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濃霧の守り人 ~失業した魔物狩りたちは第五課の刑事になる~  作者: 朝飯の秋刀魚
第四部 異国編

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第三十五章 宴会

 州長邸――いや、正確に言えば、現任州長の私的な住居は、カラン南郊の荘園にあった。


 グレイたちがこの町へ入ってきた方角とは、ほぼ逆方向である。


 州長の名は、マイリック・ヴィンセント・ドイル三世。文書や公の場では Governor Doyle(ドイル州長)、または Myrick V. Doyle III と記される。だが、親しい者だけは彼を ヴィンセントと呼んだ。


 ドイルはカーペンター大統領と同じ解放党に属している、それに奴隷制度の廃止と南部復興の二つの政策には大歓迎だ。が、それ以外の政治方針は、両者はほぼ相容れない。彼は州の自治を重んじ、連邦政府の過度な介入を嫌がっている。軍による治安維持にも、中央主導の鉄道復興にも、内心では強い警戒心を抱いている。しかし、カーラン州の経済は、内戦末期の終戦場として、崩壊の寸前とも言える。故に、どんなんに心ならずも、連邦中央政府の資金を頼らざるおえないのだ。


 本来なら、ドイルはこの大統領歓迎会兼ねて終戦一周年記念晩餐会なんか開くつもりはなかった。


 旧州長邸は戦中に焼け落ち、州庁舎もまだ完全には復旧していない。州都カランの市街には、瓦礫と焦げた石壁が残っている。そのような時に、郊外の私邸で華やかな宴を開くこと自体、彼には気が進まなかった。


 だが、側近たちは別の意見だった。


 今の有権者が見たがっているのは、党内対立は極力避けるべし。大統領と州長が同じ食卓につき、握手し、戦争の終わりと復興の始まりを示す場面である。新聞の一面に、大統領とドイル 州長が並ぶ写真が載れば、少なくとも世論の受けは悪くない。


「自分の歓迎晩餐会にまで遅れるとは、あの大統領は相変わらず自己中心だな』


 ドイルは嫌気が差した。


「焦らないで、ヴィンセント」 州長夫人が、背後から静かに言った。


「感情を顔に出してはいけません。今夜、記者たちが見たいのは、あなたと大統領の不仲ではありません。和睦の場面です」


「分かっている」 ドイルは氷を浮かべたバーボンを一口飲んだ、そして飲み干した酒盃を隣の給仕人の銀盆に置いた。


  「だからこそ、腹立つのだ」


 その時、門の方で馬車の音がした。


 州兵の一人が姿勢を正し、連邦兵たちが無言で列を整える。記者たちは一斉にマグネシウム閃光灯の準備を始めた。


「来たようですね」


 州長夫人が言った。


 ドイルは表情を整えた。


 数秒前まで苛立っていた男の顔は、すでに州長の顔になっていた。


 大統領の一行が、灯りに照らされた荘園の門をくぐって入ってきた。


 そのころ、グレイたちはすでに主館の応接室に通され、晩餐前の立席レセプションに加わっていた。


「大統領が来たのか?」


 外の騒ぎを聞きつけ、サムはつま先立ちになり、人々の頭越しに玄関の方を見やった。

「あそこだ」


 イライアスが小声で言った。


 先頭の馬車には、連邦旗が小さく掲げられていた。大きな音楽も、派手な歓声もない。ただ、車輪の音と、馬の鼻息と、記者たちが場所を取り合うざわめきだけが、夜気を揺らしている。


 扉が開き、ベネディクト・カーペンター大統領が姿を現した。


 彼は周囲を一度だけ見回し、それからゆっくりとドイル州長の方へ歩いてきた。


 ドイルもまた、階段を下りた。


 二人の男は、屋敷の玄関前で向かい合った。


 一瞬だけ、どちらも手を出さなかった。その一瞬を、グレイは見逃さなかった。


 だが次の一秒、ドイルは笑みを作り、右手を差し出した。


「ようこそ、カランへ。大統領閣下」


「招きに感謝する、ドイル州長」


 二人の手が握られた途端、マグネシウム閃光灯が白く弾けた。


「大統領閣下、こちらへどうぞ」


 大統領、州長、その随員、黒服の護衛たちは、一団となって主館の広間へ向かった。歩きながら、彼らは穏やかに言葉を交わしている。だが、その穏やかさは、どこか作られたものに見えた。


