レアリティの虚像
ネオ・ブライト・アリーナ。その巨大なドーム内を埋め尽くす熱狂は、もはや物理的な質量を持って肌を刺すようだった。
天井に設置された最新鋭のホログラムプロジェクター群が、実物と見紛うほどの巨大な聖竜や戦乙女の姿を空中に描き出し、極彩色の光の粒子をスタジアム全体に降らせている。アリーナの中央は、カードから読み取られた情報が視覚化される際、周囲への視覚干渉を防ぐための強固な半透明の障壁によって複数の「ブロック」に区切られ、数十のバトルフィールドで同時多発的に予選の幕が上がろうとしていた。
最新型の生成器が放つ重厚な駆動音と、数万人の観客が上げる地鳴りのような歓声。空気がビリビリと震え、立っているだけで平衡感覚が狂いそうなほどの狂騒の中、クロムは指定された『Aブロック・第七フィールド』へと続く専用通路を歩いていた。
その時、隣接する『Bブロック』から、鼓膜を破らんばかりの凄まじい咆哮が轟いた。
直後、スタジアムの熱気を一瞬で凍らせるような、圧倒的な「出力」の爆発。そして、今日一番の爆発的な歓声がドームの屋根を揺らした。
「決着だ。……消えなさい、ノイズ」
熱狂の波を切り裂いて届いたのは、氷のように冷徹な、しかし聞き覚えのある声だった。
クロムが足を止め、視線を向ける。そこには、既に自らの初戦を終わらせたカイトが悠然と立っていた。
彼の背後の空間には、URだと思われる、圧倒的な威圧感を放つ人型の何かが消えゆく淡い光の残滓だけが、投影機の限界を示すノイズと共に漂っている。対戦相手だったプレイヤーは完全に戦意を喪失し、フィールドに膝をついたまま、自分のデバイスの画面に無機質に点滅する『LOSE』の文字を、ただ呆然と見つめていた。
一瞬。わずか一ターンでの、あまりにも残酷な完封劇。それが今大会の優勝候補筆頭が見せた、挨拶代わりの圧倒的な情報量による蹂躙だった。
「ひ、一瞬……。何よ今の……。やっぱりカイト様は次元が違うわ……」
観客席の端から身を乗り出して見守っていたスズが、顔を青ざめさせて戦慄したように呟く。
Bブロックを圧倒的な光の演出で制したカイトは、自身に向かって熱狂する観客たちには一瞥もくれず、ふいと隣のフィールド――これから試合を始めるクロムの方へ視線を向けた。
輝くような純白の特注デュエルスーツの裾を翻し、カイトはフィールドを隔てるフェンス際までゆっくりと歩み寄ると、優雅に腕を組んだ。
「……まだ帰っていなかったのか、ガラクタ拾い」
その声は不思議なほどはっきりとクロムの耳に届いた。カイトの整った顔立ちには、冷ややかな、しかしどこか悪趣味な愉悦を孕んだ笑みが浮かんでいる。
「君のその『ゴミ』が、本物の輝きの前でどう無様に砕け散るのか……。少しだけ、見物させてもらうよ。準決勝まで勝ち残れるなら、僕が直接、引導を渡してあげよう」
カイトは「お手並み拝見」と言わんばかりに、一段高い位置からクロムを見下ろしている。
今大会の主役であるカイトが、名も知らぬ薄汚れた作業着の男に直接声をかけた。その事実は一瞬で周囲に広まり、空気を劇的に変えた。カイトの取り巻きたちや、周囲の観客たちの視線が一斉にクロムへと注がれる。
「なんだあいつ?」「カイト様が注目してるのか?」「ただのコモン使いの素人らしいぞ」という好奇と侮蔑の目が、強烈な重圧となって第七フィールドを支配した。
だが、クロムは一瞥もカイトに返さなかった。
周囲の喧騒も、突き刺さるような視線も、今のクロムにとってはただの背景にすぎない。彼は静かに深く息を吐き、煤けた作業着の胸ポケットから一枚のカードを取り出した。
先ほど、カイトが高価な素材から顕現させながらも「ゴミ」と切り捨て、回収BOXに投げ捨てたもの。それをクロムが拾い上げ、出場までのわずかな時間で『調整』を済ませたコモンカード――『量産型・歩兵機巧』だ。
