第五章 殺戮
ニルフヘイヴンには滅多にない、抜けるような快晴だった。けれど、街を包む空気は、どんよりと重く曇っていた。
ポリス・プラザ612号室。 窓から差し込む明るい日差しは、かえって室内の深刻な雰囲気を際立たせていた。
ミラー課長は、デスクに広げられた凄惨な現場写真を見つめたまま、絞り出すような声で言った。
「これで五人目だ。……しかも、今回の被害者は今までの連中とは違う。サマセット子爵家の三男、エドワードだ」
ミラーは顔を上げ、部下であるローランス曹長は鋭く見据える。
「奴は、高貴な血筋でありながら現場に立つことを選んだ、貴族の中では数少ない守り人の一人だった。……それがこの無惨な姿だ。ローレンス曹長、現場の所見を」
ローレンスは一歩前に出ると、一等巡査たちの前で検死報告書を開いた。
だが、ミラーはその報告書の文字を読むよりも先に、曹長の背後、ソファで静かに煙草を燻らせていた老人に視線を投げた。
「……マッコイ先生。曹長の報告の前に、専門家としての意見を簡潔に聞かせてほしい」
ミラーの指示を受け、検死官マッコイはゆっくりと腰を上げた。彼は眉間に深い皺を刻み、手元の資料を忌々しげに一瞥した。
「……はい。まあ、あくまで個人的な意見であり、100%の保証はしかねますがね」
マッコイは眼鏡を拭き直し、冷徹な声を室内に響かせた。
「世間やマスコミは、その手際の良さから犯人を『外科医』などと呼んでいますが……検死官としての私の見立ては違います。今回の件でほぼ断定できました。犯人は恐らく、医者などではありません。これは解剖ではなく、『解体』です。
関節を断ち切り、骨を叩き割る。迷いがない一方で、あまりに乱暴で雑な手口……。我々医者や検死医なら、これほどまでに遺体を損なう蛮行は決して行わない。これは、魔物解体に習熟した職人――おそらくは元守り人の仕業でしょうな」
検死官は安物の煙草を深く吸い込み、肺の奥まで煙を染み渡らせた後、重い口を開いた。二人の喫煙者による煙は、室内でよく霧に纏うニルフヘイヴンの気候を再現した。
「……さらに、解体の手口についても不可解な点がある。傷口の深さ、角度、力の入り方が遺体ごとに微妙に異なるんだ。以上の点から、犯行は単独犯によるものではないと推定される。切断痕には技量の差が認められ、また右利きと左利きの人物がそれぞれ関与した形跡がある。したがって、複数の解体師が組織的に犯行に及んだ可能性が高い。」
彼は事務机の上に置かれた、黒ずんだ「石」のようなもの――摘出された後の被害者の心臓の一部を指差した。
「奴らの目的は、魔法の果実と呼ばれる Nucleus Aethereus(エーテル核)。だが、単に抜き取るだけじゃない。すべての被害者の体内から、致死量に近いエピネフリンが検出された」
その言葉に、イライアスは顔を顰めた。 「エピネフリン……。心拍数を上げ、感覚を鋭敏にする薬物ですね。なぜそんなものを?」
「極限の恐怖を与えるためさ」 マッコイは吐き捨てるように言いました。 「人間の魔力は、負の感情……特に死への恐怖によって励起し、結晶化の密度が高まる。奴らは薬物で被害者の意識を無理やり覚醒させ、恐怖が頂点に達した瞬間に、その命ごと果実を収穫しているんだ。 それを何に、何のために使おうとしているのか……想像したくもないな」
ミラー課長が重々しく口を開く。 「聞いたか、ローレンス。そして新入りたちと共に、犯人の手係を探せ」
「了解しました」
曹長が短く答え、鋭い視線をイライアスたち四人に送った。
「いいか、まずは足元を固める。被害者全員が『元守り人』である以上、そこには必ず奴らを引き寄せる共通の接点があるはずだ」