 広間には、晩餐前の挨拶のために小さな壇が設けられていた。


 黒い金属円盤のような魔導拡音器の前に立つと、ドイル州長は客席へ向かって両手を広げた。


「皆さま。偉大なる戦争の英雄であり、我らが共和国を導くベネディクト・カーペンター大統領を、ここカランにお迎えできることを、心より光栄に思います」


 観衆から大きな拍手が起こった。


 大統領はゆっくりと片手を上げ、その拍手に応えた。それから魔導拡音器の前に立ち、演説を始めた。


 彼は戦争で失われたもの、南部に残された傷、復興に必要な忍耐とこの国をもう一度一つに戻すという決意を語った。


 言葉は力強かった。だが、広間にいる全員がその言葉を信じているわけではないことも、グレイには分かった。


 その演説の途中だった。


「グレイ」


 サムが、ほとんど唇だけを動かして言った。


「壇の脇にいる士官学校の 候補(カデット)の一人、少し変じゃないか」


 グレイは視線だけを動かした。


 壇の脇には、戦後新設された訓練キャンプの若い士官候補生たちが並んでいた。新しい南部の忠誠と秩序を示すために、晩餐会へ招かれた者たちである。制服は新しく、靴もまだ硬そうだった。


「変とは?」


「一番右の 候補 だ。見た目は平然としている。でも、目が違う」


 サムは、観衆の拍手に紛れるほど小さな声で続けた。


「大統領を見ていない。距離と、護衛と、出口を見ている。盗人が逃げ道を測る時の目だ。それに、さっきから腹のあたりを気にしている」


「腹部だと?」


 グレイの声が低くなった。


「まさか」


 彼は袖口を整えるふりをして、細く絞った探知魔法を放った。


 反応はすぐに返ってきた。


 候補生の腹部。


 ごく弱いが、規則的なマーナの脈動がある。


 病気ではないみたい。護符でもない。体内に隠された、何らかの起動核だった。


 グレイは表情を変えなかった。


「イライアス。サム。騒ぐな」


 そう言うと、彼は懐から大統領府印章の刻まれた懐中時計を取り出した。


 壇の近くには、列車襲撃の時にも大統領を守っていた連邦護衛の一人がいた。グレイは人混みを抜け、その護衛へ近づく。


 護衛は最初、彼を制止しようとした。だが、懐中時計を見ると、目の色を変えた。


「あなたは、列車の時の」


「大声を出さないでください」


 グレイは小さく言った。


「壇の右側、三人目の候補生 です。衣服ではありません。腹部の内側に、マーナ反応があります。大統領へ近づけてはいけない」


 護衛の表情は一瞬だけ硬くなった。


 しかし、彼はすぐに頷いた。


 短い合図が交わされ、二人の護衛がさりげなく壇の脇へ動いた。さらにもう一人、魔導医官らしい男が呼ばれる。彼らも短い探知を行い、グレイの言葉を確認した。


 その間も、大統領の演説は続いていた。


「我々はこの国の傷を素早かに癒せなけばなりません」


 カーペンターの声が、魔導拡音器を通して広間に響いた。


「勝者が敗者を踏みにじるためではない。敗者が憎しみに戻るためでもない。この共和国を、もう一度、共和国として立たせるために」


 観衆の視線は、大統領に向けられていた。


 その隙に、護衛の一人が小さな硝子瓶を取り出した。


 瓶の中には、淡い青の羽を持つ蝶のようなものが一匹、ゆっくりと舞っていた。緊張に満ちた広間の空気とは不釣り合いなほど、優雅な動きだった。


「これは南の国の森林で取られた睡眠胡蝶。その名前の通り、羽を張ってば、生物の眠らせる粉末を配る」


「では、私も手伝いましょう」グレイは護衛の発言を聞き、進言をした。


「もしくは、彼はその術を知らなくて、それにこの事件の真犯人はこの場に行ったら、蝶々が彼を眠らせた時点で爆発の術を発動するだろう。私が見えないバリアで彼を外の影響を遮断することができる」グレイはそう言いながら、ポケットから数枚の魔導紙を出し、術式を描き始めた。


