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濃霧の守り人 ~失業した魔物狩りたちは第五課の刑事になる~  作者: 朝飯の秋刀魚
特別編・過去編

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特別編・第二章 着港

「お前はいいのか、この探索に参加することでいいのか?先の説明会、お前はずっと不信の目でその人形を目つめていただろ」イライアスは二人の名前を書いたグレイに尋ねた。


「まあ、どう言えばいいかな。アルデーへイム卿やら、この屋敷にある人形やら、依頼自体さえも極めて胡散臭い。だが、それでも、俺は自分の好奇心に負けた。特に、あの依頼を持ちかけた連中が何を企んでいるのか、気になるんだ。それに……まあ、千ポンドもあるしな」


 イライアスは、相棒の安堵した笑みを見て、自分もほっとした。


「そうだな。何があっても、俺らは対応できるのだ」


 そして、二週間後、二人は蒸気空中艇に乗った。


「へえ、なんという絶景だ。雲の上を行く感覚は、うん、奇妙だな」イライアスは感心をした。彼とグレイは空中艇の客室からデッキへ出て、外の景色を眺めている。時折、突風が吹きつけ、前を開けたままの二人のコートを大きく膨らませた。その様子は、まるで風が二人を抱きしめているかのようだった。


「ええ、空中艇の中で…眺めてもよいぞ」グレイは震えながらイライアスに言った「ここは、寒っ!」


「おいおい、俺らはこれから極寒の大地で日々を過ごすのだ。これくらいの寒さで怖気づいてどうする?」


「だから、手紙にも厚手の服をたくさん用意すると書いてあったんじゃん。あゝ、もう知らん!」グレイは怯えた鹿のように、暖かい室内に戻っていた。


 イライアスはグレイの後を追って、空中艇の中に入ろうとした時、彼はデッキのもっと奥に、先日見かけた学者風の男は外の景色を眺めていた。イライアスはそっと近づき、相手に声をかけた。


「よ!あなたはこの探索隊についてきた考古学者の一人なのか?」


 その男は眉をひそめたが、イライアスの唐突な質問に答えた。


「いや。俺も元は守り人だ。今はニフランド大学で魔物学を学んでいる」


「へえ。じゃあ、今回の探索にもその知識を買われて参加したのか?」


「そうではないが、君には関係のないことだ」


 そして、彼は仏頂面のまま艇内に戻ろうとした。しかし、イライアスの横を通り過ぎるとき、彼は足を止め、イライアスの耳元に呟いた。


「今なら、まだ引き返せる」


「何が?」


 だが、相手はイライアスの反応を気にする様子もなく、続いて言った「山に入ってからでは、遅い」


 それで彼はこれ以上何も言わずに姿を消した。


「なんだよ、それ。変なやつ」


 個室に帰ったイライアスを見に、ベッドでグレイはにやにや聞く「お前、まさか迷ったのか?」


「そんなんじゃない。説明会、俺らより先着いた眼鏡野郎、覚えている?」


「うん、確かにそんな人がいたな……」


「そう。あやつ、さっき俺に『今ならまだ引き返せる。山に入ってからじゃ、もう遅い』って言ったんだ。」


「どういうこと?お前、なんの失礼なことを言ったか?」


「言っていない。考古学者なんかと聞いていただけだ……あやつ、もしかして俺たちのことを知ってるのか? いや、違う。事前に調べていたんだ!」


「自惚れるな!なんで一介の学者が俺たちを調べるんだ?」グレイは呆れたように言った。


「いや、一般の学者が軽々同行人を脅かす?少なくとも、あれは普通の参加者には見えなかった」


「うん、それも一理がるね」グレイも段々イライアスの考えを認める。


 二人はしばらく黙り込んだ。正式探険はまだ始まっていないが、それなのに、胸の奥には、いつの間にか小さな不安が残っていた。誰かに見られているような気がする。しかし、今回の探険に関するすべては、まるで濃霧に包まれているかのように、謎に満ちていた。


