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仕事ができる男(その後)

「おはようございます。早速ですが、まだ返信していないメールが二通あります。早急に処理してください」

「あ、ごめん。すぐやる」

「それから、銀行向け資料の素案を作っておきましたので、午前中に確認をお願いします」

「分かった」


 秘書に答えた俺は、脱いだ上着を背もたれに引っ掛けて席につくと、すぐにパソコンを開いた。

 そんな俺を、秘書は一瞥もしない。話しながら、画面を見つめてひたすらキーボードを叩いている。


 秘書の作った銀行向け資料を開きながら俺が呟いた。


「この融資が受けられると楽になるんだけどな」


 キーボードを打ちながら秘書が言った。


「死ぬ気でプレゼンしてください。社員の生活が掛かっているんですから」

「そうだな、頑張るよ」


 冷たく言われて、俺は表情を引き締めた。




 役所の監査と指導、社員の不正、俺がごり押しした製品の大失敗。

 立て続けに大波を食らった我が社は、あっという間に転落していった。

 売上は激減し、俺が目を掛けていた社員は軒並み辞めていった。

 オフィスの家賃が払えずに、安い雑居ビルに引っ越した。

 多くの取引先から縁を切られた。

 ボロボロになった我が社に残ったのは、当時の俺が”使えはしないが、切り捨てるほどでもない”と思っていた社員だけ。

 その中に、優秀ではあるが、切るかどうかを迷っていた社員がいた。

 それが今の秘書だ。


 総務部の平社員だったその女は、愛想の無さゆえに部内で浮いていた。

 だが、俺には分かった。こいつは間違いなく仕事ができる。総務の仕事が滞りなく回っているのは、この女がいるからだ。

 それは分かっていたのだが、それでも切るかどうかを迷ったのは、女の態度が無礼だったからだ。


 俺に対する敬意を感じない。

 へつらうこともしなければ、笑みも浮かべることすらしない。


 迷っているうちにあの騒動が起きた。

 次々と社員が辞めていく中、なぜか女は我が社に残った。

 あたふたする俺を横目に、女は淡々と仕事を進めていく。

 その姿を見て、俺は女を秘書に抜擢した。いや、頼み込んで秘書になってもらった。


 女はやはり優秀だった。

 社外との連絡を一手に引き受け、優先順位をつけて俺に知らせる。

 スケジュール調整や資料作成、情報収集その他諸々、俺が指示せずとも全部やってのける。

 気が付くと、俺は秘書に頭が上がらない状態になっていた。


 秘書が作った資料を、本当は必要ないのに少しだけ手直ししてから俺が顔を上げる。


「午後は年金事務所だったよな?」

「そうです。午後一時出発、二時に先方で打ち合わせです。資料は用意してありますので、社長は上手な言い訳を考えておいてください」

「言い訳かぁ。面倒だな」

「そんな態度を先方で見せないでくださいね。保険料を滞納しているのはうちなんですから」


 社会保険は、社員と会社で折半して納めるものだ。つまり、社員の給料から天引きした金額の倍額を会社が年金機構に払い込む必要がある。だが、我が社はそれができていない。


「銀行の融資が下りるまで、我が社の資金は完全にショート状態です。担当者に泣きついてでも支払いを猶予してもらってください」

「分かった、頑張るよ」

「それから、早くメールの返信をしてください。先方が待っていると思いますので」

「ごめん、すぐやる!」


 慌てて返信を打ち始める俺を、秘書はやっぱり見ていなかった。




 仕事を終えた俺は、ボロい安アパートへと帰っていく。

 義父と妻の借金を返済するために、住んでいた家は処分していた。それだけでない。車もアクセサリも有価証券も、果ては服まですべて売り払った。

 それでもまだ借金は残っているが、俺の知らないところで契約されたものだと言って突っぱねている。

 それが通用すればよし。しなければ破産するしかない。

 こんな面倒な交渉は弁護士に丸投げしたいところなのだが、それを依頼する金がなかった。会社の資金だけでなく、個人の資金もショート寸前なのだ。


 弁護士と言えば、あのクソッタレな顧問弁護士は、この騒動の最中に行方をくらましやがった。最初からすべてを知っていて俺を騙したに違いない。

 弁護士だけではない。義父も妻も、俺に借金を背負わせるために動いていたふしがあった。


 義父の借金は、そのほとんどが娘のために使われたようだ。

 娘と俺の結婚費用、新居に車、そして小遣い。

 義父名義の銀行口座は、信じられないことにほとんど空っぽだった。あとで知ったのだが、詐欺まがいの投資話に引っ掛かって大損していたらしい。

 それを隠すために借金を重ね、娘にいい顔を見せていた。

 本当に馬鹿な男だ。

 そして、俺はその馬鹿にはめられたのだ。


 妻の借金は、間違いなく遊びと服とアクセサリに化けていた。

