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濃霧の守り人  作者: 朝飯の秋刀魚
第一部

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第一章  異変

 黒煙に汚された空の下、巨大都市は眠ることを知らなかった。 ガス灯と魔導灯ががむしゃらに輝くその光景は、紛れもなく「魔導産業革命」の勝利の証だ。蒸気機関のピストン音と歯車の軋みは、経済猛進の鼓動そのものだった。 だが、その光が強くなるほど、足元の影もまた濃くなる。貧富の差は絶望的なまでに拡大し、人々は急速な変化に漠然とした不安を抱いていた。


 その「不安」を最も肌で感じていたのは、かつてこの街の闇を払っていた者たち――「守り(キーパーズ」だ。


 中世以降、魔物退治や護衛は騎士と傭兵の仕事だった。しかし数百年前に大気中の魔力資源「マーナ」が活性化し、魔物が急増したことで、武術に長けた者たちが職業化され、いつしか彼らは「守り人」と呼ばれ、ギルドを形成するに至った。 だが彼の者等にとって不幸なことが起こった。ここ十数年気候が次第に寒冷化していったと共に、マーナの活性期は過ぎ去り、魔物の出現率は激減。さらに、都市の防衛は蒸気機関と錬金術の産物である「自動人形オートマトン」へと置き換わった。 結果、肉体を武器とする彼らは、時代の遺物として路地裏へ掃き出されたのだ。




 イライアス・ヴァンス(Elias Vance)は、失業した「守り人」たちの群れの一員に過ぎなかった。かつては一流の剣士として名を馳せた彼も、今では安酒に溺れ、煤煙に滲んだ工業区の街を彷徨者となった。背に負った長剣の鞘は傷だらけで、くすんだ銀色の鍔には、かつて討伐した魔物の血を思わせる染みがこびりついたままだった。


 彼がよろめきながら街角の酒場に入ると、その有り様を見た客の一人が嘲笑を浮かべた。 「おやおや、これは偉大なるエライアス様じゃないか! まだそんな「常緑樹」のバッジを着けているのか。 見ろよ、ここにはお前の獲物なんて一匹もいやしないぜ!」 客は皮肉を吐き捨てながら、イライアスの腹部を殴りつけた。イライアスは抵抗もせず、よろめいて床に崩れ落ちた。周囲の連中は、彼をあざ笑うか、あるいは無関心を決め込んでその惨状を無視していた。床に這い蹲るエライアスの視界に、泥と酒で汚れたブーツが映った。さらなる追い打ちを覚悟して目を閉じたが、飛んできたのは拳ではなく、耳に馴染んだ、少し高めの落ち着いた声だった。


「……もうよせ。これ以上、自分を貶めて何になる、イライ」


 顔を上げると、そこにはかつて同じ隊で戦っていたグレイ・スターリング(Grey Sterling)が立っていた。 グレイはイライアスと同様、三十代半ばの中年でありながら、どこかあどけなさを残した少年のような顔立ちと灰色の髪をしていた。だが、そのサファイアのような青瞳だけは過酷な労働と時代の変遷に晒され、冷たく、そして鋭く濁っている。


 グレイはイライアスの腕を乱暴に掴んで引き起こすと、周囲の野次馬を冷ややかに一瞥し、彼を強引に酒場の外へと引きずり出した。


 二人は無言のまま、泥だらけの街を歩いて、イライアスとグレイが共有しいるアパートに戻った。イライアスは真っ直ぐにベッドに倒れ、グレイはその側に居座って、何処ぞで見つけた本を読み始めた。


 四五時間後、グレイはイライアスの酒酔いはほぼ消えたと思って、この息苦しい沈黙を破った。

「ね、イライ、こんな生活をやめよう。お前は守り人時代での活躍で多少の貯金があることはよく知っている。俺もそうだ。でも、こんな酒に溺れた生活、それはあまんり持ったん」グレイは思わず緊張して、こそこそと両手をこすり合わせる「やっぱりなんらかの仕事をしよう。そうだ、俺が働いている魔炭(マ-

ナ・コール)蒸留所工場の警備員が逮捕された。どうやら、やつは余所者と組んで、工場の物品を売却し、取引現場で現行犯逮捕。お前は仕事をしたくないが、俺との付き合いと思って、警備員にならない?」グレイは拳を握り締め、顔を逸らして、不安げに相手の応答を待つ。


