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67 紙虎

扉を二度優しく叩く音がしてリョウがそちらに目をやると、シャオユーが肘で扉を開けているのが目に入った。

ジュースの入ったガラスの瓶と、コップを複数乗せたお盆によって、両手が塞がっている。


「えー、お菓子って言ったのに」


文句を言いながらも、カイが素早く立ち上がると、ガラス瓶を受け取ってシャオユーの片手を空けた。


「お腹いっぱいになって夜ご飯が食べられなくなると困るでしょう?

もうすぐ夕飯なんだから、文句言わないでちょうだい」


口を尖らせながらも、カイは母親が配るコップに水で割った果汁を注いでいく。


だが、突如思いついたように顔を上げた。


「夜ご飯もすぐってことはさ、リョウとガオも一緒に食べるの?」


「仕事が終われば親御さんが迎えに来ることになってるらしいから、普段家に帰ってきてからと一緒よ。

チンハオさんは飲む? 子供たちと同じものになっちゃうけど」


チンハオが首を振るのを確認すると、シャオユーは空のコップを二つ乗せたままのお盆を台所に置き、椅子に腰掛ける。

リョウの正面にあたる位置に置かれていた、古びたカウンターチェアだ。


(普段からカイは僕らを見送った後に、この部屋でシャオユーさんと二人で夜ご飯を食べているんだろうな)


何気なく部屋の中を見ていたリョウと、シャオユーの目が合う。


「遠慮しないで飲んでね。

……もしかして、私がいると話しづらい? もう一回席を外した方がいいかしら」


シャオユーの言葉に、慌てて首を振るリョウ。

確かに沈黙は流れていたが、それは張り詰めた空気が一度中断されたことによるもので、決して気まずい類いのものではなかった。


「いえ、いただきます」


慌てて口にしたジュースは甘く、忘れていたリョウの喉の渇きを癒してくれた。

今日は朝食以来、何も飲んでいなかった。


子供たちが一息つくと、チンハオが再び話を戻す。


「じゃあ二人の親御さんが迎えに来るまで、もう少しだけ聞かせてもらおうか……ガオくんは眠いのかい?」


ガオはジュースを一口だけ飲んだ後、大欠伸をかましていたのだが、チンハオの確認には首を横に振った。


「いや、俺はまだ元気で……ふぁあ」


ガオが口を開くと、堪えていた大欠伸の続きが顔を出した。

その様子がおかしくて、リョウは思わず吹き出すように笑う。


「正直に言いなよ。今日はずっと歩いてたんだから」


「そりゃそうだよな」


チンハオも苦笑する。


「二人は、どれくらいの距離を歩いて来たんだい?」


話題は自然と、森のことに移っていく。


チンハオの納得する様子を見せた時、ガオはもう一度反論を試みようとしていたものの、その時に自身の眠気を改めて感じたのか、すっかり大人しくなっていた。

リョウは少し上を向いて考えてから、チンハオの問いに答える。


「昼前に出発して暗くならない内に到着したので、そんなには離れていないと思います。

森の中は真っ暗で、時間の感覚もあまり分からなかったんですが、多分僕たちが一生懸命歩いて三時間ぐらいのはずです」


チンハオがうんうんと頷く様子を見せる。


「ディアンさんの方が正確な情報を持っていると思うので、そちらを信じた方がいいと思います」


リョウが付け加えて言ったところに、カイが口を挟んでくる。


「ディアンさんってどういう人? 母さんとどっちが優しい?」


(いや、どっちが優しいってどういう質問だよ……)


半ば呆れながらリョウがシャオユーの方にちらりと目を遣ると、彼女は、キッチンの方に向いていた手を止めて、こちらの方を見ているところだった。

夕飯に向けて、食材の下拵えでもしていたのだろうか。

座っているリョウの目線からでは、シャオユーが今まで何の作業をしているのかを確認することはできなかった。


今、シャオユーの目線は、確実にリョウの方向に向いている。

きっとカイの質問に興味が湧いたのだろうとリョウは考えた。


「ええと……」


急にプレッシャーを感じたリョウが口籠もると、シャオユーは貼り付けたような笑顔を浮かべる。


「もしかして、私がいると話しづらい?

でも、手が離せないから今回は出て行けないの。怒らないから、正直に話してもいいのよ」


もう既に手は離れてるだろ、と内心でツッコむリョウに、チンハオがフォローを入れる。


「まあ、こちらとしてもディアンさんがどういう人なのかは聞きたいと思っていたから、教えてくれると嬉しいな。

シャオユーとどちらがどうだ、みたいな比較は別にしなくてもいいからさ」


「チンハオさん、私には気を遣わなくていいのよ」


「いや、気を遣うというかさ……」


チンハオはごまかすように笑い、リョウを見る。


客観的に見て、次の言葉を発するべきはリョウである。


リョウが口を開こうとした、その時だった。


コンコン、と扉が叩かれる音。


ノックの後に、ゆっくりと扉が開かれる。


現れたのは、リョウの母親であるリンだった。


そこにいるのが自身の母親ひとりであることが分かるや否や、リョウは立ち上がり、母親の元に向かう。


「ディアンさんもシャオユーさんもよくしてくれたけど、僕にとっての優しい母さんは一人なので、比べることはできません。

それに、ディアンさんとはガオの方が長くいたので、詳しく話すのはガオの方がいいと思います」


そう言い切ると、リョウは未だ事態が掴めていない様子の母親に向かって、


「母さん、迎えに来てくれたんでしょ? 今ちょうど一区切りだったから、すぐに帰れるよ!」


とアピールした。


それを受けてリンが、近寄って来た息子の肩に手を添えて、


「そういうことなら、リョウは連れて帰ってもいいかしら……?

ああ、それと、一応チンハオさんに伝えておくけど、ガオくんの迎えと一緒に夫の代理も来るはずで、チンハオさんもそのタイミングで一度兵舎に戻ってもらうことになるそうよ」


と告げると、チンハオは神妙な様子で首を縦に振った。


リョウは、母親に連れられて、カイの暮らす部屋から出る。


閉まりゆく扉から中の様子を見ると、目を擦りながら考えを巡らせている様子のガオの姿が見える。


(ガオ、押し付けてごめんな……でも本当のことしか言ってないし……)


たとえ数時間先に目を覚ましただけでも、ガオがディアンとより長い時間を共にしていたのは事実だった。


そもそも、シャオユーの態度も、リョウが過剰に捉えていただけのものだったかもしれないのだ。


それに。


「カイくんとシャオユーさんがどうして家にいたのかは聞いた?

あと、二度手間になっちゃうかもしれないけど、金曜日の昼以降で何があったのかは、私にももう一度話してもらえると嬉しいわ」


リョウにとっては、確実に後門の狼が待ち構えている。


扉の金具が、カチャリと音を立てて固定される。


リョウの右肩に置かれたままの母の手のひらは、鉛のように重く感じられた。

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