第二章 孤島
海賊には勝った。だが、その代償として、彼らは広大な海の上で動力を失い、立ち往生することとなった。
「ああ、結局こうなるんですか。僕の計算では、あと三パーセント出力が低ければ耐えられたんですがね……」
グレイは鼻血を拭いながら、力なく嘆息した。
「で、今は救援を待つしかないか?」
イライアスは折り椅子を後ろに引き、腰を伸ばした。
「そうかもな」
ピーターは平然と、名も知らぬピンクのドリンクを飲みながら答えた。
だが、数時間待っていても、艦長室からどんな通知も来なかった。
グレイは眉をひそめ、船長室の重厚な扉を叩いた。返事を待たずに室内へ踏み込むと、そこには航海図を広げ、葉巻を燻らせている船長の背中があった。
「失礼する。船長、我々が出したSOS(MAYDAY)信号についての回答はまだかね? 五時間だ。救助どころか、状況報告の一つも無いというのはどういう了見だ」
船長はゆっくりと振り向いた。その顔には、乗客を心配する気配など微塵もなく、むしろ不遜な笑みが浮かんでいた。
「……なんだ、そんなに慌てるな。無線室は今、パンク寸前なんだよ」
「パンクだと?」
「そうだ。この海域の北、百海里先で、南部盟約とカルデリア共和国の海戦が起きている。あそこは今、軍の激しい通信妨害と戦闘の魔力余波で溢れかえっているんだよ。我々のような民間のSOSなど、軍事情報の濁流にかき消されて届くわけがないだろう」
グレイは絶句した。南部盟約とカルデリア共和国の交戦による『戦場干渉』。その前線に近いせいで、この海域全体が物理的にも魔導的にも孤立しているのだ。座して救助を待っていても、ただ霧の中で漂流し続けるだけのデッドエンドだった。
「……待つという選択肢は最悪です。ですが、この霧と海戦の干渉を回避できるような、別の『中継地点』があるかもしれない」
グレイはそう言うと、船長室の机に広げられた航海図へ歩み寄った。
この海域では、激しい戦場干渉のせいで実物の磁石やコンパス(羅針盤)はただの狂った鉄の塊と化しており、近代的な演算機も使い物にならない。
頼れるのは、グレイ自身の術式だけだった。
グレイが海図の上に細い指先をかざし、精神を集中させる。彼の瞳が微かに魔導の光を帯びると、海図上の一点へと術式が吸い寄せられ、まるで本物の磁石が引き合うかのようにピタリと固定された。
「察知しました。……ここです」
グレイが指し示したのは、島群から少し離れた場所にぽつんと浮かぶ、名もなき「孤島」だった。しかし、その島の周囲を読み解いたグレイの顔が険しくなる。
「周囲に無数の暗礁が牙を剥いていますね。外部からの勝手な進入を一切許さない構造になっている」
「おい、そこは一体どこにある何の島だ?マップで名前も書いてない」
イライアスが覗き込むと、船長室の異様な雰囲気を察知した複数の船員たちが、物珍しそうに机の周りへと集まってきた。すると、その内の一人の船員が、海図の孤島を見て「あ!」と声を上げた。
「おいおい旦那方、その島なら俺がよく知ってますよ! 懐かしいなぁ」
日に焼けた船員は、得意げに胸を叩いた。
「実は俺、昔アストリア合衆国で殺人事件の冤罪をかけられちまいましてね。必死こいて逃げて、結局その島に身を隠してたんですわ。まあ、しばらくして本国で真犯人が見つかったって風の噂で聞いたんですがね、その頃にはすっかりこの海での生活が気に入っちゃって。今更窮屈な故郷に戻りたくねえなと思って、今はこうして、ニフランドの海軍にいるってわけで……」
(……おい。こいつは一体、何分自分の身の上話を語る気だ?)
(今この緊迫した状況で、私たちは何を聞かされているのですか……?)
