第五章 神殿
入口をくぐった瞬間、外の蒸し暑さは嘘のように消えた。でも、その代わりに、誰も彼も、頭痛がじわじわと込み上げてくる。
神殿の内部は薄暗く、厚い石壁に囲まれた空間はひんやりと静まり返っている。
高く尖った石の天井は、声を低く反響させ、わずかな足音さえも重く引き延ばす。水滴が石に落とした音と重なり、まるで何らかな旋律を奏でている。
「皆、ここにマーナが溜まって、このシールを貼って。マーナ中毒やマーナ病になったら大変になる」イライアスが一日で緊急用意した物資から耐魔シールを探して、周囲に配る。
「でも、涼しいな、ここは。凄いぞ、こんな建物を作ったラガルル人。そんな名前でしたけ?」
「惜しい、だが、近い。ラガルタルです」教授はグレイのミスト訂正「彼等の言語はもっとLah-Kʼar-Talに近い、その意味は土と鱗の子」
「ラガルト?待て、それ、俺たちが食べた密林蜥蜴じゃん!」
「あ、だから、原住民達は肩、背中やこめかみに鱗状の刺青が着いている」
「でも、こんなに膨大な体型を持つ密林蜥蜴もありますか?」ピーターは魔導ランプ壁画の中央へと向けた。揺れる光の中に浮かび上がったのはラガルト人が巨大な密林蜥蜴を奉る画面。
「そうですね。遺跡の本格的な探索が始まったのは三年前のことで、それまでは神殿そのものが見つかっていませんでした。そのため、考古学や人類学の分野でも、この話題については研究がまだ十分とは言えません。ただ、一つの説は以前から存在していました。かつてこの地には、密林に棲む巨大な蜥蜴がいたというものです。馬よりも扱いやすく、どんな地形でも容易に移動できたとされます。その結果、人々はその密林蜥蜴を御神体として崇めるようになり、逆に車輪の発明には至らなかった。ま、こんな密林と山々があって当然の結果だ。さて、そのような存在がいたとすれば、それは果たして福だったのか、それとも禍だったのか……」
「なるほど。これにあれに会えないといいが……」
「あの、教授さん。この話も面白いが、そろそろ中に入ろうか。俺たちの金銭欲はたまらない」傭兵のリーダみたいなものがチャラい口調で教授に進言をした。
教授は一瞬に傭兵達を睥睨した顔をして、でもすぐに笑顔で
「すみません。我々はまだ仕事がありまして、壁画の写真とか。お先に前に進んでもいいですよ。あ、っそ、不測な事態を備えるため、やっはり、二人で神殿の正門で見張りを。先の原住民の軍勢が心配」
「教授さんはすごっ。これまで考えたか。よっしゃ、!ハリー、ハワード、お前ら、門前で見張りを」
「おっす!」二人の若き傭兵が同時に応じた。
「では、俺たちは先に宝物探しに……」
教授は何も言えず、ただ頷いて、学生二人に指示するのが忙しくて、絵も描き始めた。
「でも、その蜥蜴、出てこないかい」ピーターは怖気付いて「やっぱり、グレイが魔力探索をして、確定な状況がわかった上で、前に進みましょう」
グレイは同意の意思をつたえようと、ピーターの言葉が終わるか終わらないかの時、神殿の奥、暗闇に包まれた天井付近から、グルルル……という重苦しい音が響いた。
「……教授、その前に言った、タチが悪いの罠とやらが、お出ましみたいですよ」
イライアスが剣を構える。
闇の中から、黄色く光る巨大な二つの眼が現れた。
ドスンッ!
床石を砕いて着地したのは、全長10メートルはあろうかという巨大な蜥蜴だった。
緑色の鱗は鉄のように硬く、背中には鋭い棘が並んでいる。
「どうして我々の存在を……」
「まさか、先、入口の崩れで起こされただろう、だいぶ機嫌が悪いそう」
ピーターが盾を構えながら叫ぶ。
「種類は同じだが、サイズがデケェよ! こいつは主クラスだ!」
イライアスが叫ぶと同時に、大蜥蜴が咆哮を上げた。
ギャオオオオオオッ!!
