素直になるのよ! 1
窓からは朝日が差し込み、部屋の中を明るく照らしていた。
『婚約解消──』
昨夜聞いた、お母さまとアイヴスのおばさまの言葉がはっきりと耳に残っている。
わたしはソファの上でゆっくりと上半身を起こす。
あまりのショックにどうやって部屋に戻ってきたのか、いつ眠ってしまったのかも覚えていない。
一方で、全部夢だったらいいのに、そう強く願ったことだけは覚えている。
「──どうしよう、このままじゃデューイとの婚約が解消されてしまうわ……」
わたしは必死で考えを巡らせる。
『五日後にある聖夜祭までに改善の兆しが見えなかったら、お互いのためにも──』
そうお母さまたちが言っていたことを思い出す。
(……つまり、聖夜祭までに少しでもわたしとデューイの仲がよくなったように見えれば、婚約解消しなくて済む?)
「そうよ! 仲がいいところを見せればいいのよ!」
わたしはガバッと立ち上がる。
聖夜祭までは、今日も入れてあと五日しかない。
(でも、やらなくちゃ──)
そのためには、何よりもわたしが変わる必要があった。
胸の前で拳を握りしめる。
「素直になるのよ!」
そのとき、コンコンと部屋のドアをノックする音がした。
「エレナさま、お目覚めですか?」
「──っ! え、ええ! 起きてるわ!」
慌てて返事をするとドアが開く。
「おはようございます」
お辞儀をしたマーリーンが、洗顔用のボウルとお湯が入った水差しを持った侍女を伴って部屋に入ってくる。
「おはよう、マーリーン」
わたしは今起きたかのようなそぶりで答える。
軽く洗顔を済ませると、マーリーンたちがテキパキと朝の身支度を整えてくれる。
モーニングドレスに着替えて髪の毛を軽く結い終えると、朝食のためにモーニングルームへと向かう。
モーニングルームに入ると、すでにアイヴズのおじさまとおばさま、わたしのお父さまとお母さまが着席して待っていた。
朝のあいさつを交わし、用意された席に座る。
向かいの席に目を向けるが、デューイはまだのようだった。
めずらしいこともあるものだと思っていると、わたしの視線に気づいたおばさまが眉尻を下げて、
「ごめんなさいね、デューイったらさっき起きたみたいなの。いつもは朝早く起きて剣の鍛錬をするから、朝食が待ち切れないくらいなのに」
すると、バタバタと廊下から足音が響き、
「──すみませんっ、お待たせいたしました!」
と言って、デューイがモーニングルームに入ってくる。
よほど慌てたのか、やや髪が乱れ、ネクタイが曲がっている。
おそらく使用人の手を借りず、自分で急いで着付けたようだった。
「さあ、早く座りなさい」
「まあまあ、忙しないわね」
おじさまとおばさまが困ったように、デューイに声をかける。
お父さまとお母さまは笑いながら、
「寝過ごす日もあるさ、気にしなくていい」
「そうよ、私たちは身内のようなものだし、気にしないでちょうだい」
申し訳なさそうな顔のデューイが着席したところで、朝食が運ばれてくる。
両親たちは楽しげに会話をしながら、食事を楽しんでいる。
一方、昨夜のことが頭から離れないわたしは、食事があまり進まない。
ちらりとデューイに目を向ける。
先ほどは慌てた様子だったが、今は平然と朝食を口に運んでいる。
(わたしたちの婚約が解消になるかもしれないなんて、思ってもみないでしょうね……。ううん、知ったところで、デューイだもの。むしろいい機会だ、くらい言うかも……)
わたしたちの婚約は所詮、親同士が決めたものだ。
それが解消されたとしても、デューイにとってはさほど気にするほどではないのかもしれないと思うと、じくりと胸が痛む。それでも、
(──弱気になってはだめよ!)
