ケンカばかりのふたり 2
しばらくの間、わたしとデューイはお互い引くに引けない状態になる。
しかし、ややあってしびれを切らすように、
「──ふん!」
「──はっ!」
腕を組んだわたしが顔を背けると同時に、デューイも腕を組み、苛立ちを抑えきれないようにそっぽを向く。
そのとき、
「──エレナ! 着いた早々なんですか!」
先ほどまでの微笑みはどこへやら、こちらを振り返ったお母さまがわたしに鋭い視線を向けて声を上げる。
続けて、おばさまも息子を叱りつける。
「あなたもよ、デューイ。婚約者なのだから、そんな言い方していないで、早くエスコートしなきゃ」
わたしとデューイはそれぞれの母親からお叱りを受け、喉元まで出かかっていた次の言葉をお互い呑み込む。
デューイが面倒くさそうに手のひらを差し出し、目線でわたしを促す。
わたしは鼓動が早まるのを悟られないよう、なんでもないふうを装って自分の手を彼の手のひらにのせる。
歩きながら、わたしは横目でちらりと隣を歩くデューイを見る。
(夏に会ったときよりも、また背が伸びたんじゃない? 寒くなってきたけど、風邪とか引いてない? デューイはいつも季節の変わり目には風邪を引くんだから、気をつけなきゃだめよ。あ、それからね──……)
発せられない言葉ばかりが浮かんでは消える。
「──ほら、着いたぞ」
気づくと、デューイがある部屋の前でぴたりと足を止めていた。
わたしも慌てて足を止める。
そこは、わたしがこのアイヴズ伯爵邸に滞在するときに、アイヴズのおじさまがいつもわたしに用意してくれる部屋だった。
デューイが部屋のドアを開け、わたしを中へと促す。
エスコートがすんなりほどかれ、彼の手のぬくもりが消える。
名残惜しさを感じるが、わたしは表に出さないようすっと視線を前に向けた。
見慣れた室内。今では自分の部屋のように感じるほど落ち着ける。
「──荷物はこれで全部か?」
デューイが後ろを振り返りながら、確認するように言葉を発する。
わたしが持参したいくつかの旅行用大型鞄を、男性使用人が部屋の中に運び入れてくれるところだった。
旅行用大型鞄の中には滞在中に必要なドレスや身の回りの物が入っている。
「ええ、そうね」
そう言いながらわたしは無意識に、手にしている手提げ袋に視線を落とす。
それに気づいたデューイが、
「なんだ? そこに何か入ってるのか?」
「え! な、なにも!」
わたしは勢いよく首を左右に振る。
デューイは一瞬眉をひそめるが、ちょうどそのとき、開いている部屋のドアをコンコンと叩く音がした。
ドアのそばには、お仕着せ姿の若いメイドが立っていた。
デューイが入室許可を出すと、
「失礼いたします」
と言って丁寧に頭を下げてから、そのメイドが入ってくる。
「マーリーン!」
わたしはすぐさま彼女に声をかける。
いつもわたしがアイヴズ伯爵邸に滞在する際、身の回りの世話をしてくれる馴染みのメイドだった。
マーリーンはにっこりと微笑んで、
「ご滞在中、エレナさまのお世話をさせていただきます。よろしくお願いいたします」
「ええ、いつもありがとう、お願いね」
わたしも笑みを浮かべて答える。
「では、エレナさま。さっそくですが、晩餐の準備をいたしませんと……」
マーリーンはちらりとデューイに目を向ける。
デューイは、はっと気づいたように慌てて、
「ああ、そうだな。俺は退室しよう」
と言って、部屋から出て行く。
すると、デューイと入れ替わるように数名のメイドが部屋に入ってくる。
ドアを閉めたあとでマーリーンが確認するように、
「お荷物の整理をさせていただいてもよろしいですか?」
「ええ、お願い」
マーリーンはほかのメイドたちにさっと目配せをする。
すぐさまメイドたちはわたしが持参した旅行用大型鞄を開け、ドレスなどを取り出して手際よく整理していく。
「さあ、湯浴みの用意はできておりますので、こちらへどうぞ」
マーリーンがわたしを浴室へと促す。
ここまで馬車で移動してきたこともあり、晩餐用のドレスに着替える前に、体についた砂埃などを落とす必要がある。
メイドたちの手を借りながら湯浴みを終えてさっぱりすると、先ほどまでの自分の至らなさに落ち込んでいた気分も少しだけ和らいだ気がした。