カードの表面を、職人のタコができた指先でそっと撫でる。
クロムの指を通して、カードの奥底に眠る微かな記憶の波長が伝わってくる。無理やり高出力で顕現させられたことによる「記憶のひずみ」は、クロムの手によって既に綺麗に取り除かれていた。実体を持たぬホログラムであっても、その投影の核となる情報が歪んでいれば、カードは真の力を発揮できない。
「……あいつに合わせる顔がないなんて、言わせないからな」
クロムは、今は自身のデバイスの中で沈黙を続けているエース『残滓竜』に誓うように、低く呟いた。
そこへ、対戦相手である男――ザックがフィールドの反対側から歩み出てきた。
カイトと同じ意匠を凝らした、特注の白いデュエルスーツ。手元には、事象の安定化回路をいくつも増設したプロ仕様の高級デバイスが握られている。彼はフェンス際に立つカイトの視線を背中に感じ、これ以上ないほどに昂揚していた。
「やれやれ。予選の初戦から、とんだ貧乏くじだ。まさか本当に、そんなガラクタの束でこの神聖なフィールドに立つつもりとはね」
ザックはクロムの着古した作業着と、使い込まれて各所に傷がついた旧式デバイスを見て、あからさまに鼻を鳴らした。
「あの人は、Aブロックの有力候補のザックですよ!」
観客席のルカが、心配そうに身を乗り出してスズに告げる。その瞳には、かつてレオンにカードを蹂躙されていた頃のような怯えが、しかしそれを打ち消そうとする師匠への信頼が混在していた。
「カイトに心酔しているエリートプレイヤーで……URこそ持っていませんが、デッキのすべてがR以上。切り札には凶悪なSRを複数枚積んでいるという噂です。予選で当たる相手としては、最悪の部類だ……!」
ザックは、カイトへ己の忠誠をアピールするかのように、芝居がかった手つきで自身のデバイスにカードの束をセットした。
「出力の低さは、そのまま価値の低さに直結する。URには手が届かずとも、僕のSRとRの精鋭たちは、君のような『ノイズ』を消し去るには十分すぎるほどの輝きを持っているんだよ。さあ、カイト様に僕の立ち振る舞いを見ていただこう!」
周囲の観客たちからは、ザックの言葉に同調するような嘲笑の声が上がる。
しかし、対峙するクロムの表情は、凪いだ水面のように一切動かなかった。ただ、ザックのセットしたデッキから漏れ出す投影情報の質を、職人の目で見極めていた。
「……RやSRだけで固めたデッキ、か」
クロムは低く、地を這うような声で呟いた。
「確かに、金の力で質のいいカードを集めたんだろう。だが、見栄えはいいが、芯が通っていない。レアリティの高いカードに溺れて、個々の『記憶』の繋がりを無視した歪なデッキだ」
「……なんだと?」
ザックの余裕の笑みに、ピキリと亀裂が走る。
「カードの声が聞こえていない証拠だ。そんなデッキじゃ、こいつらの『本当の力』は引き出せない」
クロムが旧式デバイスの起動スイッチに、静かに指をかける。
彼の目には、もはや傲慢な対戦相手の姿も、カイトの冷徹な視線も映っていない。見つめているのはただ一つ、これから呼び覚ますカードたちの、誰にも聞こえない叫びだけだ。
その瞬間、フィールドのメインスピーカーと両者のデバイスから、激しい電子音と共に高らかなシステムボイスが響き渡った。
『―― RESONANCE, CONNECT! (レゾナンス、コネクト!) 』
大会公式のバトル開始宣言。
二人を囲むように淡い光のバリアが展開され、フィールドには立体映像を定着させるための高密度な光粒子が満ちていく。
圧倒的なレアリティの差と、冷徹なエリートの監視。
その全てを覆す、職人クロムの静かな反撃が今、幕を開けた。