 保証人はすべて俺。俺の実印はさぞ使い勝手が良かったことだろう。

 妻が父親の借金を知っていたかは定かでない。

 だが、おそらく妻は知っていた。だから財産をすべて俺に譲ったのだ。

 おまけに、俺との結婚ですら妻の謀略だった可能性がある。妻のドレッサーから、避妊薬と睡眠薬が出てきたからだ。

 避妊薬は、俺との間に子供をもうけないために。

 睡眠薬は、いざという時俺から逃げるために。


 すべてが計算通り。

 そう思っていたのは、あの親子の方だったのかも知れない。

 それに気付いた時、俺はたっぷり一時間は動くことができなかった。




 黒ずんだフローリングの上に座り、半額で買った弁当を食べながら、俺はぼんやりテレビを見ていた。画面の中では、知らない芸人がどこかの地方都市の紹介をしている。

 その映像を見た瞬間、俺はテレビの電源を切った。


 見覚えのある町並みと見覚えのある店。

 馬鹿真面目な男と古風な女が経営する小さな食堂。

 連帯保証人、借金の取り立て、泣き叫ぶ子供、子供をかばいながら頭を下げ続ける二人。


 誠実であれ


 事あるごとに男は言っていた。

 狡さも賢さもない、ただひたすらに真っ正直な生き方。


「くそっ!」


 ムカムカする気分を飲み込むように、俺は弁当の残りを乱暴に掻き込んだ。




「おはようございます。早速ですが、銀行から連絡がありました。融資の審査が通ったそうです」

「本当か!?」

「はい。社長のハッタリ、もとい、プレゼンがうまくいったみたいですね」

「それ、褒めてるか?」

「さあ」


 秘書は俺を見向きもしない。


「念のため申し上げますが、これしきの事で浮かれないでくださいね。資金繰りは目途が立っても、事業の再建はまだなのですから」

「そ、そうだな。頑張らないとな」


 この秘書はどこまで俺をこき使うつもりなのか。


「とは言え、これで一息つけたのも事実です。この辺りで、三日ほど休暇をお取りになってはいかがでしょうか」

「休暇?」

「はい。社長は今日で二十二日連続勤務中です。役員に労働基準法は適用されないので法的問題はありませんが、肉体的には問題があるように思います」


 俺が目を丸くした。


「いや、しかし」

「しかしではありません。社長が倒れたら、一体誰が銀行や役所に頭を下げるんですか。いいから黙って休んでください。三日間くらい、我々社員で何とかしますから」

「そうか。じゃあ、お言葉に甘えて来週にでも」

「明日からです」

「え?」

「明日から休んでください」

「……分かった」


 有無を言わせぬ言葉に、俺は頷くしかなかった。




 仕事を終えた俺は、いつも通り途中のスーパーで半額の弁当を買うと、ボロアパートへ続く道をぼんやり歩いていた。

 明日から三連休。どうにも実感が湧かない。

 会社に入ってから、俺は事実上休んだことがなかった。新人の頃ですら頭の中は仕事のことで一杯で、休みの日に翌週の戦略を練っていたほどだ。

 結婚した時に十日間休みを取ったが、妻と義父のご機嫌取りで忙しく、ゆっくりしたとは言い難い。


「休みって、みんな何してるんだ?」


 夜空を見上げて俺が呟く。

 これまでなら、休暇中も仕事のことばかり考えていただろう。心配になって会社に連絡していたかもしれない。

 だが、今は秘書がいる。あの秘書が任せろと言った以上、大抵のことは何とかしてしまうに違いない。


「とりあえず、明日考えるか」


 何も思い付かないままアパートに帰った俺は、飯を食って風呂に入ると、いつもより早めに布団に入った。




 結局、俺は三連休をダラダラと過ごした。

 家の掃除をして、図書館で借りた本を公園のベンチで読んで、久し振りに買った缶ビールを半額のつまみでちびちび飲んだ。

 借りた本が思いのほか面白かったので、少し夜更かしをした。

 目覚ましを掛けないで寝て、朝は七時過ぎに起きた。

 長いようで短かった三日が終わると、俺はきちんとブラシを掛けたスーツを着て会社に行った。


「おはようございます。目の下の隈はなくなっていますね、何よりです」

「隈?」

「早速ですが、報告がいくつか」

「わ、分かった」


 驚きながら俺が椅子に腰掛ける。


「まず、T社からクレームがありました」

「なに!?」


 俺は顔を引き攣らせた。

 T社は我が社に残った貴重な大口顧客だ。それを失えば大変なことになる。


「ですが、営業部の佐藤さんがお詫びに行って解決しています」

「佐藤が?」


 営業部の佐藤。

 俺より入社が三年早い、中堅の営業マンだ。

 コツコツと足で稼ぐタイプで、毎月コンスタントに売上を上げてくる。ただ、俺の知る限り、ただの一度もトップを取ったことがない。

 冴えない風貌とセンスのない身なり。

 まさに”使えはしないが、切り捨てるほどでもない”という男。


 その佐藤が?


