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濃霧の守り人  作者: 朝飯の秋刀魚
第一部

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第二章  転職

 翌日、二人はタクシーを降り、ポリス・プラザについた。目の前にそびえ立つのは、最高級の大理石を惜しみなく使った巨大な建築物だ。第13区の泥に染まった目には、その白さは暴力的なほどに眩しかった 。


「へえ、立派な建物だな。我々市民の血税が輝いている!」


「おいおい。……頼むから、中に入ったらそなんとげのある物言いは慎んでくれよ」イライアスはそう言いつつ、『最近のタクシーは馬車じゃなく、ほぼ全部車になった』と思っていた。


 巨大な回転扉で入ると、二人の目を奪われたのは中央におけるエレベーターでした。それは磨き上げられた真鍮の格子で覆われた豪華な鳥籠のようで、太い鉄のワイヤーが天井の暗がりに向かって垂直に伸びている。


 その中央の昇降機を挟むようにして、左右には長く重厚な大理石の受付台が、らに二人の足を止めさせたのは、受付台と中央エリアを仕切る、金属製のハッチのような頑丈な遮断機でした。


 それはまるで、侵入者を一歩も先へ通さないための防波堤のように構えられています。第十三区の工場にある粗末な木の柵とは違い、冷たい光を放つ鋼鉄の機構が、この建物が単なる役所ではなく、物理的な攻撃すら想定した「要塞」であることを無言で告げた。


 イライアスは受付台にミラー課長と己の名を出すと、受付員は微笑んで「かしこまりました、少々お待ちください」と言った。数秒後、二人をハッチまで案内して、ポケットから術式が刻まれた合金板を出して、ハッチの上のパネルのようなものに貼れ、その一瞬で光が出て、ハッチも自動的に開いた。


「どうぞ。」


『術が使える?』イライアスは疑問が生じたが、口に出していない。が、それを見抜いたように、受付員は「これは魔力が事前注入されました。私自身は魔力が使えません。」


「あ、そうなんですか?ハハ、道理で…….」イライアスは気まずさを隠しきれないまま返事をした。


 ハッチを抜き、三人はあの最新式の昇降機へと押し込まれた。


 ガチャン、と鉄格子が閉まる音。受付員はボタンを押し、昇降機は動き始めた。真鍮製の階数表示が、ゆっくりと「1」から「6」へと動いていく。


 612号室の前に立つと、受付係は軽く扉を叩いた。やがて中から「入れ」と短い声が返り、彼女はそっと扉を開けた。


「来たか」ミラーは頭をあげず、視線を書類に落としたまま、ただ一言だけそう言った。


「どうぞ、そこへお掛けください。年の瀬が近いせいで、このところ書類がいささか立て込んでおりましてね。報告書を書きながらの応対になりますが、失礼があればお許しください」課長は相変わらず冷徹に礼儀正しいことを言う。


「お構なく、課長閣下」


「なら結構。呼んだのはまずこれを」ミラーは引き出しから何らかの紙を取り、二枚の書面を滑らせるようにして、イライアスとグレイの前に差し出した。


「実は、我々の調査によると、君たちが遭遇した一件は、魔力濃度過剰による暴走……つまり、安全措置を怠った人災の可能性が極めて高い。だが、工場のオーナーはあいにく貴族の血を引くお大層な御仁でね。彼らの放った圧力という見えない弾丸が、警察上層部の脳をすっかり書き換えてしまったらしい。工場側は、これを『自動人形を定期点検していた職人の過失』と主張している。まあ、肝心の自動人形はスクラップになり、これ以上の損害をつけられたくないのだろう。故に、本件はただの不幸な事故として一件落着だ。……これは、君たちの口から出た証言を、都合の良い公的真実として確定させるための署名に過ぎんよ」


 イライアスは震える手でペンを取った。この紙に名前を刻むことが、過去との決別、あるいは新たな呪縛の始まりであることを、彼は本能的に察していた。グレイも、皮肉を言う余裕すらなく、黙って自らの名を記した。


 二人の署名が終わるのを確認すると、ミラーは満足げに頷き、身を乗り出した。


「さてと、本題に戻りましょう」


「本題?』イライアスは驚いて、疑心暗鬼になった『まだ何の要件がるの?』と思った。隣のグレイを横見すると、二人は視線を合わせた。


「何、悪い話ではないと思います。」課長は相手の不安を気付き、慰めの言葉をした「私が聞いた限りで、君達は第13区に戻っても、明日のパンにも困る生活を送ることになるでしょう。」