「あゝ、出鱈目な推測を続けでも無駄だ、イライ。今は…」


 ――ジジジッ。


 この時、グレイの話をさえぎったのは、部屋の上方の壁際に設置された拡声器からの雑音だ。


 二人が顔を上げる。


『参加者の皆様にお知らせいたします』機械じみた、感情のない声だった。


『本日、午後七時より晩餐会を開催いたします』


 イライアスとグレイは顔を見合わせた。


『本晩餐会は、今回の探索に参加する全員が出席する唯一の機会となります。参加者の皆様は、必ず七時丁度、食堂へお越しください』


 そこで一度、声が途切れた。


『繰り返します――』


「必ず?行かないなら、どうする?俺らをデッキから落とすか?」


「まあ、まあ、行けば、もっと情報がわかるんだろ」


 時計が七回鳴り、グレイとイライアスは下の階層にある宴会場を入って、そこには、数十人が会話している。


 宴会場の壁際には、白い頭巾で顔の大半を覆った男たちが立っていた。露出しているのは目元だけで、その表情を窺い知ることはできない。


「おい、あの人たちはなんだい?」イライアスはこっそり頭巾付けの人に指をした。


「多分ノルデンランド人だ」


「我が国の北の自治領?」


「そうだ。あそこは雪山が多いからな。雪の中で行動するために白い装束を使うのは、珍しいことじゃないんだ」


「彼らはまさにこの探険の監督者ですよ」サファイアの耳飾りがきらりと光った。ワイングラスを手にした婦人が、二人の会話に加わった。


「すみません、あなたは?」


「あゝ、失礼しました。Martha Collings(マーサ・コーリングス)と申します。気候学者です」


「気候学者? ここには考古学者しかいないと思っていたが……。それに、どうして『風を捕らえる者』が、あんな荒涼とした土地に足を踏み入れるんだ? あそこは風も強いだろうに」


「ハハ!ある意味では、君が言ったことが正しいです。でも、私のことはいいです。今宵は君に聞きたいです」


「俺たち?」


「ええ、あなたたち二人に」彼女はグレイのほうへ少し身を寄せ、声を潜めた「依頼主の正体に疑問を抱いているんでしょう?」


 グレイが何か言おうとしたとき、宴会場の奥から、チン、と澄んだ音が響いた。誰かがワイングラスをスプーンで叩いたのだ。


 ざわめいていた参加者たちが、次第に口を閉じていく。


「皆様、お席にお着きください」

 食堂車に置いた拡声器からよく通る声が宴会場に響いた。


 グレイの隣には、マーサが腰を下ろした。


「今夜、皆様にお集まりいただき、誠にありがとうございます。この場にお集まりの皆様は、各分野において優れた知識と経験をお持ちの方々です。今回の探険が実り多きものとなることを期待しております。それでは、晩餐会を始めさせていただきます。Bon appétit」


 拡声器からの人声は言い終わるが早いか、二人の前に料理を載せた銀の盆が差し出された。顔のない給仕人形が、音もなく皿を置いていく。長机のすべての席が寸分違わず同じように整えられている。その異様な統一感に、グレイは不気味さを覚えた。参加者たちも、それぞれの隣席にいた者と小声で会話を交わしていた。さらに奇妙だったのは、頭巾をかぶった監督者たちが、終始無言のまま、黙々と食事を続けていたことだった。


 しかし、マーサは先の会話を続けたい一方だ。


「だから、君たちも今回の依頼には不思議な点が多いと思いませんか?」


 マーサがそう尋ねると、グレイは小さく頷いた。


「確かに。実は俺たちも、あのアルデーへイム邸の購入記録を少し調べてみたんだ」


「購入記録、ですか?」


「ああ。メアリー二世女王の即位以来、国家機密に関わらない大規模な土地や邸宅の売買記録は、原則として公開されている。ところが、市庁舎で調べても、あの屋敷の取引記録は見つからなかった」


