第九章 政変
翌日。王立議事堂は、建国以来の熱気に包まれていた。
円形議場を埋め尽くす議員たちの視線は、演壇の上段へと注がれている。玉座の脇に立つオスカー王子は、冷や汗を拭いながら眼下の首相と枢機卿を睨みつけていた。
(幽閉室の女王は空だった。昨夜の爆発で、母上は連れ出されたはずだ……。ならば、今この場に女王はいない。私が首相の不正を告発すれば、この国は救われる!)
王子は懐の「真実の証拠」を握りしめ、口を開こうとした。
「……女王陛下の、御成りぃぃ!!」
衛視の咆哮が響き渡り、重厚な扉が開く。
王子の顔が、恐怖で凍りついた。現れたのは――車椅子でもなく、昨日のようなぎこちない人形でもない。ドレスを華麗に翻し、若き日のような生気と威厳に満ちた「女王」その人だった。
「……ありえない」
王子が絶望に沈む横で、枢機卿は唇の端を吊り上げた。
昨夜。枢機卿は女王が奪われたと知った瞬間、絶望などしていなかった。彼は冷徹に、地下の隠し工房へ降りた。そこには、数年前の女王の手術の際、万が一の「予備」として摘出され、培養液の中で拍動し続けていた本物の女王の心臓があったのだ。
『器の予備を起動せよ。魂などは不要だ。この心臓の波形さえあれば、外見は維持できる』
急造の偽女王を動かすため、彼は三十人もの特級魔導師を三階の秘密室に動員していた。本来なら自律して動くはずの魔物を、強引に「遠隔操作」で動かすための、肉体を削るような歪な儀式。それが今、議場の真上の部屋で進行しているのだ。
「愛しき我が臣民よ。わらわは悲しい」
偽女王の声が、魔導拡声器を通じて朗々と響く。
「実の息子、オスカー王子は、権力に目が眩み国を乗っ取ろうとした逆賊である! 正規軍よ! 近衛兵よ! 直ちにこの親不孝者を捕らえよ!!」
「なっ……!?」
王子の計算は完全に崩壊した。議場になだれ込む警官隊。包囲される王子。
彼は理性を捨て、懐の通信石に向かって叫んだ。
「……いいだろう。盤面ごとひっくり返してやる。『祝砲』を放て!」
ドォォォォン!!
王都の外縁部、街道を封鎖していた戦車隊の足元が一斉に爆発した。地下水道の汚泥から生まれた「巨大な泥人形」たちが、物理法則を無視した巨体で軍を足止めする。
「さあ、泥沼の戦争だ!」
王子は狂気を含んだ目で笑った。
一方、警視庁第五課。窓から立ち昇る黒煙を見たミラー課長は、愛銃のスライドを引いた。
「……馬鹿な王子様だ。だが、尻拭いは我々の仕事だ。行くぞ野郎ども! 狙うは議事堂の『てっぺん』だ!」
議事堂の裏手。第五課は混乱に乗じて壁を駆け上がっていた。
「グレイ、術式の中心地は!」
「三階、議場の真上にある貴賓室です。異常な濃度のマナが逆流している……間違いなくあそこが『操作室』だ!」
三階の廊下。そこには近衛兵の精鋭十人が、最新式の魔導銃を構えて待ち構えていた。
「邪魔だ、どけ!」
イライアスが前に出る。彼のケープの下からは、一本の奇妙な鉄杖が覗いていた。
カチリ、とスイッチが押される。
それは「守り人」の技術と現代の「伸縮鋼」を融合させた特殊大剣だった。一瞬で三倍の長さに伸びた刃が、近衛兵の銃身をまとめて叩き切る。
「ガッ……!?」
間髪入れず、イライアスは懐から小型の「対魔装填銃」を抜き放った。銃弾ではなく、衝撃波を放つ特注品だ。至近距離での一撃。兵士たちは血を吐く間もなく、脳震盪で次々と崩れ落ちる。
「次だ! ピーター!」
「はいッ! 『白亜の城塞・全面展開』!」
ピーターが取り出したのは、グレイが一週間かけて限界まで魔力を注入し続けた「高密度防御魔導紙」だ。
ドガァァン!!
扉に仕掛けられていた爆破トラップが作動するが、ピーターが展開した光の盾は、熱線を吸い込むように無力化した。
煙を払い、部屋に突入した瞬間、異様な熱気が五課を襲った。
中央の名も知らず魔道具を囲む、三十人の術者。彼らの眼窩は落ち込み、鼻からは血が流れている。偽女王を維持するために、己の生命力を絞り出しているのだ。
「第五課だ! 手入れだオラァ!!」
イライアスの伸縮剣が旋回する。しかし、刃が術者たちの首を刎ねる直前、水晶玉を中心に半透明の「多重防護結界」がドーム状に展開され、イライアスの剣を激しい火花と共に弾き返した。
「チィッ、なんだこの硬さは!」
「三十人の魔力を編み込んだ儀式級の絶対防壁です! 僕の解除術式でも、解くのに十分はかかる!」
グレイが舌打ちしながら魔導紙をばら撒く。
「グレイ! 入り口を頼む!」
「了解。……『即席要塞・鉄筋隔壁』!!」
建物の構造材である鉄骨が意志を持ったように組み上がり、入り口を分厚い鋼鉄の壁で封鎖した。これで部屋の中は孤立したかに見えた。
だが、廊下からはさらなる増援の近衛兵の重装甲部隊が到着し、鉄筋隔壁ごと部屋を吹き飛ばそうと魔導重火器による一斉射撃を始めていた。
「グレイさん、イライアスさん! 警備からの激しい攻撃で、僕の盾はもうすぐ持ちません!」
入り口で防御を張るピーターが、口から血を流しながら叫ぶ。光の盾に、蜘蛛の巣のようなヒビが走り始めた。
「十分も待ってられるか! ……おいグレイ、結界が割れねえなら、あの結界ごと下へ落とすぞ。俺の剣に『バフ』を盛れ!」
「無茶苦茶だ……! だが、それしかありませんね! サポートします! 『多重演算・筋力増幅&重力加速』!!」
グレイが放った数枚の強化札が、イライアスの全身と大剣に吸い込まれる。同時に、イライアス自身も「守り人」としての全魔力を、限界を超えて剣の刃に注ぎ込んだ。剣身が白熱し、周囲の空気が歪む。
「……グレイ、この真下が玉座だな?」
「ええ。誤差は五センチ以内です」
「さて……こいつをブチ抜けば、議場のど真ん中だ!」
イライアスは高く跳躍し、限界まで肥大化した魔力の刃を、術者を守る防護結界ではなく「床そのもの」へと叩きつけた。
階下の議場では、操作を失った偽女王が「あ……あう……」と白目を剥いて痙攣を始めていた。
「へ、陛下? どうされました!」
首相が駆け寄ろうとしたその時――。
ズゴォォォォン!!
