無音の産声
「キヌ婆さん、これをもらっていく。……あと、さっきのゼンマイもだ」
クロムは黒い鱗と、泥にまみれた『古びた防壁のゼンマイ』をカウンターに置いた。
「へぇ、本気かい。……合わせて一万円だよ。ま、あんたの審美眼への手間賃さ」
キヌはわざと意地の悪い笑みを浮かべ、キセルを叩いた。一万――。まともな技師なら、もっとマシなSRの素材が買える金額だ。
「……ああ、妥当なところだ」
クロムは迷うことなく財布から札を取り出し、カウンターに置いた。一万を惜しんでいる様子はない。ただ、その金で買える「確実な成果」よりも、この鱗が持つ「未知」を選んだだけだ。
「あいよ、毎度あり。……ったく、そんなガラクタに万札を叩きつけるなんて、お前さんも大概な変人だねぇ」
皮肉混じりの見送りを受けながら、クロムは鱗を割れないよう丁寧に布で包み、ルカを引き連れて店を飛び出した。
自分のショップへと辿り着き、勢いよく扉を開ける。
店内は、祝日の三連休ということもあって、対戦台は殆ど埋まるほどの賑わいを見せていた。
「……あら、おかえりなさい。死ぬほど忙しい時に、よくもまあ優雅にガラクタなんて抱えて帰ってこれたわね」
レジカウンターで客対応を終えたスズが、般若のような形相で待ち構えていた。
「ちょっとクロム、今日が何の日か忘れたわけじゃないわよね!? 世間は三連休! 依頼は山積みだし、私一人でどれだけ回してると思ってるの!? なのにあんた、またキヌ婆さんのところで一万も使って……! その金があるなら、せめて店用のSR素材でも仕入れなさいよ!」
スズの怒鳴り声を背中で受け流し、クロムは奥の作業場へと引き籠もった。
重い防音扉が閉まり、静寂が訪れる。
そこから、クロムの「戦い」が始まった。
――生成開始から二十四時間。
「……合わない。波長が、深すぎる」
クロムの目の前では、大型生成装置が異常な唸りを上げていた。
通常の素材なら、魔力を流し込めばすぐに「答え」を返してくる。だが、この黒い鱗は違う。流した魔力をすべて飲み込み、真っ黒な空洞を返し続ける。
微調整、共鳴のやり直し、魔力回路の組み換え。
一分一秒が、クロムの精神を削っていく。
――四十八時間経過。
「クロムさん、まだ開かないの……?」
「もう二日よ。あのバカ、死んでなきゃいいけど」
扉の外でルカとスズが心配そうに囁き合う中、作業場の扉が、内側から重く、ゆっくりと開いた。
「……できた」
そこに立っていたのは、幽霊のような男だった。
頬はこけ、目は血走り、肌は土気色。二日間、一万円の「ゴミ」と対話し続けたクロムの姿は、まさに満身創痍。
「クロムさん! 凄い隈……! 大丈夫!?」
「……見ろ」
クロムが震える指先で差し出したのは、生成装置のトレイに置かれた一枚のカード。
「え……?」
ルカが言葉を失った。スズも横から覗き込み、眉をひそめる。
「……二日もかけて、これ? 冗談でしょ?」
カードの枠は安っぽい灰色。
デバイスが吐き出した鑑定結果は、残酷なまでに低かった。
『レアリティ:C』
『名称:『共鳴する残滓竜』
『攻撃力:0 / 防御力:0』
「あんなに頑張ったのに、C(失敗作)……」
ルカが泣きそうな顔でクロムを見上げる。一万円という対価に見合う輝きは、そこには微塵もなかった。
だが、クロムは力なく、しかし深く笑った。
豪華な鱗も、神々しい翼もない。
折れた剣、錆びた歯車、崩れた石材――世界から捨てられた『残滓』たちが互いに共鳴し、強引に竜のカタチを成している。歪で、泥臭く、それでいて何よりも強固な結合。
「……はは、最高だ」
クロムの口角が、無意識に吊り上がった。
デバイスからは「魔力波長:不一致」の警告音が、他の誰にも扱えない「失敗作」であることを告げている。だが、クロムの指先には、吸い付くような完璧な一致感があった。
「誰にも見向きもされない。評価もされない。……こいつは、俺にピッタリだ」
独りごちたクロムは、カードを胸に抱いたまま、その場に崩れるように深い眠りに落ちた。
「……全く、寝るならベッドに行きなさいよ」
スズが呆れながらも、クロムの背中に古びた毛布をかけた。
作業場の明かりが消され、店は静かな夜に包まれる。
だが、クロムが手放さなかったその灰色のカードは、暗闇の中で時折、呼吸をするように微かな魔力を放っていた。
それは、高級なレアカードが放つ煌びやかな光ではない。
夜の底に沈むゴミ捨て場から漂う、冷たく、そしてざわつくような――異質な気配。
その微かな「揺らぎ」は、静まり返った街の路地裏へと漏れ出していく。
「……おい、今の感じたか?」
深夜、店の前を通りかかったガラの悪い男たちが、不意に足を止めて店を振り返った。
「なんだぁ? 急に寒気がしたぜ」
「……気のせいだろ。ほら、行くぞ」
男たちは首を傾げながら去っていったが、一度だけ振り返ったその視線には、無意識の恐怖が混じっていた。
翌朝、この街を包むのは、いつもの賑やかな連休の空気ではない。
何かが、ほんの少しだけ狂い始めている。
そんな予兆だけを残して、夜が明けていく。




