ただの幼馴染み
「あ、エレナちゃん。今ね、応接室にデューイの学院のお友達が訪ねてきているみたいなの。せっかくだから、ごあいさつにでも行ってきたら? ついでに、あの子の学院生活の話も聞けるんじゃないかしら」
翌日の午後、アイヴスのおばさまが呼んでいるとマーリーンから聞いたわたしは、サンルームを訪れていた。
おばさまの隣にいるわたしのお母さまも賛成するように、
「あら、いいじゃない、エレナ。せっかくの機会だから、ごあいさつしていらっしゃいな」
「いえ、でも──」
わたしは口ごもる。
おばさまはにっこりと微笑み、
「応接室の場所は知っていると思うけど、この部屋を左に出て、廊下の突き当たりを右よ」
有無を言わさない言い方に、わたしは断る口実を失ってしまう。
あいまいに笑って、サンルームをあとにするしかなかった。
言われたとおり廊下を進むが、足取りは重い。
デューイの学院の友人ならぜひ会いたいし、どんなふうに生活しているのか、どんな些細なことでも知りたい。
しかし昨日、かつてないほどデューイと言い争いをしてしまった。
それにもかかわらず、初めて会うデューイの友人の前で、何食わぬ顔で婚約者としてあいさつできる自信がなかった。
かといって、おばさまからの提案を無視できるわけもない。
(さっとあいさつだけして、退室しよう。うん、それがいいわ……)
あれこれ考えているうちに、応接室に着いてしまう。
深呼吸をして、ドアをノックしようと手を上げた瞬間、
「──だから、あいつはただの幼馴染みだ」
部屋の中から聞こえたのは、デューイの声だった。
わたしはピタリと動きを止める。
(ただの、幼馴染み──? 婚約者じゃなくて──?)
全身が凍りついたようになる。
「ふーん、ただの幼馴染みねえ。普段そもそも女の子と一緒にいることなんてないくせに。それなのに、その子とは聖夜祭を毎年一緒に過ごしてるなんて」
そう言ったのは、おそらくデューイの学院の友人だろう。
「幼馴染みだからだ。両親も仲がいいからな」
「でもせっかくだから、あいさつくらい──」
「だめだ。さっさと帰れ」
「そっけない言い方だね。その幼馴染みの子にもそんな態度なのかな」
「うるさい」
「友人に対して、ひどい物言いだね」
カラカラと明るく笑う声がする。
「まあ、いいや。俺も先を急いでるし、アイヴズ伯爵領を通るついでに少し寄らせてもらっただけだから」
そのとき、応接室のドアがさっと開いた。
ちょうどドアの前にいたわたしは、ドアノブに手をかけているデューイの友人と目が合う。
反射的にわたしはにっこり笑い、
「すみません、部屋を間違えました」
そう言うと、くるりと向きを変え、急いで廊下を引き返す。
「え⁉︎ あ、待って──! デューイ、今の子──」
「──エレナ⁉︎」
背後で慌てふためく声がしたが、わたしの耳には届かなかった。
わたしは部屋に戻ると、勢いよくドアを閉めた。
ずるずると床に座り込む。
しばらくして、ためらいがちにドアを何度もノックする音が響く。
「──エレナ? 聞こえてるんだろ? もしさっきの話聞いてたなら──」
デューイだった。
わたしはドアに向かって叫ぶ。
「わたしはただの幼馴染みでしょ! 放っておいて!」
おばさまやお母さまに聞かれてしまうかもと思ったが、抑えられなかった。
デューイはわたしのことをただの幼馴染みとしか見ていない。
それなのに、このまま婚約を継続する意味があるだろうか。
この機会に婚約解消したほうが、デューイのためによほどいいのではないのか。
おばさまとお母さまがわたしたちの婚約解消に動き出すかもしれないと、デューイが知ったらどうするだろう。
本当に、正真正銘ただの幼馴染みに戻るいい機会だと言ってよろこぶかもしれない。
その光景がありありと思い浮かぶ。
それなのに、わたしはその可能性を少し考えただけでも、胸が締めつけられるほど苦しかった。
わたしはその日の晩餐も辞退して、ただただ部屋に閉じこもり続けた。