ローレンスは、顎をしゃくってイライアスとグレイを指した。
「イライアス、グレイ。君達は私と共にサマセット家へ向かう。相手は悲しみに暮れる子爵家だ。失礼のないように、だが聞き出すべきことは全て聞き出すぞ。……サラとピーター、貴様らは他の四人の被害者の住処と周辺を洗い直せ。奴らが最後にどこで目撃されたか、不審者がいなかったかを探るんだ」
「了解!!」
第一区の高級住宅街に建つサマセット家の屋敷は、快晴の陽光を浴びて白く輝いていた。しかし、門をくぐると、屋敷全体に重苦しい喪失感が漂っている。
応接室で三人を迎えたのは、現当主であるサマセット子爵だった。
「……弟は、誇り高い男でした。幼い頃から守り人という職に憧れ、親の反対を押し切ってまで、己の志を曲げることはありませんでした。その誇りこそが、彼を最後まで支え、そして、あの日あの場所で彼を突き動かしたのでしょう」
子爵は話の途中から嗚咽をし、震える手で紅茶を啜り、曹長を見つめた。
「ですが、最近の彼は……何かに怯えているようでした。いえ、怯えというよりは『迷い』でしょうか。ある日、彼は私にこう言ったのです。『兄上、魔導の力は本当に機械に取って代わられるべきものなのでしょうか』と」
イライアスが鋭く反応し、手帳にペンを走らせる。 「子爵殿は、最近は昔の守り人仲間と接触されていませんでしたか? 例えば、今の政府の政策に強い不満を持っているような人物です」
「……そういえば」子爵が記憶を辿るように目を細めた。「一週間ほど前、屋敷の裏門に見慣れぬ男が訪ねてきました。弟はその男と激しく言い争っていたようです。男は去り際にこう叫んでいました。『我らは魔導の地へ戻るべし。逆らう者は亡き者とす』
「我らは魔導の地へ戻るべし。逆らう者は亡き者とす、か……」
「滑稽な話。工業化、蒸気化は別に魔導の力を諦めているわけではないし」
曹長がその言葉をなぞるように低く繰り返した。快晴の光が差し込む応接室に、場違いな戦慄が走る。それは単なる不満分子の泣き言ではない。明確な「宣戦布告」だ。
「滑稽な話。工業化、蒸気化は別に魔導の力を諦めているわけではないし」
「よせ!帰るぞ!お邪魔しました、サマセット子爵殿」
サマセット子爵の証言に基づいて、グレイが容疑者の似顔絵を素早く描き上げた。鋭い眼光と、どこか野卑な印象を与える面構え。曹長一行はその似顔絵を手に、重苦しい沈黙が支配する子爵邸を後にした。
署に戻る道すがら、グレイは上司から似顔絵のコピーを受け取ると、相棒のイライアスを連れて、いつも通りJerry and Jerry's barに行った。
「お前、ここで手がかりを探す気か?」 イライアスが怪訝そうに尋ねる。
「当然だろ。元『守り人』だってんなら、ここで情報を得る確率が一番高い」 グレイはニヤニヤしながら答え、店に入るなり首を回して、カウンターにいるウェイトレスに莞爾と笑いかけた。
「よう、サム。今日はジェリーたちいないのかい?」
「ええ。口説き相手が私じゃなくて、店主に移ったってわけ?」 ウェイトレスのサムは、呆れたように肩をすくめて応じる。
「ははは! まさか。これは仕事、仕事だよ」 グレイは大笑いしながら、懐から似顔絵のコピーを取り出して翳した。 「店主にこいつの手がかりを聞きたいんだ。お前も何か知ってることがあれば、何でもいい。教えてくれ」
サムは似顔絵をじっと見つめ、少し顔をしかめたが、結局首を横に振った。 「……すまん、知らんわ。こんな顔、見たことない」
「――おい、そいつはバリーじゃないか!」
隣のテーブルで管を巻いていた客が、椅子を鳴らして叫んだ。その連れも声に応じて立ち上がり、店内の数人が磁石に吸い寄せられるように似顔絵の前に集まってきた。