蜥蜴は巨体に似合わぬ敏捷さで体を捻ると、丸太のような肥大した尻尾を振り回した。
ズガァァァン!!
「危ないッ!」
尻尾の一撃が、神殿を支えていた太い石柱を直撃する。
千年の時を経て脆くなっていた柱は、飴細工のように粉砕され、天井の一部がガラガラと崩れ落ちてきた。落ちた石がこの騒動で転んだ傭兵の一人の背中に命中、その人は脊髄切断で即死。
「ひぃぃぃっ! 私のスケッチが!」
「教授! 絵なんて描いてる場合か! 下がるんだ!」
学生たちが慌てて教授を引きずって後退する。
狭い神殿内での暴れっぷりに、イライアスも攻めあぐねていた。
「チッ、暴れるな! ここが崩れたら全員生き埋めだぞ!」
剣で斬りつけるが、鱗が硬すぎて火花が散るだけだ。通常のリボルバーやライフルでは、その身を一毫も傷つけることは叶わなかった。
イライアス、離れてください!」
後方から、冷静な声が響いた。
サラーだ。彼女は課長から支給された『軍用魔導ライフル』を構え、銃身にある魔力シリンダーを回転させていた。
「通常の弾丸や魔弾ではありません。私が自身のマーナを上乗せして、貫通力を底上げ(ブースト)します!」
サラーの全身から青白い光が溢れ、ライフルの銃身へと吸い込まれていく。
銃身が過熱し、赤く輝き始めた。
「ピーター、あいつの口をこじ開けろ! 柔らかい体内なら効くはずだ!」
「む、無茶言わないでくださいよぉ! ……ええい、ままよッ!」
「その口を開けるままに、体に内部はきっと弱点となる!」
その指示を聞いたピーターは、歯を食いしばり、大盾を構えたまま一歩踏み出した。
大蜥蜴が唸り声を上げ、巨体を揺らして突進してくる。地面が震え、腐葉土が跳ね上がった。
正面衝突 -その瞬間、ピーターは盾を斜めに突き出し、開きかけた蜥蜴の顎の内側へと強引にねじ込んだ。
金属が牙に噛み合い、嫌な音が弾ける。盾の縁が顎骨に引っかかり、蜥蜴の口はそれ以上閉じきれない。
「今だァッ……!」
全身の体重を乗せて踏ん張ると、ピーターは盾を支点に押し広げた。
粘つく息と生温い熱気が吹きかかり、喉の奥が暗い洞のように露わになる。
蜥蜴は苦しげに身をよじり、低い鳴動を漏らしたが、口は開かれたままだった。
盾を蜥蜴の開け放しの口残り、ピーター敏捷に脇へ跳びのき、叫んだ「は、早くしてください……! これ、長くは持ちませんからぁッ!」
ドォォォン!!
サラーの魔導ライフルから放たれた極大の魔弾は、ピーターの盾を鉛筆が紙を破るのように容易く貫く、密林蜥蜴の開かれた口内へ吸い込まれ、その巨体の内部で炸裂した。
「ギャッ……!」
主は悲鳴を上げる間もなく絶命し、地響きを立てて崩れ落ちた。
「ふぅ……。過剰火力でしたか」
グレイが赤熱した銃身から煙を吹く。
「ようやく一息つけそうだな。」ピーターはため息をつきながら言った。
でも、どうやら、この異国の神様―実在するならー彼等を休憩する心もりは微塵もない。
入り口の方から、見張りの傭兵の一人が転がるように駆け込んできた。
「た、助けてくれ! 奴らだ! 原住民が来たぞ!」
イライアスが即座に反応する。
「数は!? もう一人はどうした!」
「外はうじゃうじゃいる! 相棒は……入り口で魔導火炎放射器で火の盾をしてるが、時間の問題だ!」
イライアスたちが入り口へ向かおうとした瞬間、奇妙なことが起きた。
外にいる原住民たちは、入り口を取り囲んでいるものの、誰一人として神殿の中に足を踏み入れようとしないのだ。
代わりに、彼らは奇妙な言葉を詠唱しながら、杖を掲げていた。
「……入ってこない? なぜだ?」
ピーターが盾を構えたまま困惑する。
ブランドン教授が、顔色を変えて叫んだ。
