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70 輪郭

リョウが目を覚ますと、見慣れた天井が視界に入った。


(いつの間にか寝ちゃってたか)


リョウの昨晩の記憶は、母親との話が一区切りついた後、湯浴みを行って帰ってきたところで終わっていた。

リョウがリンに体を清めるよう指示されたときは、これで説教が終わるのかと拍子抜けしたものだった。

ただし、浴場で普段通りの魔法の練習を行うほどにはリョウの罪悪感は解消されていなかった。


(そういえば、夜ご飯食べてないな)


リョウはその事実を思い出した途端、自身の空腹感に気付く。

仰向けの体勢のまま腹筋に力を入れて伸びるような動作を行うと、自然に広がった両腕が、隣で誰も寝ていないことを示唆した。


「ん?」


リョウは首を起こし、眠気の残る目を擦りながら部屋を見渡す。

彼の母親は、机の上に所狭しと広げられた書類に突っ伏すようにして眠ってしまっていた。

オイルランプが照らすその寝顔は、憑物が落ちたように見えた。


自身の空腹に任せて、無理やり起こしてしまおうかという気持ちを、小窓から覗く空の黒さが押し留める。

数日間心配をかけ続けたのだから、リョウ自身が数時間空腹を我慢するくらい何でもないように思ったのだ。


リョウは魔物辞典を手に取り、母親が眠る机に向かう。

昨夜話した魔物の定義について、再び確認しようと考えたのだ。

リョウはリンの向かいに座ると、音を立てないように、机の上のオイルランプを移動させた。


(思えば、スライムの成り立ちって、この説が正しいとすると体外魔法を使っていることにならないか?

常に纏っているから、体外ではない扱いなのかな……?)


最初の章を繰り返し読み、さらに人間に近い造形を持つ高位魔物のページも確認したが、直接人間の立ち位置について触れたものは存在しなかった。


(意図的に避けているのか、それとも全く的外れだから書いていないのか分からないな……)


調べ物が一段落し、大きな欠伸をしたリョウの目に、母の扱っていた書類が目に入る。

物資の補充や人員の割り振りなど、兵士団のロジスティクスに関するその書類は、機密に近く思えるものだった。


一度は盗み見しようと考えたリョウだったがすぐに考え直し、ベッドに戻ることにしたのだった。




魔物辞典を片付け、ベッドに横たわって母親が起きるのを待つ。


リョウは、徐々に白んでゆく空を見ながら、様々なことを考える。


どんなことを考えるにしても、「自分は将来どういうことをするのか」という軸は、頭の中から離れなかった。


ガオは、自分が兵士になって大切なものを守ると信じて疑っていない。


ユイは、大切なものを守るために、既に自分の生きる道を決める覚悟を示した。


では、カイはどう考えているのだろう?


考えてみれば、ランからもそういう話は聞いたことがない。


既にインストールされているリョウの価値観からすると、七歳で将来のことを考えるのは時期尚早にも思える。

しかし、十歳で進む道を一定程度決めるこの世界において、リョウは自分の将来について考えないことなどできなかった。


まず、家庭にもよるのは当然のことだろうが、両親の影響は子供の進路にどの程度影響を与えるのだろうか。


これまでのところ、リョウは両親から類する話をされたことはない。

九歳まで外出できないどころか、子供に対しての情報統制すらされているアワルという環境にあって、そういう話はそれ以降にしようというのがこの家の方針なのかもしれない。


もしくは、両親の中では、何らかの事情で既にある程度リョウの進路が固まっているとか。


その場合はこういう考えは無駄になるわけだが、リョウはそれでも考えてしまう。


また、この数週間で膨らんだ魔法という技術への情熱は大きく、自分から手放せるものだとは思えなかった。


師匠にはやんわりと反対されたが、魔法について研究することができればどんなに幸せかとリョウは思う。


今回の件によってガイからの授業は取り止めになるかもしれないが、再び会う機会があれば、どうして微妙な反応だったのかを聞いてみたいとリョウは考える。


それに、まだリョウ自身の世界はアワルから西に数キロ広がっただけなのだ。

知らない職業や、考えもしない働き方だってあるかもしれない。


空はすっかりと朝のものになり、僅かながら往来の音が聞こえる。


リョウの考えはいつも不完全な情報の中で、半端な希望だけを残し、未解決のまま終わるのだった。




壁に映る小窓の光の反射が時間の経過と共に徐々にくっきりとしていく様子を眺めながら、リョウは考えを巡らせていた。


しかし、後ろから聞こえるガタリという物音に、リョウの思考は一時中断された。


リンが起きたのだろう。

慌ただしく書類を纏める音が、彼女の睡眠が計画されたものではないことを物語っている。


ドアを施錠している金具が外れる音と、リョウの背中を撫でる涼しく優しい風が、リンが扉を開けたことを指し示す。


彼女が扉を開けた理由に、リョウは心当たりがあった。


村の中央の役所には時計があるらしく、村全体に時刻を知らせるため、様々な色の旗を目印として掲揚している。


正確な時計が流通しているわけではないこの村において、この旗は時刻の認識を共有する比較的重要な指標だ。

その重要性が絶対というほどではないのは、太陽の動きと連動した生活スタイルを送っている上、時間に対してそこまでシビアでない人が多いからだろう。


しかし、今日のリンのように、何らかの理由で時刻を確認する必要性が迫られる場合には、この旗は役に立つ。


遠目に見えるそれを確認したのであろうリンは、リョウにも聞こえるくらいの音を立てて安堵の息を吐き、扉を閉める。


中央にあるという時計は一体どういう仕組みで動いているのだろうとリョウが考えていると、ベッドの縁に腰掛けたリンに、肩を叩かれる。


「起きなさい。昨日のご飯が残ってるわよ」


母親の言葉に、どういう論理関係なんだと心の中で思いながら、リョウは体を伸ばすような小賢しい演技をする。


「おは……よう?」


「おはよう。昨日の朝から何も食べてないなら、お腹空いてるでしょう。

朝ごはんの準備しておくから、早く顔洗ってきなさい」


母の言葉は、裏表のない純粋な我が子を思う気持ちだった。


リョウが机の方にちらりと目をやると、その木製の天板の上は綺麗に片付けられていた。

「物語を進める」と言いましたが、時系列的には足踏みするような話が多くなってしまって申し訳ありません。

それでも、ここまで読んでいただいている方は既にお察しかもしれませんが、自分が書いてて一番楽しいのはこういう回なので、ご理解いただけると嬉しいです。

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