「間違いない。バリーだ! たしか元『魔物解体班』の連中で、この数年は近くの肉屋の従業員をやってたはずだぜ」 「ああ、数ヶ月前までよくここに来てたよな。急に羽振りがよくなったと思ったら、パタリと姿を見せなくなったが……」
ジェリー&ジェリーズ・バーでの聞き込みを終え、グレイとイライアスはポリス・プラザへと戻った。
「曹長、例のバリーという男、最近は姿を消していますが、第十三区の地下にある『隠しバー』に出入りしていたという情報を掴みました」
曹長は地図を睨みながら、苦渋の表情を浮かべた。第十三区の地下。そこは警察の目が届かない、違法賭博と魔物素材の闇取引が横行する掃き溜めだ。
「……だが、君たちはそこへは行けない」曹長は少し自の考えを整理して、こう命令する「イライアスとグレイ、君達は守り人の間には有名になりすぎている」曹長は、静かに控えていたピーターに視線を向けた。
「ピーター。……君にしかできない仕事だ。俺の協力者を紹介する。奴の手引きでそのバーに潜り込め」
数日後。ピーターは泥に汚れたジャケットを羽織り、第十三区の古びた倉庫の地下にあるバーへと足を踏み入れた。そこはジェリーの店とは違い、殺気と腐敗した魔力の臭いが充満する場所だった。
協力者の紹介という建前もあり、ピーターは疑われながらもカウンターの端に座った。
「……やってらんねえよ。蒸気自動車のせいで、俺の愛馬は解体され、俺は仕事をお払い箱だ。政府の連中は、俺たちの魔法も馬の足も、全部『時代遅れ』だって抜かしやがる」
酒に酔ったふりをしてピーターが漏らした政府への呪詛は、周囲の男たちの耳に深く届いた。数時間後、屈強な男たちがピーターを囲んだ。
「……おい、馬車引き。そんなに金と仕事が欲しいか? だったら、お前にうってつけの『奉公先』があるぜ」
ピーターは迷わず頷いた。「……ああ、このクソみたいな街で餓死するよりはマシだ」
男たちの返答は冷酷だった。 「いい返事だ。だが、お前を信用したわけじゃねえ」
次の瞬間、ピーターの頭に荒い布袋が被せられた。手足は素早く縄で縛り上げられ、彼は荷物のように馬車へと放り込まれた。
暗闇の中、ガタガタと揺れる振動と、次第に冷たく湿っていく空気。ピーターは恐怖を押し殺し、全神経を集中させて「どこへ向かっているのか」を感じ取ろうとした。最初は平地と感じているが、馬車の揺らぎが段々重く、山道に乗っている、ピーターはそう判断そした。
ようやく袋が剥ぎ取られたとき、ピーターは自分が巨大な廃棄鉱山の最深部にいることを悟った。
目の前には、似顔絵の対象となったバリーが立っていた。
「ここは……」ピーターはまだ馬車酔いのわけで、こめかみを揉め。
「ここがどこか、教える必要はねえ。今日からお前は、これから一ヶ月、ここで泥水をすすりながら我々のために働き、忠誠を証明してみせろ。もし生き延びて、俺たちが『信頼できる』と判断すれば……その時は自由な行動を許してやる」
ピーターは震える手を隠し、男の瞳を真っ直ぐに見つめ返した。 「……わかった。やってやるよ」
その同時に、グレイとイライアスは、ノックも忘れ、615室の扉を開け放った。
「課長!ピーターは拉致され、闇で尾行する刑事は追跡の途中でターゲットを見失だと聞いて、本当?」グレイは慌てたようすをして課長と曹長に問う。
「落ち着け。……無策で彼を送り出したわけではない」
曹長は懐から、淡い光を放つ小さな魔導羅針盤を取り出して、首都とそ「ピーターの服には、生地の色と同化させた『隠し追跡術式』を施してある。発動を抑えているから、並の魔導師では気づかん。」曹長は首都近畿の地図に羅針盤を載せた。その針は、一点をじっと指し示した、そしてある山で動きが止めた「反応は北、二十一区のさらに外だ。やはり、あの廃棄鉱山に運び込まれたようだな」
