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濃霧の守り人  作者: 朝飯の秋刀魚
第二部

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第七章  決断

イライアス一行は牢獄から解放されたが、決して自由の身になったと言うわけでない。彼らの錠が開けられた直後、軍事基地の左翼にあるビルに連れていかれた。

大尉の事務室はそのオフィスビルの三階、全員が座に着くと、大尉は改めて

「イライアス君。君らの処遇について、気づいた通り、単なる保護されては済まされない。我が国は、名目に大統領が首脳だが、一人の独裁者が全てを支配しているわけでないだ」

キリアン大尉は、壁に掲げられたベリゼの国旗(ジャガーと太陽の紋章)を背にして、静かに語り始めた。

「我々は十年前、宗主国である南の『マラヴェーリャ連合王国』から独立し、『臨時委員会(La Comisión Provisional)』を創立した。……軍部の将軍と、各地の有力部族長からなる十三人の合議体によって統治されている」

キリアンはデスクの時計に視線を落とし、イライアスたちを見据えた。

「へい、それはちょっと複雑な事情になるんでしょう。その委員会を説得しなきゃいけないです」イライアスは困った顔をしていた。

「その通りだ。君たちの証言は、彼ら十三人が『ソルテラに対してどう動くか』を決める、最後の一押し(トリガー)になる。まあ、別に十三人全員が賛同するんではなく、多数決、つまり七人の同意を貰うだけで。故に、一時間後、君らを首都に移動する。……これは命令だ。心の準備をしておけ」

「首都……『サン・ベルディア』か」教授がゴクリと喉を鳴らす。そこは、かつて地図上でしか見たことのない、密林の奥深き革命都市だ。

「拒否権はないようだ」

イライアスは肩をすくめ、キリアンに向かって軽く敬礼した。

「分かったよ、大尉。その十三人の古狸どもに、とびきりの冒険譚を聞かせてやろう」

一時間後。

イライアス一行は、ベリゼ軍が接収した軍用列車の客車に揺られていた。

ガタン、ゴトン、ガタン、ゴトン……。

窓の外には、圧倒的な密林が広がっている。

車内は異様な緊張感に包まれていた。

前後を武装した憲兵隊(PMーPolicía militar)に挟まれ、ブランドン教授やサラは、これから始まる「審問」の行方に顔を青ざめさせ、祈るように手を組んでいる。ハワードでさえ、難しい顔で腕を組んでいた。

だが、一人だけ例外がいた。

「…………」

ピーターは、周囲のピリピリした空気など存在しないかのように、ただひたすらに窓枠にしがみつき、外の景色を見つめていた。

流れていく巨大なシダ植物、極彩色のオウムの群れ、木々の隙間から見える古代遺跡の石積み、そして遠くに見える雄大な滝。

雪国育ちの彼にとって、この「緑の地獄」と呼ばれた土地は、まるで絵本の中の世界のように輝いて見えた。

「……おい、ピーター」

イライアスが呆れたように声をかける。

「お前、大した度胸だな。これから俺たちの首が飛ぶかもしれないってのに、観光気分か?」

ピーターは振り返りもせず、ガラスに鼻を押し付けたまま答えた。

「……すごいよ、イライアスさん。教科書で見た植物がいっぱいある。あそこの木、『龍血樹』だ。どうやら、その木を湾刀でこの木を切ると流れ出る樹液が鮮紅色をしているため、『龍血樹』と呼ばれるようになったという。それに、空の色が……ソルテラよりずっと濃いで、純粋だ」

「ハッ、呑気なもんだ」

イライアスは苦笑し、隣のグレイは何も言えずに微笑んだ。

長い汽笛が霧深い山岳地帯にこだまし、列車は速度を緩めた。

その先には、独立国家ベリゼの心臓部、首都サン・ベルディアが待っていた。

「……ほう。こいつはまた、随分と『野性的』な都だな」

窓の外を見たイライアスが、思わず口笛を吹いた。

整然とした石造りの街並みを誇るソルテラとは対照的に、サン・ベルディアは圧倒的な緑に覆われていた。街路樹というレベルではない。巨大な熱帯樹が建物の隙間から天を突き、屋根には蔦がカーテンのように垂れ下がっている。