突然始まった締まりのない大脱線に、イライアスとグレイは表情を一切変えないまま、内心で激しいツッコミを入れ合っていた。男の話はまだ終わりそうにない。
「——そこまでにしろ、お喋り野郎」
横で渋い顔をして聞いていた船長が、容赦なくその船員の頭を拳で小突いて黙らせた。船長は葉巻をくわえ直し、海図の孤島を睨みつける。
「要するに、その島はろくな場所じゃねえってことだ。暗礁が多くて、この大型の本船のまま近づけば、一瞬で船底を叩き割られて海の藻屑だ。だが、お前さんたちがどうしてもその島に行くってんなら、方法はある」
船長はニヤリと不敵に笑い、部屋の隅を指差した。
「この船には、武装した数隻の偵察艇が備わっている。長距離航行用の魔導エンジンを積み、小回りが利き、速力も装甲もそこらの救助艇とは段違いだ。本船はここに錨を降ろす。お前さんたちはその偵察艇を使い、暗礁を縫うようにして島へ向かえ。……それで文句はねえな、警察の旦那方?」
「ほう、武装まであるのか。船長、アンタ、ずいぶん気前がいいな」
イライアスがパイプを咥え直してニヤリと笑う。船長は肩をすくめた。
「座礁して沈む船に荷物を乗せておくよりは、使える連中に預けた方がマシだという判断だ。ただし、戻ってこれなければ、そいつは私の損失になる。せいぜい生き延びろ」
数十分後。
母船から切り離された偵察艇が、冷たい霧を切り裂いて波間を駆けていた。
甲板にはイライアス、グレイ、ピーター、サラの四人。そして、船長が「一番の使い手だ」と送り込んできた、眼光鋭い十人の海員たち。彼らはただの船乗りではない。その立ち振る舞い、腰に下げた魔導銃の重厚さからして、傭兵か、あるいはかつての「守り人」崩れだろう。
「……ずいぶんと頼もしい連中だな」
イライアスが操舵席の隣で呟く。
「船長は最初から、この『偵察』をやるつもりだったんじゃないですかね」
グレイが分析するように答える。
「海賊が来る前に、霧の正体を突き止めたかった。……だが、自分では動けない。だから我々を担ぎ出した」
「まあいいさ。目的が一致しているなら利用してやるまでだ」
偵察艇は、霧の切れ間を縫うようにして東南へ向かった。
波の音が次第に静まり、霧が薄くなったその時、彼らの視界に「それ」が現れた。
切り立った崖に囲まれた、地図にない島群。
そしてその港には、五時間前に戦ったはずの海賊船の「残骸」が、無数に打ち捨てられていた。まるで、何か巨大な力に一瞬で捕食されたかのような無惨な姿で。
「……おい、グレイ。あの海賊どもの船、何かにやられたんじゃない」
グレイは一枚の魔導紙を使って、また探知の術を掛けて、そして青ざめた。
「……イライアス。この島全体が、一つの『魔導回路』になってます。これ以上近づくのは危険だ……この島自体が、何かの兵器だ!」
その瞬間、島の中央から、空を焦がすほどの閃光が放たれた。
彼らが乗る偵察艇の背後で、轟音と共に海が割れる。
「総員、回避ッ!!」
イライアスの絶叫が、霧の海に響き渡った。
それは海戦などという生易しいものではなかった。彼らは、島という名の「地雷原」に、自ら飛び込んでしまったのだ。
「……やっぱり、ただの無人島じゃない。あそこは『生きた防衛要塞』だ」
イライアスが操舵輪を切り、偵察艇が大きく傾く。水面下で蠢くいくつもの影――旧式の魚雷(水雷)が、正確な追尾機能を持ってこの船の航跡を捉えていた。
「グレイ! この水中地雷ども、回避できるか!? 遠距離からの誘爆は無理だ、警戒しろ!」
「……ダメだ。回避行動をとれば、別の魚雷が来る。数が多すぎる」
グレイは頭痛が始まって、苦悶の表情で頭を振る。
「凍結術式で水中の動力部を止めるのはどうだ? 動きを鈍らせれば――」
「いや、水雷を止めたところで意味がない。島自体がこの海域全体を支配しているんだ。部分的な凍結じゃ、この『網』からは逃げられない。……全領域を制圧するしかない」
「おいおい、そんな魔力、どこから捻り出すつもりだ? マーナの補給もままならない状況だぞ」
