ランク 4977
光が顔に当たった。
ハルトは目を開けるより先に手を伸ばした。携帯。裏返す。ひび。親指。シフトのアプリ。更新。
――通知なし。
「……だよな」
指を滑らせる。ニュース。ランキング。上にはいつもの名前。昨日も、一昨日も。口の端が勝手に上がった。
跳ね起きる。前髪が目にかかる。白い。窓の光を受けて、雪みたいに白い。指で払って、洗面所へ。
蛇口をひねる。冷たい水を顔に叩きつける。一回。二回。鏡の中に、二十歳を少し越えた男がいた。整った顔、長いまつげ、濡れて額に張りついた白い髪。本人はそれを三秒で済ませた。タオル。毛先だけ指でつまんで整える。よし。
台所。鍋に湯。味噌汁の素。冷蔵庫を開けて、閉める。残りのご飯をレンジへ。チン。卵を割る。醤油。かき混ぜる音が部屋に響いた。茶碗と椀を盆に載せて、机へ。
振り返ると、部屋が目に入った。
マグがふたつ。床にシャツ。棚にほこり。
「……やるか」
マグをつかんでシンクへ。水が跳ねる。シャツを拾って、かごへ投げる。入った。もう一枚。外れた。拾って押し込む。布を棚に走らせる、一往復、角、もう一回。掃除機のスイッチ。低いうなりが床を走り、机の脚の間を抜け、マットレスの縁をなめて、止まる。窓を開ける。雨あとの冷たい空気が一気に入って、夜の匂いを押し出した。
十五分。息が少し上がっていた。部屋は、彼のものに戻った。
椅子に滑りこむ。味噌汁はまだ温かい。箸を持って、もう片方の手でマウス。
動画。ハイライト。他人のクラッチ。ハルトは前のめりになった。カウンターの向こうで客を読む目で、画面の中の手を読む。照準の置き方。一瞬の迷い。迷わない一瞬。
インタビューに切り替わった。
十五歳。若き才能。アイノリ。
「才能は大事な条件のひとつだと思います。でも、うちのチームの結果は、全員の努力のおかげでもあります。新しいシーズンで会いましょう!」
ハルトの箸が止まった。
全員の努力。
笑った。短く、本物で。
――――――――――
動画が終わった。黒い画面に、自分の顔が薄く映った。
ハルトはマウスを動かした。デスクトップ。見慣れたアイコン。T.I.M.B.E.R.S。
シフトはない。でも、いつ落ちてくるかわからない。日雇いみたいなものだ。あるときはある、ないときはない。なら、待つあいだに一戦。
「……一戦だけな」
ダブルクリック。ロゴ。マッチング。
――試合が見つかりました。
ヘッドセットをかける。世界の音が一枚、遠のいた。
画面がロードに入る。ハルトは目を閉じて、開いた。
瞳の中で、照準の光が点った。
――――――――――
風が鳴った。
コンクリートの廃墟。崩れた塔の上を、ジップラインが斜めに走る。味方のアイコンが四つ、散る。敵は見えない。でも、いる。
チャットが流れる。
『mid行く』
『いやB』
『誰かスモーク炊けや』
『は?お前が炊け』
『gg(開始10秒)』
ハルトは何も打たなかった。走った。
壁を蹴る。スライド。床の上を滑りながら、角の向こうの足音を拾う。二人。右、上。
一発目、頭。二発目、空中で振り向いた敵の肩、三発目で落とす。着地。リロード。背中にスキルの光が掠めた。転がる。
『ナイス』
『え、今の誰』
『spectate したい』
ラウンドが進む。ハルトの手は、クロークでコートを受けるときと同じだった。重さを知っている。迷わない。
最終ラウンド。一対三。
味方のチャットが静かになった。
ハルトは息を吐いた。耳だけが生きていた。左の階段、重い足音。上の足場、止まった呼吸。後ろ――いない。
スモークの中へ飛び込む。視界は白。音だけ。撃つ。一人。跳ぶ。ジップをつかんで上へ。空中で振り返り、足場の敵の額に照準を置く。撃つ。二人。
最後の一人がスモークの外で待っていた。正面。距離、三メートル。
同時に撃った。
画面が、一瞬だけ止まった。
――VICTORY
『は????』
『化け物いて草』
『フレンド送っていいですか』
『こいつ何者』
――――――――――
ハルトはヘッドセットを外した。部屋の音が戻ってきた。冷蔵庫のうなり、窓の外の車。
画面にランクが出た。
5000 → 4977。
「……上がったな」
椅子の背にもたれて、天井を見た。指先がまだ少し熱かった。久しぶりの熱だった。
(一戦で二十三。)頭の中で、試合を録画みたいに巻き戻す。(一ラウンド目は反応で取った。最後は耳で。でも中盤、待つべきところで二回、先に出た。運がよかっただけだ。上に行けば、ああいうのは咎められる)
(手は覚えてる。頭が追いついてない)
水を飲もう。次の試合の前に。
立ち上がって、台所でコップに水を汲む。一口。もう一口。携帯が机の上で光った。ニュースの通知。
――黒金(アイノリ所属)、チームマネージャーを募集。
ハルトは鼻で笑った。思いきり。
「マネージャーね」
(選手じゃない。そりゃそうだ)コップを置く。(マネージャー。スケジュール、移籍、負けたあと誰が誰と口をきかないか。舞台の袖に立って、他人のコートを預かる人間)
おかしな考えに思えた。それから、そうでもなくなった。
(それなら毎晩やってる。物の渡し方で人を読む。急いでるやつ、嘘をついてるやつ、ぎりぎりで立ってるやつ)
もう一度画面を見た。十五歳の顔。全員の努力。
(十五で、もう「俺」じゃなくて「チーム」って言う。誰かが教えたのか。自分でたどり着いたのか。隣にいるのは、どんな人間なんだろう)
「……まあ、いい」
(最悪でも、返事が来ないだけだ。それには慣れてる)
リンクを開く。応募フォーム。名前、経歴、志望動機。彼は名前だけ入れて、送信を押した。冗談のつもりだった。半分は。
十秒後、返信が来た。
――ご応募ありがとうございます。明日14時、面接にお越しください。
フォームの欄は、ほとんど空白のままだった。
ハルトは声を出して笑った。
「誰でもいいのかよ」
笑いながら、頭の中で予定を組んだ。明日は面接。水は持っていこう。なら、シフトを入れるなら今日だ。
その瞬間、携帯が机の上で震えた。
シフトのアプリ。
――【急募】クローク 3時間 4,500円(時給1,500円) 対応できる方いますか?
ハルトは画面を見た。それから、迷わず「対応する」を押した。




