第六章 隣国
数日後。ソルテラ植民地総督府。
シャンデリアが輝く大広間では、遺跡から持ち帰った一部の財宝を並べ、豪勢な祝賀会が開かれていた。
「素晴らしい! これこそ古代の遺産だ!」
豚総督はワイングラスを片手に上機嫌だった。しかし、宴会後、別室で傭兵のリーダーから真の報告を受けると、その表情は一変した。
「……なんだと? まだ生きているだと!?」
総督の声が低く響く。
「はい。大勢の人の前では言いづらいですから。奴らはベリゼへ抜けました。……総督、追加報酬を頂ければ、俺たちが掃除に行きますが?」
傭兵のリーダーが下卑た笑みを浮かべて提案する。
その会話を、給仕のふりをして近くに控えていたハワードは聞いてしまった。
総督は脂汗を流し、ワイングラスをテーブルに叩きつけた。
「当然だ! 直ちに行け!いいか、あの遺跡の発掘は国際条約違反だ。もしベリゼや本国の教会に『私が軍を使って遺跡を荒らした』と知られれば、私の破滅だ!イライアスの一行、一人残らず殺せ! 口封じだ!」
「へへっ、承知しやした。国営企業の隊商護衛って名目で入国すりゃ、重武装でも怪しまれねえ」
「それでいい、明日夜の前の出発!」総督は一気にワインを飲み干し、そして何かを思い出したのようで秘書官につぐ「念の為に、そやらの指名手配の製作と散布を、もし街に戻ったら面倒が省ける。罪名は、そうね、教授の拉致。見つけ次第、生死を問わず連れ戻せ、いいな!」
「かしこまりました、早速用意します」
その夜、傭兵たちの宿舎。
祝杯を挙げて酔いつぶれる仲間たちを尻目に、ハワードはこっそりと装備をまとめ、宿舎を抜け出した。
(俺は……クソッ、俺は何をやってるんだ!)脳裏に浮かぶのは、密林で自分の命を助けたグレイの冷ややかな、しかし理知的な瞳。
そして、保身のために恩人を平然と売るリーダーの醜悪な笑み。
「……金で魂までは売れねえよ」
ハワードは闇夜に向かって走り出した。
目指すは国境付近にある、ベリゼの出先機関(領事館)。
彼は知っていた。自分がこれからしようとしていることは、祖国への反逆であり、戻る場所を失う行為だと。
それでも、彼は走った。
迫りくる合法的暗殺部隊よりも一秒でも早く、あの人たちに危険を知らせるために。そう思いつつ、彼は数キロ走ったせいで、息も絶え絶えになって、貴族街にある国外特別公使館の裏口へと辿り着いた。そして、強力でそきある裏口の重厚な鉄柵に叩いた。
「撃たないでくれ! 私はソルテラ軍の協力者だ! 重要な情報がある!」
銃口を向ける警備兵に対し、ハワードは膝をつき、必死に訴えた。
「政治亡命を希望する! その代わり、今この国に入ろうとしているブランド教授にフランドからの守り人の話を聞いてくれ! 彼らはこの大陸を揺るがす証拠を持っているんだ!」
ソルテラとべリゼの山の国境線
イライアス、グレイ、サラ、ピーター、そしてブランドン教授と二人の生徒の七人は、傭兵部隊と別れ、北西の山脈へと足を踏み入れていた。
「ハァ、ハァ……。なんて道だ。これなら総督の兵と撃ち合っていた方がマシだったかもしれん」
教授が泥だらけの足をさすりながら愚痴をこぼす。
「無駄口を叩くな、教授」
イライアスが先頭で鉈を振るい、密林を切り開く。
「港には私が購入した秘密船があったが、あれに乗るのは自殺行為だ。例え、我々が生きていた情報は漏れ、総督が指名手配を出したら、それで終わりです……だが、この山越えルートなら、総督も追ってこれねえ」
グレイが地図(総督の隠し金庫から押収したもの)を確認する。
「ここはかつて、総督がベリゼの汚職官僚と結託して使っていた非公式の交易路(密輸ルート)です。地図によれば、この峠を越えればベリゼ領の緩衝地帯。……ですが、警備がザルだという保証はありません」
峠を越え、霧の立ち込める谷間に入った瞬間だった。
ヒュンッ!