だが、その緑の豊かさの代償として、街そのものは疲弊していた。

建物はかつての植民地時代のコロニアル様式だが、壁の塗装は剥がれ落ち、湿気とカビで黒ずんでいる。道路の舗装も所々が木の根で持ち上がり、ひび割れていた。

それは、独立から十年という月日が、決して平坦ではなかったことを物語る「経年劣化」の傷跡だった。ソルテラの建国はべリゼコロニーより数十年早いが、本国からの支援を貰って、ベリゼによりよくインフラとその整備ができる。

「華やかさはないが、生命力だけはある。……嫌いじゃない景色ですね」

グレイが曇った眼鏡を拭きながら、静かに評した。

駅に降り立つと、イライアス一行は軍用ジープに乗せられ、街の中心部にある臨時委員会本部へと連行された。

車を降りたイライアスは、目の前の建物を呆れたように見上げた。

「……おいおい、ここがこの国の中枢か? 随分と質素というか、ボロいな」

それは、かつての総督邸を再利用した古い庁舎だった。

ニフルヘイヴンの豪華絢爛な王宮とは比べるべくもなく、イライアスたちがかつて勤務していた王都の警視庁のあの威圧的な壮観さと比べても、あまりに貧弱だった。入り口の石段は欠け、壁には銃撃戦の跡らしき弾痕がそのまま残されている。

「見かけで判断するな」

キリアン大尉が先導し、重いオーク材の扉を開け放った。

「……ここは?」

通されたのは、天井の高いドーム状のホールだった。

その構造は、まるで大学の階段講堂のような部屋だった。

その部屋の正面、高い壇上には半円状に十三の席が設けられ、そこには軍服を着た将軍や、スーツを着る文官のようなものや、民族衣装を纏った部族長たちが鎮座している。彼らはまさに「教授」のように、眼下を見下ろす位置にいた。

対して、イライアスたちが立たされたのは、一番低い「生徒」の位置にある証言台だ。

だが、彼らの入場に気づく者は誰もいなかった。

壇上の十三人は、激しい議論――や、口論の真っ最中だったからだ。

「北部の国境警備はどうなっている! 予算が足りんのだ!」

「黙れ! 我が部族の若者をこれ以上、南の畑仕事に徴用するのは許さんぞ!」

「ソルテラの動きが怪しき今、内輪揉めをしている場合か!」

怒号が飛び交い、書類が舞う。

それは高潔な会議というより、市場の競り合いに近い熱気だった。

キリアン大尉は、しばらくその喧騒を冷ややかに眺めていたが、意を決して大きく息を吸い込み、軍靴を鳴らして敬礼した。

「――臨時委員会の閣下方!!」

大尉のよく通る声が、ホールに響き渡った。

「北の遺跡からにて確保した、『最重要参考人』を連行いたしました! ソルテラへの外交カードとなる者たちです!」

その一言で、嵐のような議論がピタリと止んだ。

十三人の視線が、一斉に眼下のイライアスたちへと降り注ぐ。

それは、値踏みするような冷徹さと、獲物を見る猛獣のような鋭さを孕んでいた。

「……ほう」

中央に座る、眼帯をした老将軍が身を乗り出した。

「此奴は我等の祖先から賜れし物を冒涜した輩か」

顔に刺青を刻み、民族衣装を纏ったイカル長老が立ち上がり、聞き慣れない南部の部族語で激しく吠え、杖で床を叩いた。

講堂の空気が一気に張り詰め、憲兵たちが銃を構える。

「……おい大尉。あの派手な爺さん、何て喚いてるんだ? 歓迎の挨拶じゃなさそうだが」

イライアスは困った顔をして、隣に立つキリアン大尉に小声で尋ねた。

イカル長老の怒号が響いた直後、スーツをパリッと着こなした中年の男 -経済・外交を担当する文官の委員が、まるで獲物を見つけたハイエナのように身を乗り出した。

「……長老、落ち着いてください。しかし、これは天啓です」

文官は眼鏡のブリッジを押し上げ、周囲の委員たちを見渡しながら熱弁を振るい始めた。

「皆さん、あの写真を見ましたね?」彼は講堂の中心にある看板に貼った写真を指差した。

「 これは明白な停戦協定違反であり、文化財破壊です。国際世論は我々に味方する。今こそ、ソルテラに奪われた『肥沃な東北部の農耕地』を取り戻す絶好の好機チャンスではありませんか!」