天井が轟音と共に爆発した。強固な結界ごと支えを失った三階の床が丸ごと抜け落ち、巨大な瓦礫の雨と共に、三十人の術者と五課の面々が演壇へと着地(落下)した。
「なっ、テロリストか!?」
議員たちが逃げ惑う中、床に叩きつけられてリンクの切れた術者たちは泡を吹いて気絶している。
イライアスは土煙の中から立ち上がり、瓦礫に埋もれた「偽女王」の首根っこを掴み上げ、全世界へ向けて中継しているカメラの前に引きずり出した。
「よく見とけよ、国民の皆様! こいつがお前らの崇める女王様の正体だ!」
イライアスは、偽女王のドレスの背中を強引に引き裂いた。そこには、急造の制御用として貼られた「従服の呪符」が、赤黒い光を放って脈動していた。
「見つけたぜ」
パリンッ!
イライアスが呪符を素手で叩き割る。
「ギャアアアアアアッ!!」
絶叫と共に、美しい女王の皮膚がドロドロと溶け落ちた。顔から目鼻立ちが消え、手足が蜘蛛のように異様に伸びる。そこに現れたのは、のっぺらぼうの異形――チェンジリングの醜悪な素顔だった。
「ひ、ヒィィッ! バケモノだ!」
「女王陛下が、魔物に……!?」
中継のフラッシュが焚かれる中、枢機卿は腰を抜かし、首相は泡を吹いて倒れた。天井の大穴から、グレイが冷ややかに見下ろす。
「……チェックメイトですね」
「な、何を呆然としている! そいつらはテロリストだ! 陛下に呪いをかけ、姿を変えさせたのだ!」
ハリソン 首相が、震える指でイライアスたちを指差して叫んだ。
「近衛兵! 警備隊! その男たちを射殺しろ!」
守備隊が銃を構えたその時、議壇の背後にある「王族専用の秘密通路」の扉が、重々しい音を立てて開いた。
「……捏造だと? ならば、これはどう説明する、エワルド」
泥と下水の臭いを纏いながらも、圧倒的な威厳を放つオスカー王子が姿を現した。その腕には、精巧な銀の箱が抱えられている。
「で、殿下……! 生きていたのか!?」
首相の顔から血の気が引いた。王子は議場の中央まで歩みを進め、銀の箱を床に置いた。
「諸君、よく聞け。そこに転がっている異形は枢機卿が用意した偽物だ。そして、これまで玉座に座っていた『母上』もまた、本物ではない」
王子は自身の掌をナイフで切り、その血を箱に垂らした。
王家の血に反応し、箱から目も眩むようなホログラムが溢れ出す。それは、王宮の最深部――医療カプセルの中で完全に生命活動を停止し、美しい死顔のまま保存されている「本物の女王」の姿だった。
「母上は三年前、すでに病で身罷られていた。この腐れ外道どもは、その死を隠し、人形を操ることで国を意のままに動かしてきたのだ!」
王子の言葉は、魔術放送を通じて王都全体に響き渡った。
議事堂の外からは、真実を知った市民たちの地鳴りのような怒号が聞こえ始めた。
「嘘だ……こんなことが……!」
ハリソン 首相は膝をついた。王子は冷徹に、議場を包囲した近衛兵に命じた。
「ハリソン 首相を逮捕せよ。罪状は国家欺瞞、および王位の不法占拠だ。連れて行け」
「離せ! 私は首相だぞ! ……枢機卿! 助けてくれ、枢機卿!!」
引きずられていく首相は、必死に盟友の名を叫んだ。
しかし――
傍らに立つ枢機卿は、まるで見知らぬ他人を見るような冷たい目で、連行される首相を見送った。
「……嘆かわしいことですな、首相閣下。まさか、あなたがこれほどの不敬を働いていたとは。神の代弁者として、これ以上の失望はありません」
「なっ……貴様、何を!? お前が一緒に計画したんだろうが!!」
「証拠はありますかな? 私はただ、国のために祈り、アドバイスを求められたに過ぎません。……殿下、私も騙されていた被害者の一人です」
枢機卿は悠然と、勝ち誇ったように一礼し、混乱する議場を去っていった。
王子はその背中を射抜くような目で見つめた。証拠はあくまで首相まで。枢機卿という巨大な「教会の影」は、まだ闇の中に残されたままだった。
天井の大穴から見下ろすグレイと、血塗られた大剣を担ぐイライアス。
二人の視線の先には、燃え上がる王都の夜が広がっていた。。