マーリーンに促されるまま、鏡付きの化粧台の前の丸椅子に座ると、背後から彼女がわたしの髪の毛をブラシで丁寧に梳かしてくれる。
「夏にお会いしたときよりも、大人びてますますおきれいになられましたね」
鏡越しにマーリーンが微笑む。
わたしも微笑んで返すが、
「でもお父さまとお母さまからは、まだまだ子どもっぽいって笑われるわ」
実際、自分でもそう思う。
多少体つきは女性らしくなってきているものの、淑女にはほど遠い。
来年には社交デビューを迎える予定だが、まだまだ実感は薄い。
「そんなことはございません。きっとデューイさまも、会うたびにエレナさまがきれいになられるので驚いていらっしゃいますよ」
わたしは自嘲気味に笑う。
「……きれいだなんて、デューイがそんなこと思うはずがないわ。さっきもここに着くなり、ケンカをしてしまったくらいだもの」
マーリーンはブラシを動かす手を一瞬止める。ややあってから再び動かすと、やさしい声音で言った。
「ケンカするほど仲がよいとも言いますが、なかなか素直になるのは難しいものですね」
マーリーンはわたしとさほど年は変わらないはずなのに、どこか達観した雰囲気がある。
「そうね、今のわたしにはすごく難しいみたい……」
わたしは素直に言葉を漏らす。
(デューイ以外なら、こうして思ったままを口にできるのに……)
一番伝えたい人の前では本心が何も言えなくなるのだから、自分の不甲斐なさに情けなくなる。
その後、身支度を整え終えたころにちょうど晩餐の用意もできたようで、わたしはマーリーンのあとに続いてダイニングルームへと向かった。
歓迎の晩餐はいつものように和やかな雰囲気で始まった。
王都での最近の出来事や両家の来年の予定などを話題にしながら、談笑も交えて会話が弾む。
時折、わたしのお父さまとアイヴズのおじさまは王城内での仕事の話なども口にするので、それをわたしは新鮮な気持ちで聞きながら運ばれてくる料理に舌鼓を打つ。
それから話題がいくども変わり、デザートのレモンピール入りの糖蜜シロップがかかったタルトが出てきたところで、お父さまがワインを片手にしみじみと言った。
「デューイくんも来年には学院を卒業か、早いものだな。ついこの間、入学したと思ったのに」
「ええ、そうね。あのときのエレナったら、何日も部屋にこもったままで、どうなることかと思ったわ」
わたしは慌てて止めに入る。
「ちょっと、なに言い出すの!」
すると、アイヴスのおじさまやおばさまが話にのるように、
「ああ、そうだったな。あのときは私たちも駆けつけて、部屋のドア越しに説得したんだったな」
「そうでしたわね。ずいぶん経ってから、ドアを開けてくれたときのエレナちゃんの泣き顔もかわいくて……」
すると、デューイは初耳だったのか、
「へえ、そんなことが……」
そう言ったあとで、わたしのほうに顔を向けると、
「そんなに俺がいなくなって、寂しかったのか?」
茶化すような言い方をする。
カッとなったわたしは思わず、
「全然! うるさいのがいなくなってせいせいしたくらいよ!」
「はあ? お前のほうがうるさいだろ!」
「なんですって⁉︎」
さっきまでの和やかに進んでいた晩餐の雰囲気が一気に悪くなる。
すかさず、わたしとデューイの両親たちが割って入るように、
「まあ、まあ……」
「ふたりとも落ち着いて」
「デューイ、そんな態度はいけないわ」
「エレナもよ。いい加減にしなさい」
と口々に、それぞれ自分の子どもをたしなめる。
わたしはそっぽを向きながら小さくつぶやく。
「デューイのせいよ」
「おい、俺のせいにするな」
すぐさまデューイが反応する。
その様子を見て、おばさまはやや眉を曇らせて、
「あなたたち、昔はあんなに仲がよかったのに……」
それに同意するようにお母さまも、
「本当に、いつからこんなにふうになってしまったのかしら……」
とため息を漏らす。
ふたりの言葉に、わたしの胸がズキンと痛む。
それを表に出さないよう、目の前にあるレモンピール入りのタルトを口に運ぶが、まったく味がしなかった。
その後、話題は移り変わり、しばらくして歓迎の晩餐はお開きになった。