「……うん、やる」数分の沈黙後、イライアスは返事して、でもすぐ寝返りをした。


「まあ、そんなに早く断るな、冴えない仕事だが……ええ!いいの?良かった!じゃあした早起きするぞ!」グレイは欣喜雀躍して「美味しい飯を作ろう!」彼は名も忘れた歌をハミングしながら、台所に向かった。


 グレイは一瞬、イライアスが改心したのだと勘違いした。だが、そんな立派な話ではなかった。彼はただ、酒浸りの暮らしに飽き、グレイの試みに流されるまま仕事へ戻っただけだった。




 翌日早朝、正門で合流した二人の傍らを、煤煙に汚れた大勢の工員たちが、吸い込まれるように工場の中へと流れていく。そこへ、現場責任者らしき男が二人を見つけ、足早に近づいてきた。


「フォアマンさん、紹介させてください。こちらが以前お話ししたイライアスです。かつて共に戦った信頼できる仲間で、腕の立つ剣士でした。ここの警備を任せるには十分すぎる男です」


 グレイが熱を込めて紹介するが、フォアマンと呼ばれた男は、イライアスを値踏みするように上から下までじろじろと見回した。鼻につくのは、高価な香水と安物の葉巻が混ざったような不快な臭いだ。


「ああ、こいつか……」


 フォアマンは吐き捨てるように言うと、イライアスの無精髭と、酒の匂いが抜けきらない煤けたコートに不満げな視線を留めた。


「まあいい。体格だけは立派なようだな。採用だ」


 フォアマンは顎でクイと示し、グレイに鋭い口調で指示を飛ばす。


「君、こいつに制服を渡し、ここのルールを叩き込んでおけ。……それから、言うまでもないことだが、妙な小細工や盗みを働こうなどと考えるなよ。もしそんな真似をすれば、不意に足を滑らせてニルフヘイヴンの冷たい海へ落ちることになっても知らんからな。」フォアマンは鼻を鳴らすと、イライアスたちに背を向けて歩き去った。


「……気にするな。あのフォアマンはきっと大袈裟に言う。さあ、来い。まずはそのボロコートを脱いで、支給品の制服に着替えてもらうぞ。あの詰所で待ってくれ。すぐ戻るから」


 見張り、見回り、不審者の追払い。こうして、イライアスは久しぶりに職場を戻って。戻ったとは言え、警備員としての生活は昔の守り人のようなフリーランスみたいな仕事とは大違い、彼は一週間も経っていなく、もう退屈で身を引く気満々、が、グレイの機嫌を損ねたくなかったのので、押し黙っているままにした。


 しかし、警備員としての六日目、また前の五日に似たような単調な一日を過ごすと思うイライアスはよく自分の甘さを知った。


 あれは昼食の時間、工員たちは食事を済ますと、整然と午後の仕事を始めようとする。だが、工場の隅で、一個の自動人形はどうしても起動しない。


「くそ!先週点検し修理したばかり!なんでまた壊れた!」状況を聞いて、駆けつけたフォアマンは怒鳴り、一気に自動人形の足を蹴った。そして、偶然か、あるいは何かの予兆だったのか、自動人形は震え始める。問題は解決したと思い、フォアマンは工員たちに向き直り、自らの持ち場を戻るよう催促し、自分の事務室に向かって歩いた。しかし、自動人形は刻印された術式を無視するかのように立ち尽くし、震えがさらに激しく痙攣となり、やがて暴走を始める。人形は瞬時に向きを変え、群衆がひしめく方へと猛然と駆け出す。予期せぬ襲撃に、人々は悲鳴を上げて散り散りに逃げ惑った。だが、一人の工員が逃げ惑う群衆に押し流され、足をもつれさせて転倒した。自動人形はその男を無造作に掴み上げると、無機質な金属の手でその頭部を容赦なく叩き潰す。


「……ああ、化け物だ! 逃げろ!」


 人形は機械的にその動作を繰り返し、男の頭が割れた南瓜のような無惨な姿に変わっても、なおも手を止めなかった。 現場にさらなる絶望が蔓延するなか、人形は止まることなく人混みの奥へと蹂躙を続ける。


