第23話 教祖アルバ
彼女の存在は尊かった。
私は何と愚かだったのか、自分のことを責めずにはいられない。アルバ様はその美しい所作で人々に施しを与えていた。どうして彼女のことを少しでも疑ってしまったのか、とても罪深い自分の愚かさに、私は後悔せずにはいられない。こんな気持ちは初めてだった。
アルバ様を真似て、広場に集まる人々は等しく長い布を身体に纏っている。しかしそんな誰も彼もが同じに見える広場の中で、アルバ様だけは違った。彼女だけは特別で、他の誰にも同じになんてなり得なかった。世界で一番美しい。間違いなくそう言える。しかしそれはただその見目が麗しいとか、そんな話ではない。彼女の存在が、彼女がそこに存在することが、美しいのだ。
私は口に含んでいた忌まわしい薬を飲み込んだ。こんなものは無意味だし不必要なものだった。愚かな私は彼女のことを疑い、こんな馬鹿げたことをしてしまった。すぐにでも地にひれ伏せ、慈悲を乞いたい。私の懺悔に耳を傾け、許しをもらいたい。私はすぐにでも彼女の元に駆け付けたい。
「…マーガレット?」
イザークから、訝しげに声をかけられた。私は彼に視線だけ向けたがすぐに分かった。
彼は違う。彼はアルバ様のことを理解していない。この男はアルバ様に仇なそうとする不届き者だ。いや、それを言うなら左にいるセシリアだってそうだ。
「…まずい、この距離でもダメか…!」
セシリアの声が聞こえた瞬間、身体を捻り彼女の腰元から短剣を奪った。
私は今、敵に囲まれた状態である。一瞬のうちに、彼らがまだ判断に迷っている間に行動しなくては。特にイザークなんて、私が真っ向から対立して敵うような相手ではない。
セシリアが咄嗟に抵抗しようとして身を引くと、彼女の被っていた布が反動で外れてしまった。そこから現れたのは美しい髪と、醜く千切れたような耳だった。多分、これを隠すためにこんなものを被っていたのではないだろうか。彼女は外れた布に気付くと恐怖に顔を引きつかせ、耳を手で覆い隠した。
私は態勢を崩したセシリアからまんまと短剣を奪い、その刃先を迷わずイザークに向けて振るう。1つの窓を囲んでいたのだ、距離なんて本当に僅かしかない。まずはこの男から行動を奪わなければ。
セシリアが磨いていたお蔭で、短刀はその威力を遺憾なく発揮する。私はその鋭利な刃先をイザークの腹部へと打ち込んだ。正直、通るとは思わなかった。弾かれるか防がれるか、もしくは躱されるだろうと。しかし私の予想とは裏腹に、短刀はすんなりとイザークの腹部に突き刺さっていた。
呆然として、イザークは私を眺める。そして、自身の状態をゆっくりと確認する。
そして、私は一瞬だけ、自分の体がスッと冷えるような感覚を覚える。
「おい、お前…!」
セシリアの切羽詰まった声で我に返り、私は走り出した。イザークの腹部からは刃物を抜いてもいないのに血がだくだくと滴り落ちている。セシリアは私に構うよりもイザークの止血を優先した。
私は走って逃げた。いや、アルバ様の元へと向かった。私は今感じた寒気を払うように必死になっていた。見間違いだろう。
イザークは一瞬、喜んでいたように見えた。
***
「アルバ様!」
私は広場に駆け込むと、必死になって叫んだ。周りから注目が集まる。それでも、焦がれずにはいられない。どうか私を気にかけてほしい。少しでも目を向けてほしい。
「おい、列があるんだ!割り込むな!」
誰かに止められる。でもそんなものは目に入らない。私はただ、アルバ様にだけ視線を向けていた。
周りからの怒りを感じる。突然舞い込んできた邪魔者を疎んじているのだろう。だが、誰にどう思われたって構わない。ただ一人、アルバ様にだけ私という存在を許してもらえれば。
「アルバ様!アルバ様!」
私は周りから伸びてくる手を払い除けながら、必死に近づこうとした。しかし多くの手が私の行く手を阻み、私を押さえつける。いつの間にか私はたくさんの信者に押さえつけられ、地に伏せていた。いやだ、アルバ様の元に行きたい。彼女の所に行きたい。
「お前、セシリアと一緒に逃げた奴だな」
誰かの声が頭上で聞こえる。ここに来た時、ニーニャと一緒にいた信者がいたのだろう。あの時、着いていけば良かったと後悔しても後の祭りである。私は思うように動けない中、このまま連れていかれるのかと絶望した。
しかし、彼女はとても寛大だった。
「あなた…」
聞きたかった人の声が近くで聞こえた。顔を上げると、そこには求めて止まなかったアルバ様がいた。私の元まで来てくれたのだ。その姿はずっと見ていたけれど、近くで見ると一層麗しい。こんなに近くで見ることができるなんて。その姿にまた心が高鳴った。
「あなた、ルークスリアのお友だちね。ようこそ、待っていたわ」
アルバ様が微笑む。
彼女がみんなに退くよう伝えれば、私を取り押さえていた信者たちはすぐに身体をどかす。そうして解放された私は、手を差し伸べてくださったアルバ様に優しく起き上がらせてもらった。
彼女の手に触れた部分から沸騰しそう。夢見心地で私はアルバ様だけを見つめる。見れば見るほど、私の体は熱くなり彼女を求めずにはいられない。
「ルークスリアも今、私の元にいるの。一緒にお話もしたいから、私の屋敷で待っていてくれる?今日の配膳が終わったらすぐに向かうわ」
私は返事ができただろうか。夢見心地から、気づいたら知らない屋敷へと移動していた。どうやら誰かに連れられ、アルバ様の屋敷へと連れて来られたようだった。
「マーガレット!」
屋敷にはニーニャがいた。彼女は事情を知ると嬉しそうに笑った。
「だから着いてきてって言ったのに!あんたが逃げるから二度手間になったでしょ!」
案内された部屋にはニーニャとカルヴィンがいた。カルヴィンも同じように信者たちと同じ格好をしている。彼はこちらに関心が無いように、ずっと窓の外を眺めていた。まるで主人の帰りを待つ忠犬のようだ。
「ね、分かったでしょう。アルバ様を見れば分かるって私言ったじゃない」
なぜか誇らしげなニーニャに、私も頷き謝った。そうだ、彼女を疑う必要などなかった。アルバ様は、崇拝されるべき存在であったのだ。エルフには何人も会ってきたが、他のどんなエルフに会ったってこんな求めて止まない気持ちにはならなかった。
「イザークは?あの男は一緒じゃないの?」
「…イザークは違ったみたい」
ニーニャは少し顔を曇らせた。そして、「そっちもか…」と深くため息をつく。
「そっちもって?」
「ルークスリアもなの。あのエルフも、アルバ様のことが分からないみたい。でも、アルバ様は同じエルフだから仲良くしたいって、根気良く待ってくださっているの」
私の眉間にも皺が寄る。イザークとルークスリアは分からないようだ。ガッカリとした気持ちになった。