イライアスが苛立ちを隠さずに叫んだ、その時。グレイがポケットから取り出したのは、あの船長から「念のため」と渡されていた、古ぼけた魔導紙の束だった。
「これだよ。船長がよこした紙だ」
「なんだ、ただの護符か?」
「ただの、じゃない。……高純度の魔力を封じ込めた増幅式だ。船長も相当な魔法バカだぞ、こんなもの量産して隠し持っていたなんて……」
グレイは震える手で、その魔導紙を操舵席のコンソールに叩きつけた。彼が詠唱を始めると、船体を包むように青白い光のドームが展開される。
「全領域、展開。……マーナ、同調開始ッ!」
イライアスは、その光に包まれて演算に没頭するグレイの横顔を見て、呆れたように苦笑した。
「……ははっ、あの魔法バカめ。窮地になると途端に人が変わる」
イライアスは迷いを捨て、船の加速レバーを最大まで押し込んだ。
「グレイ! 領域維持は任せたぞ。後は俺が、この鉄の棺桶を強引に島までねじ込んでやる!」
偵察艇は、まるで海を裂くような速度で、島から放たれる閃光の中を突っ切った。船を包む青い光が、飛来する魚雷を魔力の奔流で飲み込み、霧散させていく。
島がすぐ目の前まで迫っていた。
この島に隠された「防衛システム」の心臓部。それを叩き潰せば、この島を兵器として動かしている連中の尻尾を掴めるはずだ。
「よし、激突するぞ! 衝撃に備えろ!」
イライアスの号令と共に、偵察艇は砂浜へ強引に乗り上げた。
島に上陸した瞬間、警報音が止み、代わりに静寂が戻る。……だが、その静けさは、先ほどまでよりも遥かに不気味だった。
「……さて。地雷原を抜けたと思ったら、次は地獄の入り口か」
イライアスが剣を抜き放ち、霧の向こうを見据える。島の中央には、巨大な「何か」が稼働を始めていた。
砂浜を乗り越えた先には、異様な光景が広がっていた。
そこはただの岩場ではなく、島の中央部から流れ出した冷却剤と海水が混ざり合い、強固に凍てついた広大な「氷原」だった。さらにその氷面の下には、無数の配管がうごめいているのが透けて見える。
「船のキャタピラじゃ、この氷面は走れんぞ。足を取られる」
イライアスが苛立たしげに操舵桿を叩く。徒歩で進めば、島の防衛システムに狙い撃ちにされるのは明白だ。グレイは船長から受け取った魔導紙の残りをすべて引き抜くと、コンソールの基盤に無理やりねじ込んだ。
「走れないなら、浮けばいい」
グレイの瞳が青白く発光する。
「全領域・浮揚術式――出力最大ッ!」
船底に刻まれた魔導回路が悲鳴を上げた。船体がガタガタと震動し、コンマ数秒の硬直の後、船は鈍い金属音を立てて浮き上がった。海面から数メートル。氷の地面から十メートル。重力から解き放たれた偵察船は、氷面を滑るようにして低空を駆ける。
「おおッ……!?」
同乗していた海員たちがどよめく。イライアスはニヤリと笑い、浮遊して安定を失いそうな船体を、巧みな操舵でねじ伏せた。
「魔力で無理やり空気を圧縮して、船体を持ち上げてるのか。相変わらず無茶をするな、グレイ」
「文句を言っている間は操舵に集中してください! この術式が出した氷の摩擦係数はゼロに近い。加速は容易ですが、制動が利きませんよ!」
加速する偵察船は、氷原をまさに「滑空」していた。
眼下では、凍りついた地割れが高速で後ろに流れていく。風を切り、氷の反射で視界が歪む中、彼らは島の中心部にある「巨大な尖塔」――明らかにこの島の心臓部と思しき施設へと、一直線に突っ込んでいった。
氷面を疾走する偵察船に、地上の防衛システムが反応する。
氷の中からせり上がってきた自動迎撃砲が、追尾弾を放つ。だが、低空を高速で飛行する彼らを捉えるのは困難だった。
「イライアス、右だ!」
「分かってる!」
イライアスは氷面に反射する銃撃の閃光を読み、まるでダンスを踊るように船体を傾け、ドリフトさせて銃弾をかわす。氷面を削るような爆風を背に受けながら、彼らは嵐のような戦場を縫い、目的地へと近づいていく。
