第33話 羽化する蝶のような
それはまるで、サナギから成虫へと羽化する蝶のような。ローレン・ハリントンという殻を脱ぎ捨てた美しい女性が、当然のように立っていた。それはローレン・ハリントンとは全くの別人だった。
「ごめんなさい、驚かせてしまって」
女性が口を開く。
どういうこと?ローレン・ハリントンは?彼女はどうなったの?平然とそこに立つこの女性は誰なの?
私たちの混乱を知ってか知らずか、女性は微笑む。
「この子が失礼をしました。お詫びします」
「ローレン・ハリントンは…?」
女性の下に広がる黒い液体と残骸を見ながら恐る恐るカルヴィンが問う。女性は朗らかな笑みのままだった。
「目に余るから、リセットしたの」
「リセット?」
「やっぱり上手く行かないものね。私はまだまだ」
私の肩に乗っていた子猿くんが威嚇する。女性が表れた時から子猿くんはずっと敵意を向けていたようだ。私が心配する間もなく、嘆息する女性に子猿くんは突然襲いかかっていった。
「イーラの魔法ね」
女性は手を一払いするだけで子猿くんを霧散させてしまった。元々実体のある体ではなかったのだろうが、それでも仲良くしていた子猿くんを消されてしまい、嫌な感じがした。
「私のオリキュレール、会えて嬉しいわ」
足元にあるモノを足蹴にしながら女性は私たちへと近づく。この多目的室が異質な空間にでもなったかのような緊張感があった。
「あなたは誰?」
会えて嬉しいって何。てか私の…何て言ったの?
話せば話すほど訳が分からない。そんな私たちに女性はクスリと笑った。
「私は誰か…そうね。聖女、かしら」
聖女。
ご神木から魔女とともに生まれた…イザークが絶対的に想っている、あの聖女?
「それで、魚人族にある魔女の秘め事は手に入れられなかったのね」
彼女の質問にカルヴィンとルークスリアからの視線も集まる。私は声は出せず反応も返せぬまま佇んだ。
「仕方ないわね」
聖女は呆れたというように顔をしかめ、ため息とともに指を鳴らした。
「ほら」
すると彼女の指が鳴ったのと同時に魔方陣が表れ、聖女はそこから『嫉妬の鏡』を取り出した。
それって転移魔方陣?私とナイトが連れてこられた、異世界から異世界への転移よりはよっぽど可能な気もするが…それでもこの世界でだって、そんな奇跡の摩訶不思議は簡単に起こせないはずなのに。
そもそも人の中から人が出てくるのだって、すでにあり得ないのだが。
「受け取って。これを破棄して回っているのでしょう?」
聖女は私に鏡を持たせた。そして慈愛の微笑みを浮かべる。私は震える手でそれを受け取り、その感触を確かめながら聖女に問う。
「何で知ってるの…?」
私が手に入れられなかったって。私たちがこれを壊して回ってるって。どうしてこれを渡したの?
聖女は変わらぬ笑みのまま答える。
「私はこの世界で起こってることは大概理解しているわ」
「なぜ?」
「分かるの。ただそれだけ」
幼子を相手にするように、聖女は私の頭を撫でた。鳥肌がたったけれど、拒否することは怖くてできなかった。
「私はこの世で一番真理に近い存在だから、かな」
「真理に?」
「そうよ。私は人智を超えた存在だから。この魔女の秘め事だって、私があの魔女に配り歩かせたモノよ」
聖女が?
てっきり魔女が作ったものかと思ったが、聖女が作り出したらしい。こんな物騒なものを…責めようとしたがその前に聖女は言い訳するように口を開いた。
「誤解しないで。こうして貴女に渡しているでしょう?私はこの秘め事で世界を混乱に陥れたいとか、そんなことを考えているわけではないわ」
「貴女は何が目的なの?」
「私の目的はただひとつ。絶滅の一途を辿る魔族を救うことよ」
魔族を救うこと?
確かに今、魔族の立場は危うい。しかし絶滅の一途を辿っていたのか。それほどまで魔族は危ない状況だったなんて気づかなかった。
「スペルディアなら知っているでしょうね。彼は少し前まで未来が見えたから。魔族はこのままいけば絶滅し、この世界から魔法という存在は消えてお伽話になるわ」
「魔法が消える?」
「それが今の世の流れね。私も元々は魔族だったの。自分の元いた一族が途絶えてしまうのは忍びないわ」
聖女は真剣な顔で、私の手を取った。
「色々伝えたいことはあるけど時間もないし。忠告するわ、イーラを信用してはダメよ」
「突然何を…」
「あいつは私利私欲に動いているわ。彼の言葉を鵜呑みにしないで。イーラはこの世の流れを知っている。けれど、魔族の為に動こうなんて微塵も考えていないわ」
そうなの?イーラは元々疑問を感じる奴だったけど…
聖女のことだって、信用していいのだろうか。魔族の為に動いているって言うなら、聖女は良い人なのかもしれない。
でも彼女の足元に広がる残骸が、その考えを肯定することを引き留める。
「ねぇ、ローレン・ハリントンは…?」
私はのらりくらりとかわされてしまっていた問いを再度繰り返す。私の声は残念ながら震えていた。でも正直この問いに答えてもらえないなら聖女を信用するなんてできない。
「しつこい」
聖女は変わらないトーンで一言吐き出すと、残骸の欠片をつまみ上げた。そしてふっと息を吹き掛ければ、それは聖女の持つ欠片を中心にしてローレン・ハリントンだったものが聖女の手に集められた。
それは全て聖女の手のひらに集まると黒い粘液が固まりピンポン玉くらいの球体になる。
「ローレン・ハリントンは私の子なのよ」
「え?」
母親?
ローレン・ハリントンは人族だったはず。それが元魔族の聖女が母親だって言うのか?ならミラと同じハーフとか?
「腹を痛めて産んだって意味ではないけど。それでも彼女の母親に等しいのよ」
聖女はどうも分かりにくい話し方しかしない。意味の分からない言い方ばかりでこちらを混乱させる。
「だから、母が我が子のこれから先について、決めることは間違ってないでしょ」
それでも、聖女が信用ならないってことだけは薄々感じることができる。イザークはどうしてこの人のことを想っているんだろうか、甚だ疑問だ。