グレイが拳を解き、安堵と悔しさが混ざったような溜息をつきた。 「……あいつ、大丈夫か。これは、かなり予想外の事態から……」
「ピーターはタフだ。それに、御者としての処世術も心得ている。今は彼の合図と、内部からの情報を待つのが最善だ。だが、我々が指をくわえて待っている暇はない。ピーターが命を懸けて潜入している間に、我々は外側から奴らの喉元を締め上げるぞ。グレイ、イライアス、サラ。私と共に、残りの手がかりを洗う」
「でも、少しおかしくない?」サラは無口の状態を破れ「そなんにいい隠し場があったのに、なぜ公然の場に死体を置いたの?」
「……サラの言う通りだ」 イライアスが、黒板に貼られた被害者たちの写真を並べ替え始めた。
「五人の被害者には、魔力の強さは平均以上という点以外にはもう一つ、明確な共通点がある。 サマセット子爵の息子エドワード、政府機関の警備員、そして王立鉄道会社の用心棒……。彼らは全員、公家に協力し、生計を立てていた元守り人」曹長は被害者達のファイルをもう一度読みながら要点をまとめた。
グレイが眉をひそめ、吐き捨てるように言った。 「なるほどな。脅しというやつか。じゃ次きの狙いは?」「決まりだ。ピーターが鉱山で命を張っている間、我々はこの見せしめを阻止し、実行犯である『外科医』を捕らえる。そこから、このふざけた組織の首根っこを引きずり出してやる」曹長は強気で宣言をした。
万国工業博覧会の会場は、首都の一等地に建設された巨大なガラスのパビリオン「水晶宮」。そこには世界中から集められた最新の蒸気機械、紡績機、そして目玉展示である「最新式高速蒸気機関車・メアリ号(女王の君主名)」が鎮座していた。その横には、歯車と発条で精巧なダンスを踊る等身大の自動人形が展示され、貴族たちが扇子を片手に感嘆の声を上げていた。
その華やかな会場の片隅で、体に合わない窮屈なウエイターの制服を着たグレイが、シ銀の盆を片手に悪態をついていた、でもその挙動は意外に熟練。「……チッ。なんで俺がこんな格好でシャンパン配りをしなきゃならねえんだ」
隣で不器用な所作でグラスを配るイライアスが、小声でたしなめる。 「文句を言わない。会場が広すぎて警備の目が届かない以上、内部に入り込んで監視するしかない。……見で、あれが本日の主役たち」
その言葉に導かれるように、会場の視線が一箇所に集まった。
居並ぶ貴族たちと屈強な護衛の壁を割り、悠然と姿を現したのは女王メアリー三世、そして次代を担う第七王子オスカーである。
王子の若々しい輝きとは対照的に、女王の姿は異様だった。
この二十年間、彼女が毎日と同じな漆黒のドレスを着ている。顔を覆う重厚なベールまでもが夜の色に染まり、周囲の華やぎを吸い込むかのような静謐な威圧感を放っている。それは、何者をも寄せ付けぬ、孤独な闇の象徴だった。
冷徹なまでの威圧感を放つ女王の傍らで、第七王子オスカーは、その場に咲く大輪の花のように振る舞っていた。
仕立ての良い軍服に身を包んだ彼は、集まった野次馬たちへ気さくに手を振ってみせる。浮かべた微笑は完璧なまでに親しみやすく、民衆の熱狂を鮮やかに煽り立てた。
だが、トレイを運ぶイライアスの目は、その輝かしい貌に奇妙な違和感を捉えていた。
(……何だ? あの表情は)
それは、あまりに出来すぎた「偶像」のようだった。慈愛の裏側に、一滴の温度も通わぬ機械的な冷たさが混じっているような――。
「……気のせい、か」
イライアスは小さく頭を振り、自身の直感を雑念として隅へ追いやった。今は、この場に潜む敵に集中すべき時だ。