「見えたぞ……あれがこの島の『制御室』だ!」
氷原の突き当たり、巨大なクレーターの縁に、禍々しい金属の塊が鎮座していた。船はその速度を殺すことなく、氷の滑走路を蹴り抜いて、クレーターの内部へと飛び込んでいく。
「……おい、あれを見てみろ」
イライアスが顎で示した先、深い霧の向こう側に、ぼんやりと赤白い灯りの群れが揺らめいていた。この島には似つかわしくない、人工的な光の列だ。
「……灯りですか。住区(居住区)でしょうね」
グレイがコンソールを操作しながら、即座に船の進路を切り替える。
「熱源反応が大きすぎる。警備兵がどれだけ潜んでいるか……。このまま接近すれば、蜂の巣にされるだけです」
「同感だ。……西北を見てみろ。山がある。あれなら島全体を見下ろせるはずだ。灯りを避けて、回り込むぞ」
イライアスが操舵輪を強く切り、偵察船は霧の帷を切り裂いて北西へと旋回した。低空飛行する船体は、氷の冷気と霧を巻き上げながら、巨大な崖の影へと回り込んでいく。
しばらく進むと、霧が薄れ、視界が開けた。
その時、一同の目に飛び込んできたのは、信じがたい光景だった。
「……なんだ、ありゃ」
そこにあったのは、巨大な断崖が侵食されてできた、象の形を模した巨大なフィヨルド(入り江)だった。
突き出た二本の岩壁が象牙のように空を突き、うねるような岩の曲線が、まるで太古の巨獣が海に顔を突っ込んでいるかのような威圧感を放っている。そして、その「象の鼻」にあたる部分の根元には、不自然なまでに真っ黒な巨大な開口部 -おそらくは、潜水艦や大型艦艇が出入りするための隠しドックが口を開けていた。
「象……いや、これは自然の地形じゃない。何者かが山を削って形作ったものだ」
グレイが目を見開き、解析を始める。
「イライアス、あの『鼻』の根元……見てください。魔力反応が集中しています。あの入り江こそが、この島のメインゲートです。防衛システムや地雷原も、すべてはこのドックを守るための外殻だったんだ」
偵察船の同乗者である十人の海員たちも、息を呑んでその光景を見つめている。彼らの銃口からは、かつてない緊張が伝わってきた。
「……どうする? 正面から突っ込んで『鼻』の穴をこじ開けるか、それともこのフィヨルドの断崖を登って、上から覗き込むか」
イライアスは剣を抜き、入り江の奥に潜む闇を見据えた。
イライアスは操舵輪をわずかに切り、霧の濃度が最も濃い航路へと船を滑り込ませた。グレイが小声で詠唱し、船体を包む隠蔽術式の出力を微調整する。海面を覆う天然の霧と、グレイの魔力的な干渉が重なり合い、偵察船はまるで幽霊のようにその姿を掻き消した。
象の頭部に見立てられた岩壁の、ちょうど「牙」の裏側。そこには、監視塔のセンサーもサーチライトも届かない、真っ暗な窪みがあった。
「ここなら死角だ。船を岩壁に固定する」
イライアスは船を静かに岩壁へ接岸させると、十人の部下たちに合図を送った。重い装備を背負った彼らは、慣れた足取りでタラップを下ろし、冷たく濡れた岩肌に足をかける。
「塔を登る。……グレイ、上からの魔力探知は可能か?」
「ええ。この高さまで来れば、地上の防衛網を飛び越えて、島の中心部にある居住区の構造をスキャンできるはずです」
崖を登り始める。岩肌は滑りやすく、霧のせいで視界も悪い。だが、彼らはかつて戦場を渡り歩いた「守り人」たちだ。互いにロープを回し、沈黙を保ちながら、壁面を這い上がるようにして頂上を目指す。
霧の向こうからは、低い重低音が響いてくる。島の心臓部が稼働している音だろうか。
十分ほど登り、ようやく切り立った断崖の頂上にたどり着いた。
そこから下を見下ろすと、ようやく島の全貌が見えてきた。
「……なるほどな」
イライアスは思わず声を潜めた。
「象の頭」と呼ばれたこの地形の内側、クレーターのようなくぼ地には、驚くべき光景が広がっていた。そこにはただの兵器工場ではなく、まるでひとつの街のような居住区が作られている。だが、その街を歩いているのは人間ではない。
