迎えた聖夜祭
翌朝、身支度を整えて部屋を出ようとしたとき、ふと見上げれば、ドアの上部には金緑木の枝が赤いリボンでくくられ、束になってぶら下げられていた。
聖夜祭の日には欠かせない飾りだ。
例年通り、マーリーンがわたしの身支度を整えてくれている間に、ほかのメイドが飾ってくれたのだろう。
この分なら、すでにほかの部屋のドアにも飾られているはずだ。
ついに聖夜祭当日がきてしまった。
その現実を突きつけられた気がして、わたしは心の中で重苦しいため息を吐く。
金緑木の飾りを見るたびに、言い伝えを思い出す。
──金緑木の下でキスをすると、その愛は永遠に続く。
自分に起こることはないと諦めているものの、それでも心のどこかでは淡い期待を抱いている自分がいる。
(だけど今は……)
わたしは唇を強く噛みしめる。
今となっては、婚約解消の期限を告げる象徴にしか見えなかった。
わたしは部屋を出たあとも、金緑木の飾りがぶら下がっているドアを視界に入れないよう廊下を進み、モーニングルームへと向かった。
朝食をとりながら、
「残念ね、もう行ってしまうなんて……」
「もう一日いてもいいんだぞ? デューイも今晩には戻ってくるだろうから」
アイヴスのおばさまとおじさまが残念そうに言う。
アレンも名残惜しそうに、
「一晩しか滞在できなくて、僕もとても残念です。でも、また今度ゆっくり寄らせてもらいますから。デューイにはまた王都で会おうと伝えてください」
わたしのお父さまとお母さまも声をかける。
「領地までの道中、気をつけるんだよ」
「寒いから、馬車の中でもあったかくしてね」
「ええ、お気遣いありがとうございます」
アレンが微笑んで答える。
アレンを交えての朝食が終わると、わたしは一旦部屋に戻り、昨晩借りたアレンのカーディガンを持って部屋を出た。
廊下の角を曲がる手前で立ち止まり、一度大きく息を吐き出す。
決意するようにぎゅっと拳を握りしめたあとで、再び歩き出し、アレンの部屋の前まで来る。
すでにドアは開いていて、中からは荷物をまとめるような物音が聞こえている。
数度ドアをノックすると、
「──どうぞ」
すぐさま、部屋の中から返事がある。
「……アレン、少しいいかしら?」
わたしは部屋の中を覗き込む。
すると、旅行用大型鞄に荷物を詰めているアレンがゆっくりと振り返って微笑む。
「ああ、大丈夫、ちょうど作業が終わったところだ。どうぞ、入って」
「……これ、昨晩貸してくれてありがとう」
アレンに近づくと、わたしは手に持っていたカーディガンを渡した。
「ああ、そうだったね。わざわざありがとう」
そう言って手を伸ばすアレンは、いつもと変わらず落ち着いているように見える。
一方のわたしはひどく緊張していて、それをなんとか表に出さないようにするだけで精いっぱいだった。
「アレン、あの、昨日のことだけど……」
わたしが言葉を発すると、アレンの手からカーディガンがするりと離れ、床に落ちる。
「──ああ、ごめん。ちょっと手が滑ったみたいだ」
アレンはなんでもないふうにカーディガンを拾い上げる。
そのあとで、眉尻を下げて微笑むと、
「昨日の返事を伝えに来てくれたんだろう? もう少し悩んでほしい気持ちはあるけど、大丈夫。ちゃんと受け止める覚悟はできてるから……」
あまりに悲しげな表情だった。
わたしの胸が苦しくなる。
ややあってから、覚悟を決めるように、
「わたし、アレンの気持ちに全然気づかなくて、本当にごめんなさい……。アレンが伝えてくれた言葉、とてもうれしかった。アレンはやさしくて頼りがいがあって、本当に素敵な人だって思うわ……」
震える唇を開き、一生懸命伝える。
アレンはじっとわたしの言葉に耳を傾けてくれている。
「でも、やっぱりわたしは……。デューイじゃないとだめなんだって気づいたの……。このままだと本当に婚約解消になるかもしれないけど、まだ諦めたくない……」
しばらく沈黙が続いたあと、ふいにポンポンとやさしく頭をなでる感触があった。
幼いころ、いくどとなくアレンがこうしてわたしを慰めてくれた。
「……エレナ、ただ素直になればいい。それだけですべてはうまくいくよ」
そう言うアレンの声音はまるで兄が妹をあやすように、ひどくやさしげで慈愛に満ちていた。
わたしは思わず昔を思い出し、小さな子どものようにふてくされる。
「……それができないから困っているのよ」
「ああ、そうだったね」
アレンがくすりと笑う。
つられて、わたしも頬をゆるめる。
これまでと変わらない、いつものようなやり取りに心から安堵する。
アレンがじっとわたしを見つめる。
「これからも幼馴染みでいてくれるかな?」
「もちろんよ、当たり前でしょう!」
アレンはほっとするような表情を見せたあとで、
「──ありがとう」
そう言うと、ゆっくりとわたしに近づいてくる。
(え──?)