やがて王子と高官たちによる演説が始まり、万国工業博覧会の華々しい幕開けが宣言される。
「その通り、これは単なる連続殺人ではない。組織的な粛清であり、生き残っている他の守り人たちへの脅迫だ」
課長は、地図上の遺棄現場(公園や大通り)を指で叩いた。
「では、政府に手を貸す元守り人という線で、この近頃、もとも注意すべくのは来週で開催するニルフヘイヴン万国工業博覧会。当日、『王立蒸気鉄道』の保安局長、ウィリアム・L・マーティンソンは必ず顔を出す」
「あの元守り人で、蒸気機関車の導入に尽力した英雄か。確かに、いい標的になるかも、その身に宿す果実もそっと価値が持つ」ローレンス曹長が立ち上がり、スライド(拳銃)の装填を確認した。
壇上の熱っぽい言葉とは裏腹に、給仕に扮したグレイとイライアス、そして会場に散った刑事たちの間には、血管が焼き切れるような緊張が張り詰めていた。
だが、結局のところ――
期待された、あるいは恐れられた襲撃は起こらなかった。
万雷の拍手と祝砲が鳴り響く中、式典は何事もなかったかのように、平穏のうちにその幕を閉じたのである。
会場を後にした人々の波に紛れ、グレイは階段を降りながら大きくあくびを噛み殺した。張り詰めていた緊張が、退屈な疲れへと変わっていく。
「おい、油断するな。連中が狙うなら、警備の薄くなる帰り道が本命だ」
隣を歩くイライアスの低い警告に、グレイは「はいはい、分かってますよ」と生返事で応じる。
そこへ、警官の群れから離れた曹長が音もなく歩み寄り、二人に密命を告げた。
「計画通り、局長の蒸気車を尾行しろ。サラーは狙撃ポイントから援護に回っている」
「Yes, sir!」
二人の声が重なる。
三時間前よりも深まった霧は、まるで街そのものを飲み込もうとする巨大な綿菓子のように、街灯の光を白く濁らせていた。
異変は、ある静かな街角で起きた。
突如として、視界を焼き切るような翠緑の光が局長の車を照らし出す。刹那、硬い石畳が魔法の泥濘に沈むかのように口を開け、重量感のある車体が無様にのめり込んだ。
「罠だッ!」
グレイの叫びと同時に、二人は疾走する。
霧の奥から、闇を編んで作ったような黒マントの影が五つ、音もなく肉薄してきた。
だがその時、陥没した車から這い出したのは、悲鳴ではなく豪快な笑い声だった。
局長の手には、巨大な龍が彫り込まれた銀色の魔法銃が握られている。
「貴様ら、やっと来おったか! 一晩中待ちくたびれたぞ!」
戦闘は一瞬だった。
イライアスの剣が鋭い銀閃を描き、迫る敵の一人を一刀のもとに斬り伏せる。グレイは持ち前の瞬発力で戦場を縦横無尽に駆け、近隣の窓から、サラーが打った弾丸と共に、敵の退路を断つ壁となって局長を援護した。
局長が振るう魔法銃の威力は凄まじかった。咆哮のような銃声が響くたびに二人の刺客が崩れ落ち、最後の一人は組み伏せられ、鉄格子の中へと運ばれる運命となった。……はずだった。
「待て、様子がおかしい!」
拘束された男の顔から、急速に生気が失われていく。
事前の身体検査では毒薬一つ見つからなかった。しかし、男が不気味に口を歪めた瞬間、その舌の裏に刻まれた呪印が淡く発光した。
呪いが発動し、容疑者はその場で絶命する。
「くそ、舌の裏、そんな話、聞いたことがない!」
衆人は気が取れた際、霧の向こうへ逃げ去った残党の足音だけが、虚しく夜の街に消えていった。
ポリス・プラザの612室で、重苦しい沈黙が垂れ込めていた。
舌の下の呪印によって口を封じられた刺客。手がかりは死体と共に冷え切り、捜査は完全な袋小路に突き当たっていた。
