第26話 明晰夢
小学生くらいの見た目のイーラは学生服に着られてしまっている。袖から手が出せず捲り上げながらイーラは話しかけてきた。
「お前の様子を見に来たのさ。どうだ、ちゃんと魔女の秘め事は破壊しているか?」
「様子を見に来たって…」
と言うか、いつ私が魔女の秘め事のことを受け持ったと言うんだろうか。感銘を受けていたのはあくまでカルヴィンであって、私ではない。
「お前も、見届けたいと言っていただろ」
「別に、もうどうでも良いし」
「なんだ、エルフに魅了を掛けられたくらいで。もう元の世界に戻らなくても良いのか?」
教室、クラスメート、黒板や窓の外に見える校庭。全て私の日常だったものだ。あんなに馴染みあったはずなのに違和感を感じるのは離れすぎてしまったせいなのか、それともこれが夢だからだろうか?イーラ以外が曖昧で、ずっとボンヤリして見えるのだ。
ここに、帰らなくても良いのか?…帰る…?
「あんなに戻るんだってうるさかったのに、簡単なものだな」
「アルバ様はそれほど尊い存在なの」
「アレのどこが」
前々からこいつのことが好きになれないけど、本当に嫌なことばっかり言ってくる奴だ。こんな奴には何を言ってもムダだと私は無視して教室を出ることにした。
折角の夢なのだから、せめて実家に行ってみようか。そうしたらもっと鮮明に見えるかもしれない。とにかく世界が曖昧で、気持ちが悪いのだ。
歩く私にイーラがついてくる。奴は学生服が鬱陶しくなったのか、今度はTシャツと短パン姿になった。その姿は髪や目の色を除けば普通に現代の小学生と変わりない。
「人が話しかけてるのに無視するとはヒドイな」
「あんたが私に嫌なことばっかり言ってくるからよ」
何故だか歩きにくい。水の中を無理矢理歩いて移動しているようだ。体が重い。
「嫌なことか?俺は確かめてるだけだ。お前が今後どうしたいのかを」
「確かめてる?」
体を動かすのが億劫で仕方ない。休憩も兼ねてもう一度イーラに向き直ってみた。生意気なその顔は意地悪く歪んでいる。
「もう元の世界に戻らなくても良いのか?」
結局同じ質問が繰り返される。もういいのだ。これからはアルバ様の元で過ごすのだから。私には必要なくなったのだ。
「お前の悲願は呆気ないものだな」
軽蔑したように笑われた。
「知ってるか?明晰夢ってのがあるらしいな。夢を夢だと自覚していると、ある程度自由にコントロールができるらしい。例えば」
イーラがそう言ったかと思ったら突風に襲われた。思わず閉じた目を開けたら、わたしたちはいつの間にかよく見た家の前へと移動していた。
私が必死になっても辿り着けなかった私の家だ。住宅地の一角、隣はナイトの家である。なぜか夢の中の実家は引っ越しトラックが横付けされて荷物が運び込まれていた。
「明晰夢なら好きなように移動もできる」
ちょうど隣家への引っ越しの挨拶の時のようだ。菓子折を手にする母親の隣で、不愛想にそっぽを向いた少女がいる。
『これからよろしくお願いします』
『こちらこそ』
母同士は頭を下げあい、菓子折を受け取った隣家の母親は少女に向かって微笑んだ。
『お名前は?』
『ほら、舞。ご挨拶なさい』
舞?
