


「母さんは、どうして今の場所で働こうと思ったの?」


パンを水で流し込みながら、リョウは母親の背中に問いかけた。


「今の場所って言われても、兵舎に勤めることになったのは成り行きなのよね」


鍋をかき混ぜながらリンが答える。


「役所に入った理由を聞きたいの? それとも、アワルに来た理由?」


「……それって、アワルには母さんが来たくて来たってことなの?」


リンは少し考えるように首を傾げた。


「もちろん来たくて来たんだけど、理由と言われると難しいわね」


火を止めると、スープを注いだお椀を持ってテーブルへ向かう。


「募集を見て、面白そうだと思ったからかしら」


「それだけ?」


「それだけね」


リンは笑いながらお椀を置いた。


「考えてみると母さんは、正解がない選択肢は直感で選ぶタイプなのかもしれないわ」


そのまま、リョウの向かいに腰を下ろす。


「それで、どうして母さんにそんなことを聞きたいと思ったの? 何かやりたいことでも出来た?」


リョウは首を横に振った。


「やりたいことがあんまり決まってないから、母さんはどうやって決めたんだろうと思って」


「なるほどね」


リンは少しだけ目を細める。


「まだそんなに重く考えなくてもいいと思うけど……そうね。今度、色々な仕事が載ってる本でも買ってこようか」


「本?」


「父さんが帰ってきたら、父さんにも聞いてみるといいわ。母さんとはまた違う話が聞けると思うから」


「ありがとう」


リョウは少しだけ間を置いてから続けた。


「もし書店に行くなら、『魔法と生きる』の七月号も読みたいな、なんて……」


リンは呆れたようにため息を吐く。


「懲りないわね」


そう言いながらも、どこか楽しそうだった。


「今度勝手な行動で誰かに迷惑をかけたら取り上げますからね」


「はい」


「分かったなら、早く食べちゃいなさい。食べ終わったらすぐ出るわよ」


「すぐに出る?」


「今日はシャオユーさんのところに預かってもらうことになってるの。私も働かなきゃだし、ずっと一緒にいるわけにはいかないでしょ?」


リョウは頷き、パンをスープに浸して口へ運ぶ。


(取り上げるってことは、買ってもらえはするってことだよな)


口いっぱいにパンを頬張りながら意味ありげに笑うリョウを、リンは慈しむような目で見つめていた。




リョウは再び、カイが暮らす部屋へ連れられた。


部屋には既にシャオユーとカイ、チンハオとガオの四人が揃っていた。


昨日とは打って変わって、空気はずっと穏やかだった。


「シャオユーさん、今日はよろしくお願いします」


扉の前でリンが頭を下げる。


「今週中にはオレンジの部屋にも掃除を入れられると思います」


「いえいえ、どうかお気になさらず」


シャオユーは恐縮したように手を振った。


部屋に入る際、リョウは横目で右隅を確認する。

ディアンの著書とその釣り銭は、昨日よりもずっと自然な形で隠されていた。


リョウの視線に気付いたカイが、腰の横でひっそりと親指を立ててサインを送る。


「シャオユーさん、チンハオさん、おはようございます」


リョウは大人二人に挨拶をすると、友人たちへ向き直る。


「カイもガオもおはよう!」


元気よく挨拶しながら、リョウは二人の間へ腰を下ろした。


左手をカイの背中へ、右手をガオの背中へと勢いよく当てる。


「何だよいきなり」


ガオが口を尖らせる。


一方のカイは何も言わず、リョウの背中を軽く叩き返した。




その日は、普段と変わらない遊びの時間になった。


リョウとガオは、自分たちの失踪の経緯についてはほとんど話し終えている。


カイにも改めて説明するようなことはない。


そのため、恐らく見張り役として同席しているチンハオを含め、皆でゲームをして過ごした。


最初の数ゲームこそ、チンハオの成績はガオと大差なかった。


負けるたびに大声を上げ、


「うわっ!」


「しまった!」


と悔しがる。


そのたびに、


「子供相手にそんなにムキにならないの」


とシャオユーに窘められていた。


しかし、途中から様子が変わる。

チンハオは急に口数を減らし、黙々とゲームに集中し始めたのだ。


すると、徐々に成績が上がっていき、やがて最下位を取らなくなった。


元々リョウ、カイ、ガオという強さの序列は、オレンジの部屋で遊び始めた頃から大きく変わらない。


そのため、チンハオが本気を出せばガオが苦しくなるかと思われた。


だが実際には、思ったよりカイの負けが目立った。


現状が判断待ちの不安定な状況であることを理解しているからだろうか、どこまでも無邪気なガオと違い、カイには時折集中力が途切れる瞬間があった。


「よっしゃ! 俺が勝ったから次の遊びは俺が決めるぞ!」


「うん。僕たちは続けてるから、ガオは考えてて……カイ? 次、カイの番だよ」


「あ、ああ……じゃあ、こうかな」


「え? カイくん、そんな手でいいのか? よしっ!」


チンハオが拳を握る。


「リョウくんに勝ったぞ!」


「チンハオ」


シャオユーが呆れたように言う。


「大人なんだから、もう少し落ち着きなさい」


「いや、でも勝ったぞ?」


「だから何よ」


そんな調子だった。


負ける場面が多少続いても、カイは楽しそうだった。

勝った時には、花が咲くような笑顔も見せていた。


長く続いた緊張から解放され、久しぶりにリョウやガオと遊べたことが嬉しかったのだろう。


そして何より、この日の一番の成果は、リョウの心の中に現れることになる。


兵士としての高い職業倫理と、子供っぽい一面とのギャップで、チンハオという人物に対しての好感度がかなり上がったのだった。

来週複数話更新予定です。

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