彼の言葉に、数人の委員が頷く。

「そうだ! ソルテラの腐敗した総督になど、正義はない!」

「一気に国境を越え、総督府を制圧すべきだ!」

講堂の熱気は一気に最高潮に達した。誰もが「正義の戦い」という甘美な響きに酔いしれようとしていた。

「……愚か者が」

その熱気を、氷点下の低い声が切り裂いた。

中央に座る眼帯の老将軍 -軍事最高顧問が、卓上の水を一口含み、静かにグラスを置いた音だけが響く。

「……バ、バルガス将軍? 愚か者とはどういう……」

文官が顔を赤らめるが、将軍は彼を見ようともせず、手元の作戦図を指で叩いた。

「おい、文屋。戦争は演説じゃできん。数字でするもんだ」

将軍は冷徹な隻眼でイライアスたちを一瞥し、そして委員会全員に告げた。

「確かに、総督の私兵は烏合の衆だ。七年前の戦争で我が軍に勝ったことに慢心し、今ではすでに気の緩みが見えている。我等軍部のシミュレーション計算では、『稲妻突撃戦ブリッツ・クリーク』を仕掛けた場合、ソルテラ駐留軍のみが相手なら、六割の確率で勝利できる」

「ろ、六割! 十分ではありませんか!」

文官が食い下がる。

「『ソルテラのみ』ならばな」

将軍は低い声で遮り、最も恐ろしい事実を突きつけた。

「……しかし、もし『ニフランド本国』が迅速に介入したらどうなる?あの北の大国が、自分の植民地を見捨てるわけがないだろう」

将軍は立ち上がり、壁の世界地図 に数々の植民地を持つニフランド王国を指差した。

「奴らの『王立海軍』と『魔導師団』は化け物だ、特にその海軍。たとえ我々が奇跡的にソルテラ全土を素早く鎮圧し、住民によるまともな抵抗や反乱がなかったとしてもだ……」

将軍は首を横に振った。

「その後に来るニフランドの世界一の官軍(正規軍)相手には、万に一つの勝ち目もない。我が国のジャガー戦士団など、近代兵器と魔法の雨の前では、ただの肉の壁だ。……六割の勝利の後に待っているのは、国家消滅という確率一〇〇%の敗北だぞ」

講堂は水を打ったように静まり返った。

文官は言葉を失い、長老も悔しげに杖を握りしめる。

「ニフランド王国」という絶対的な力の前に、小国ベリゼの「正義」など無力に等しかった。

「……だから言ったろう。感情で動くなと」

将軍は重苦しい溜息をつき、席に座り直そうとした。

その時だった。

張りつめた沈黙を破ったのは、グレイであった。

「……将軍。あなたの懸念は正しい。通常ならば、王国は即座に報復艦隊を派遣し、貴国を地図から消すでしょう」

そして、彼は一歩前に進み出ると、懐から一通の封蝋された書状を取り出した。

「ですが、もしその艦隊が……『エンジントラブル』や『悪天候』で、わざと到着が遅れたら?」

「……何だと?」

将軍が怪訝な顔をする。

「なぜ敵国のお前達を信用する?まさか、ニフルランドの王が自国の植民地を見捨てるとでも言うのか?」

「見捨てるのではありません。掃除を外部委託アウトソーシングしたいのです」

グレイは淡々と説明を続けた。

「現在のソルテラ総督は、本国の元枢機卿 -宗教派閥の過激派と結託しています。元枢機卿とは言え、その者はまだ後ろで大きな権力を握って、我が国の方針に影響します。彼の命で、汝等遺跡の略奪だけでなく、発掘した禁忌の遺物や、現地住民の人身売買による収益を、裏で教会へ流している。……これは、即位したばかりのオスカー国王陛下にとって、看過できない反逆行為です。今し、革命産業で、」