 護衛は頷き、グレイの準備が済んだ途端、蓋をわずかに開ける。


 蝶は音もなく外へ出た。


 それは灯りに誘われる虫のように、ふわりと壇の脇へ飛んでいった。誰も気に留めない。晩餐会の広間に、小さな虫が三匹紛れ込んだようにしか見えなかった。


 蝶々は問題の候補の頭上を一度回った。


 候補生 がそれに気づき、鬱陶しそうに手で払おうとした。


 その瞬間、蝶の羽から、ほとんど見えない粉が散った。


 候補生の動きが止まった。


 目の焦点がわずかに揺らぎ、膝が崩れる。だが、倒れ込むより早く、左右から護衛が彼を支えた。


「具合が悪いようだ」


 護衛の一人が、周囲へ聞こえる程度の声で言った。


「医務室へ」


 それだけだった。


 数人の客が一瞬だけ振り返ったが、すぐに大統領の演説へ視線を戻した。ドイル家の執事は楽団に合図を送り、控えめな弦楽の音が広間を満たす。記者たちは、なおも大統領の横顔を写すことに夢中だった。


 候補 は、まるで緊張で気を失った若者のように、静かに広間から運び出された。


 扉が閉まる。


 暗殺未遂は、音もなく片づけられた。


 グレイはしばらく、その扉を見つめていた。


 広間では、演説が終わり、拍手が起こっている。


 人々は笑い、手を叩き、記者たちはマグネシウム閃光灯を光らせ続けていた。


 表向きには、何も起きていない。


 だがグレイたちは知っていた。


 ほんの数分前、この広間の中央で、大統領は死にかけていた。


 戦争は終わった。


 少なくとも、この国の新聞はそう書くだろう。


 だが、今夜この場にいた者たちの笑顔の下には、まだ消えていない火種があった。南部の傷も、連邦への怒りも、復興への不信も、終わったことにされているだけで、まだこの広間の中に息づいている。


 グレイは、そのことを初めてはっきりと理解した。




 

 晩餐の席で、警官三人は臨時に設えられた「外国復興作業員来賓席(Distinguished Guests of Foreign Reconstruction Helpers Table)」へ案内された。


 主賓席からは離れていたが、食堂全体を見渡せる位置だった。


 銀器はところどころ揃っておらず、皿の模様も一致していない。給仕の動きにも、借り物めいた硬さがあった。


 それでも、白い食卓布、燭台の火、磨かれたグラスは、屋敷がまだ客を迎える力を失っていないことを示していた。


 料理は一皿ずつ運ばれた。澄んだ牛肉のコンソメ、川魚のバター焼き、ローストビーフ、蜜を塗ったハム、コーンブレッド、ジャガイモ、青菜の煮込み。最後にはアップルパイとパウンドケーキが出された。