少女は母の後ろに隠れて一言も発しなかった。無礼を詫びる母親を見ながら、私は体の震えが止められなかった。
何だこれ、何だこれは。
「違う!」
私は目の前のことを全て否定するように叫んだ。
引っ越してきたのは私じゃなくてナイトで、挨拶に来たのもあちらの方だったのに。
「違う違う!こんなの違う!」
叫ぶ私を黙らせようとするかのように再び突風に襲われ、今度は知らない男が立っていた。
「うるせぇな」
ニヒルな笑みは幼かった頃と変わらない。しかし魔王イーラの全盛期の姿なのだろうか、彼を成長させたらこうなるだろうという姿が目の前に現れていた。
途端に周りの世界は掻き消され、私たちはご神木の元に立っていた。私は少しだけ安心する。
変なものを見せられた怒りでイーラを睨む。
「ちょっと」
「何を怒っているんだ?」
ニヤニヤ顔が鼻につく。
そうだ、初めからそうだった。イーラは私を苛立たせてくる。
「あんたってムカつくのよ。いつもニヤニヤしてるけど、本当はいつも苛立ってるでしょ」
ずっと感じていたことだ。イーラは、いつだって苛立ちを抱えていた。それなのに顔は真逆に笑っている。だからこいつが笑えば笑う程私は腹立たしかったのだ。
私の指摘が図星だったのか、イーラはスッと表情を消した。しかし私が言い当てたと勝ち誇れたのは一瞬だった。口を開いたイーラの声音はあまりに低かった。
「俺はお前が嫌いだからな」
「…え…?」
え?ちょっと、え?
何、本当に嫌われてたの?私ってイーラに対して何かした?
予想していなかったことに私は驚いた。
「随分とおめでたいな。お前、異世界人で自分のことを特別だって思っているんだろう」
そんな厨二病なのはナイトの方です!私はそんなこと…
「お前、結局何かしたのか?この異世界に来て。今までにお前がいて何か変わったのか?」
「何かしたかって…」
「エルフの里の時も、ドワーフの鉱山でも、魔王城でも獣人族の祭りでも何でも良い。お前はただ、そこにいただけで何もしちゃいないじゃないか」
「私は魔女の秘め事を…」
「何かしたのか?お前がどうにかした時があったか?お前は今もその時も、自分のその場の感情だけで気まぐれに動いているだけじゃないか」
その場の感情。ギクリと身体がこわばった。
そんなこと…そんなことは…
「可哀想な異世界の人々の為に、魔女の秘め事を破壊する旅に同行してみたり。稽古でもつけてもらって役に立とうと努力するフリをしてみたり。でもお前の行動は全てその場の感情に流されたもので元の世界に帰るためのついでに過ぎない。本当に、ふざけた奴だよ」
重い身体はもう少しも動いてはくれない。これって、この夢の主導権を握っているのはあくまでイーラであって私ではないってことなんだろう。
「だって、正直に言えば私には関係ないじゃない。よその世界の話よ。それでも、仲良い人もできれば情も湧く。それで行動したことの何がそんなに気に食わないのよ?」
「そうさ。お前はあくまで隣人であり当事者にはなり得ないって自分を置いている。そうして部外者として振り回して掻き回してくれているんだ」
私よりも背が高くなったイーラが迫ってくる。その無を現したような表情は私の心拍数を大いに上げてくれた。
「その癖、元の世界に帰ろうって意志もこうやって簡単に塗り替えられる。大事なことだって覚えちゃいない。これだから道具に過ぎない奴は脆くて弱くて嫌になる」
道具?
道具って何?イーラの手が頭に伸びてきた。鷲掴まれる頭に、手も大人のサイズになったんだとボンヤリ考えていた。もう彼の表情は見えない。その低く怒りの込められた声音だけ耳が拾っていた。
「まだ新魔王の方が可愛いげがある。何もできない自分を自覚していたからな。お前はもう一度思い出したらいい。俺は、その為に遥々夢を伝ってきたんだ」
頭の中の靄が晴れるようだった。スーッと軽くなって、私は今の私を自覚した。
元の世界に戻りたい。彼女の洗脳っていうものは、何て恐ろしいものなんだろうか。
「奴の持つ『魔女の秘め事』を破壊しろ。エルフの王へ贈られたはずの『色欲の衣』を燃やしてしまえ」
「『色欲の衣』?何で王でもないアルバがそんなものを…」
彼女の姿を思い出した。彼女は常に美しい衣を身に纏っていた。
あれが、エルフの王が持つはずの『魔女の秘め事』だったのか。




