69.5 麟子(リン視点)
【ケメルデ暦三三七年六月二五日】
使節団側が突如として、護衛として同伴する兵士の数を増やすように要請してきた。
森の魔物が北上の傾向にあることを知り、行軍に危険が伴うと言うのが彼らの主張だ。
「だからって、当日に要請しなくてもいいと思いません?」
「本当にその通りだと思うわ」
「やっぱり......俺が断ってきます!」
「ちょっと待って!
……増員は呑みましょう。
多少負担はかかるかもしれないけど、ベルッセの要請は聞いていたほうがいいわ」
森の魔物が北上の傾向にあるのは事実で、南西側から来た大鷲の群れが、陸上の魔物を押し出すような現象が最近度々起こっている。
もっとも、魔物が森から北部に押し出された時、直接の影響を受ける可能性が一番高いのはアワルであり、それを理由にアワルから兵士を多く借り受けるのは筋が通っていない。
それでも要請を呑むのは、アワルがベルッセに格として劣っているだけでなく、前任のベルッセとの交流の担当者がとある問題を起こし、借りがある形になっているからだ。
後任である私の夫に迷惑をかけたくないという個人的な理由も存在するが、そうでなくとも合理的な選択であるとは思う。
「今日訓練の順番になっている隊を、増員に回すことにしましょう。
それ以降の割り振りは後で出すから、とりあえず訓練場に伝えてきて」
「了解しました」
現在の部下である兵士が執務室を離れ、部屋の中は私一人になった。
夫がベルッセ担当に異動した際、彼の仕事を手伝っていた私がつなぎ役として調整本部に来てから、三ヶ月ほどになる。
この使節団の歓待が終われば、夫にも空き時間ができ、後任への正式な引き継ぎが出来るだろう。
「はぁ……」
ついため息が出てしまう。
ベルッセの要求とはいえ、変則的な勤務シフトを強いられる兵士たちの不満は、当然調整本部に向く。
つまり、私だ。
ただでさえつなぎ役として舐められているきらいがあるのに、こういうトラブルが起こるのは本当にやめて欲しい。
夫の品位を落とさないように堂々とした振る舞いを心がけてはいるが、効果があるかは疑わしい。
そんなことを考えていると、激しく扉が叩かれた。
ドンドンと強い衝撃。
文句が噴出するにしても早過ぎるし、直接訴えてくるケースは非常に稀だ。
「どうぞ」
首を捻りながら入室を促すと、若い兵士が武装状態のまま立っていた。
何事だろう。
ただならぬ様子に全身の筋肉が強張り、右手で握りしめたコップが破損してしまった。
怯えたような表情をしながら、若い兵士が叫ぶように言う。
「外壁警備の担当をしていたマウラナと申します!
二十分ほど前、外壁をよじ登る子供を見たため注意したのですが、間に合わず越えられてしまいました。
追跡の為に人員を割く許可を頂きに参りました」
思わず目眩を覚えた。
なぜこんなタイミングで問題が重なるのか。
「許可しますが、本来の外壁警備担当の人員から捻出するように。
警察担当で外壁内部の警備の補充と、外壁を越えた子供のこれまでの足取りの調査を行うことにします。
警察担当には私が連絡に向かうので、あなたは南門の外壁警備本部に連絡に向かって下さい。
子供の詳細は?」
「少なくとも十歳に満たない男子が一人、それともう一人男子がいるのは確かです。
私が声をかけた男子は、魔法土のブロックを積み上げて石壁を登っていました。
歳の割に相当魔法技術が高いのと……あと、かなり受け答えが利発でした」
小さく礼をして走り去る兵士の背を眺めながら、私は初めて目の前が真っ暗になるという経験をした。
【ケメルデ暦三三七年六月二六日】
私の最悪の予感は当たり、外壁を越えたのはリョウを含む託児所の子供たちだった。
中央の詰所で連絡を終えて兵舎に帰る途中で、託児所の前が騒がしかったので顔を出すと、シャオユーさんが事情を説明してくれたのだった。
リョウとガオくんとユイちゃんが脱走し、カイくんが部屋に火を放ったそうだ。
託児所の安全管理はどうなってるんだと問い詰めたかったが、苦しそうにしているシャオユーさんの様子を見ると、あまりそういう気にはならなかった。
恐らく主導したのはリョウだろうし、親としての責任は私にもあるのだから。
昨日から、私は外壁警備本部に詰めている。
体を清める為に一度家には帰ったが、すぐに戻ってきた。
夫は使節団に同行してアワルを離れているし、一人息子は捜索の対象に他ならない。
休日を一人きりの家で過ごす理由は一つもなかったのだ。
事件が起きても、兵士団としての動きにはそこまで混乱が生まれなかった。
ユイちゃんのご両親の捜索が、ユイちゃん本人を含む子供たちの捜索に名称が挿げ変わっただけなのだ。
本来は使節団の警護に人員が割かれる予定だったので、捜索自体は昨日で終了予定だったのが、訓練の順番になっている隊を投入することで、活動を継続することになった。
しばらく訓練を行えないこともあって上官からはわずかな反発の空気を感じるものの、人命救助という目的のもとでは目立った反対はなかった。
むしろ、リョウの母親として揶揄されているような場面があるようで、誠実な部下が何度か教えに来てくれた。
気にしてないからいいと伝えたけれど、帰ってきた夫が後ろ指を差されるようなことにはしたくなかった。
どうにか戻ってきて欲しい。
不思議とあの子は無事な感じがするし、使節団の警護を解かれて夫が帰ってくるより先に保護して、行動の意図を直接聞き出して問題を解決したい。
リョウはまだ七歳になったばかりだが、考えることがすごく得意なようで、時々こちらがドキッとするような質問をしてくる。
アワル村という特殊な環境にあって、家でも何か特別な教育をしているわけでもないのに、好奇心旺盛な賢い子に育ったのは、本人の性質や、託児所の友人に恵まれたからだと思う。
ユイちゃんのお兄さんが搬送されて偶発的に魔法を見てしまってからは、その好奇心は専ら魔法や魔物に向いていた。
そののめり込み方には少し危うさも感じたが、何回か釘を刺したので心配ないと考えていた。
それに、ただ自分の魔法の力を試したい、または魔物を実際に見てみたいなどという無垢な好奇心のために、他の子供たちを巻き込んだり、利用したりする子供に育てたつもりはない。
親馬鹿かもしれないが、あの子の行動には必ず明確な意図があると信じている。
それを、どうにかして聞き出さなければいけない。
だから、どうか、無事に帰ってきて。
水曜日は第70話の予定ですが、もしかするとこの話の続きを書くかもしれません。