グレイは書状を掲げた。

「しかし、国王軍が自国の総督府を攻撃すれば、国内で内戦シビル・ウォーの火種になりかねない。

だからこそ、陛下は正当な理由を持つ第三者の手を借りたいのです」

「……その手紙を見せろ」

委員席の端に座っていた老齢の外交官が手を伸ばした。彼はかつて宗主国との交渉を担当し、王族の筆跡にも明るい人物だ。

グレイは恭しく、その書状を外交官の元へ届けた。

封蝋には、ニフルヘイヴン王家の紋章である「双頭の鷲」が押されている。

外交官は震える手で封を切り、中身を調べた。

王家の紋章が印された便箋には、流麗な筆記体でこう記されていた。

「我が友よ、そして真実の探求者たちへ。

 獅子身中の虫を討つに、我が剣は重すぎる。

 故に、南の風を借りて毒を払わん。

 我が艦隊は"逆風"により、到着が三日遅れるであろう」

外交官は息を呑み、何度も文字を指でなぞった。

「……うん。間違いない。この独特の王家の紋章、ハネ、インクの滲み方……。これは確かに、オスカー王子……いや、オスカー国王陛下の直筆だ」

彼が南国の言葉で手紙の内容を復唱し、講堂がどよめいた。

敵国の王が、事実上の攻撃許可を与えたのだ。

「……なるほどな」

バルガス将軍が、低い唸り声を上げた。

「ニフランド軍は動く。だが、わざと遅れてやってくる。我々ベリゼ軍が総督府を制圧し、総督を捕縛した頃を見計らってな」

「その通りです」

グレイは頷き、眼鏡の位置を直した。

「我々が総督を拘束すれば、後から到着したオスカー国王軍は、こう宣言するでしょう。

『我が国の総督を人質に取った暴徒を鎮圧しに来た』と。

……そして、裏取引で総督の身柄を引き渡し、貴国軍は『作戦完了』として撤退する。

ベリゼは遺跡破壊への報復という名誉を得て、国王は腐敗の粛清という実利を得る。

……Win-Winの計算式です」

将軍はしばらく天井を仰ぎ、やがて凶悪な笑みを浮かべた。

「……気に入った。狐のような王と、狸のような部下たちだ」

将軍は席を蹴って立ち上がり、軍刀を抜いた。

「全軍に通達! 作戦製作を開始する!目標はソルテラ総督府!ただし、これは戦争ではない。害虫駆除だ!ニフルランド艦隊が到着する前に、総督の首根っこを押さろ!!」文官は興奮した状態で宣言をした。

「おうッ!!」

十三人の委員たちが、迷うものはまだいるが、意見を少し統一した。

イライアスは隣のグレイを肘で小突いた。

「……へっ、お前も言うようになったな。掃除の外部委託だと?」

「事実ですから。それに……」

グレイは安堵のため息を漏らした。

「あの手紙、国王様がかつて五課の者が不当に追放された際、そのお詫びの印としてミラー課長に送ってきた、本物の御璽ぎょじとサインが入った親書で本当によかったです。課長からあの千ポンドの金と一緒に手渡された時はどう処理したものかと思いましたが、まさかこんなハッタリに使えるとは」

 イライアスはパイプを咥え直して、鋭い眉をひそめた。

「おい、サインが本物だとしても、あの外交官が読んだ『逆風で遅れる』なんて文面は、テメェがその場で幻惑の魔導インクを使って偽造したデタラメだろ。ニフランドの艦隊が本当に三日遅れてくる保証がどこにある?」

「保証なら、これから作ります」

 グレイは眼鏡のブリッジを指先で押し上げた。

「ベリゼ軍が総督府へ進撃を開始した以上、今すぐ本国のオスカー陛下へ、総督の決定的な密輸の証拠を添えて緊急の暗号電信を入れなければなりません。陛下に直接『総督の不祥事を内密に処理し、ベリゼ側に泥を被せるため、艦隊の到着を三日遅らせてほしい』と直訴し、僕たちのついた嘘を、本物の軍令にすり替えてもらうのです。……急ぎましょう、陛下との連絡が少しでも遅れれば、僕たちは本当に敵前逃亡のペテン師として両国から処刑されますよ」

「へっ、相変わらず心臓に悪い大博ダイバクチを打ちやがる」

 イライアスは獰猛に笑うと、コートを翻して歩き出した。

「なら、一刻も早くその『王様』とやらを俺たちの共犯に巻き込みに行くか、グレイ」


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