 もう一人が危うく同じ仕打ちを遭った時、一つの鉄管が機械の手の動きを食い止めた。あれは騒ぎを勘付いて、急いで駆けつけたイライアス。


「早く描け!」イライアスは一緒に来たグレイに叫んで、その両手は鉄管を強く握りしめ、人形と対抗し、鉄と鉄が激しく軋み合い、火花が夜の闇を切り裂くように飛び散った。人形の怪力に押し込まれ、イライアスの左足は既に石畳を砕き、深く地へとめり込んでいる。


「分かってる、あと少し……あと少しなんだ!」グレイは基礎的な強化魔法を放つイライアスを幇助しながら、地形変化の魔法陣を描く。


 人形は突然現れた穴に陥る。体が後傾すると、イライアスは素早く周囲数本の鉄管を拾い上げ、一つずつ跳んで投げ出し、抗い機械の手足を釘刺して深く穴に打ち込んだ。人形にさらなる反応をする機会を与えず、イライアスはその胸で術式が刻まれた部分を鉄管で突き落とす、それを破壊しようとする、でもしくじった。


「ちぇっ、術式の部分だけで硬化されたか。」イライアスは取れた人形の部分を持って、穴から少し遠い所に飛び離れた、そしてその鉄板をグレイの直前の石畳に投げた。「どうにかならない?グレイ!」イライアスはもう一段と焦りを感じる。


「うん、うん」グレイは周りを見回し、有用な道具を探す、でもがっかりした。


「打撃で壊すのはもう間に合わない……あ!.分かった!そいつを溶ける!」


 覚悟を決めたグレイの瞳に、激しい魔力の光が宿った。彼は自らの魔力を絞り出し、震える指先は土地に新たな術式を描く。完成と同時に、金属板上の空気が揺り始め、暴走の根源である「刻印の刻まれた金属板」は段々魔術から放つ凄まじき熱で溶ける。鋼鉄がドロドロに融解する異音と共に、オートマトンは断末魔のような蒸気を上げた。直後、謎の呪縛を解かれた機械の巨躯は糸の切れた人形のように崩れ落ち、無残な鉄屑へと成り果てた。


「やったのか?」グレイは小声で問い、ちょっと大声になったら、先の忌まわしき存在は再び訪れる。周りも似たような気分で、誰しも数分間一言も言えず。


 この塞いでいる雰囲気を破ったのは、チャリを乗せて、青い外套を纏った見回りの巡査だった。どうやら、先に工場から逃げた数名の工員が巡回の見回りに出会って、逃げながら現場の状況を巡査に伝えた。


「何事だ」見回りは目の前の状況に驚愕し、この一句しか出せなかった。


「あら、これはフォード巡査ではないでしょうか?よくぞお越しくださいました!」工員たちの人だかりから這い出すように現れたフォアマンは、トーマス・フォード巡査に対し、卑屈な笑みを浮かべながら揉み手をして近づいた。「まあ、ただの事故でしょう?あの自動人形は多分壊れて、暴走しました。」


 フォード巡査は明らかにその解説に不審と思った顔をして、冷静に返事した「例えそうだとしても、死傷者がある場合、徹底的に調査をするべきです。」彼は残りのマグマを指差して、フォアマンに尋ねる「これは工員の仕業ですか?一般人に対して、凄まじき魔力ですね。」


「いえ、いえ。それはうちの新入りの警備員、グレイ・スターリングとイライアス・カーデン、元守り人で……」


「それなら、あの二人を連れて、そこで待ってください。私は本部と連絡を取ります。ここの電話、貸してくれませんか?」巡査はフォアマンの話を中断し、ひたすら自分の役目を果たす。


「もちろん、こちらへどうぞ」フォアマンはイライアスとその肩に寄せられて力尽きたに見えたグレイに指示して「君たち、ついて来る。」


「もしもし、警視庁(NMC、 Nilfhaven Metropolitan Constabulary)中央本部か。……第三区所属、トーマス・フォード三級巡査だ。現在、第十三区のブラックウッド魔炭精錬所にいる。……異常事態だ。暴走したオートマトンを沈圧、重要目撃者二名を確保した。至急、第五課(マーナ事件特捜課)への報告と、増員を要請する」


