特別編・第一章 依頼
これは、グレイとイライアスがまだ守り人だった頃――刑事になる十年前の物語である。
今日のグレイの機嫌は非常に良かった。彼はやっと、相棒であるイライアスと共同のアパートを買った。一般的に、血縁関係や婚姻関係のない二人が共同で家を所有することは認められていなかった。だが、新たな法案で、二人は自分の家を持つことができる。
無論、守り人の世界では、男性の数は圧倒的に多い。そのため、男同士の相棒が共同生活をすることは珍しくなかった。しかし、世間の目を気にしている者は同じく男性である相棒と共同のアパートを持つのが嫌がり、あるいは独りのmy homeが欲しいものもいる。
だが、グレイは全くそれを気にせずに、二人の貯金が、目をつけていたアパートの頭金に達したその朝、彼はまだ寝坊しているイライアスをベッドから引っ張り出し、真っ直ぐに銀行に行って、手続きを済ました。
そして、その日の夜。グレイは同じく守り人であるアイセックとブロドリックを呼んだ。二人の新居の中、四人は盃を交わし、グレイが作った料理を貪り食べている。
「おい、お前らはこれで引退するの?俺、寂しくなるぞ。ゲー」ブロドリックは四杯目のワインを飲み干し、しゃっくりが出た。
「そんな、まだローンがあるし。むしろ、これまで以上に働かなきゃならない。」
「ええ、じゃ、俺らは何の為に祝っているの?」
「新居購入の件に決まっているんだろ。もういい、お前はずいぶん飲んだ」グレイはブロドリックからワイングラスを奪った。
イライアスとアイセックは既に床で熟睡している。
「獣かい?こいつら」とグレイは文句を言いながら、部屋を片付けた。
翌朝
「うん…」激しい頭痛で目を覚ました、ブロドリックとアイセックは既に出ていて、イライアスはまだベッドで寝ている。
その時、グレイは玄関の前に一枚の紫色の封筒が置かれていることに気付いた。グレイは目を擦った。まだ酒が残っていて、幻でも見ているのかと思った。だが、それは紛れもない現実だった。
彼は封筒を拾い、好奇心に駆られて、すぐに封を切り、中身を見ていた。
上品な紙で、明らかにタイプライターで打たれた文字が並んでいた。
『イライアス・カーデンとグレイ・スタリングへ、
勇敢なる守り人たち、
真白な雪に覆われた大地、
千年の遺産が眠っておる。
我が導きのもと、
汝等は失われた真実へ辿り着けるだろう。
このような冒険と一人当たり一千ポンドの報酬に興味があるならば、十日後の正午丁度、この招待状を持って、Alderheim Estateへお越しいただきたい。
Lord Alderheim』
「へえ、面白いものを拾ったね」いつの間に起きていたイライアスはグレイに話をかけた。
「あゝ!」グレイは突然現れた相棒兼同居人に驚いた「何回も言った。こうやって人を驚かせない。でも、確かに意外な展開だ」
「ふん。Lord Alderheim(アルデーへイム卿)か、奇妙だな」イライアスは思わずに渋面を作った。
「どこが変だ?」
「噂によると、三十年前ほどだったか。アルデーへイム卿一家は悲惨な船事故で全員がくたばった。その後、その一家の親戚も見つからず、アルデーへイムの爵位は廃された。だが、その地所は残された」
「じゃ、このアルデーへイム卿は…」
「偽名だ。実際のアルデーへイム卿は既に存在しないから、ギリギリ貴族身分偽造罪を避けた」
「へえ。じゃ、やはりこの依頼はなしとする?」
「まさか」イライアスは口角を上げた。彼は酒酔いの顔を捨て、守り人と剣士として自信満々に笑いを出した「俺ら合わせて二千ポンドの仕事、安易に見逃すわけにはいかないだ。たとえ地獄に行くと言われても、試す価値はある!」
そして、時は十日後。二人はAlderheim Estateの正門の前で佇む。しかし、この地所はまさに三十年ほど放置されていた屋敷に見える――藤蔓は下肢静脈瘤患者の血管のように屋敷の壁面を覆っていて、地面の石板は大半割れている、噴水も当然のこと壊れていたが、その中には一木が健やかに育っている。この衰退感にふさわしく、濃霧が立ち込めていた。
二人は次にどうすればいいと迷っているうちに、霧の中から執事のような四十代の男性が現れた。彼は古いものの、上品なスーツを着ていて、イライアスとグレイに近寄った。