「美味い。これは美味いぞ」


 サムは遠慮なく料理に手を伸ばした。


「おい、みっともないぞ」


 グレイが小声で注意したが、広間のざわめきとグラスの音に半分かき消された。


「いいじゃないか。俺たちは下座だ。誰も見ていない」


「見ている」


 イライアスが言った。


「少なくとも、あそこの新聞記者は見ている」


 サムは一瞬だけ手を止めたが、すぐに何事もなかったようにハムを口へ運んだ。


「なら、ニフランド警察は食欲旺盛だと書かせておけ」


 グレイはため息をついた。


 だが、彼も食事に手をつけた。朝からの移動、列車襲撃、運搬作業、そして先ほどの暗殺未遂で、体は思った以上に疲れていた。


 主賓席では、カーペンター大統領とドイル州長が並んで座っていた。二人は時折言葉を交わし、記者が近づくたびに、穏やかな表情を作った。


 その少し離れた席には、元南部盟約軍のアーサー・ベレフォード将軍がいた。彼が杯を持ち上げるたび、周囲の何人かは笑みを作る。


 だが、その笑みは硬かった。


 許したわけではない。忘れたわけでもない。ただ、今夜だけは忘れたふりをしている。


「嫌な部屋だな」


 イライアスがぽつりと言った。


「美味い飯が出る部屋にしては、空気が重い」


「宴会というより、証拠作りだ」


 グレイは答えた。


「戦争は終わった。南部は連邦に戻った。州長と大統領は同じ食卓についた。明日の新聞は、そう書くだろう」


「実際は?」


 サムが尋ねた。


 グレイは答えなかった。


 答えるまでもなかった。


 ほんの少し前、この同じ屋敷で、大統領は死にかけていた。


 晩餐は予定どおり進み、乾杯が行われ、短い祝辞が交わされた。記者たちは、握手と笑顔と白いテーブルクロスを写し取っていく。


 やがて客の大半が去ったころ、黒服の連邦護衛が三人の席へ近づいてきた。


「失礼。大統領閣下がお呼びです」


 案内されたのは、食堂ではなく、主館の奥にある小さな書斎だった。壁には戦前のカランを描いた油絵が掛かっている。


 その絵の中の町は、まだ焼けていなかった。


 カーペンター大統領は、暖炉の前に立っていた。そばには数人の護衛だけがいる。


「来てくれてありがとう」


 大統領は振り返った。


「特別護衛の者たちから聞いた。今夜、君たちは私の命を救ったそうだ」


「我々は、怪しいものを見つけただけです」


 グレイは答えた。


「実際に動いたのは、閣下の護衛の方々です」


「そう言うだろうと思った」


 カーペンターは苦く笑った。


「だが、最初に気づいた者がいなければ、護衛は動けない」


 彼はグレイの外套に目を向けた。


「あの懐中時計は、そのまま持っていてくれ」


「よろしいのですか」


「あれはもう、ただの招待の印としてはない。私が君を信用しているという印だ」


 大統領が目で合図すると、護衛の一人が三つの封筒を運んできた。封蝋には President’s Office Seal が押されている。


「大統領府通行証書だ」


 カーペンターは言った。


「君たち三名が復興支援任務に従事している間、連邦駐屯所、鉄道駅、復興局事務所、電報室は、可能な範囲で協力するよう記してある。まあ、君たちがそれを悪用しないと信じでいる」


 サムの目がわずかに変わった。


 ただの礼品ではない。扉を開けるための道具だった。


「合衆国軍を指揮する権限はない。だが、役人に門前払いをさせない程度の力はある」


 三人は封筒を受け取った。


「ありがとうございます」


 グレイは言った。


「ただ、我々をあまり大きく扱わない方がよろしいかと」


「分かっている」


 カーペンターは頷いた。


「君たちを新聞の見出しにするつもりはない。今夜、世間が知るべきことは、ドイル州長と私が同じ食卓についたということだけだ」


「そして、暗殺未遂はなかったことになる」


 サムが低く言った。


「なかったことにはならん」


 大統領は静かに答えた。


「ただ、公には語られないだけだ。幸い、その候補生は死なずに済んだ。我々の凄腕の医師と術式が彼を隔離させ、その爆発の術を解いた。でも、彼の証言で、昨日は酒場で気絶し、今朝で起きたら凄い腹痛があったと。まあ、その証言は本当のことなら」


 部屋に沈黙が落ちた。


「明日には、この町を発つのだろう?」


「おそらくは」


 グレイは答えた。


「復興鉄道の先へ向かうことになると思います」


「なら、その証書は役に立つ」


 カーペンターは窓の外へ目を向けた。


「カランは傷口だ。だが、傷の中心ではない。もっと南へ、もっと西へ行けば、君たちはこの国がまだ何と戦っているのかを見ることになる」


 その言葉は、礼というより警告に近かった。


 三人がドイル邸を出るころには、夜気は冷えていた。


 遠くには、カランの灯りが見えた。だが、その灯りは崩れた屋根と黒い煙突に遮られ、ところどころ欠けている。

 

 



 

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