「そこまでは……」グレイが二人の内情に口を滑らせそうになった時、イライアスはすかさずその口を手で覆い、気まずそうな顔で言った「課長のおっしゃること、ごもっともです。して、我々はこれからどういたしましょう」


「そこで、一つ提案がある。……君たち二人を、警視庁の人間として正式に雇用しようと思います。」

「……えっ?」グレイが素っ頓狂な声を上げた。第13区の泥にまみれた臨時雇いが、大理石の宮殿のようなポリス・プラザの主たちと同じ警察になる。それは、彼らの想像力の限界を遥かに超えた提案でした。


「聞いた通り、君達に警察になって貰いたいです。もちろん、制服を着て街角に立つ巡査になれと言っているわけではなく、何しろ、それは大きな戦力と才能の無駄遣いとなります。去年議会で通過した職人再雇用法(Artisan Re-employment Act、 略して ARA)を知っていますか?それで君達を警察に転職させる。無論、一ヶ月の基本訓練は避けられないです。詳細は秘書から聞いてください。まあ、ここで決める必要はない、王国の公僕として磨き上げる必要があるからな。でも、心配しない、この話は乗るか、ノルマいか、あんたたちは一週間のゆとりはあります。」


 イライアスは眉をひそめた。だが、ひとまず感情を抑え、静かに答えた。


「承知しました。たしかに、かなり魅力的なお話です。ですが、こちらにはこちらの事情がございます。一週間ほど、考える猶予をいただけませんでしょうか」


 そう言って、彼はまず自宅に戻り、グレイと腰を据えて検討するつもりでいた。だが、グレイは急に体を右にいるイライアスに傾き、


 彼の耳元でこう呟いて「ね、イライ、一週間なんて待てるかよ。来週にはあのローンの取り立てが来るんだぞ。ここで断って外に出た瞬間、俺たちは『失業した、ARAにもあやかれないクズ』に逆戻りだ。……一ヶ月の訓練で飯が出て、アパートが守れるなら、安いもんじゃねえか」


「わかった。そうする」イライアスは断りたいが、グレイの正論に反する言葉がいない。「いいえ、大丈夫です。私たちは課長の配下になります。」


「良い判断。」課長は口調をいきなり変えた。「手続きは一週間後に地下にする。では、五週間後でまた会おう。」


 一週間の猶予があっという間に終わり、二人は再度ポリス・プラザ大殿に戻った.、今回は組織将来の一員として。


 訓練校舎は色々なことをして忙しく、職員は慌ててあちこちを往復している、各部門の書類も山積み。


「訓練生はこちらへ。」とある教官が言った。


 皆は一ヶ所に集まり、点呼が終わると、教官は説明会を開始した。


「私はマーガレット・サリー(Margaret Sally)と申します。諸君の訓練は一ヶ月を渡って、主に以下の四点を巡って行う:一、射撃訓練(弾道学):一般的な火薬銃リボルバーから、エーテルを充填して放つ魔導銃の操作法;•二、 暴徒鎮圧ライオット・コントロール:第20区のような鉱山地帯での暴動を最小限の犠牲で抑え込む、盾と警棒による集団戦術。三、法医学・証拠処理など:現場保存の作法、証拠品の扱い、および警察組織の組み立てとニフランド基本刑法の叩き込み。「法」を知らぬ者に法を守る資格はない;四、 白兵戦訓練アンアームド・コンバット:原則、魔法の使用は禁止。 己の肉体と技術のみで行う格闘術。主には「魔法の力に頼りすぎて自滅するのを防ぐため、そして一般市民の前で無闇に異能を見せないためのだ。」教官は生き生きと訓練内容を語る。


 イライアスはこの説明はつまらないと思い、ノートに落書きを始めた。が、グレイはとっぴょうしもない大声をあげた。「あれ、あれを見で!」イライアスは彼の指差し先に視線を向ける。


 目に入ったのはサリー教官が掲示板に貼り出された「最終配属予定表」:


 第一課 ー 第四課:先月決定済み

 第五課(特別捜査官): 若干名(適格者なしの場合ゼロ)

 専門部署:テーロ対策班(別名:special branch)、特攻班、王立情報局など、若干名(適格者なしの場合ゼロ);