「イライアス・カーデン様とグレイ・スタリング様でございますか?」
グレイはその執事の牛乳のように真っ白な顔を見つめて、答えた。
「は、はい」
「では、招待状はお持ちでしょうか?」
「これです」
「はい、確認します」執事は招待状を目の近くまで持ち上げて、細かくチェックした。そして、突然、口を大きく開いた。次の瞬間、招待状をそのまま口の中へ放り込んだ。紙は瞬く間に丸められ、執事はそれを何のためらいもなく飲み込んだ。二人は呆然とその光景を見つめた。
「はい、イライアス・カーデン様とグレイ・スタリング様と確認いたしました。どうぞ入りくださいませ」その声に応じるように、錆びついた蝶番が軋んだ。重い扉が、ゆっくりと開いていく。
そして、グレイは本館へ向かい途中、ふと足を止め、振り返った。彼は先ほどの執事を凝視して、それで事情を一瞬理解した。
「なんだ?」イライアスは相棒の反応が気に掛かった。
「あれ、人間ではない。自動人形だ!」グレイは叫んだ。
重厚な扉はガンと閉じ、目に入るのは埃が満ちた広間。水晶のシャンデリアは、いつから落ちたのかも分からないまま、大理石の床に横たわっていた。蜘蛛の巣は欄干と壁を覆って、そして細い糸がシャンデリアから天井まで伸びていた。その乱雑な光景の中、左手の廊下の入口には、もう一体の自動人形らしきものが立っていた。
「お客様、こちらへどうぞ」メイド姿の人形はグレイたちを廊下へ案内した。
二人は何も言わずにその廊下へ足を踏み入れた。
先の広間と同様、廊下は大分散らかっているが、その雑然とした様子を除けば、かなり立派な造りだった。隣国の帝国の王宮を真似して作られたのはこの「鏡廊」。壁一面に貴重な鏡が張り巡らされていて、鏡の前に立つ者の姿を、様々な形に歪めて映し出す。そこに立つ観者はきっと自分の複数の変形に戸惑うだろ。
「グレイ、お前はピエロになったぜ」
「ちぇ、お前は乞食になった」
二人は相手の鏡中の姿を指差しながら、前へ進んでいく。
廊下の先には、扉の開いた部屋があった。そこには自動人形が立っていないが、他の部屋には鎖がかけられているのに、そこだけは開いていた。その部屋こそが目的地のことは一目瞭然である。
部屋の中には三人がいる。そのうちカップルに見える二人は身を寄せ合いながら小声で言葉を交わし、楕円形の長机の真ん中の席に座っている。もう一人は、眼鏡をかけた、いかにも学者風の二十代後半ほどの男だった。彼は卓の奥の席で本を読んでいて、まるで二人の存在など意に介していないようだった。
グレイたちの足音を聞いて、その学者らしき人物はただ顔をあげ、彼らに一瞥をして、再び本へ視線を落とした。カップルの二人も完全に彼らを無視して、グレイとイライアスは無言のまま適当に席を選んで座った。
それから十分ほどの間に、三十人ぐらいが相次いで部屋に入って、それぞれがいくつかのグループに分かれ、部屋の中はガヤガヤと賑やかな声が響いていた。
突然、カーテンは自動的に閉じて、部屋は暗くなって。この突然の変化に、それまで騒がしかった室内は静まり返った。同時に、何らかの機構が作動する音が響き、そして楕円形の長机の中央へ、天井から一筋の光が差し込んだ。照らし出された場所に、いつの間にか一体の小型人形のようなものが立っていた。
「皆様、お待たせしました」人形から声が上がった「我々は五十通の招待状を出しました。しかし、本日こちらへお越しになった方は」人形は体を回し、人数を数え始める。その大きな瞳と金髪の愛らしい姿と、冷徹で無感情な声との落差は、あまりにも大きかった「…三十三名でございます」
「これより、今回の探索についてご説明いたします。招待状をお読みになった皆様は、恐らく依頼の目的地を察していることでしょう。そう、答えはThe White Expanse (ザ・ホワイト・エクスパンス)。前年、ニフランド大学のある教授が、十年にわたる各地での考古学調査の末、ある事実を突き止めましたー我々が白き大地と呼ぶ場所は、かつてはSågaard王国の領土であり、今回の探索は、まさにその王国に残された遺物を発掘するためのものです――」