「いかん! 彼らにとってここは『聖なる神殿』なのだ!」
「はあ? だから遠慮してるって言うのか?」
「違う! 部落の大司祭の許可なく立ち入ることは、彼らにとっても死罪に値する禁忌。だから彼らは入ってこない。……代わりに、我々を浄化するつもりだ!」
入り口を守っていたもう一人の傭兵が、苦悶の声を上げて後ずさりしてきた。
「がっ、あ……あがっ……!」
彼が抑えた喉の隙間から、血と肺部の組織ごと吐き出した。
そして、その後ろから黒色の濃密な霧が、生き物のように神殿内へ流れ込んできた。
「ど、毒ガスだッ!!」
学生のマリアンが悲鳴を上げる。
「ただの煙じゃない! あれは原住民のみができる謎の魔法による毒霧です! 吸い込んだら肺が溶けるぞ!」
グレイが叫び、とっさに風魔法で霧を押し返そうとするが、入り口が狭く、外からの魔力圧が強すぎて押しきれない。
喉をかきむしっていた傭兵は、そのまま床に倒れ伏し、二度と動かなくなった。
外の原住民たちは、自分たちの手を汚さず、害虫駆除のように侵入者を燻り殺す気だ。
クソッ、入り口は塞が塞がれた! 籠城してもガスで全滅だ!」
イライアスは周囲を見回す。窓はない。壁は分厚い石。
「……イライアスさん! あそこ!」
崩れた石柱と、蜥蜴の死体の下から、暗黒の空洞が口を開けている。冷たい風が吹き上げているのが見えた。
「先が傭兵達が行きたい地下か!?」
「賭けるしかねえ!」
イライアスは決断した。
「全員、あの穴へ飛び込め! 毒ガスを吸うよりはマシだ!」
「ええっ!? 底が見えませんよ!」
「文句を言うな教授! 死にたくなきゃ走れ!」
傭兵たちは我先にと穴へ走り、学生たちも続く。
グレイとサラが殿を務め、牽制の弾幕を張りながら、充満し始めた紫の煙から逃れるように穴へと身を躍らせた。
ドサッ、ゴロゴロ……!
滑り台のような斜面を転がり落ち、一行は硬い石の床に投げ出された。
滑り落ちた先は、巨大なホールになっていた。
カンテラの光が届かないほど広い空間だが、足元の「感触」が異様だった。石の床ではない。何か、乾いた脆いものを踏みしめる音がする。
「……なんだ、これ?」
傭兵の一人が松明を掲げ、息を呑んだ。
そこには、おびただしい数の白骨死体が積み重なっていた。
朽ち果てた軍服、錆びついたサーベル、そして特別な形をしていた魔導銃。
「この紋章……『マラヴェーリャ連合王国(El Reino Unido de Maravella)』の軍隊か」
グレイが、骸骨の胸に残っていた真鍮のバッジを拾い上げて呟く。
「南部国……ああ、そうか」
イライアスは記憶を手繰り寄せた。この密林地帯は、十年前までは南部国の植民地だった。
当時のニフルヘイヴン王国との間で起きた「王位継承干渉戦争」。その混乱に乗じて、ニフルヘイヴンはこの地を武力で奪い取ったのだ。
「十年前、撤退戦の最中に行方不明になった一個小隊……まさか、こんなところにいたとはな」
だが、死体の数は異常だった。
数百、いや千に近いかもしれない。兵士だけでなく、現地の労働者や女性らしき服の残骸も混じっている。
彼らは折り重なるように死んでおり、まるでゴミのように捨てられていた。
ウッ……。
イライアスは鼻を覆った。実際には乾いた埃の匂いしかしないはずなのに、脳裏にはあのニフルヘイヴン下水道の悪臭が蘇っていた。
「……黒死病か?」
彼がかつて見た、疫病で死んだ貧民街の死体の山。
「ここも、未知の疫病の隔離施設だったのか? だから入り口を塞いだのか?」
傭兵たちがざわめき始める。
「おい、疫病だってよ!」
「ふざけんな! 移ったらどうすんだ!」
「いいえ。……違いますよ、イライアス君」
冷徹な声が響いた。