風を切る音がして、イライアスの足元の地面に、鮮やかな鳥の羽がついた矢が突き刺さった。
(また原住民か、イライアスはそう思って、剣を出す構えを)でも、そうではないらしい。
「止まれ! 動くな!」
それと同時に、ライフル(ニフランド製より旧式だが、整備されている)の装填音が周囲から響く。
「……囲まれたか」
イライアスたちが両手を挙げる合図をする。
霧の中から姿を現したのは、ベリゼ国境警備隊の小隊だった。
彼らの姿に、教授は目を丸くした。
「なんと......! これが正規軍なのか?」
彼らは統一された軍服を着てはいたが、その着こなしは独特だった。
一望すると、多くの兵士が、顔や腕に部族特有の幾何学模様の刺青を入れている。その兵士達の 装備は 最新の弾帯と共に、伝統的なポンチョや、魔除けのビーズ飾りを身につけている。
その時、指揮官模様の者が 現れた。どうやらこの部隊の小隊長。彫りの深い原住民の顔立ちをしており、耳には巨大なピアス(翡翠の耳飾り)が揺れていた。
ソルテラでは「下等市民」として扱われる原住民と混血者が、ここでは将校として部隊を率いているのみたいだ。
小隊長が何かを叫んだ。
『¡Alto! ¿Quiénes son ustedes? ¿Espías del Norte?』
(止まれ! 貴様らは何者だ? 北の密偵か?)
イライアスが眉をひそめる。
「……おい教授。なんて言ってる? こいつら、二フランド語じゃねえぞ」
「ふむ、これは……『マラヴェーリャ語』だ」
教授が前に進み出た。
「知ってる通り、ソルテラとベリゼは、かつて南の大国『マラヴェーリャ連合王国』の植民地だった。この言葉はその名残だ。私が話そう」
教授は咳払いし、アカデミックな(しかし古臭い)マラヴェーリャ語で話しかけた。
「我等は怪しい者であらず、学術調査の帰りに道に迷った旅人であり……』
しかし、小隊長の反応は冷ややかだった。彼は教授の言葉を無視し、軽蔑したように唾を吐き捨てた。そして、傍らにいた若い兵士に顎で合図を送った。
若い兵士が進み出る。彼は二フランド語を話せたが、その目は冷徹だった。これが軍属の通訳官だ。
「……隊長はこう言っている。『その爺さんの言葉は、カビの生えた古い詩集のようだ』とな」
通訳官は冷笑混じりに続けた。
「あんたが話しているのは、数百年前に貴族が使っていた古典マラヴェーリャ語だ。今の我々が使う生きた言葉じゃない。……それに、我々はニフルランド人を信用しない」
「な、なんだと……!」
教授が絶句する
霧が濃い。銃身から滴る露が地面を叩く音すら聞こえる静寂の中、通訳官の冷徹な声が響いた。
「ここを通るネズミは二種類しかいない。総督の密輸業者か、総督から逃げてきた脱走兵だ。……貴様らはどっちだ? 答え次第では、この地の肥料になってもらう」
イライアスは一歩前に出ようとする教授を片手で制し、通訳官の目を真っ直ぐに見据えた。
「……どっちでもないな。俺らは兵士じゃない」
その言葉を通訳官が小隊長へ伝えると、顔に鮮やかな刺青を入れた隊長は、イライアスたちを舐めるように観察し、不敵な笑みを浮かべて部族語で捲し立てた。通訳官がそれを苦々しく翻訳する。
「『じゃあ、その連中は何者だ? 姿形は軍人そのもの……いや、訂正する。その薄汚れた身なり、だらしなさは、規律あるソルテラ軍ですら見たことがない。貴様らは、金で動く傭兵だな?』……隊長の疑問には一理ある。軍人のような殺気を持ちながら、軍人特有の硬さがない」
警備隊の兵士たちが、無言のまま距離を詰めてくる。一人の兵士がイライアスの腰にある愛剣に手を伸ばした。
「おい、待て! 俺の愛剣に気安く触るんじゃねえ!」
イライアスが思わず怒声を上げ、手を振り払おうとする。だが、言葉が通じない兵士にとって、それは明白な抵抗だった。周囲のライフルがいっせいにイライアスの喉元へ突きつけられる。どれだけ言葉で訴えても、通訳官はそれを無視し、ただ冷ややかに事態を眺めているだけだった。
「……落ち着け、イライアス。ここでやり合っても死ぬだけだ」
グレイの静かな制止に、イライアスは忌々しげに舌打ちし、拳を解いた。剣が奪われる。
「……元『守り人』だ。まあ、ある意味じゃ総督に愛想を尽かして逃げ出した脱走兵と、似たような境遇かもしれねえがな」
「『守り人』? 聞き慣れない名だな」