 刑務所守備隊: 15名

 裁判所保安官: 10名 

 街頭巡査: 試験合格者残り全員


「大声と出すな」イライアスは注目されたくないため、グレイの口を押さえる「でも、あの課長の発言で、てっきり五課確保と思った」


 集められた百人以上の候補生たちの前で、なんらかの理由で興奮している女性教官サリーは、黒革の乗馬鞭を弄びながら訓示を垂れていた。


「いいか、貴様ら。一ヶ月後の訓練最終日に最終選抜試験を行う。


 配属先は、試験の点数と、日頃の訓練態度によって決定される。交通課で笛を吹くか、巡回でお年寄りの猫を探すか、それとも……死と隣り合わせの『第五課』か」


 サリー教官の視線が、鋭くイライアスたちの列を射抜いた。


「特に、給料が高いからといって第五課を希望する命知らずどもは心して聞け。試験内容は訓練と同じだが、暴徒鎮圧だけは評価対象外だ。あれは全員参加の『お祭り』に過ぎん。重要なのは、魔導知識、対魔物戦闘、そして何より生存能力だ」


 彼女は懐中時計をパチンと閉じた。


「説明は以上だ。明日◯六三◯より、第一グラウンドにて基礎訓練を開始する。遅刻した者は即刻クビだ。今日はこれで解散! 寮に戻れ!」


 候補生たちがゾロゾロと宿舎へ向かう中、グレイは自分の腕章にある「第六小隊」の番号を確認し、同じ番号を持つ三人に声をかけた。


「やれやれ、いきなり脅してくるね。……どうだい、これからは一ヶ月、同じ釜の飯を食う仲間だ。食堂で少し話さないか?」

 イライアスは面倒くさそうに頭を掻いたが、グレイに背中を押されて渋々歩き出した。


 テーブルを囲んだのは、イライアスとグレイ、そして二人の若者だった。


「俺はグレイだ、そしてこいつはイライアス。我々は元守り人で、同じ小隊だった。俺は術が得意で、イライは剣術と体術の方だ。君らは?」


「えっと……僕はピーター・ミルズです」


 小柄で童顔の少年が、緊張した面持ちでスープを啜った。


「以前は、ある守り人チームの御者(馭者)をしていました。盾の扱いと馬の世話なら任せてください。……チームが解散して、行く当てがなくて」


「僕は……サラ」


 もう一人、フードを目深にかぶった少女が、ボソリと名乗った。彼女の背中には、使い込まれた長弓が背負われている。


「高……北の寒村の出身。村のみんなが金を出し合って、私を『守り人』にしてくれた。でも免許を取ってすぐに、守り人も仕事が見つからなくなった……それでも、手ぶらでは帰れない!村の皆の期待は裏切れない」そう言う彼女の目尻には、かすかに涙の跡が残っていた。

 言葉こそ多くはなかった。だが、その瞳には、退くことを許さない悲壮な決意が宿っていた。

 田舎の村にとって、魔物狩りの守り人を送り出すことは、村の暮らしを支える数少ない希望だった。だが時代が移り、その職を失ってなお、彼女は故郷への仕送りを絶やすわけにはいかなかった。だからこそ、命を落とす危険の高い警官という道を選んだのだ。

 ピーターは、初対面の少女を前にして狼狽しながらも、慌てて慰めの言葉を探し始めた。その一方で、グレイは静かにスプーンを置き、周囲へ目を走らせた。

 他のテーブルにいるのは、元鍛冶屋の筋肉自慢や、食い詰めた農民、港湾労働者たちばかりだ。彼らは武器の持ち方すら怪しい。


「……なるほど。気づいたか、イライ?」


 グレイは声を潜めた。


「他の連中は素人ばかりだが、俺たちの第六小隊だけ、全員が『守り人』関連の経験者で固められている。偶然じゃない。上層部は最初から、俺たちを『第五課』候補として選別しているんだ」


「ケッ、貧乏くじを引かされただけだろ」


 イライアスがパンをかじろうとした、その時だった。


「……お黙り!」


 空気を切り裂く鋭い音が響き、イライアスの手からパンが弾き飛ばされた。ピシィッ!!


