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濃霧の守り人  作者: 朝飯の秋刀魚
第一部

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10/30

第十章  追放

王都警視庁、地下取調室。


かつて栄華を極めたハリソン首相は、手錠をかけられ、髪を振り乱して叫んでいた。


「だから言っているのだろう! 全ては枢機卿の入れ知恵だ! 私はただ、選挙に勝ちたかっただけなんだ!」


取調官は冷ややかな目で調書を閉じた。

「……首相閣下、往生際が悪いですな。教会からは、貴方が作成した『クーデター計画書』が提出されています」

首相の告発は黙殺された。枢機卿の動きは早く、全ての罪を首相に擦り付け、自身は「被害者」として安全圏に逃げ込んだのだ。

しかし、首相が逮捕したでも、イライアスたちにとっては安全は完全に確保されていない。

その夜、イライアスとグレイが同居するアパートから、紅蓮の炎が上がっていた。

「……嘘だろ……僕たちの家が……」

押し寄せた静寂の中で、ちりちりと音を立てて火の粉が夜空へ溶けていく。

 水を被って泥のようになった煤まみれの瓦礫の前で、グレイは糸が切れた人形のように、その場に崩れ落ちた。

 かつて彼らが集い、笑い、傷を癒やした部屋は、見る影もなく崩壊していた。元「守り人」として過酷な戦場を生き抜いてきた彼らにとって、ここは初めて手に入れた「帰るべき家」だった。イライアスとバカを言い合ったソファも、サラーが銃の手入れをしていたテーブルも、ピーターが書類を広げていたデスクも、彼らが紡いできた大切な思い出のすべてが、今や冷たい黒い灰へと姿を変えている。

「……どうしてだ」

 グレイは真っ黒に汚れた手で、まだ熱い灰を強く握りしめた。手のひらがじりじりと焼ける痛みなど、胸の奥を引き裂く痛みに比べれば無に等しかった。

 眼鏡のない彼の剥き出しの瞳から、大粒の涙が溢れ、煤に汚れた頬に白い筋を作っていく。

「命がけで街を守った……。何百匹もの蜘蛛を駆除して、市民の日常を泥水啜って繋ぎ止めた……っ! なのに、これが僕たちへの報酬ですか……! 守り人をやめて警官になっても、結局、僕たちは何も守れないじゃないか……!!」

 理性を失い、子供のように声を震わせて慟哭する相棒の姿を、イライアスはただ静かに見つめていた。

 かけるべき言葉など、戦場上がりの老兵は持ち合わせていない。イライアスは無言のまま腰を落とし、煤と水で濡れそぼったグレイの細い肩を、その大きな腕で力強く抱き寄せた。己の体温と、生きているという確かな重みだけを伝えるように。

 その時、イライアスのブーツの先が、瓦礫の隙間で鈍く光る小さな金属に触れた。

 カラン、と乾いた音を立てて転がったのは、金色のオイルライターだった。火災の熱で歪んではいたが、その表面には、彼らにとって忌まわし「教会の聖印」が、嘲笑うかのようにくっきりと刻まれていた。

(……事故じゃねえ。あのクソ神父ども、ハゲ課長や俺たちをまとめて消すつもりだったな)

 イライアスの胸の奥で、冷徹な殺意がジワリと鎌首をもたげる。だが、それをいま目の前で泣き崩れる若い相棒に見せるわけにはいかなかった。

 イライアスはライターを素早くポケットへねじ込むと、グレイの肩を叩き、低く、しかし確かな芯のある声で告げた。

「泣くな、グレイ。……ここにはもう住めねえ」

これは報復だ。枢機卿は完全に自分の罪から逃れていないが、ただそれが犯した対罪と比べ、新聞で報道されたの「政治不正干渉疑いのため、枢機卿辞任、なおニルフヘイヴン大教区主教に留任」は冗談のように、その行動は法的機関も現政権自身も、見て見ぬふりをすると同然。彼らは孤立無援となった。

翌日。廃止が決まった第五課のオフィス。

荷物が運び出され、ガランとした部屋に、課長のミラーが一人で立っていた。

「……遅かったな」

放火で住処を失い、ボロボロになった四人が入ってくる。

「課長、俺とグレイのアパートも……」イライアスが口を開きかけた時、ミラーは一枚の封筒をデスクに投げ出した。

「退職金代わりだ。受け取れ」

ピーターがおずおずと中身を確認し、目を丸くした。

「こ、これ……『植民地コロニー』行きの乗船チケット? しかも一等客室……?」

ミラーは葉巻に火をつけた。

「そうだ。今夜出航する貨客船だ。

王都に居場所はない。教会(あの連中)の刺客はしつこいぞ。だが、海の向こうの植民地なら、奴らの手もそう簡単には届かん」

四人は顔を見合わせた。

ただクビになって路頭に迷うと思っていた彼らにとって、それはあまりに意外な「配慮」だった。

「……左遷されるあんたが、こんな高価なチケットを四人分も?」

サラが尋ねると、ミラーはふんと鼻を鳴らした。

「私のポケットマネーじゃない。……スポンサーがいる」


深夜の第3埠頭。

濃霧の中、巨大な蒸気船が停泊していた。

タラップの横で待っていたのは、海軍の制服に着替えたウィリアム曹長だった。

「曹長……!」

「やあ。時間通りだね」

ウィリアムは少し寂しげに、しかし凛として微笑んだ。

「父(ローランス中将)に無理を言ってねじ込んだ。この船は海軍の護衛付きだ。植民地までの航路は保証する」

「曹長が、手配してくれたんですか……」グレイが眼鏡を拭った。

「君たちを『犯罪者』として終わらせるわけにはいかないからな。

……元気で。ほとぼりが冷めたら、また会おう」

ウィリアムは四人一人一人と握手を交わした。

そこへ、ミラー課長も現れた。

彼は見送りなどしないと言っていたはずだが、最後にはやはり顔を出したのだ。

「おい、ぐずぐずするな。出航の時間だ」

イライアスはニヤリと笑い、課長に向き直った。

「へっ。世話になったな、鉄仮面の旦那ボス。……あんたも、地下室(情報部)でカビ生やすんじゃねえぞ」

「ふん。お前たちこそ、植民地の魔物に食われるなよ」

ミラーは背を向けたまま、ヒラリと手を振った。

「行こう、みんな!」

ピーターが先頭を切ってタラップを駆け上がる。

サラ、グレイ、そしてイライアスが続く。

汽笛は長く尾を引き、濃い霧を裂くように響いた。その響きは、彼らをまだ見ぬ遠方へと誘っているかのようだった。船はゆっくりと岸を離れ、王都の煌びやかな明かりが霧の向こうへと遠ざかっていく。

船はゆっくりと岸を離れ、王都の煌びやかな明かりが霧の向こうへと遠ざかっていく。

甲板の上、四人は並んでその光景を見ていた。

「……植民地か。退屈はしなさそうだな」

「まあ、どこに行ってもやることは同じですよ」

警察のバッジは捨てた。故郷も追われ。

だが、彼らの目には新たな冒険への光が宿っていた。








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