通訳官が訝しげに眉をひそめたその時、沈黙を守っていたブランドン教授が、自身の正当性を証明しようと鼻息荒く前に踏み出した。
「待ちなさい! 私はニフルヘイヴン王立大学の考古学教授、ブランドンだ。国王陛下の密命を受け、この地に点在する数々の古代遺跡の調査を行っていた者である! 乱暴はやめなさい!」
「教授、やめろ……!」
グレイが止めようとしたが、時すでに遅かった。通訳官が「遺跡調査」という単語を伝えた瞬間、小隊長の目の色が変わった。
「遺跡だと!?」
小隊長が激昂し、マラヴェーリャ語で鋭く命令を下した。周囲の兵士たちが一斉に突き進み、七人の腕を力任せに捻り上げる。
「待て! 何をする!」
「……黙れ。貴様、知らぬのか? 遺跡の一方的な調査は、ソルテラと我が国の間で結ばれた停戦条約に対する明白な違反行為だ」
通訳官の目は、先ほどまでの軽蔑から、獲物を捕らえた鷹のような鋭さへと変わっていた。
「全員を拘束しろ! この七人は単なる不法入国者ではない。両国のパワーバランスを崩しかねない重罪人だ。キリアン将校の元へ連行する!」
アスは、教授に向かって小声で毒付いた。
「……おい教授。あんたの知識は、時として爆弾よりタチが悪いぜ」
霧の向こうから、軍用トラックの排気音が近づいてくる。彼らが運ばれる先は、自由の地ベリゼではなく、底の見えない政治の泥沼の中だった。
コンクリート打ちっぱなしの無機質な取調室。
眩しいランプの光が、椅子に縛り付けられたイライアスとグレイを照らし出していた。
「……さて、ニフルヘイヴン語で話そうか。その方が都合が良いだろう?」
入ってきた男は、先ほどの国境警備隊とは明らかに毛色が違った。
整えられた口髭、褐色の肌、そして仕立ての良い軍服。彼は椅子に座ると、優雅な手つきで葉巻に火をつけた。
「私はベリゼ軍情報部のゴドフレド・キリアン(Godofredo Kilian)大尉だ。
……君たちと一緒の教授と学生とやらは、荷物から、遺物らしきものが幾つか発見、別室で国際法と条約違反の講義を受けている最中だよ。泣きながらね」
ゴドフレド煙を吐き出し、机の上にイライアスたちから没収した装備品 -大剣、改造された銃、特殊な魔導具、そして暗号化された手帳、数十枚の魔導紙 -を並べた。
「君たちの武装は、正規軍のそれではない。だが、素人の装備でもない。特にこの手帳……グレイ君と言ったかい? 君の筆跡と暗号化術式は、かつて私が南部の士官学校で見たものと酷似している」
ゴドフレドは身を乗り出し、黒曜石のような瞳で二人を射抜いた。
「正直に言おう。我々はソルテラの豚総督が大嫌いだ。だが、『スパイ』はもっと嫌いだ。……君たちは何者だ? 王室の犬か? それとも、ただの金に汚いドブネズミか?」
数時間に及ぶ尋問。
ゴドフレドは声を荒らげることも、暴力を振るうこともなかった。ただ、淡々と事実の矛盾を突き、精神を削り取っていく。それは一流のプロ尋問官の仕事だった。
深夜、尋問が終わった。
「なるほど、総督に脅されて、遺跡に行った。まあ、我々は他の者と君らの証言と合わし、そして、その真否を見定める」
イライアスたちは地下の臨時監獄へと放り込まれた。
湿った石壁、鉄格子の冷たさ。隣の房には、疲れ果てて眠るサラやピーターたちの姿が見える。
「……ねえ、イライ」
静寂の中、壁一枚隔てた隣の独房から、グレイの低い声が聞こえた。
いつもの冷静な響きではなく、どこか弱々しい、迷子のような声だった。
「俺達、人生の選択……計算を間違えすぎたんでしょうか?」
イライアスは冷たい石床に背を預けたまま、天井を見上げた。
「……うん?」
「養成学校の首席と次席で卒業して、一流の守り人として名が広がる……あなたと組んで十五年。結果がこれです。北の雪山で凍えかけ、南の密林で国際指名手配犯になりかけ、今はカビ臭い牢屋の中だ」
「確率論で言えば、今の私は貴族の屋敷で紅茶を飲んでいるはずだったんですがね」
「ハハ……」
普段なら、「それが冒険ってもんだろ」と軽口を叩くイライアスだったが、今は乾いた笑いしか出なかった。
かける言葉が見つからない。相棒をここまで巻き込んだのは、間違いなく自分なのだから。
「……悪かったな、グレイ」
「謝罪は不要。……ただの、再計算だけから」
会話はそこで途切れた。重い疲労が、泥のように彼らの意識を沈めていく。
時刻は不明。おそらく深夜3時を回った頃。
突如として、廊下の照明が一斉に点灯した。
バチッ!