無数の「自動人形」たちが、機械的に整列し、何かを積み上げている。そして、街の最奥には、かつて王都で見かけたものよりも遥かに巨大で、異様な形状の「魔力増幅炉」が設置されていた。
「グレイ、あれを見ろ。あそこがこの島の心臓部だ」
イライアスが指差した先――居住区のど真ん中に、不気味な光を放つその炉があった。
「……あれは、普通の動力炉じゃない。人間から魔力を搾り取るための、巨大な『魔力精製器』だ。海賊たちがどこへ消えたか、わかった気がします……」
グレイの顔から血の気が引いた。
「あの炉の中だ。……彼らは、生きたまま燃料にされている」
崖を降り、人混みの喧騒に身を投じる。
イライアスとグレイ、そして偵察部隊の海員たちは、煤けたロングコートの襟を立て、街の影に溶け込んだ。
そこは、一見すればどこにでもある「植民地の港町」だった。
蒸気のパイプが街路樹のように張り巡らされ、鈍いオレンジ色のガス灯が路地を照らしている。露店からは焦げた肉と安酒の匂いが漂い、子供が路地を駆け抜け、労働者たちが仕事終わりの愚痴をこぼしている。
だが、その普通は、この場所が抱える闇を隠すための薄いヴェールに過ぎなかった。
この居住区の住民は多様な出自を有していたが、その多数を占めたのは海賊および密輸業者であった。全身に魔導兵器の傷跡を持つ者、古い海賊船の制服を染め直して着ている者など。彼らはこの街の経済行動を回す主役であり、どこか荒っぽいが、この島での生存術を心得ている。
それ以外の者は、多分脱走兵あるいは逃亡者、守り人の残滓と逃走中の犯罪者。
通じる扉が開き、違法な魔導資源の取引や、得体の知れない「生体改造」の相談が密かに行われる。
「……悪くないカモフラージュだな」
イライアスが小声で呟く。
雑踏の中、海員の一人があからさまに武器を隠し持っている海賊とすれ違ったが、海賊は気にも留めなかった。ここには、武器を隠し持っている人間など掃いて捨てるほどいるのだ。
「グレイ、周囲をスキャンしろ。……ここの連中、ただの住人じゃない。目が死んでいる。あるいは、怯えている」
グレイはまだ探知の術を張って、周囲の魔力波動を読み取る。
「……ええ。驚きました。彼らの皮膚の下に、埋め込まれた『タグ』があります。居住区の住民全員が、この島の管理下に置かれている。……あれは、遠隔で神経を刺激するための拘束具ですよ」
「つまり、この街自体が巨大な飼育場ってわけか」
「おい、そんなに術をかけないで。ここは先と違って、人混みだぞ!」
イライアスは帽子を目深にかぶり、炉の塔――かつては心臓部と呼んでいた場所――を見上げた。住民たちが足早にそこへ向かい、機械のように働かされている。
「……まずは情報を集めるか。海賊どもの残党か、この島の管理』に近い奴らに話を聞く。俺たちの知りたい燃料の正体、そしてこの島がどこへ向かっているのか、それを吐かせる」
イライアスは酒場の扉を見やった。薄汚れた看板には『灰色の錨亭』と書かれている。
いかにも、何でも知っていそうな荒くれ者が集まっていそうな場所だ。
「灰色の錨亭」の扉を開くと、重たい煙と安酒、そして潮の匂いが顔を叩いた。
薄暗い店内では、片目の海賊が怪しげな取引をし、隅のテーブルでは傷だらけの傭兵たちがカードゲームに興じている。イライアスとグレイ、そして偵察部隊の海員たちは、店内の空気に溶け込むようにバラけ、カウンターへ向かった。
「……目立ちすぎるな」
イライアスが海員たちに鋭い視線を送る。十二人もの男たちがまとまって動けば、即座に「よそ者」としてマークされる。この島は、詮索を嫌う者たちの巣窟だ。よそ者はカモか、あるいは排除すべき異物と見なされる。
「全員、聞き耳を立てろ。この偵察艇の修理に必要な部品……『魔力導管の継手』と『冷却ユニットの予備』、それに『魔導回路の絶縁板』だ」
グレイがメモを渡しながら、海員たちへ指示を飛ばす。
