熱狂の伝播と、底辺の現実
大歓声に包まれたスタジアムの熱気は、クロムがフィールドを降りてなお冷める気配がなかった。
絶対の自信を誇っていたエリート候補生ザックの完全敗北。それも、誰も見向きもしないようなコモンカードの山によって、手札も盤面も削り切られるという異様な結末。
観客たちのざわめきと興奮が渦巻く通路を、クロムは表情一つ変えずに歩いていた。
「おい、待ってくれよ!」
突如、通路の角から一人の少年が飛び出してきた。
年齢はクロムより少し下の、十八歳前後だろうか。オイルで汚れたジャケットに、使い込まれて傷だらけの安物デバイス。ストリートで揉まれてきたような少し生意気そうな顔つきだが、その瞳は子供のようにキラキラと輝いていた。
「あんた、イカれてるぜ! あんな戦い方、底辺街でも見たことねえ!」
少年は興奮気味に身を乗り出し、クロムの前に立ち塞がった。
「俺の名前はレノ! 俺、金ねえからUC以下のカードしか使えねえんだけどさ……低レアでも、あんな風にエリートをぶっ倒せるんだな! マジで惚れたぜ! なあ、今日からアニキって呼ばせてくれよ!」
「……誰だお前」
クロムは立ち止まり、冷たい視線をレノへと向けた。
「だからレノだって! 俺もこの予選に出てるんだけどさ、アニキのあのループコンボ、マジで鳥肌が立って……」
「俺はお前を知らないし、馴れ合うつもりもない。道を開けろ」
まくし立てるレノを冷たくあしらい、クロムは少年の肩をすり抜けて歩き出す。
「あっ、ちょ、待ってくれよアニキ!」
背後でレノが何か喚いていたが、クロムは一度も振り返ることなく控室のエリアへと姿を消した。
指定された待機スペースに戻ると、スズとルカが身を乗り出すようにしてクロムを出迎えた。
「クロム、お疲れ様! ……っていうか、最高じゃないあんた!」
スズが手元の情報端末をバンバンと叩きながら、満面の笑みを浮かべている。
「SNSのトレンド、見た? 『謎のコモン使い』『エリート狩り』で今すごい勢いで拡散されてるわよ! これ、うちのカードショップにとって最高の宣伝になるわ! カードの売り上げ、明日から跳ね上がるかも!」
抜け目なく商機を見出すスズの隣で、ルカも興奮冷めやらぬ様子でクロムの腕を引いた。
「すごかったです、クロムさん! あのピカピカの魔装機が、クロムさんの残滓のカードたちで完全に崩されちゃって! 僕、見てて手が震えちゃいました!」
「……ただの勝負だ。相手のデッキの構造さえ読み切れば、どんなに高価な装甲だろうと綻びはある」
クロムは淡々と応えた。
その間にも、待機スペースのあちこちからクロムを盗み見る視線と、潜めた声が聞こえてくる。
「おい、あいつだろ。さっきSRのガチデッキをコモンだけでハメ殺したって奴」
「マジかよ、どんな裏技使ったんだ?」
「気をつけろ。あいつの墓地にカードが落ちたら、何が飛んでくるかわからねえぞ……」
嘲笑の的だった『底辺のコモン使い』は、たった一戦で、予選参加者たちが最も警戒する『不気味なイレギュラー』へと変わっていた。
次の試合までのインターバル。クロムはふと、壁面の巨大モニターを見上げた。
そこには、現在進行中の他の予選ブロックの試合が映し出されている。
『――さあ、こちらのブロックも白熱しております! 果敢に攻め込むのはスラム出身の若きプレイヤー、レノ!』
モニターの中で戦っていたのは、先ほど通路で声をかけてきたあの少年だった。
レノのフィールドには、彼が言っていた通り低レアリティの魔導体が並んでいる。彼はそれを強引に展開し、相手のライフを削りに行こうとしていた。
「いけえっ!ダイレクトアタックだ!」
レノが声を張り上げる。だが、対戦相手である中堅クラスのプレイヤーは、余裕の笑みを浮かべて手札から【瞬刻】カードを発動させた。
フィールドに閃光が走り、レノが並べた低級魔導体が一掃される。
そして返しのターン、相手が召喚した高レアリティの大型魔導体の一撃が、レノのライフゲージを容赦なくゼロへと叩き落とした。
『――決まったァ! 圧倒的なカードパワーの差を見せつけ、勝者、次戦へ進出!』
ホログラムが消え、レノが悔しそうにデバイスを叩く姿が映る。
クロムはその光景を、静かに見つめていた。
(……気合いだけで勝てるほど、甘い世界じゃない)
低レアリティのカードは、単体ではただの貧弱なユニットだ。エリートたちの暴力的な数値に正面からぶつかれば、レノのように簡単に吹き飛ばされて終わる。それが、このカードゲームの絶対的な現実だった。
クロムが勝てたのは、奇跡でも友情の力でもない。手持ちのカードの特性を完全に把握し、相手の動きに合わせて最適な組み合わせを組み上げているからに過ぎない。
「クロム、次の試合の呼び出しよ」
スズの声に、クロムは視線をモニターから外し、立ち上がった。
「相手のデータ、調べておこうか? さっきのザックよりはマシみたいだけど、火力特化のデッキを使ってるらしいわよ」
「いや、いらない」
クロムは愛用のデバイスを腕に装着し、歩き出す。
「事前に相手のデッキを知る必要はない。盤面に出てきたものを見て、その場で対処するだけだ」
その言葉は、決して傲慢から来るものではなかった。
クロムはその後も、己の宣言通りに予選ブロックを勝ち進んでいった。
力任せに攻めてくる相手の攻撃をいなし、守りを固める相手の隙を的確に突く。対戦相手たちは皆、自分たちの自慢のコンボが機能不全に陥り、気付けば盤面を更地にされるという未知の恐怖に顔を歪ませた。
一切の感情を交えず、ただ淡々と、相手の盤面を崩し続けるクロムの姿は、観客たちに「戦慄」という名の熱狂を植え付けていった。
『――予選ブロック、準決勝終了! 勝者、クロム!』
システム音声が、またしてもクロムの勝利を告げる。
「これで、次が予選の決勝ね」
スズが息を呑むように言った。
スタジアムのモニターには、予選ブロックの最終トーナメント表が映し出されている。
クロムの名前は、無傷の全勝のまま、その頂点の一つ手前まで到達していた。
ここを勝てば、エリートたちが待ち受ける本戦への切符が手に入る。
クロムは静かにデバイスの電源を切り、次なる戦いに向けて、瞳の奥に冷たい炎を宿した。