 驚きながら、俺は乗り出した体を椅子に預けた。

 すると、秘書がまた言った。


「それから、社内サーバーがダウンしました」

「はぁ?」


 素っ頓狂な声を上げる俺に、秘書が冷静に返す。


「ですが、システム部の三浦さんが徹夜で復旧しました。一部失われたデータもありましたが、みんなで入力し直すなどして対応済みです」

「そ、そうか」


 システム部の三浦。

 よく分からない美少女キャラのマウスパッドを使っているオタクだ。

 以前、俺がすべてのシステムをクラウドサービスに切り替えると言った時、うちのITリテラシーでは情報漏洩の危険があると反対してきたことがあった。

 それを無視してクラウドを導入したのだが、三浦の言った通り、大量の顧客情報が漏洩した。原因は、社員たちが社外でシステムを使いまくったためと思われる。

 画面を盗み見られたのか、フリーwifiを使っている時に盗聴されたのか。いずれにしても、どこかでログイン情報が盗まれたのだ。


「今日、三浦は出社してるのか?」

「三浦さんは二日間寝ずに頑張ったのです。今日は休みに決まっているじゃありませんか」


 冷たく言われて俺は黙った。

 そんな俺に、またも秘書が言う。


「まだあります。以前から噂のあった法改正が決定して、ガイドラインが発表されました」

「まさか!」


 俺が目を丸くする。

 あの法律が改正されると、我が社の主力製品は仕様変更を余儀なくされてしまう。

 今の我が社にそんな余力はない。

 顔色を変える俺をよそに、またも淡々と秘書が答えた。


「ですが、開発部の榊さんが前々から準備をしていたので、すでに対応に向けて動いています」

「そうなのか?」

「”未来のリスクより今の金”と言っていたどこかの誰かさんより、榊さんの方がよほど現実を見ていたということでしょう」

「うっ!」


 重い一撃を食らって、俺はうなだれた。


「さらにもう一つ」

「まだあるのか」


 驚く元気はもうなかった。

 相変わらずキーボードを叩きながら秘書が言う。


「社長が防虫対策をケチったせいで、オフィスに大量のゴキブリが発生しました」

「ゴキブリ?」

「はい。あれを見て冷静でいられる者がいたとしたら、それは人間ではないと断言できます」

「何だそりゃ」


 思わず突っ込むが、秘書は顔色一つ変えない。


「仕方がないので、私が対策班を結成して対応しました。とりあえず大丈夫だと思いますが、融資が下りたら一度業者を入れてください」

「たかがゴキブリにそこまでしなくても……」

「入れてください」


 この時だけ、秘書が俺を見た。


「……分かった」

「よろしくお願いします」


 いつもの秘書に戻ったのを見て、俺が胸を撫で下ろす。


「トラブルの報告は以上です。続いて今日のスケジュールですが」


 いつものやり取りが始まった。

 秘書の声を聞きながら、俺は考える。


 もう少し頑張れば、ただ椅子に座っているだけで会社が回っていく日が来るだろう


 業績好調の時に思い描いていた環境が、皮肉なことに、落ちぶれた今になって整った。

 自嘲気味に笑った俺は、以前から疑問だったことを口にする。


「なあ、きみ」

「何ですか? まだ説明の途中……」

「きみは、どうしてうちに残ったんだ?」


 不意打ちを食らったように、目を見開いて秘書が俺を見た。

 三秒ほど俺を見た後、画面に視線を戻す。

 そして、手を止めたまま答えた。


「それは、社長が逃げなかったからです」

「俺が?」


 今度は俺が目を見開いた。


「社長は、現場を引っ掻き回してボロボロにしました。そのせいであの騒動が起きた。でも、その解決のために、社長は必死に走り回っていた。それが面白いと思ったんです」

「面白いねぇ」


 呆れたように俺が呟く。


「傲慢で強欲で冷血。頭は良いし金儲けは上手だけど、人としては最低。そんな社長が、逃げずに危機に立ち向かっている。それに私は興味を覚えた。いわゆる”ギャップ萌え”というやつですね」

「ギャップ萌え!?」

「冗談です」


 冷静な返しに俺が固まる。

 その俺に、秘書が驚くことを言った。


「誠実であれ。以前お世話になった人が言っていた言葉です」

「!」


 俺が息を呑んだ。


「こんな人でも、誠実さの欠片くらいは持っていた。そう思ったら社長に興味が湧いた。だから私はここに残ったんです」


 黙ってしまった俺をチラリと見て不思議そうな顔をした後、秘書がまた画面を見る。


「無駄話はこれで終わりです。では続きを」


 秘書が仕事の話を再開する。

 その話を、またも俺が遮った。


「なあ、きみ」

「今度は何ですか」


 明らかに声が苛立っている。

 それに怯みながら、俺が言った。


「よかったら、今度食事でも」

「行きません」


 一瞬の迷いもない拒否。

 その顔には、本当に、一切、微塵も動揺が見られない。


「わ、悪かった」

「では改めて」


 秘書の話を聞きながら、相変わらず俺は違うことを考えていた。


 一度くらい帰ってみるか


「社長、私の話、聞いてますか?」

「聞いてます!」


 低い声を聞いて、俺はピンと背筋を伸ばした。




 仕事ができる男(その後) 完


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