「いいか、一箇所でまとめて買い取るな。欲をかいた仲買人に目をつけられる。三、四人のグループに分かれ、この街のジャンク屋や裏市場を回って、一つずつ、無関係な買い物のように装って調達するんだ。金は多めに出していいが、身元を怪しまれるような質問はするな」
「了解しました」
海員たちは静かに頷き、三つの班に分かれて店を出ていった。彼らは長年、裏社会のギリギリを渡り歩いてきたプロだ。ただの買い物とは言え、その立ち回りは洗練されている。
グレイとイライアスは、店の一番奥の席に座り、粗末なグラスの酒を前にして声を潜めた。
「……僕たちは、この街の『管理者』に繋がる情報を追う」
グレイが低い声で呟く。
「ああ。海賊どもの残党、あるいはあの大規模な居住区を仕切っている連中だ。あの『燃料』の正体を暴くためのツテを探そう」
イライアスは酒を一気に煽り、空のグラスを叩きつけるように置いた。
「修理部品が揃うまでに何人かこの街で捕まえて、締め上げる。口を割らないなら、その時は――」
「力で解決、ですね。分かってます」
グレイが少し呆れたように肩をすくめる。
街の喧騒は相変わらずだ。しかし、この瞬間から彼らは「漂流者」のふりをして、島の心臓部を食い荒らす「寄生虫」となって街の神経に触れ始めたことになる。
グレイが懐からメモを出し、無機質な声音で告げた。
「魔導回路の絶縁板、高純度銀コーティングが施されたCタイプだ。在庫はあるか?」
オーナーはカウンター越しにグレイを値踏みするように見つめ、次にイライアスの無愛想な顔を見た。彼は薄汚れたエプロンを拭きながら、嫌味たっぷりに笑った。
「へえ、軍用じゃねえか。しかもかなりの高級品だ。……僭越ながら、お客様は一体どんな船に乗ってるんですか? 普通の商船や密輸船が、そんなシビアな部品を必要とするはずがないですよ!」
イライアスはふんと鼻を鳴らし、カウンターに札(五ポンド)を数枚放り投げた。
「聞くまい! ここは客のプライバシーを最優先にするって聞いて来たんだが、看板に偽りありか? 物はあるのか、ないのか。それだけ言え」
オーナーがその札束に指で弾き、何かを言おうと口を開いた――その瞬間、店の入り口の鈴がカランと涼やかな音を立てた。
入ってきたのは四人の男たちだった。
ボロボロになった海賊の制服、焼け焦げた肌、そして何より、彼らの瞳には殺意以外の何物も宿っていない。彼らは店に入るなり、真っ直ぐにカウンターにいるイライアスたちを見据えた。
「……いたぞ。あの戦艦だ!」
一人が震える指でイライアスたちを指差す。
「さっきの戦い! 俺たちの船をあんなクソみたいな鉄屑に変えた奴らだ! 一般船に化けて近付いてきやがったが、あの妙に手入れの行き届いた船体と、あの顔は見覚えがある!」
店内の空気が凍りついた。
グレイは冷や汗を首筋に伝わせながら、イライアスの背後に身を隠すように囁いた。
「……やばい。先程の海賊の残党です。気付かれた。船の偽装を見破られたのか、あるいは……」
「あるいは、俺たちの船の『癖』を知ってるんだろうよ」
イライアスは腰の剣に手をかけ、ゆっくりと振り返った。店内の客たちが、何か面白いものが見られるとばかりに、一斉に席を立つ。
「おい、四人さん。人違いじゃないか? 俺たちはただの迷い人だが、酒を飲んでる最中に喧嘩を売る趣味はねえぞ」
「ふざけるなッ! 貴様らのあの独特な魔導波形、忘れられるか!」
海賊の一人が懐から銃を引き抜いた。
オーナーが「おいおい、店の中でやるなよ!」と叫ぶが、最早そんな警告が届く空気ではなかった。
酒場の一角、積み上げられた古びた魔導エンジンや山積みの廃材の影で、四人の男たちが息を殺していました。
彼らは今朝の戦いで、あの「白い鉄屑(偵察艇)」に煮え湯を飲まされた海賊たちの残党です。
最初は単に酒を飲んでいただけでしたが、近くの席から聞こえてくる会話――「軍用絶縁板」「高純度銀コーティング」「プライバシーを重視」といった、この場違いな単語の羅列が、彼らの耳を突き刺した。
(あの魔導波形……間違いない。あの生意気な鉄屑艦の連中だ!)