自分に言い聞かせ、なんとか気持ちを奮い起こす。
意識を戻したところで、交わされている会話が耳に入ってくる。
「そういえば、アレンくんは今年も来られないのかい? 三年前までは一緒に聖夜祭を迎えていたのに」
ちょうどお父さまが次の話題を振っているところだった。
「アレンかい? そうなんだ、何かと忙しいみたいでね。誘ってはいるんだが」
おじさまが残念そうに答える。
アレンは、デューイのいとこだ。
おじさまのお姉さまの子どもで、ランスロッド侯爵家の子息になる。
わたしとデューイよりも三歳年上。わたしもアレンとは昔から付き合いがあるため、幼馴染みで兄のような存在だ。
デューイに比べて、アレンは幼いころから落ち着いていて頼りがいがあった。
三年前まではアレンもわたしたちと同じく、ここアイヴズ伯爵邸に滞在して一緒に聖夜祭を迎えていた。しかし、王立貴族学院を卒業してからは本格的に侯爵家の後継ぎとしての責務を担い出したこともあり、とても忙しいらしい。
時々手紙のやり取りをしているものの、わたしもアレンにはしばらく会えていない。寂しい気持ちはあるが、家のことなら仕方がないだろう。
「アレンくん? しばらく会っていないけれど、元気にしているのかしら? そうそう、王都のご令嬢の間でもとても人気なんですってね」
お母さまがうれしそうに言う。
お母さまにとって、デューイと同じくアレンも幼いころから成長を見守ってきているため、自分の息子のような感覚なのだろう。そのアレンの噂話ならば、つい気になってしまうものらしかった。
「あら、その噂、私も聞いたわ。あなた、本当なの?」
おばさまが隣に座るおじさまに向かって尋ねる。
「え、どうかな? 噂話はあまり気にしたことがないからね。そっちは? 何か聞いたことあるかい?」
普段から噂話にさほど興味のないおじさまは首を捻り、わたしのお父さまに助け舟を求めるが、
「いやー、私も噂話に関しては鈍いからなぁ」
おじさまと同じ性質のお父さまも把握していないようで、笑って首を傾げている。
その後、しばらくして朝食が終わると、
「じゃあ、我々はひと勝負といこうか」
「ああ、いいね。この間の借りを返さないと」
と言いながら、おじさまとお父さまはプレイルームでチェスをするため、席を立つ。
「では、私たちは談話室へ行きましょう。この間、とても素晴らしい絵画を手に入れたの、ぜひ見てほしいわ」
「あら、それは楽しみだわ」
そう言いながら、おばさまとお母さまも立ち上がる。
それを見て、わたしも慌てて席を立つ。
(お母さまたちの前で、デューイとの仲がいいところを見せなきゃ──!)
「デューイ!」
わたしは急いで呼び止める。
目が合うと、デューイは一瞬驚いたように見えた。
しかしすぐに、いつものようにぶっきらぼうに、
「なんだよ」
「えーっと……」
わたしは急いで思考を巡らせる。
(一緒にお茶でもしない? あ、でも今、朝食を食べ終えたばかりだわ。わたしたちもチェスでも……、ってだめよ。勝負事は絶対ケンカになるもの。なら、絵の鑑賞……、ってこれじゃあ、お母さまたちを真似したみたいじゃない。えーっと、ほかに何か……。あ、そうだわ!)
そこで、パッと思いつく。
「これから庭園でも散歩しない?」
我ながらいい案だと思った。
静かな庭園をふたりで散歩する。まさに仲のよい婚約者らしい過ごし方だろう。
それに庭園なら、おばさまとお母さまが向かった談話室からも見下ろせるはず。
(わたしたちが楽しげに庭園を歩いている姿を見せられれば言うことないわ!)
「……散歩?」
デューイが訊き返す。
あきらかに不審がっているのがありありとわかる。
それもそうだ。幼いころであれば庭園で遊ぶために誘ったことは何度もあるが、ここ数年はわたしから散歩に行こうなどと誘ったことはほとんどなかった。
一瞬怯みそうになりながらもわたしは微笑んで、
「そう、散歩。日差しも出ているから、気持ちよさそうじゃない?」
なんとか理由をつけて誘い出そうとする。
ちらりと後ろを振り返れば、おばさまとお母さまがわたしたちに視線を向けているのが見える。
わたしは目の前のデューイに微笑みかけながら、おばさまとお母さまがいる背後に神経を尖らせ、心の中で懇願する。
(不審に思うのはわかるわ。でもお願い、散歩に行くと言って!)
すると願いが通じたのか、
「……わかった」
わたしはほっとしながら、
「じゃあ、行きましょう!」
と言って、モーニングルームをあとにした。