第十四話「五十秒」
金曜日 07:30
夜のうちに、ハルトはチームに一通だけメッセージを送った。「受けてくれた。一マップ。土曜。マップはこっちが選ぶ」。そしてスマホを握ったまま寝落ちした。
朝、チャットには未読が四十二件。最初はもちろん蓮だった。
「マップこっちが選べるの?? じゃあ13対1のとこ以外ならどこでも」
続いてelmwood。エルマ、キャプテン。チームで一番ランクが低く、四千前後。「キャプテンがエースである必要はないだろ」と、前に言っていた。
「ハルト、あいつらに何て書いたんだ?」
ハルトはベッドに座り直して返した。「同じマップでいく」
「冗談だろ」 「あそこでボコられたんだぞ」
「だからだ。あのマップの対策なんてしてこない。もう勝ったマップだからな。俺は一晩中それを見てた」
エルマ:「わかった。説明してくれたら信じる」
「夜、仕事の休憩で。それまでにリプレイを見直しといてくれ。第五、第八、第十一ラウンド。自分じゃなくて、ロックを見ろ」
金曜日 14:00
昼、ハルトは台所で同じリプレイと向き合っていた。お茶はとっくに冷めている。ハーブスティックを指先で転がすだけで、火はつけなかった。
メモ帳には縦に並んだ文字。
「ピストル勝ち → 1:20までにミッドに二人」 「ピストル負け → ミッドからフォース。必ず」 「ロック ― 50秒以上の静寂 → 自分で見に行く。セナが続く。ミッドに残るのは一人」
最後の一行を、彼は二重に丸で囲んだ。
第五ラウンド。蓮が水を取りに行って、言い忘れた。全員が動かない。0:52、ロックが持ち場を飛び出し、セナが続く。第八ラウンド。エルマの回線が落ちた。0:49、またロック。第十一ラウンド。ただ全員が迷っていた。0:51。ロック。
本当はわざとやるべきことを、三回も偶然やっていたのだ。
ハルトは椅子の背にもたれ、この一週間で初めて笑った。
金曜日 19:40
夜のシフト。一番面倒な時間帯だ。客はまとめて来るくせに、帰るときは一人ずつ。休憩に入ると、ハルトはハンガーラックの裏の丸椅子に腰を下ろし、番号札の並ぶ棚にスマホを立てかけて、メモ帳を開いた。
「見たよ」とエルマが言った。「さあ、頼む。口だけじゃなくてな」
「第五ラウンドはやばいな」と蓮が認めた。「俺、マジで水取りに行ってたし」
「それだ。五十秒以上静かだと、ロックは我慢できない。セナがついていく。ミッドに一人。一人で五人は止められない。がら空きだ」
「十二番の札の方!」 ハルトはコートを渡して戻ってきた。
「作戦。ピストルは流れで。二本目は完全エコ、向こうも慣れてる。三本目はフルバイ。自陣で黙って0:50まで待つ。ロックとセナがミッドを離れたら、五人全員でミッドを抜けてBへ。動かなかったら0:40でAへ。それも情報になる。ピストルを取ったら、向こうはミッドにフォースしてくる。そこに三人で構えて待つ」
「待つって、どうやって?」とトビが訊いた。
「黙って。『で、行く?』とかは無し。最初に焦ったやつが出た時点で、作戦は終わりだ」
「それ、俺のことだよな?」と蓮。
「全員のことだ」
「四十番の札の方!」
「エルマ」ハルトはメモ帳の二ページ目を撮ってチャットに送った。「向こうの一人ずつについて、短くまとめてある。お前から送ってくれ。丁寧に。俺たちはフェアにやる。癖は一晩じゃ変わらない。変えようとしたら、考え始める。考えれば、遅くなる」
「お前、怖いやつだな」
「ただのクローク係だよ。仕事に戻る」
手が少し震えていた。怖いからじゃない。誰かが最後まで自分の話を聞いてくれたのは、初めてだった。
金曜日 22:20
シフトは終わったのに、通話は終わらなかった。ハルトは駅へ歩き、イヤホンの中ではもう十分も、Bのどこにスモークを焚くかで揉めていた。
やがて言い合いはしぼんでいった。静かになると、ケイジの後ろで換気扇の音だけが唸っていた。彼は職場、深夜営業のコンビニのバックヤードから通話している。
「なあ」とエルマが言った。「これ、変じゃないか?」
「何が?」
「俺たち、こいつと知り合って一週間だぞ。それ以下だ。ロビーから来た野良。なのに夜中に俺たちのリプレイを見てる。金でももらってるみたいに」
「もらってない」とハルトは言った。
「だから言ってるんだよ」
ハルトは返す言葉が見つからなかった。自分でも、なぜなのかわからない。ただ、0:52のあの空っぽのミッドを見たとき、胸の奥で何かがカチリと鳴って、朝まで止まれなくなったのだ。
