第17話 アデライド姫
水中を呼吸しながら潜れるなんて、何て幻想的なんだろう。しかも元の世界のようにウェットスーツなんかは着ずに、風を纏うだけ。
最も、とても動きにくいと言うことには変わりなかった。風を纏って水の侵入を防ぐなんて正直色々ムリがあるようで、変に大きく動こうとすると風を通り越して水に手が出るし、風は留まっているのでなく絶えず循環しているので目がとても乾く。
私はイザークとゆっくりクレマンに続いて水城に向かった。クレマンは水中でも言葉を発することができるようだった。
「スミマセン。シルヴィ様ハ外交ナド行ッタコトモナク不慣レナノデス。王ト后ガ行政ニ携ワレナクナッテ、急遽代役トシテ務メテイルノデ」
なるほどね。急に他国の姫を出迎えろと言われたってなかなか難しいだろう。
「アト、アデライド様ニ会ッテイタダクノハ構イマセンガ…正直、本当ニ会エルカドウカハ期待シナイデクダサイ」
引きこもってしまったアデライド姫は、誰とも会わず部屋から出てこない状態が続いているようだ。しかしこちらもそんな悠長に構えていられない。何とかして会い、『人魚の涙』をもらえるよう約束を取り付けなくては。
水城の最奥にも位置する部屋に辿り着いた。クレマンはノックをして中の様子を窺う。
「アデライド様。オ客様ガイラシテマスヨ。出テキテ下サイ」
「…返事がないわね」
どうやら無視されているようだ。しばらく粘り強くノックを繰り返すが、反応はなかった。クレマンは一度私たちに諦めるかを尋ねてきた。勿論答えはノーで返すと、「アマリ機嫌ハ損ネタクハ無イノデスガ」と一言呟いてから、強い口調で再度中に声を掛けた。
「インウィディア様、開ケテ下サイ」
インウィディア?
すると今まで何の音もしなかった室内が荒々しくガタガタと鳴った。水中なので分かりにくいが、中で何かが動いているのが分かる。一度、ガンッと強く扉が叩かれると、ゆっくりと扉が開けられた。
「その名で呼ばないでっていってるでしょ、クレマン」
瞳が見えるくらいの細い隙間から、恨めしそうにこちらを睨む一人の人魚が現れた。
***
アデライド姫は観念して私たちを引き入れてくれた。
とても質素な部屋だった。物置か何かのようで、ガラクタが所狭しと置かれている。そこに埋もれるようにしてアデライドはいた。
歓迎は勿論されておらず、私たちが部屋に招かれてもずっとそっぽを向いていて取り付く島もなさそうだ。しかしそんなことに気を揉んでいるのは私だけで、クレマンもイザークも普段と変わらない。
「何しに来たの」
そんな私たちにさらに気を悪くしながら、アデライドは渋々口を開いた。こんな状況で説明しなきゃいけないなんて!
「えーっと、お願い事がありまして…」
「お願い事?ふーん。お願い事をするって立場の割には、随分よね。人の嫌がることしてくるなんて」
「申し訳ないです…あの、インウィディア様って…?」
さっき呼ばれてたけど、何?
しかしその名前を口にしただけでアデライドの目はさらにつり上がる。
「だから、その名前は止めてって言ってるじゃない!」
「アデライド様、ドンナニ貴女ガ拒否シヨウトモ無駄デスヨ」
怒りのアデライドに諭すように語り掛けるのはクレマンだ。ちょっと、神経逆なでるのやめてよ。機嫌損ねたくないんじゃなかったの?
「アナタ方ガ求メテイル『人魚ノ涙』ハ、ココエンヴィレナニ生マレル人魚ノ娘ガ感涙シタ時ニ落チル滴ガ固マッテデキマス。一代ニ1人、王族ノ中デ引キ継ガレテイルノデス。我々ハ初代ノ名ニアヤカリ、『人魚ノ涙』ヲ受ケ継グ者ニハ『インウィディア』ノ名モ受ケ継イデイルノデス」
「私は望んでない!勝手にインウィディアになんてしないで!私はアデライドだもの!」
説明するクレマンに、アデライドは顔を真っ赤にしながらガラクタの中に埋もれてしまった。しかし、いくらガラクタの山が溢れていても、人魚1人を隠すには彼女の体は大きすぎた。ガラクタの山から尾ひれを覗かせたままのアデライドにクレマンは辛抱強く語り掛ける。
「アデライド様、貴女ガイクラソウ主張シテモ、今代デ『人魚ノ涙』ヲ生ミ出セルノハ貴方ダケデス」
「それで、利用してやろうって?私にはその価値しかないものね。誰も私なんか必要としてない。『人魚の涙』を生み出させるためだけに存在させているんでしょ」
何か捻くれているな。
私の気持ちを読み取ったのか、アデライドは今度は私に矛先を向けてきた。
「それで、あなた達のお願い事とやらは『人魚の涙』が欲しいってことなのね。それじゃ、授けるに相応しいかどうか私が見てあげるわ」
アデライドはそう言うと、ガラクタの山から鏡を取り出してきた。
その鏡はアデライドが胸に抱え込むくらいの大きさのものだった。それを探してガラクタの山に突っ込んでいたのかもしれない。鏡の枠は数匹の蛇が絡まるようにしてできていて、少し古めかしいものだった。
向けられた鏡には私とイザークが映った。何事かとその鏡に注目すれば、突然鏡の中の私はニヤリといやらしく笑った。
「え!?」
『何だって良いから、早く上手いこと丸め込んでこの女から人魚の涙を奪いましょ』
『そうだな。この娘にはその程度しか価値が無いのだから、勿体ぶらずに早く渡せばいいものを』
鏡の中の私とイザークが悪役ばりの嫌な顔をして笑っていた。ちょっとちょっと、私そんなこと言いませんけど!
「やっぱり、そんなこと思っているんだ!」
アデライドは泣きそうな表情になりながら、それでも涙が零れないようにグッとこらえていた。いやいや、誤解ですから!
「何だ、この鏡は?」
「しらばっくれても無駄よ!これは魔女から渡された魔法の力の込められた鏡なんだから!紛い物でも何でもなく、心の中を見せてくれるものなのよ!」
魔女からって…
私は思わずイザークと顔を見合わせた。それって、多分魔女の秘め事ではなかろうか。クレマンも初めて見る代物のようで不思議そうに鏡を見ていた。
「王ノコレクションノ中ニコンナ物ガアッタノデスカ?」
「そうよ、お父様が可哀想なアデライドにだけ教えてくれた『嫉妬の鏡』よ!母親に愛されない哀れな娘に、せめて何か特別をやろうって、私とお父様だけの秘密なのよ」
アデライドの右目の端に、小さな真珠のようなものが浮かんだ。それはある程度の大きさまで大きくなると、コロリとアデライドの目から零れ落ちた。それが、一代に1人しか生み出せない『人魚の涙』のようだった。
「バカみたいでしょ。お母様はインウィディアだった。でもその能力が私に奪われたって怒ってる。私が何をしたって言うの?こんな能力欲しくなかった。望んでもいなかったのに、お母様は私を泥棒扱い。私のことが憎いのよ」
そうか。代替わりしたって言っていたけれど、母親からアデライドに引き継がれていたのか。どうやらそのせいで疎まれてしまったようで、母親はシルヴィばかり可愛がり、アデライドには嫌がらせもしたようだ。
「唯一味方になってくれたお父様も今はもうエルフの虜。私のこと、恩知らずだって」
アデライドは零れ落ちてしまった『人魚の涙』を手に取ると、それを握りつぶした。