「なっ!?」


 四人が驚いて振り返ると、食堂の入り口に漂う霧の中から、黒い影となってマーガレット・サリー教官が現れた。


 彼女の手には乗馬鞭が握られ、その先端はイライアスの鼻先数センチを指していた。


「あ、明日06:30集合と言ったはずですが……」


 ピーターが震える声で尋ねると、サリーは氷のような微笑を浮かべた。


「ええ、言ったわね。一般の役立たずどもにはね」


 彼女は鞭を振り上げ、テーブルを一刀両断する勢いで叩きつけた。


「だが、貴様ら第六小隊は『経験者』だそうじゃないか?ならば、素人と同じスケジュールで遊んでいる暇はない!チーム配置も済んだ、自己紹介も終わったな? 結構!」


 サリー教官は、食堂の出口を鞭で指し示した。


「ただいま訓練開始!まずは重装備で市街地一周ランニングだ!日が昇るまでに戻ってこなければ、朝飯抜きで暴徒鎮圧の任務にしてやる! 走れッ!!」


「……マジかよ」


 イライアスは呻き、グレイは苦笑し、サラは無言で弓を担ぎ、ピーターは悲鳴を上げて飛び出した。


 こうして、地獄の一ヶ月が幕を開けた。


「何なんだよ……この距離は!」


 グレイは肩で息をしながら、石畳の道をひた走っていました。ニルフヘイヴンの複雑に絡み合う坂道、そして煤けた倉庫街。サリー教官は馬に乗り、あるいは蒸気車に飛び乗って、遅れる者に鞭を振るいながら叫び続ける。


「どうした、第六小隊! 守り人なら獲物を追って二十キロくらい走るのが常識だろう! 走れ! 足を止めれば、その瞬間に失格のスタンプを押してやる!」


「……グレイ、喋るな。呼吸が乱れるぞ」


 イライアスは冷静にペースを保っていましたが、その額からは滝のような汗が流れていました。隣では、田舎の険しい山道を駆け回っていたサラが、意外なほどの持久力を見せています。


「ふぅ……ふぅ……。ピーター、大丈夫?」


「あ、はは……。馬車の……後ろを追いかけていた……頃よりは……マシです……」


 ピーターは顔を真っ青にしながらも、かつて荒っぽい守り人たちの馬車を捨て身で追っていた経験からか、驚異的な粘りを見せていました。


 昼食に与えられたのは、岩のように硬いパンと、具のない薄いスープだけでした。息を整える間もなく、午後の訓練が始まります。


 まずは白兵戦訓練。 「魔法の使用は厳禁だ」とサリー教官は釘を刺した。


「魔法に頼り、身体能力の基礎を疎かにするから貴様らは『欠陥品』と呼ばれるのだ! 肉体の限界を知れ!」


 グレイは元鍛冶屋の巨漢と組まされ、魔法を封じられたまま泥まみれになって投げ飛ばされた。


「……っざけんなよ……!」


 グレイは困っていた。一発魔法をぶっ放せば、こんな大男は木っ端微塵にできる。しかし、サリー教官の鋭い視線がそれを許してくれない。


 その後に行われたのは、一般銃の基本訓練と魔法銃の紹介と組み立ての展示だった。 初めて触れる「官給品」の魔導銃。サラの目が、その瞬間だけ鋭く光った。彼女は銃を手に取っただけで、そのバランスと魔力の伝導率を直感的に理解したようでした。


「……これ、いい銃ね。狩で使った骨董品とは大違いですね」


「君、弓使えでしだけ?」


「そうだけど、たまには、周りの村と連携して、大狩をするのだ」話なが、サラーは熟練に銃を組み上げと装填をした「その時、郡の軍隊から銃を借り出し、俺らはそれを使うきっかけもあった。でも、流石に魔法銃に手を振る機会はなかった」その言葉が終わるより早く、彼女は五発、立て続けに撃った。