男たちが顔を見合わせ、殺意を剥き出しにした瞬間、リーダー格の男が目の前の山積みの機械部品をガシャリと音を立てて蹴倒した。
ガラクタの雪崩と共に、彼らの姿がイライアスたちの視界にさらけ出されます。
「おやおや、奇遇だな」
リーダーの男は額に深い傷跡を刻み、ニタリと凶悪な笑みを浮かべました。彼は腰の短銃に手をかけ、ゆっくりと歩み寄ってきます。
「今朝、俺たちの船をぶち壊してくれた『一般客』が、こんなところにいたとはな。……修理の相談か? あいにくだが、その部品より先に、俺たちからの『報復』を船に積み込んでいかないか?」
店内の喧騒がスッと引き、周囲の荒くれ者たちが興味津々といった様子で席を立ちました。
イライアスとグレイは、その四人を冷ややかな視線で見据えます。
イライアスはグラスを置き、ゆっくりと立ち上がりました。その指先は、無意識のうちに愛剣の柄を握りしめています。
「……グレイ。どうやら、店主に金を払って部品を買う必要はなさそうだ」
グレイもまた、懐の魔導術式札に手をかけ、冷静に呟きました。
「ええ。向こうから『必要な部品』をわざわざ運んできてくれたようですからね。……返却の必要はありませんよね、イライアス?」
二人の背後では、偵察部隊の海員たちが、音もなく椅子を蹴り上げ、いつでも戦闘に入れる態勢を整えていました。
店内の空気は一瞬で爆発した。
海賊の拳が風を切り、イライアスの頬をかすめる。すかさずイライアスが椅子を蹴り上げ、盾代わりに放り投げる。ガシャリという派手な音と共に、店内に殺気と怒号が満ち溢れた。
グレイは冷静に掌を掲げ、標的の海賊たちに掌を向ける。「痛覚増幅――」
威力は低い。だが、神経を直接刺激するグレイの術式が命中し、海賊たちは悲鳴を上げてその場に崩れ落ちた。
しかし、乱闘の熱狂は一瞬で凍りついた。
「馬鹿者ッ!! 喧嘩なら外でやれッ!」
地響きのような怒鳴り声が店を支配した。カウンター越し、オーナーが引き抜いたのは、異様な太さの銃身を持つ五連装の魔導銃だった。冷徹な黒い銃口が、イライアス、グレイ、そして海員たちに向けられる。一発食らえば上半身など跡形もなく吹き飛ぶ、過剰なまでの破壊力だ。
店内の客たちが蜘蛛の子を散らすように退避する中、イライアスは眉一つ動かさず、銃口の先にある狂気を真っ直ぐに見据えた。
「おいおい、おやじ。そんな不安定な火器を使うな。魔力の圧搾が不完全だ。……その引き金を引けば、弾丸が出るより先に、てめえの腕が丸ごと『パー』になるぜ」
オーナーは鼻から荒い息を吐き、狂気じみた笑みを浮かべた。
「構わん! わしが死んでも、貴様らを先に地獄へ送ってやるのが先決だ!」
イライアスはオーナーの目を見て、即座に悟った。こいつは脅しではない。本当に死ぬ覚悟で引き金を引くつもりだ。
「……こええ。分かった、退く」
イライアスは肩をすくめ、背後にいたグレイと海員の一人に素早く合図を送った。
「グレイ、撤退だ。この狂人に付き合う義理はねえ」
「承知しました」
グレイは即座に術式を解除し、イライアスと共に静かに、しかし隙を見せずに酒場の出口へと下がる。イライアスは、銃口が揺れるその瞬間までオーナーの視線を外さない。
店を出て、薄暗い路地裏へと飛び込んだ。
「……危なかったな。あのオーナー、相当にヤバい筋の人間だぞ」
イライアスが背後の店の明かりを警戒しながら、霧の深い路地を進む。
「ええ。ですが、収穫はありました」
グレイが冷静に言葉を継ぐ。
「あの銃……軍用どころか、この島の居住区(街)で密造されている『廃棄物再利用兵器』です。ああいう物騒な兵器を店に隠し持っているという時点で、あの店は単なる酒場ではなく、街の『武器庫』を兼ねている可能性が高い。あの銃が暴発しそうだったのも、劣悪な環境で無理やり魔導回路を組んでいるからです」