その静寂を切り裂いたのは、荒々しく扉を蹴破るような報せだった。
「――国家安全保障局が動いた。場所は北の廃鉱山だ」
もたらされたのは、朗報ではなく最悪の知らせだった。
そこには、ピーターが潜入しているが、冷酷な情報機関は、軍の精鋭部隊を動員し、すでに廃鉱山の完全包囲を完了させていた。
「待ってください、まだピーターが中に……!」
グレイが叫ぶが、連絡員の声は氷のように冷たかった。
「局の判断は強襲だ。中の潜入員ごと、テロの拠点を根こそぎ粉砕する。一人の命を惜しんで国民の安全を及ばすわけにはいかないからな」
「奴等はどうやったこの情報が知った?」課長は事情に疑いを抱え。
「……あいつらが動く前に、俺たちが穴をあける」
イライアスが低く、だが抜き身の剣のような鋭い声で言った。
五課の面々に迷いはなかった。法も、軍の命令も、仲間の命を天秤にかける理由にはならない。
「何はともあれ、国安局から、助けないと命じられていない。故に、ここで汝等に命ずる、全員、我等の一員としてのピーターを救出、無事帰還。」
「Sir, Yes sir!」
二人の声が重なる。
三時間前よりも深まった霧は、まるで街そのものを飲み込もうとする巨大な綿菓子のように、街灯の光を白く濁らせていた。
異変は、ある静かな街角で起きた。
突如として、視界を焼き切るような翠緑の光が局長の車を照らし出す。刹那、硬い石畳が魔法の泥濘に沈むかのように口を開け、重量感のある車体が無様にのめり込んだ。
「罠だッ!」
グレイの叫びと同時に、二人は疾走する。
霧の奥から、闇を編んで作ったような黒マントの影が五つ、音もなく肉薄してきた。
だがその時、陥没した車から這い出したのは、悲鳴ではなく豪快な笑い声だった。
局長の手には、巨大な龍が彫り込まれた銀色の魔法銃が握られている。
「貴様ら、やっと来おったか! 一晩中待ちくたびれたぞ!」
戦闘は一瞬だった。
イライアスの剣が鋭い銀閃を描き、迫る敵の一人を一刀のもとに斬り伏せる。グレイは持ち前の瞬発力で戦場を縦横無尽に駆け、近隣の窓から、サラーが打った弾丸と共に、敵の退路を断つ壁となって局長を援護した。
局長が振るう魔法銃の威力は凄まじかった。咆哮のような銃声が響くたびに二人の刺客が崩れ落ち、最後の一人は組み伏せられ、鉄格子の中へと運ばれる運命となった。……はずだった。
「待て、様子がおかしい!」
拘束された男の顔から、急速に生気が失われていく。
事前の身体検査では毒薬一つ見つからなかった。しかし、男が不気味に口を歪めた瞬間、その舌の裏に刻まれた呪印が淡く発光した。
呪いが発動し、容疑者はその場で絶命する。
「くそ、舌の裏、そんな話、聞いたことがない!」
衆人は気が取れた際、霧の向こうへ逃げ去った残党の足音だけが、虚しく夜の街に消えていった。
ポリス・プラザの612室で、重苦しい沈黙が垂れ込めていた。
舌の下の呪印によって口を封じられた刺客。手がかりは死体と共に冷え切り、捜査は完全な袋小路に突き当たっていた。
その静寂を切り裂いたのは、荒々しく扉を蹴破るような報せだった。
「――国家安全保障局が動いた。場所は北の廃鉱山だ」
もたらされたのは、朗報ではなく最悪の知らせだった。
そこには、ピーターが潜入しているが、冷酷な情報機関は、軍の精鋭部隊を動員し、すでに廃鉱山の完全包囲を完了させていた。
「待ってください、まだピーターが中に……!」
グレイが叫ぶが、連絡員の声は氷のように冷たかった。
「局の判断は強襲だ。中の潜入員ごと、テロの拠点を根こそぎ粉砕する。一人の命を惜しんで国民の安全を及ばすわけにはいかないからな」
「奴等はどうやったこの情報が知った?」課長は事情に疑いを抱え。