 その五発のうち、四発は中心に命中、残った一発も危うく中央を通過する。


 「サラー、すごいぞ、俺なんか、三発だけで射的に命中して、そしていずれも四、五番のリングで」イライアスはサラーの腕に感心した。


 しかし、グレイにとっては本当に難儀なことで、体力が尽きかけても一つも命中しなかった。


「イライ、助けて、俺に教えて」グレイはマグレートの獲物の見た目に怯え、イライに協力を頼んだ。


 イライアスは表情を変えぬまま、胸の内でひそかに喜んでいたが、本音を漏らさないように「でも、サラーに教えもらった方が効率いい」


「それ、無理かもね。ほら!」グレイが指図した方向で、大勢の訓練生がサラーの身元に集合、いずれも専門部署希望者。


 そのやからは、ざわざわとサラーに質問し、もう一度腕示を求めている。


「仕方ないね」イライアスはグレイのそばへ近づき、息遣いが触れそうなほどの距離で立ち止まった。


「おまえに足りないのはフォームだ。立ち姿に無駄がある。軸が定まらなければ、弾は的を捉えない」


 そう告げながら、彼はグレイの姿勢を一つずつ正していった。肩を沈め、腕の角度を整え、足の位置をわずかにずらす。


「これでいくらかは良くなる」


 次の瞬間、午後いっぱい外し続けていたグレイの弾が、初めて的の中心近くを撃ち抜いた。


  夕食後、彼らは窓のない暗い教室に押し込められ、始まったのは三時間の証拠保存と「ニフランド基本刑法」の講義。


「昨年、指紋という物が初めて証拠として法廷に認められた。だから……」


 二人の瞼は危うく閉じるとなり、教授(講義の先生は近くの私立大学の法律院の教授)の単調な朗読は凄く効く睡眠薬と同然。


「……うう、死ぬ……。イライ、今すぐ俺を殴ってくれ……。じゃないと、俺の意識がニルフヘイヴンの地下水道まで沈んでいく……」


 グレイは机の下で、自分の太ももを爪が食い込むほど強くつねっていました。瞼には数キログラムの重りがぶら下がっているようで、視界の中の教授の姿は、陽炎のようにゆらゆらと揺れています。


「……耐えろ、グレイ。寝たらサリー教官の鞭が飛んでくる。……指紋か、面白いな。犯罪者は意識した場合は簡単に消すけど……」自分を洗脳するように、イライアスは授業の楽しさを強調した。それでも、眠気は以前に遭ったどんな魔物にも手強いし、その心身をともに侵食する。


 訓練開始から一週間。長く果てしなの二十キロ走と座学で、すでに六人の脱走者が出た。そして迎えた二週目、サリー教官は練兵場に並ぶ四人の前で、良からぬ笑いが浮かぶ。


「今日から朝の走行距離は五キロに短縮する!」


 その言葉に、グレイが一瞬だけ安堵の表情を見せ、訓練生たちも雀躍して喜ぶ。しかし、サリー教官の次の言葉がそれらの希望を打ち砕いた。


「ただし、ただし! 今日からはこの練兵場ではなく、ニルフヘイヴンの市街地を走ってもらう。これは単なる運動ではない。犯人を追跡し、路地裏の構造を叩き込み、市民の目に警察としての威圧感を刻むための模擬パトロールだ。……行くぞ、ついて来い!」


 サリー教官は蒸気式のパトロール車に飛び乗り、霧に包まれた街へと繰り出しました。


「あいつ、我々をこき使い、ああ!」グレイは文句を吐く。結局、この一日の訓練は無事に終わった。


 二日目、教官は変わらずに凛々と衆人の前に現れた。


「昨日は、街中で走って、楽しかっただろう。でも、それだけでしょもない、今日で一つのチャレンジを食らえてやる。「野郎ども、前へ出ろ!」


 サリー教官の鋭い号令と共に、六人の男たちが一歩前に出た。彼らは現役の警官であり、かつてサリーの地獄訓練を生き抜いた卒業生たちである。


「紹介しよう。こいつらは貴様らの先輩であり、今日は貴様らの『標的ターゲット』だ。休暇を潰してまで、後輩の無能ぶりを拝みに来てくれた奇特な連中だよ。さてと、ルールを教える。一人の現役警官が

「逃走犯」として割り当てられる。各組はそれぞれ一人をこの町に追う、確保できない場合は組全員脱落!」


 逃走犯役の現役警官たちには、一分の先遣猶予が与えられた。教官の合図が響くやいなや、彼らは脱兎のごとく霧の向こう側へと姿を消した。 彼らを追って華やかな商店街へと駆け込んだ六組だったが、そこには標的の影一つ残されていなかった。


「……クソ、完全に人混みに身を隠したか?」いつものイライアスなら決して口にしないような言葉を、彼は吐き捨てるように漏らした。 だが、グレイは周囲を観察してうちにピンと来た。華麗な衣装に身を包んだ紳士淑女が闊歩する中、一人の紳士の足元に目が止まる。 「……いや、見つけたぞ。あいつだ。服は着飾っていても、靴にこびりついた練兵場の泥までは隠せていない」