酒場のオーナーが突きつけた、暴発寸前の「五連装魔導銃」。その狂気的な威圧感から逃れるように、イライアスたちは路地裏へと飛び込んだ。
「あの海賊ども、安易く俺たちを逃がしゃしねえぞ!」
イライアスの予感は的中した。背後の酒場から「殺せ! 部品を奪え!」という怒号が響き、数十人の武装した海賊たちが雪崩れ込んでくる。
「上へ行きます! 足場の悪い場所なら、数の暴力は通用しない!」
グレイの叫びとともに、三人は路地裏の積み上げられたコンテナを蹴り上げ、建物の屋根へと跳ねた。蒸気パイプが走り、霧に濡れた金属板の屋根は滑りやすいが、彼らの身体能力なら道も同然だった。
だが、逃走は平穏には終わらなかった。
島中に、地鳴りのような警報が鳴り響く。
「まずい、街の自警システムが起動したぞ!」
「あいつら、増援を呼びやがった!」
象の形をしたフィヨルド -彼らが偵察艇を隠しているドックへと急ぐが、背後からは小型の魔導バイクに跨った海賊たちが、屋根を飛び越えて追ってくる。さらに、街の各所に設置された自動迎撃砲が、逃走する三人を「排除対象」として捉え、光弾を放ち始めた。
「グレイ! 船を加速させる術式は!?」
イライアスが大剣で飛来する弾丸を叩き落としながら叫ぶ。
「分かっています! すでに頭の中で描いている……! だが、この速度で離脱するには魔力が足りない!」
ようやくフィヨルドの断崖が見えた。眼下には、十人の海員たちが待つ二隻の偵察艇が待機している。
「海員たちに伝えろ! 荷物を持っていない者、マナを持つ者は全員、僕に回せ! 早く!!」
三人が断崖から偵察艇の甲板へ飛び込むと同時に、島全体が眩暈を起こすような大音響の警報に包まれた。
「全出力――射出!!」
グレイが叫び、海員たちから吸い上げた魔力を動力炉へ叩き込む。
二隻の偵察艇は、物理法則を無視した急加速で海面を滑り出した。
しかし、島側も執拗だった。
「後方より高速雷撃艇、接近! 爆撃が来ます!」
サラが叫ぶのと同時に、追手の海賊が放った魔導爆弾が、二隻のうちの後続の一隻を直撃した。
「一番艇がやられたッ!」
爆風が海面を割り、火柱が上がる。幸い、船体は魔導障壁で守られていたため、木っ端微塵にはならなかった。だが、推進系を損傷し、船体の一部が焼け焦げた状態で、ボロボロになりながら先行するイライアスたちの船を追う。
「見えたぞ! グレイト・ニフランディア号だ!」
霧の向こうに、自分たちの母艦である巨大な鋼鉄の影が姿を現した。
ボロボロになった二隻の偵察艇は、激しい爆風と追撃の中、半ば強引に母艦の格納庫へと滑り込んだ。
ハッチが閉じ、ようやく静寂が戻る。
甲板に降り立った彼らの姿は、見るも無惨だった。
イライアスは爆風の余波で顔に鋭い切り傷を負い、血が顎を伝っている。グレイは魔力の酷使で鼻血を出し、膝をついていた。海員たちも、掠り傷や打撲、火傷だらけで、全員が煤にまみれている。
「……ははっ、本当に……。我等の人生は、些かに不順すぎないか?」
ピーターが、ボロボロになった自分の服を見て、力なく笑った。彼の手に持っていたピンク色のドリンクは、いつの間にか中身が空になっていた。
イライアスは黙って血を拭い、グレイは眼鏡を直しながら、遠くで不気味に輝くあの島を振り返る。サラもまた、肩の傷を押さえながら沈黙を守っていた。
「……不順、か。違いない」
イライアスが重い口調で答えた。
彼らが持ち帰ったのは、数個の修理部品と、深刻な負傷。
そして、あの島に隠された「人間を燃料とする炉」という、この世界の底知れぬ悪意の断片だった。
「船員! 直ちに偵察艇の修理に取り掛かれ! グレイ、お前は休め。……次の嵐が来る前に、動けるようにしておくぞ」
母艦『グレイト・ニフランディア号』は、深手を負いながらも、再び深い霧の中へと、その舳先を向けた。