「……あいつらが動く前に、俺たちが穴をあける」
イライアスが低く、だが抜き身の剣のような鋭い声で言った。
五課の面々に迷いはなかった。法も、軍の命令も、仲間の命を天秤にかける理由にはならない。
「何はともあれ、国安局から、助けないと命じられていない。故に、ここで汝等に命ずる、全員、我等の一員としてのピーターを救出、無事帰還。」
「Sir, Yes sir!」
二十一区外れにある廃棄鉱山は、この国最初で採掘可能な石炭と魔炭の鉱山である。十数年の放任にやがて、雑草が繁栄して、事故や病で死亡した鉱夫の共同墓地の亡骸が一部地上に露出、誰しもそんな風景を目撃してもさぞ悲嘆するのだろう。その代わりに、京畿を守護するはずの第一軍団と第二軍団は十重二十重に鉱山取り囲み、普段鉱山の景色と大違い。
軍が本格的な攻勢に出るわずか数分前。グレイ、イライアス、そしてサラーの三人は、闇に紛れて廃鉱山の深部へと滑り込んだ。
だが、潜入直後、鼓膜を震わせる轟音が響き渡った。
「くそっ、もう始めやがったか!」
グレイの罵声と共に、地響きが襲う。軍の情け容赦ない砲撃が外壁を叩き、唯一の出入り口だった坑道が無残に崩落した。退路は完全に断たれ、彼らは敵の巣窟であり、同時に「巨大な墓場」と化した地下迷宮に閉じ込められたのだ。
三人は迷路のように入り組んだ拠点の中を突き進む。そこには反乱分子たちが築き上げた、無骨な防衛設備が並んでいた。その最奥、土木作業を強制されていた男たちのなかに、目的の人物――ピーターの姿があった。
「……随分と手荒いお迎えだな」
土に汚れ、憔悴したピーターが、苦笑いを浮かべて仲間たちを見上げた。
「何で軍がここが知ってる、わかるか?前には戦争部からこの組織殲滅の令を受け取り、でも、遊撃戦でかなり苦戦したが?それに、なんであんなに急いで攻撃を始めたか?」
「お前の服に縫いた『位置情報の刻印』だよ。あいつらは、お前を救うためじゃなく、お前を目印にしてこの場所を消し飛ばすことに決めたんだ」グレイは周囲を観察しながら、ピーターに説明する「この奇襲の原因は、おそらく、警察にレジスタンス殲滅の手柄に横取りされたくないだろう。我々が最初ここを発見したなの」
イライアスの冷徹な説明に、ピーターは「はは、上にかなり愛されているな、俺」と自嘲気味に肩をすくめた。
外からは絶え間ない衝撃が伝わり、天井から砂埃が舞い落ちる、完全に行き詰まった。ピーターが不安げに尋ねる。
「……で、どうやってここを脱出するんだ? 穴掘りでもするのか?」
「いや、もっとスマートな方法だ」
グレイがニヤリと笑い、懐から数枚の紙束を取り出して振ってみせた。そこには、事前に膨大な魔力が注ぎ込まれた複雑な術式が、鈍い光を放ちながら刻まれていた。
「この術式札で、物理法則をちょっとばかり無視してやるよ。しっかり捕まってろ、振り落とされても知らねぞ!」
彼らの手に握られたのは、色ごとに異なる異能を封じた「術式札」だった。
赤は烈火の爆ぜる爆裂、青は土石をも動かす転移、そして黄は極限の熱源や寒気をもたらす温度変化。
「いいか、防衛作業を手伝うフリをして、札を仕込むぞ」
イライアスの合図で、四人は動き出す。事前に頭に叩き込んだ地理調査資料によれば、この鉱山を覆う硬質な花崗岩の地層を避け、脆い堆積層が露出しているポイントがある。そこが出口になるはずだ。
理論上、地盤の圧力バランスが集中する断層と、通風のための「中央換気竪坑」が交差する地点を叩けば、最小限の火薬で広範囲の崩落を誘発できる。だが、現場は変貌していた。
守り人と浪人たちの反乱軍は、既存の地図をあざ笑うかのように坑道を埋め戻し、新たなバイパスを無数に掘り進めていたのだ。計算上の「弱点」は、彼らが意図的に補強した「要塞」へと変わっていた。