「ん……なんだ……?」
イライアスが眩しさに目を細める。
カツ、カツ、カツ……。
規則正しい、重厚な軍靴の足音が廊下に響き渡り、彼らの独房の前で止まった。
鉄格子の向こうに立ったのは、尋問官のロドリゴではない。
もっと若く、しかし鋭い眼光を持った副官らしき男だった。
彼は手にした書類と、イライアスの顔を交互に見比べ、感情のない声で問うた。
「……貴様、ハワード・アルヴィンという人物を知っているか?」
その名を聞いた瞬間、イライアスの眠気は吹き飛んだ。
「はい、我々と共に遺跡に探索した傭兵の一人です」
「うん、そっちの話に合っている。では、いい知らせを教えるんだろう、あの豚総督、他の傭兵に、君らの暗殺命令が出た。それに、ソルテラで君らの指名手配も、あの教授の拉致の罪名で、生死問わずだと」
「はっ?!」イライアスとグレイは驚いてなの言い返す言葉もない。
「ラ、拉致だと!?」
沈黙を破ったのは、向かいの房で話を聞いていたブランドン教授だった。彼は鉄格子に駆け寄り、唾を飛ばして叫んだ。
「馬鹿だな! 私は自らの意思で彼らに同行しているのだ! 被害者などではない、彼らは私の護衛だぞ!」
大尉は、教授の抗議を煙と共に吐き出した。
「落ち着いて。教授、あんたがここで何を喚こうが関係ない。ソルテラでは既に『凶悪な傭兵団が、国宝級の頭脳であるブランドン教授を拉致し、遺跡の秘宝と共に逃走した』というシナリオが出来上がっている。……大衆はそれを信じるし、軍もそれを大義名分に動く。つまり、君たちが国境を越えて戻った瞬間、弁解の余地なく射殺されるということだ」
「そ、そんな……」
教授は力なくその場に崩れ落ちた。
イライアスは鉄格子を握りしめ、ぎりりと歯を鳴らした。
「……それで? あんたが言う『いい知らせ』ってのは何だ?俺たちが指名手配犯で、故郷には帰れず、ここでも不法入国者として処刑されるのを待つ身だってことか?」
「早とちりするな」
キリアンはニヤリと笑い、懐から一枚の通信記録を取り出して、鉄格子の隙間からヒラヒラと見せつけた。
「君らはこのハワード・アルヴィンという男に感謝するんだな。彼が昨夜、我が国のソルテラの公使館に駆け込み、泥だらけになって政治亡命を申請しなかったら……君らは今頃、間違いなく処刑されていた」
「処刑……?」
イライアスが眉をひそめる。
「ああ。ソルテラ軍の話じゃないぞ。ここの地元の掟だ」
キリアンは煙草の煙を天井に吹き上げ、低い声で続けた。
「この辺りのジャングルに住む部族にとって、遺跡は先祖の霊が眠る絶対的な聖域だ。それを土足で踏み荒らした余所者に対し、彼らは容赦しない。昨夜、部族の長老たちによる緊急会議が開かれ、君ら全員に対する即時死刑が満場一致で可決されていたんだ」
「……なっ」
隣の牢で聞き耳を立てていた教授が、青ざめて息を飲む音が聞こえた。
「本来なら、我々軍部も地元の掟には干渉しない。君らは夜明けと共に長老たちに引き渡され、ジャングルの肥やしになるはずだった。……だが、ハワード君の情報がすべてを変えた」
キリアンは愉しげに笑みを深め、イライアスたちの顔を一人ひとり見渡した。
「君らが単なる欲に目が眩んだ墓荒らしなら、死刑は妥当だ。だが……君らがソルテラ政府の命令で動かされ、用済みになった途端に『口封じ』されそうになっている哀れな捨て駒だとしたら?話の性質は全く変わってくる」
彼は一度息を整え、感情を抑えて自分の判断を冷静に述べた。
「……なるほど。墓荒らしならば処刑対象ですが、隣国の不正を暴く『被害者』であり『証人』ならば、ベリゼ政府として保護する大義名分が立つ、ということですね」
「その通りだ。君は話が早くて助かる」
キリアンは指を鳴らし、部下に解錠を命じた。
「ハワード君は、自分の命だけでなく、君らの立場の定義まで書き換えてみせたんだ。
……さあ、出ろ。もはや君らは犯罪者ではない。我々がお待ちかねの『最重要参考人』様だ」
ガチャリ、と重い錠が開く音が響いた。
それは、彼らが死の淵から生還した音でもあった。