「……なるほど、盲点だな。都会の喧騒に紛れても、歩んできた泥までは隠せ余裕がないわけか。」


 イライアスが頷くと同時に、第六小隊は音もなく二手に分かれた。


 彼らは見つけていないフリを装いながら、標的に悟られないよう距離を詰めていく。


 右翼の イライアスとサラは建物の影を利用し、標的の進行方向の先、路地の出口を塞;そして、左翼の グレイとピーターは雑踏に紛れながら、標的の背後を密かに遮断する。


 標的としての警官が、追っ手を巻いたと確信して路地へ足を踏み入れた瞬間――。


「……おい、先輩。その汚ねえ靴、この街の風景に馴染んでねえぜ」


 背後からグレイが声をかけると同時に、前方からはイライアスとサラが姿を現しました。逃げ場を失った「紳士」は、苦笑いしながら両手を上げた。


「確保ォッ!!」


 グレイが標的の腕を極め、完璧な逮捕が成立した。


「悪くない!」警官から六組逮捕の経緯を聞き、サリー教官は思わずに褒め言葉を言った「貴様らは合格だ!」四人はその良い知らせに歓呼をする際「おめでとう!二十キロの訓練に戻れ」サリーは皆の喜びを一句で叫んだ。


 そんな二週目からの実戦訓練 -白兵戦、射撃、そして頭が割れそうになる刑法の授業を潜り抜け、ついに一ヶ月の訓練は最終日を迎える刻が来た。


 しかし、その「最後の一週間」に彼らが叩き込まれたのは、教室での講義ではなく、硝煙と煤煙にまみれた最悪の実戦だった。


「盾を構えろ! 立ち止まるな! 秩序を乱す者は、たとえ同胞であっても叩き伏せろ!」


 教官の怒号が、暗雲垂れ込める魔炭鉱山の入り口に響き渡った。 落盤事故は三十五人の命を奪った。にもかかわらず鉱山主は、亡骸の収容すら待たず、何事もなかったかのように操業を再開した。その非道に抗議して立ち上がった工員たちの中には、かつて四人と同じ戦場に立ち、魔物と刃を交えた元守り人たちも多かった。四人はついに、かつて背中を預け合った者たちと敵対せざるを得なくなった。


「貴様らは、良心を、誇りも捨てたのか!」


 煤にまみれた工員の一人が、絶望の叫びを上げながらグレイに躍りかかった。彼の盾が弾かれ、重い鉄パイプが彼の頭上に振り下ろされようとした、その瞬間。


 隣にいたイライアスの体が、思考より先に動いた。


「やめろ――!」


 渾身の力で振り抜いた警棒が、工員の側頭部を正確に捉えた。 鈍い音が響き、男の体が糸の切れた人形のように崩れ落ちる。その目は、光を失ったままグレイを、そしてイライアスを射抜いていた。


「……よくやった、イライアス。躊躇なき実力行使こそ、警察官の鑑だ」


 駆け寄った教官が、ぴくりとも動かない男の遺体を一瞥もせず、イライアスの肩を叩いた。その「よくできた」という言葉は、降り注ぐ煤煙よりも黒く、彼らの心にこびり付いて離れなかった。


 そんな悪夢のような一週間を経て、ついに訓練所での最後の日が訪れた。


 脱走者と暴徒鎮圧事件の重症者を除き、この過酷な一ヶ月を生き残ったのは、第六小隊の四人(グレイ、イライアス、サラ、ピーター)と、現場ではなく事務職などの一般職に回される数人の男たち、そして一人の女性だけだった。


 練兵場に立つ四人は、一ヶ月前とは別人のようだ。 灰色の訓練服はボロボロだが、その動きには無駄がなく、四人の間には言葉を使わなくても伝わる連携の空気が流れていた。


 そして、最後の一日目、訓練生達は最終試験を迎える。


 最初の試験は筆記試験――ニフランド刑法と科学捜査理論。窓のない地下教室で、三時間に及ぶ沈黙の戦いが始まった。百点満点中、合格ラインは六十点。 グレイは前にいなかった冷静さと本来の記憶力を発揮し、最新の指紋捜査理論から複雑な刑法条文までを正確に記述、術者に相応しい学者ぶりで、九十二点という圧倒的なスコアを叩き出した。 対するイライアスは、普段の真面目さと違って、机に噛みつかんばかりの形相で問題用紙と格闘した。「果実」を使えば一瞬で済む破壊を禁じられ、論理の迷宮を這いずり回る。結果は六十二点。合格ラインをわずか二点上回る、文字通りの死守だった。サラとピーターも、実地で得た知識を絞り出し、それぞれ七十点台で無事に突破した。