人形はそこでいったん言葉を切った。そして、自らを乗せていた長机の中央部から降りると、その腹部を開いた。内部から一枚の羊皮紙を取り出すと、身体を屈め、先ほどせり上がってきた金属製の円盤の上に羊皮紙を置いた。すると、円盤が淡い光を帯びる。羊皮紙の上に幾何学模様の魔法陣が浮かび上がり、その中央に置かれた小さな水晶が、ゆっくりと宙へ浮かんだ。次の瞬間、羊皮紙に描かれていた地図が淡い光となって空中へ広がった。長机の上、皆の頭上に、北方の大地が巨大な立体地図となって浮かび上がる。
「この探索に参加する方々は、蒸気空中艇で白き大地唯一の港に着きます。だが、そのあとはマーナの流れに異常が多発、皆様の安全のため、大地を渡るには魔犬ぞりで移動します。なお、我々はまだSågaard王国の遺宝の具体的な場所は把握しておりません。ただ、伝説によると、王国が千年前の災厄に見舞われた際、王家は一部の財宝を海に近い山中へ隠したとされています。しかし、それが事実であるという確証はありません。だからこそ、皆様の力をお借りするのです」
人形は説明を終えると、投影装置を閉じた。頭上に浮かんでいた地図が消え、同時にカーテンもゆっくりと開いていく。
「続けて、探険の途中の注意事項をお伝えいたします。
一、遺宝発見の報酬は一人あたり一千ポンドとなります。探索に失敗した場合、報酬は支払われません。ただし、基本的な日当として、一日一ポンドを支給いたします(でも、最高総額は100ポンド);
二、四人の守り人を一組とし、各組に一名の監督者が同行します。遺物を発見した場合は、必ず監督者へ提出してください。無断で遺物を隠匿したことが発覚した場合、報酬は取り消され、直ちに国に送還します。その上、今回の探索に要した費用を請求する場合があります。是非ご注意ください;
三、皆様の生死について、こちらは一切の責任を負いません。未知の大地での探索となります。参加されるか否かは、十分にお考えの上で決定してください。
注意事項は以上です。これより、質問を受け付けます」
説明が終わると、部屋のあちこちからざわめきが起こった。誰もが隣の者と顔を見合わせ、今回の依頼について言葉を交わしている。
やがて、その中からグレイが手を挙げた。
「すみません。そもそも、依頼人であるアルデーへイム卿とは、いったい何者なんですか? 実在する人物ではないらしいですが」
しかし、人形から返ってきたのは、グレイが求めていた答えとはまったく異なるものだった。
「申し訳ございません。依頼人に関する情報については、一切お答えできません」
グレイの質問を皮切りに、次々と手が上がった。
「なぜ、我々守り人を集めたのですか?」
「遺宝について、現在までに何か手がかりは?」
「白き大地での危険性について、もう少し詳しく教えてほしい」
人形はいずれの質問にも、淡々と答えていった。
しかし、依頼人の正体や遺宝に関する具体的な情報については、最後まで口を閉ざした。
「――本日の説明は以上となります」
人形はそう告げると、長机の中央にある円盤へ向き直った。
「今回の探索に参加する意思のある守り人の方は、退出後、玄関付近に設置された記録台へお越しください。備え付けの名簿に氏名をご記入いただいた時点で、参加の意思を確認したものといたします。出発当日の集合場所および時刻については、後日、書面にてお知らせいたします。
それでは――」
そこで、人形の声が途切れた。ぴたり、と。まるで誰かに糸を切られた人形のように、その身体から一切の動きが消えた。開いていた瞳も、動かない。口も閉じない。ただ、そこに立っている。
「……終わった、のか?」
誰かが呟いたが、返事はなかった。
先ほどまであれほど流暢に喋っていた人形は、まるで最初から魂など宿っていなかったかのように、完全に沈黙していた。
しばらくして、部屋のあちこちから椅子を引く音が聞こえ始めた。参加者たちはそれぞれ席を立ち、互いに顔を見合わせながら部屋を出ていく。
グレイとイライアスも、その流れに続いて部屋を出た。廊下を抜け、玄関ホールへ戻る。
そこで二人は、先ほどまでなかったものに気づいた。玄関脇に置かれた、一台の小さな鉄製の台車。その上には、一冊の分厚い名簿と、一本のペンが置かれていた。
すでに何人かがその前に並んでいる。
「……どうする?」
イライアスがグレイに尋ねた。
それから、グレイはゆっくりとペンに手を伸ばした。




