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62 挑戯

「なんだよ、離せ……」


リョウの耳に、ガオのか細い声が飛び込んでくる。


その声で正気を取り戻したリョウは、ひとまず状況を把握しようと努めた。

何者かが、自身に覆い被さっている。


なんとか起き上がろうとするが、その何者かは岩のようにびくともせず、リョウはうつ伏せの状態から抜け出せない。


布が激しく擦れる音が耳に入る。

地面に落ちる光の揺らぎから、赤い光源が激しく動いていることだけは分かった。


リョウが瞬時に得られる情報は、それだけだった。


きっとガオも同じように組み伏せられ、ディアンだけが抵抗しているのだろう。

そう考えたリョウだったが、ディアンの声が聞こえないことには違和感を覚えた。


(ガオの息遣いは聞こえるのに、ディアンさんの声が聞こえないのは変じゃないか? 口でも塞がれてるのか?)


リョウの思考は、遅れを取り戻すように急速に回り始める。


(それにしても、僕たちを押さえ込んでいる人たちの目的は何なんだ? 兵士の人たちかと思ったけど、この状態が数分も続いてる意味が分からないし……)


そう考えたときだった。


リョウは、森の暗闇の中に奇妙な光を見た。


これまで光源は、僅かな太陽光とディアンの持つ赤い光だけだった。

だが、リョウたちが歩いてきた方向に、淡い青色の光が浮かんでいる。


青い光は横一列に五つ並び、ゆっくりと大きくなっていた。


遠近感は掴めない。

だが、それがこちらへ近付いてきていることだけは理解できた。


「魔物が近付いている! とりあえず私の声に従え! こちらに走るんだ!」


突然、ディアンの鋭い声が森に響き渡った。


今まで聞いたどの声よりも迫力がある。


ディアンは拘束を振り払い、走り出したようだった。

赤い光が遠ざかっていくのが見える。


数秒の逡巡の後、現場に残された者たちの間で合意が取れたらしい。

腰の下に手が入れられ、リョウは担ぎ上げられそうになる。


ディアンの言葉が通じた以上、相手がケメルデ王国に所縁のある人間なのは間違いなさそうだった。


「自分で走れますよ」


リョウが言うと、彼を押さえ込んでいた男は首を横に振った。


「俺は君の命まで責任を取れないから」


そのままリョウは、腰の位置で折り畳まれるようにして男の右腕に抱えられる。


「今度こそ、街に帰るよ」


(今度こそ……?)


男はリョウを抱えたまま、赤い光の向かう先へと走り出した。




不安定な森の地面を全力で走る男に抱えられながら、リョウは舌を噛み切らないように、唇を固く結んでいた。


背中に風圧を感じながら、七歳児と大人の男性との身体能力の差を思い知らされる。


視界には男の脇腹付近の布しか映らない。

だが、前後から足音が聞こえてくることから、他の兵士たちも一緒に走っているのだと分かった。


(ガオは前の人に抱えられてるのかな……)


ガオの声が聞こえないことは気掛かりだったが、リョウは、自分たちを運んでいるのがアワルの兵士だと考えていたため、命の危険そのものは感じていなかった。


「今度こそ」という言葉も、石壁での接触を思い起こさせる。


男の肩に体重を預けながら、リョウは無事に森を抜けた後のことを考え始めていた。




急に視界が明るくなった。


それと同時に、リョウを抱える男の足も止まる。


男がしゃがみ込み、リョウの腰を支えていた右手を離したので、リョウは背中を反らせるようにして着地した。


先行して森を抜けていたガオは、両手両膝を地面につけ、犬のような姿勢になっている。

時折右手で胸を叩いているところを見ると、激しく揺さぶられたことで気分が悪くなっているらしかった。


明るい場所で改めて見ると、男たちは赤茶色と灰色の軍服を着ている。

その見慣れた装いから、リョウは彼らがアワルの兵士であることを確信した。


兵士は三人いたが、そのうち一人は再び走り出していく。

進行方向には、石壁に囲まれた都市が見えていた。


あれがアワルなのだろう。

位置関係から考えると、ディアンに導かれて森を抜けたこの場所は、アワルよりかなり北に位置しているらしい。


リョウを下ろした二人の兵士は、森と平原の境目に立ったまま、子供たちとディアンを隔てるように位置取っていた。


警戒の色は隠そうともしていない。


「どうして私が彼らを連れているのか、簡単に説明すればいいのかしら?

そんなに警戒しなくても、私は武器なんて持っていないのだけれど……。

あら、その前に謝っておくわ。怪我は重くないみたいで良かったわね」


ディアンは、独特の間を取りながら話し始めた。

余裕を崩さず、自身が優位な立場にあるかのように振る舞っている。


リョウを抱えていた方ではない兵士は、森の中でディアンに怪我を負わされたらしく、苦い表情を浮かべていた。


目元には青紫色の内出血が見える。

拘束を振り払う際に、肘打ちか杖による一撃でも受けたのだろう。

リョウは、ディアンの恐ろしい一面を見たような気がして、思わず鳥肌を立てた。


「……一度、その光る杖と鞄を地面に置け」


兵士はディアンの言葉を無視したまま、低い声で言った。


ディアンは肩をすくめ、言われた通り杖と鞄を地面に置く。


「これでいいかしら?

そもそも、私は怪我をさせようと思ったわけじゃないのよ。

あなたがいきなり不躾に身体を触ってくるものだから、つい反応しちゃっただけ。

夫も息子もいるのに、あんまり困らせないでほしいわ」


そう言って、ディアンは笑顔のまま挑発的な言葉を返したのだった。

最近サボりがちなので、来週の複数話更新をここで宣言しておきます。

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