「正直さ、俺、月曜に抜けようと思ってた」と、不意にトビが言った。「13対1のあと。何やってんだろって。二十二で、専門は放り出して、母さんには毎日『いつまともな仕事に就くの』って訊かれて。なのに俺は座って負けてる」
「相手が相手だろ。Kuroganeだぞ」と蓮が言った。
「だから余計にだよ」
ケイジが鼻で笑った。
「俺なんて毎回そう思ってる。夜勤明けで帰って、四時間寝て、すぐプレイ。親父には、趣味じゃなくて病気だって言われてる。病気かもな。でも、こんなに欲しいものは他にないんだ」
蓮は長いこと黙っていた。それから、いつもより低い声で言った。
「俺はさ、正直、家は普通に大丈夫なんだ。そこが問題でさ。親は『やりたいならやれ、手伝う。勉強したいなら払う』って言ってくれる。全部ある。なのに、何ひとつうまくいかない。勉強も、バイトも、ゲームも。前のチームにはクオリファイ前に切られた。ランクの高いやつが見つかったって、DMで『個人的な理由じゃない』ってさ。半年、まったくログインしなかった」
「で、そのあとは?」
「結局また入った。わかんねえ。恋しかったんだ」少し間を置いて、彼は続けた。「お前らには、せめて何かのせいにできるだろ。俺には何もない。うまくいかないなら、それは俺のせいなんだよ」
エルマが笑った。けれど、どこか楽しそうではなかった。
「俺は二十五。チームで一番下手で、なのにキャプテン。昼は倉庫、夜もバイト。何も考えずに組んだローンが残ってて、毎月足りるかどうか計算してる。それでも毎晩座る。プロになれるなんて思ってないよ。ただ……ここだけなんだ、生きてるって感じるのは」
誰も茶化さなかった。
ハルトは改札の前で立ち止まり、通り抜けなかった。何か正しいこと、賢いことを言いたかった。でも、そんなものは自分の中にないと気づいた。
「俺だって、うまくいくかはわからない」やがて彼は言った。「ただのクローク係だしな。でも、あのミッドを見てたとき、一年ぶりに思ったんだ。早く土曜が来ないかって」
「それだよ」とエルマが言った。「それが変なんだ。お前は来て、頼まれてもないのに、俺たちのゲームのことを熱く語る。そしたら、くそ、俺もまたやりたくなってる」
「うつるんだよ」とケイジ。
「俺たち、このゲームで生きてるんだよな」トビがゆっくり言った。今気づいたみたいに。「全員。じゃなきゃとっくにやめてる」
「じゃあ一回くらい、本気でやってみようぜ」と蓮が言った。「『ちょっと遊ぶか』じゃなくて。頭を使って。せめて土曜だけでも」
「うまくいかなかったら?」
「やってみたって、わかるだけマシだ」
「うまくいくかもしれないだろ」とエルマが言った。「いつかは」
ハルトはカードを改札にかざした。イヤホンの中では、またBのスモークで揉め始めていた。けれどさっきとは違う。声は大きく、笑いが混じっていた。
「よし」とエルマが言った。「ロックに送ってくる。気が変わる前に」
金曜日 23:10
メッセージが届いたとき、ロックは手首に氷袋を当ててソファに寝転がっていた。
「こんばんは。Hollow Crownのキャプテン、elmwoodです。明日はよろしくお願いします。変な小細工なしで、フェアにやりましょう。こっちにとっては練習、そっちにとってはいつものウォームアップだと思います。いい試合になるといいですね」
ロックは鼻で笑った。「キャプテン」ね。ランク四千のくせに。
続けて二通目が来た。長い。
「それと、フェアに言っておきます。うちのメンバーがそっちについてまとめたものです。手短に: ロック ― チームで一番のエイム。我慢がきかない。マップが50秒以上静かだと、自分で見に行く。 セナ ― ロック次第。ロックが行く方へ行く。 ミッド担当 ― 安定。スモークはいつも同じ。 ピストル負けの後 ― ミッドからフォース。必ず。 ピストル勝ちの後 ― 1:20までにミッドに二人。 では、明日」
ロックは読み返した。もう一度。氷袋が手首からソファへずり落ちた。
「我慢がきかない」
「ふざけんな」誰もいない部屋に、声に出して言った。
返信を書き始めた。長いやつを。消した。また書いた。消した。
それから、一言だけ打った。
「明日な」
送信。
スクショは、結局チームのチャットに貼らなかった。暗闇で天井を見つめていると、頭の中で勝手にタイマーが刻み始めた。
五十。四十九。四十八。