 受話器の向こうから、機械的な交換手の声と、続いて現れた上官の怒鳴り声が漏れてくる。フォードは青ざめた顔で、「はっ!」「承知いたしました」と繰り返すことしかできなかった。


「現時刻を以て、本現場を封鎖する。これより本件は警視庁第五課の直轄となり、課長自らが指揮を執ることとなった」


 上司との緊迫した通信を終えたフォード巡査は、事務室の大きなマホガニーのデスクを叩き、不安げな工員たちへ向けて厳格に告げた。


「――先の暴走事件を目撃した者は、直ちに会議室へ集合せよ。捜査への協力に感謝する。……ただし、無断で工場を去る者は逃亡と見なす、見つかる場合は逮捕」


 それから、死の沈黙が漂う一時間が過ぎた。


 深夜の静寂を切り裂いて、工場の石畳を激しく叩く車輪の音が響く。到着したのは、煤けた街灯の下で黒光りする蒸気自動車スチーム・ワゴンだった。中から降り立ったのは、揃いの


 漆黒のトレンチコートを着た第五課の刑事たち、そして冷徹な眼差しを向ける検死官の一団であった。

「現場は確保したか?重要参考人はどこだ?」


 蒸気車のハッチから降り立った第五課長、カヴェンディッシュ・ミラーは、門前で直立不動の姿勢をとるフォードに短く問うた。


「はっ! 現場は封鎖済み、重要参考人達は奥の事務室にて待機させております。ご案内いたします!」


「いや、及ばない。フォード巡査……だったな? 君にはまだ見回りの任務があるはずだ。早々に持ち場へ戻りたまえ。案内は、そこにいる責任者らしき男に頼むとしよう」


 ミラー課長はそう告げると、フォードには目もくれず、背後で揉み手をしながら控えていたフォマンへと視線を向けた。


「は、はいいっ! ご案内いたします、警官殿!」


 フォマンの卑屈な声が響く中、フォード巡査は一礼し、チャリに乗って、ひっそりと霧の立ち込める夜の街に消えた。


 五課一行は工場に立ち入ると、すぐに悲惨な事件現場に目を捉えた。


「どうやら、この事故現場はフォード巡査に基本的な現場保存をしたようだ。将来はいい警官になるだろう。」課長は太い麻のロープで作られた警戒線と黒板に白墨で書かれた『警察告知:立入禁止』(POLICE NOTICE: NO ADMITTANCE)臨時警告看板を見て、そうコメントをした。


「マイコイ先生(Dr.)、大丈夫ですか?」ミラーは隣の検死官の様子を見て尋ねた。


 事件場についた検死官は突然に眩暈をして、手袋をはめた手でこめかみを強く押さえ。「大丈夫、過ごしな頭痛にすぎないです。」検死官はすぐ返事をした。検死官マッコイは平静を取り戻すと、随行の医官に負傷者への緊急処置を下し、遺体の担架搬送を指示した。次いで取り出した硝子瓶へ、床に飛散した組織の残滓を硝子瓶に回収していく。その容器は全部術が描かれた魔道紙を張って、腐敗を緩やかにする。


 同時に、ミラー課長は事務室へと現れた。まだショック中の二人への予备尋問を開始するためである。

「まず、礼を言います。フォアマンの話によりますと、君達でなければ、死傷者数はこの程度で済ませないでしょう。」ミラーはタバコを吸い始め、落ち着いた声で二人と話した「しかし、この暴走は実に疑わしいです。新投入のプロトタイプとは言え、こんな故障は前代未聞です。J君はどう思いますか?」彼はイライアスに質問をした。グレイはまだマーナと体力が尽きた状態で、イライアスに寄りかかって熟睡している。


「うん……正直、俺たちもよくわからない。騒動を聞いて、警備員の責任を念じてあそこに見にいた。」


「なるほど。で、君達があの暴走した機械を撃破した詳細を聞いてみましょうか?」イライアスはゆるゆると事件の経緯を述べた。そして、話し終えると、事務室には重い沈黙が降りた。