「……地図と違うな。奴ら、岩盤の応力を計算して構造を書き換えてやがる」
イライアスが周囲の壁を指先でなぞる。石炭鉱山において最も脆弱なのは、実は「支柱」だ。重い天盤を支えるために残された石炭の柱。反乱軍はその支柱をあえて削り、代わりに鉄筋で不自然な補強を施していた。
「逆だ。奴らが補強していない場所――つまり、地下水の染み出しがある未調査の古い断層帯。そこが唯一の、計算が通じる弱点だ」
計算を調整して、作業が佳境に入ったその時、鋭い声が響いた。
「……貴様ら、そこで何をしている」
振り返れば、そこには見覚えのある顔があった。以前、捜査資料の似顔絵で見た反乱軍の幹部、バリーだ。
「工作員かッ! 出あえ!」
正体が露見し、狭い坑道は一瞬にして戦場へと変貌した。
火花を散らす剣戟、飛び交う魔法。その時、地上の軍隊が突撃を開始する鬨の声が、崩落の隙間から聞こえてきた。
「時間がねえ! どけよ、野郎ども!」
グレイが叫び、敵の包囲を強引に突破する。彼は地盤の最も薄い地点へと駆け寄り、残った赤の爆裂札を地面に叩きつけた。
「全員、伏せろおおおッ!」
凄まじい衝撃波が坑道を揺るがした。
緻密に計算された爆発は狙い通り地層を粉砕したが、至近距離で術を発動したグレイは、爆風の直撃を受け壁へと叩きつけられた。
「グレイ!」
イライアスが叫び、朦朧とした彼を抱え上げる。頭上の穴から差し込む月光を目指し、四人は崩れゆく鉱山から間一髪で這い出した。
軍が突入し、硝煙と土煙が引いた後の光景は、地獄を具現化したようだった。
反乱軍の抵抗を鎮圧した軍の足元には、奇妙な武器が転がっていた。
それは、かつて「外科医」と呼ばれた連続殺人鬼が、犠牲者の脳内から摘出した「魔力器官(魔法の果実)を埋め込んだ、悍ましい魔導兵装だった。
銃火器の製造が厳しく制限されているこの国で、彼らは鉄の技術の代わりに肉の魔術を選んだのだ。
「……五人。あの『外科医』が殺したとされる被害者は、それだけだったはずだ」
曹長が、押収された武器の山を見て顔を歪める。
一つの武器に一つの器官。現場に転がっているのは、五振りや十振りではない。
「おい、見てくれ……この刻印。通し番号が『103』を超えてやがる」
その場に居た者の背筋に戦慄が走った。
これまで世間に公表されていた五人の犠牲者は、氷山の一角に過ぎなかった。
闇に葬られた被害者は、すでに百人を超えている。そしてそれだけの果実を供給できる巨大な摘出施設が、どこかに存在することを示唆していた。
「銃が手に入らないから、人間を狩って武器を作った……というわけか」
グレイが負傷した腕を抑えながら沈痛な気持ちでぶつぶつと独り言。
数時間後、ポリス・プラの612室。
警察病院で負傷したグレイたちの報告を受け、五課の課長と曹長は、深夜の灯りの下で押収された資料を突き合わせていた。
「……やはり、ただの反乱軍ではないな」
曹長が苦々しく呟く。
「軍が強引に拠点を潰そうとしたのは、手柄を取ると共に、証拠隠滅のためか。あるいは、これ以上踏み込まれたくない場所があったのか。実に乱暴な手口」
課長は、窓の外に広がる霧の街を見つめ、静かに答えた。
「彼らの装備、前の自動人形暴走事件を考慮し、そして今回使われた術式のレベル……一組織が用意できるものではない。この国の中枢に、反乱軍を飼い慣らし、裏から糸を引く巨大な影がいる。……ピーターの救出は成功したが、本当の戦いはこれからだ」
二人の視線の先には、闇に沈む王宮のシルエットが、不気味に浮かび上がっていて、土砂降りも降り始めた。