ブランドン教授が、骸骨の山に膝をつき、一つの頭蓋骨を手に取っていた。彼は愛用の手袋をはめ、それを慈しむように、あるいは哀れむように観察している。
「疫病で死んだ者は、骨にこのような痕跡を残さない」
教授は頭蓋骨を裏返し、頸椎の部分をイライアスたちに見せた。
「見てたまえ。第一頸椎と第二頸椎の間が、スパッと綺麗に切断されている」
イライアスが目を凝らす。
確かに、骨が砕かれたのではなく、鋭利な刃物で外科手術のように切断されていた。
「こっちの骨も、あっちの骨もだ」
教授は次々と骨を拾い上げる。
「病死でもなければ、戦闘による戦死でもない。戦闘なら傷は不規則になるはずだ。
だが、これらは全て同じ角度、同じ箇所を一撃で断たれている」
「へえ、教授は検死もできるの?」
「いいえ、ただ、考古学や人間学者は時には遺骨の検査をするからです」教授は敬意を込めて、骸骨を元の場所に戻した。
「おい、今呑気に千年前に死んだやつに落ち込む時ではない。あのやばい黒毒ガスは間も無く追いでくる。どうする?」
「それなら、ここ!」ピーターは盾を壁に片寄り、耳に当たって、叫んだ「何の声か、風じゃない……水!水だ!」
「水で何が?この遺跡の側には川、水音を聞いても当たり前だ」グレイは冷ややかな表情で言い返した。
「いええ、水は低い方へ流れる」イライアスは同じく壁に耳を澄ませた「ここには地下水路がある可能性は高い、辿り着いたら、外へ出ることもできる」
「本当?」グレイは半信半疑で魔力探知の術式を手で描いて、壁を叩く、薄い緑のリングが現れて、そして忽ち消えて行く「……うん、確かに」彼は壁沿いを緩やかに歩いて叩き続き、祭壇の所で止まった「
「……ビンゴです。この祭壇の裏手、壁の構造が極端に薄くなっている場所があります。その向こうは空洞……おそらく地下河川です」
「貴様、壁を壊す気!?」
ブランドン教授が悲鳴のような声を上げた。
「ここは貴重な考古学的資料の宝庫だぞ! 爆破などすれば、歴史への冒涜だ!」
「教授、歴史になる前に私我々が歴史(死体)になりますよ」
「ヤッホ! 教授さん、どうせここはもうすぐ粉々だ。だったら全員、遺物を持って帰ってもいいだろ?」
巨大蜥蜴の襲撃で一度は恐怖に竦んでいた傭兵たちも、貴重な遺物が容易に手に入りそうだと分かるや、たちまち色めき立った。
死の恐怖は薄れ、代わりに欲と興奮が顔を覗かせる。
教授は答えず、ただ黙って彼らを一瞥した。
その視線には咎める色も、期待もなかった。
やがて短く息を吐き、諦めたように肩を落とす。
「……うん。壊されてしまうくらいなら、君たちが持ち去るほうがまだましだろう。私と学生たちで、考古学的に最も価値のあるものを選ぶ。残りは――好きにしてくれ」
その声音には、どうしようもない現実を受け入れた疲労が滲んでいた。
教授は二人の学生とともに、刻文石板や護符を慎重に選び分けていく。一方で、傭兵たちは待ちきれぬ様子で散り、祭具も骨片も土器も、手当たり次第に袋へと放り込んだ。地下の生贄の場は、瞬く間に空同然となった。
同時に、イライアスは「よし、やるぞ」
彼が鞄から、密林の岩盤破砕用に持ち込んだ工業用爆薬の束を取り出し、壁の亀裂にセットした。
「グレイ、魔法は?」
「温存します。この爆発と崩落から全員を守るために、全魔力を防御に回します。なんに、鉱山の時と同じく、うまくいくだ!」
グレイは十枚の青色の魔導紙で、チョックで術式を描き、そして詠唱を開始した。
『アイギスの球体・展開』
十枚の紙が空中に浮く、均等の距離で展開し、青白い光のドームが出現し、一行と教授たちを包み込む。
「点火ッ!」
イライアスが導火線に火をつけ、バリアの中へ飛び込んだ。
数秒後。
ズガァァァン!!