 その次は模擬殺人現場での証拠保全と現場検証。地下に設営された「偽の殺人現場」は、血痕に見立てた塗料や遺留品が散乱する異様な空間だった。 ここでは、証拠を一つも汚染せずに採取する技術が問われる。イライアスが記録係を務め、サラが猟犬のような観察眼で、絨毯に紛れた微細な衣服の繊維や、エピネフリンの空き瓶に残されたかすかな指紋を発見した。グレイも、普段の荒っぽさを殺し、ピンセットで慎重に物証を袋に収める。訓練二週目の失敗から学んだ「証拠の重み」が、彼らの手つきを変えていた。


 最後は、肉体の限界を証明する物理試験だ。 他の候補者を超える必要はないが、警察官としての最低基準を満たさなければならない。サラの魔導狙撃銃による試射は、標的の眉間をことごとく貫く。ピーターは、模擬乱闘の中で一度も有効打を浴びないという、驚異的な回避能力を見せつけた。イライアスとグレイの二人は、魔法を一切封印した状態での近接格闘術を披露する。もはや「守り人」の荒削りな暴力ではなく、相手を効率的に無力化する「制圧型」へと昇華されていた。




 夕闇がニルフヘイヴンを包む頃、全ての試験が終了した。 「第六組……全員、合格だ」 マーガレット・サリー教官の短い宣告が、張り詰めていた空気を震わせた。 翌朝、再びミラー課長の執務室に呼び出された四人は、それまでの灰色の訓練服を脱ぎ捨てていた。彼らの胸には、鈍く光る銀色のバッジが。そしてその肩には、ニルフヘイヴンの闇に溶け込むような、重厚な漆黒のロングコートが羽織られていた。


「おめでとう、諸君。今日から君たちは、第五課・一等巡査(First Constable)だ」


 ミラーの冷徹な声が、今度は彼らを仲間として迎えた。第六小隊――かつて街を追われた「守り人」たちは、いまや国家の法を執行する正当な猟犬へと生まれ変わったのだ。


 胸元で鈍く光る銀色のバッジ、そして肩に羽織った真新しい漆黒のロングコート。それは彼らが社会の底辺から這い上がり、国家の正当な「猟犬」となった証だった。


「……へっ、見てな。このコートの重み、悪くねえ」 グレイが満足げに口角を上げ、隣を歩くイライアスの肩を叩いた。 「おいピーター、お前も顔を上げろ。もうビクビクしながら馬車を走らせる必要はねえんだ。俺たちは警官なんだからよ」


 ピーターも、まだ慣れないコートの襟をいじりながら、照れくさそうに微笑んだ。 「ええ……。なんだか、あのやばいチームから抜けて、やっと自分の居場所を見つけた気がします」


 彼らは、自分たちが成し遂げた「合格」という歓喜の余韻に浸っていた。一ヶ月の地獄のような訓練、泥を舐めるような日々。それら全てが、今この瞬間の誇らしさのためにあったのだと信じていた。


 だが、ニルフヘイヴンの街は、彼らの門出を祝うほど優しくはなかった。


 ガス灯の下、足早に家路を急ぐ市民たちが、黒いコートを纏った彼らの脇をすり抜けていく。その中の二人連れが、彼らの存在など目に入らない様子で、声を潜めて囁き合っていた。


「……ねえ、聞いた? また昨夜、例の連続殺人犯が出たんですって」 「ええ、恐ろしいわね。早く帰りましょう。……まあ、噂じゃ被害者はみんな『元守り人』の連中らしいけど」 「あら、そうなの? じゃあ、私たちのようなまともな市民には関係ないわね。自業自得よ、あんな暴力しか能がない野良犬共は……」


 その会話が耳に飛び込んできた瞬間、四人の足が止まった。


 つい数分前まで彼らを包んでいた合格の熱気が、冬の夜風に吹かれたように急速に冷えていく。


「……元守り人、か」 イライアスが低く呟いた。彼は前の暴徒鎮圧の件を思い出し、この世の不合理さを嘆く。


 喜びを捨て去り、先の噂話で不安になった四人はニルフヘイヴンの闇へと消えていった。




 

 













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