予想外の至近距離に驚いた瞬間、
「──おい!」
ぐいっと体が後ろに引っ張られる。
わたしの肩に、背後から誰かの腕が回されている。
目の前のアレンがぱっと両手を宙に掲げ、
「やあ、デューイ。戻りは晩餐くらいになるんじゃなかったのか?」
「お前が来てるって聞いたからな!」
わずかに振り返れば、そこには息を切らしたデューイがいた。
耳元に響く声と感じる体温を意識したとたん、わたしの心臓が駆け足になる。
アレンは軽く肩をすくめて、
「なるほどね、それで急いで戻ってくるなんてご苦労さま。でも、不在にするお前が悪いよ」
デューイは眉間にしわを寄せ、ぐっと言葉を詰まらせるが、
「──油断も隙もないな! ここ最近大人しかったくせに、どういうつもりだ!」
「どうもこうもないよ。それよりもお前こそずっとエレナを抱き寄せたままなんて、どういうつもり?」
その言葉に、デューイがパッと手を離す。
「わ、悪い……」
「う、ううん……」
わたしは赤くなる顔を伏せて、小さく首を横に振る。
アレンはふっと微笑むと、一歩を踏み出し、デューイの耳元に顔を寄せる。
「エレナとはこれからも変わらない友情を確認し合ったところだ」
「お前──」
デューイが目を大きく見開く。
アレンは手を伸ばし、デューイの頭をくしゃくしゃっと撫で回す。
「おい! 何するんだよ!」
ボサボサの頭になったデューイが文句を言う。
アレンは口を大きく開けて笑いながら、
「一目会えてよかったよ、ディーイ。また王都でな」
そう言うと、旅行用大型鞄をさっと持ち上げ、部屋を出ていく。
その後、アレンは屋敷の前で待機していた馬車に乗り込むと、アイヴズ伯爵邸を去っていった。
アレンを見送ったあと、ふと振り返ると、屋敷の正面玄関の上にも束になった金緑木の飾りがぶら下げられているのが見えた。
気にしないようにしながら、わたしは玄関の扉をくぐる。
「エレナ」
屋敷の玄関脇のサロンに入ったところで、後ろからデューイに呼び止められた。
先ほど抱き寄せられたときの熱を思い出し、わたしはとたんに落ち着きをなくす。
「──あの、おかえりなさい、デューイ。思っていたよりも早く戻れたのね。晩餐に間に合ってよかったわね。商会のほうは大丈夫だった? 問題が起きたっておじさまが言っていたけど。でも対処を任されるなんてすごいわ、おじさまもあなたを信頼してるってことよね」
不自然なほど矢継ぎ早に言葉が出る。
「ああ、ただいま。商会のほうはひとまず大丈夫だ。少し後処理はあるけど……」
と言ったあとで、デューイは何か言いにくそうにしてから、
「さっきアレンと何を話し──、いや、いい……」
そこで口を閉ざし、ややあってから再び口を開く。
「……エレナ、この間のことだけど」
わたしは肩をびくつかせる。
デューイが言う『この間のこと』とは、書庫でのケンカのことだろうか、それとも学院の友人が訪ねてきたときに発した『ただの幼馴染み』という言葉のことだろうか。
とたんに怖くなり、わたしはぎゅっと唇を噛みしめる。
(もし今、目の前で『ただの幼馴染み』だと告げられたら──?)
耐えきれそうもなかったわたしは、無意識にデューイから離れる。背を向けたまま、なんでもないふうを装う。
「え、この間のこと? あ、書庫でのことならわたしも言いすぎたわ、ごめんなさい。すぐにカッとなるのはわたしの悪い癖よね、頑固だし。いつもあなたに迷惑をかけてしまって、直さなきゃいけないってわかってるんだけど」
するとデューイは普段と異なるわたしの態度が気になったのか、やや怪訝な声音で、
「あ、ああ、書庫では俺も言いすぎた、悪かった。でもそうじゃなくて、この間──」
そのとき、ドアをコンコンとノックする音が響いた。
「デューイさま。ご一緒に戻られた商会の方が急ぎで確認してほしいことがあると……」
ドアから顔を覗かせた使用人が申し訳なさそうに告げる。
デューイは振り返ると、
「──すぐに行く」
と答えてから、わたしに目を向ける。
「エレナ──」
「あの──! この間のことは本当にごめんなさい、じゃあ、もう行くわ」
わたしはデューイの言葉をさえぎるように言うと、彼の横を通り過ぎ、部屋を出た。
残り2話で完結です!