爆音と共に、壁が吹き飛んだ。
狙い通り、壁の向こうからは激しい水流の轟音が聞こえた。
だが、計算外だったのは遺跡の脆さだった。千年の時を経た石組みは、爆発の衝撃に耐えきれなかったのだ。
ガラガラガラ……ドゴォォォン!!
「なっ!? 壁だけじゃない、床まで!?」
「おい!グレイ!貴様はうまくいくと言ったか!」
しかし、グレイは返事しようとすると、祭壇を支えていた基盤そのものが崩壊し、巨大な地割れが走って、巨大な響が他の音を一切飲み込んだ。
「うわぁぁぁぁッ!!
足場を失った全員が、瓦礫と共に奈落へと落下した。
その直下には、怒り狂うような地下河川の濁流が渦巻いていた。
バシャァァァン!!
「グレイ! バリアを維持しろ!」
「くっ……衝撃が強すぎます……!」
水中でもグレイのバリアは辛うじて機能し、巨大な瓦礫の直撃を防いでいた。しかし、濁流の圧力と、落下時の衝撃で彼の魔力は限界に達していた。
パリンッ……。
不吉な音が響く。
「しまっ……魔力切れ(マナ・アウト)だッ!」
光の球体がガラスのように砕け散った。
その瞬間、冷たい激流が全員を飲み込んだ。
「ぶはっ! ピーター! 教授!」
イライアスが水面に顔を出して叫ぶが、激流の勢いは凄まじい。
「イライアスさーん! 助けてぇぇ!」
ピーターが巨大な盾を浮き輪代わりにしてもがいているが、あっという間に下流へと流されていく。
教授、学生たち、そして生き残った傭兵たちは、嵐に翻弄される木の葉のように、互いに引き離され、ばらばらに押し流された。
「サラー! どこだ!」
「こっちだよ! 手を!」
イライアスはサラの手を掴もうとしたが、その時、巨大な流木が二人の間に割って入った。
「くそッ!」
視界の先、暗闇の中で轟音が響いている。
ただの川の音ではない。落差のある場所へ落ちる音 -滝壺だ。
「落ちるぞ! 息を止めろォォッ!」
イライアスの叫びも虚しく、一行は為す術もなく巨大な滝へと投げ出され、地底湖の深い闇へと消えていった。
数分後
「ううう、ここは何処?」ハワードという傭兵はふらついて立った。周囲に目を走らせると、近くで背中から倒れ、空を仰いだ無意識のようなグレイを見た。
「おい、大丈夫か、魔術使いさん?」
「うう……ん……」グレイは意識が戻ると、かすかな呻きを洩らし、重たげに身を起こした。でも、意識が回復したとはいえ、力がぬき、マーナ切れの倦怠感と頭痛が襲いかかって、彼は片手で地面を支え、もう一手を頭に、そして、小声で呻吟した。
「他のやつは?」
「その滝壺のせいで、支流に流れて、離れ離れになったかも」
「じゃあ、そいつらを探さないと……」グレイは立つ仕草を見せたものの、足に力が入らず、そのまま腰を落とした。
「やばい、魔力も体力も切れた! くそ!」グレイの拳は、罪もない傍らの石に何度も叩き込まれた。
「俺が魔法使いを背負いましょう。それに、今すぐ彼らを探すのは得策じゃありません。
この先の地下水路は枝分かれが多い。向こうが別の流れに乗っていれば、追いかけるだけで体力の無駄となります。以前、別の傭兵隊と行動したときにも、こういう地下水路を何度か渡りましたが、流れは分かれても、最後には外で一つに合流することがありました。
仮にそうでなくても、森に出てから探すという手もあります」
そう言って彼は片膝をつき、グレイを背に乗せるよう、無言で合図した。
「へえ……俺を置いていけば、君はもっと早く逃げられるぞ」
「ケッ、余計な心配すんなよ、グレイさん。あんたのバリアがなきゃ、俺はとっくに魚のエサだ。貸し借りはナシだぜ」
グレイは自嘲気味に笑った。
理論と効率を重んじてきた自分が、今は最も非効率なもの -情に救われている。
皮肉な話だが、不思議と悪い気分ではなかった。