 グレイは手元のグラスを傾け、わずかに眉を寄せた。


「もちろん、古い記録が欠けている可能性もある。だが、あれほどの屋敷だ。何の記録も残っていないというのは、どうにも妙だろう?」


「なるほど……。つまり、あの屋敷が誰の手に渡ったのかさえ、分からないということですね」


「そういうことだ。そもそも、三十年も前に途絶えた家の名を使って、どうして今さら探険隊を集める必要がある?」


 マーサはすぐには答えず、しばらく考え込むようにワイングラスを見つめていた。


「……ますます興味深い話ですね」


「でも、マーサさんは、やっぱり天気だけでこの探索に参加するんだろ」


「そうですね……」


 イライアスとマーサが話を弾ませている間、会話をする時、は何気なく周囲を見回して、ふっとテーブルの向こう側に座る男に目を留めた。


 説明会のとき、ほかの参加者をよそに黙々と本を読んでいた、あの眼鏡の男だ。しかし、グレイの視線に気づいたのか、男は目が合う直前に、さりげなく視線を逸らした。


 ――気のせいか?


 グレイはしばらく男の様子を窺っていたが、それ以上の変化はなかった。


 晩餐会の間、マーサ・コリングスは気候について語った。彼女は、ただ気候だけを研究しているわけではなかった。マーナの分布や変動にも関心を持ち、両者の間に何らかの関係があるのではないかと考えていた。彼女の話によれば、近い将来、長期的な寒冷化――いわゆる小氷期が訪れる可能性があるという。今回の旅も、その仮説を確かめるためのものだった。白色荒原の気候とマーナの流れを自分の目で観測し、これから起こりうる変化の手がかりを得たいのだという。


 その話を聞きながら、グレイは窓の外に目を向けた。厚い雲に覆われた空の向こうには、いったいどんな土地が広がっているのだろう。





 三日後の朝


[おい、グレイ。起きろ、着いたぞ!」


 イライアスの声に、グレイは重いまぶたをこじ開けた。


「……もう着いたのか?」

「ああ。ほら、外を見てみろ」


 この三日間、空はずっと厚い雲に覆われていた。窓の外に見えるのは、灰色の空と、その下に広がる白い雲ばかり。今日は時折雲が切れ、薄日が差すものの、遠くの景色はほとんど見えなかった。


「何も見えないじゃないか」


「いや、あそこだ!」


 イライアスが指さした先で、雲の切れ間から、何かがぼんやりと姿を現した。


 最初に見えたのは、海に突き出した埠頭の一部だった。


 空中艇が高度を下げるにつれ、白く凍りついた建物や、岸壁に沿って並ぶ倉庫の輪郭が、少しずつはっきりしていく。


 やがて、空中艇は港に着いた。


 グレイとイライアスは、ほかの探険隊員たちに続いて空中艇を降りた。二人はすでに厚手の防寒着を身につけていたが、外に出た瞬間、不意に風が吹き抜けた。頭上を覆っていた雲が流れ、陽光が港町を照らし出す。


 氷に覆われた建物の壁や屋根が、一斉に光を反射した。無数の光の粒がきらめき、まるでダイヤモンドがこぼれ落ちたかのようだった。


 グレイは思わず息を呑んだ。


「……ここ、本当に人の住んでいない土地なのか?」


 出発前に想像していたのは、せいぜい小さな仮設港だった。凍りついた岸壁と、最低限の倉庫、それに探険隊を送り出すための簡素な施設。それくらいのものだと思っていた。しかし、目の前に広がっていたのは、それとはまるで違う光景だった。港の周囲には建物が立ち並び、荷を積んだ荷車が行き交っている。防寒着に身を包んだ人々が忙しそうに歩き回り、埠頭では作業員たちが貨物の積み下ろしに追われていた。通りの向こうには酒場や食堂まで見える。規模こそ小さいものの、そこには確かに、一つの町と呼べるだけの営みがあった。


 グレイは、しばらくその光景から目を離せなかった。


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