「……わかりました。もう疲れましたね。今日の事情聴取これまで、あなたたちは住所と連絡先を残しておくと、ここから離脱しでもいいです。」


「うん、うちには電話がない。アパートの下常連の酒場の電話番号でもオーケーなの?」


「問題ありません」数分前で起きたばかりのグレイはミラー課長突然で立った不気味な笑い顔ぞッとした、書き終わって部屋を出たイライアスをぴたり付いて、「失礼しました」の一句だけで言い残して去った。

 二人の足音が消えたと確認、ミラー課長は側にいる部下と小声で命じる「あの二人の監視役を頼む。」相手は頷いて、部屋を出た。


 二人が出たすぐと、フォアマンは揉み手をして、ミラー課長に進言しようと思って、だがミラーはでのひらを出し、話を遮った「言いたい事はわかる、が、上にもこの事件に興味を出しました。故に簡単にこれを事故として一件落着はできますまい。そして、工場に不正がいないなら、何の心配もないでしょう?事件の事は私が説明します。そいう訳で、ご理解を……」


 フォマンはミラー課長の言葉に完全に気圧されていた.彼は額の汗を拭い、顔を引きつらせて愛想笑いを浮かべた。


「……おっしゃる通りでございます、課長閣下。」


 フォアマンが震える声でそう答えた時、事務室のドアが短く叩かれた。


「入れ!」


 ミラーが短く応じると、ドアが開いた。入ってきたのは、マッコイ検死官だ。彼の顔は依然として青白く、眉間に深い皺を刻んでいる。


 ミラーはフォマンへ向き直り、冷ややかに、しかし決定的な口調で告げた。


「さて。この部屋は現時刻を以て『事件の臨時捜査本部』として本官が徴用する。これより部下と機密に関わる協議を行わねばならない。……フォマン君、君はもう行っていい。退出の際、扉を閉めていってもらえるかな?」


「は……はい」彼は尻尾を巻いて逃げた。


「それで、あそこのマーナ濃度はやっはり異常?」


「ええ、ただの事故とは思いませんね。あのフォアマンは何かを企んでいる。」


 二人の会話は去って置き、事件から数週間もたった。


 彼らの健気な行動は一度も話題にならず、その上、工場は一時閉鎖され、臨時雇いの二人は真っ先に切り捨てられた。後任にはフォマンの親族の若者が収まり、二人の功績は煤煙の中に消えた。




 第十三区の片隅にある酒場「Jerry & Jerry’s Bar」(双子のジェリイが共有しているバー)。


「あのくそフォアマン、なんにが俺たちが遅いから死人が出た?その逆でじゃない?」グレイは珍しく酒酔いして、両手で木製ビアマグ強く机を叩き。「お前、何か言えよ!」イライアスは彼の突然の暴発に取り乱して、どうするのかに迷った。


「イライ、世話を焼いているが、今夜はあんたの番だ」ジェリーは低く笑いながら、二人を見据えた。

「こいつを連れてとっとと帰りな。これ以上騒ぐってんなら、俺の鉄拳をお見舞いしなきゃならなくなる。……いいな?」


 かつて「最上位トップの守り人」として名を馳せたジェリーの警告は、酔客の戯言とは重みが違った。抗いようのない威圧感に、イライアスは黙って頷くしかなかった。


 表に出ると、街は相変わらずの深い霧に包まれていた。イライアスは泥酔したグレイの身体を肩で支え、重い足取りで歩き出す。グレイはまだ何かをぶつぶつと呪文のように呟いているが、その内容はもはや意味をなさない泥の塊のようだった。


「待て!」


 背後から、ジェリーが二人を追いかけてきた。その表情には、先ほどまでの余裕はなく、険しい色が浮かんでいる。


「……電話だ。今、店にかかってきた。イライ、お前一体何をやらかした? 相手はサツ――それも、警視庁の第五課だぞ。」


 ジェリーの言葉に、イライアスの酔いは一瞬で吹き飛んだ。


「第五課……だと?」


 受話器から漏れ聞こえるのは、あの工場で聞いた、冷徹で気品に満ちたミラー課長の声だ。


「―イライアス・カーデン。昨日の英雄が、今夜は酒場で泥酔したのか。……いいから聞け。君たちに拒否権はない。明朝九時、第一区のポリス・プラザへ来い。


 ツー、ツーという無機質な音が、深い霧の中に消えていった。


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