「……そうか。それなら、頼むぞ」
二人はそれ以上深い話はせず、退屈しのぎに他愛のない雑談を交わしながら、
一人を背に負い、地下水路の川音を頼りに歩を進めていった。
同じ頃・地下水路下流
滝壺の激流から這い上がったイライアスは、肺に残った水を吐き出しながら、隣で震えている学生マリアンの背中を叩いた。
彼女の考古学用具は折れ、膝から血が滲んでいる。
「立て。止まったら体温を奪われて終わりだ」
「……イライアスさん。私たち……見捨てられたんでしょうか……」
イライアスは答えなかった。
総督の冷たい目が脳裏をよぎる。
最初から、使い捨てにするつもりだったのだ。彼は無言でマリアンを支え、湿った岩場を登り、外へ続く水の流れを辿り始めた。
地下水路別支流
「教授! その石碑の破片を離してください! 沈みます!」
ピーターは叫び、穴あけの大盾を浮き輪代わりにして、ブランドン教授を必死に引き寄せていた。
教授は水を飲みながらも、胸元に抱えた石碑の断片を決して手放さない。
「……これこそが……我々の生きた証だ……これを失えば、死んだ者たちに顔向けできん……!」
岸に辿り着いたサラが手を伸ばし、二人を引き上げる。
ライフルは浸水していたが、彼女の眼差しに宿る闘志は失われていなかった。
「教授、命あっての研究だ。原住民が追ってくる可能性は、ゼロじゃない」
教授は歯を食いしばり、石碑を抱えたまま黙って頷いた。
ピーターは川沿いを歩く二人の気まずさを取るために、無駄話を始めた。
「教授さんはなぜこの国を研究したいですか?」
「ハハ!そうですね、最も大事な理由は多分ここはお父さんの研究課題ということでしょう。まあ、昔はよくこの文明を聞いたから、興味を持たないのも結構難しいかもしれません。ハハ!随分陳腐ななしなんでしょう、己の親の道を歩むなんで」
「いやいや、こういう熱愛の伝わりも立派な話だと思います!」
「それはどうも!」
二人は楽しく、話ながら、満身創痍の身体を引きずるようにして、地下河の岸辺を進んだ。流れに沿って道はかすかに下っており、その先が外へ続いていることを示しているようだった。
数時間後、森の僅かな開けた場所で合流した一行は、泥だらけの顔を見合わせた。
グレイが震える指でコンパスを指し示す。
「……現在地は、植民地の国境を既に数キロ越えています。戻れば『戦死者』として秘密に処理されるかもしれぬ、生きていたとしても総督の手の者に口を封じられるでしょう。我等の国、二フランドは、今は味方とは言えません」
イライアスが周囲の密林を睨み、短くなった煙草を噛んだ。
「……北は死地、東は総督の刺客。なら、南だ。ベリゼへ行くぞ」
「正気ですか!? あそこはソルテラと一触即発の国ですよ!」
驚く教授に、イライアスは冷たく笑った。
「ああ、正気だ。ベリゼの連中にとって、俺たちは敵の秘密(神殿の遺物)を知る亡命者だ。交渉の余地はある。死んで灰になるよりは、檻の中で交渉する方がマシだろう?」
「分かりました。では、我々(教授と学生達)同行します!」
「いいだろう」
「傭兵さん達はどうする?」グレイは突然聞いた。
「にちゃん達は心配しなくても。あのにちゃんが俺たちの命を助けた。お前らの死を総督に伝えよ。では、教授さんは?死んだと伝えなら、俺たちは今回の任務の報酬大半ぱになる、あとえ例の神殿の遺物が捧げてでも」
「それはご心配無用。街についたら、手紙を書いて、総督に渡せばいいです。その中には、ニルランドに戻って、遺物の調査を進むの意思を伝承します」
「ハハ、あの豚総督はかなり憂鬱になるだろう。ありがとう、教授さんよ」
こうして彼らは、意図せず越えてしまった国境の先にある、さらなる動乱の渦へと自ら足を踏み入れることを選んだ。




