第十三話
20:12
カーブで電車が揺れた。ハルトは目を開けた。
メモは悪くなかった。けれど試合は途切れ途切れにしか見られていない。コートと番号札と、客の煙草の合間に。半分のラウンドは、見るより聞いていただけだ。断片から取ったメモなんて、何の価値もない。
彼は蓮にメッセージを送った。
「Kuroganeとの試合ID、送ってくれ」
「なんで?」
「リプレイを見たい」
少し間があって数字が届き、続けてこう来た。
「13対1でボコられたのを、本気で見直すつもり?」
「ああ」
21:00
家に着いても、ハルトは着替えもしなかった。足はじんじんと痛み、耳の奥ではまだ客たちの声が響いている。普通の人間なら、そのままベッドに倒れ込むところだ。
床に座ってノートパソコンを開き、横にメモ帳を置く。それからハーブスティックを取り出した。茶葉とバラの花びらだけで、タバコもニコチンも入っていない。癖というわけじゃない。ただ、この香りが好きなだけだ。部屋はすぐにバラの香りで満ちた。
なぜか、あのジャケットの客の顔が浮かんだ。一晩で四回。「僕の煙草、お願いします」。しかも毎回、勝負どころのラウンドぴったりに。あのときは、コンクリートでも噛み砕きたい気分だった。
ハルトは鼻で笑った。
(まあいい。おかげで、あいつが三回目に来たのが何ラウンド目かは覚えてる)
リプレイを再生し、そこまで巻き戻す。
第一ラウンド。一時停止。巻き戻し。もう一度。
一人ずつ視点を切り替えて見ていき、メモと照らし合わせ、間違っていたところに線を引く。けれど、消せないものもあった。繰り返されていたからだ。二分目のミッド。毎回同じスモーク。ピストルを落とした後は、ミッドからのフォース。何度も、何度も。
窓の外が白み始めた。画面では第十四ラウンドが流れている。唯一取ったラウンドだ。
(偶然じゃない。こいつらはボットじゃない。ただ、攻める場所を間違えてただけだ)
ノートパソコンを開いたまま、彼は眠りに落ちた。
その日の夕方、ハルトはチームのところへ行った。
「もう一回、Kuroganeとやろう」
沈黙が落ちた。誰かが鼻で笑う。
「本気かよ」蓮がマウスから手を離した。「なあ、俺たちがお前について知ってるのは、ハルトって名前だけだ。コーチでもアナリストでもない。スクリムを見つけてくれたのは感謝してる。でも、ボロ負けだった。十三対一。あの一ラウンドだって、お情けでもらったようなもんだ」
「お情けじゃない」ハルトはメモ帳を机に置き、真ん中のページを開いた。「ピストルを落とした後、あいつらはミッドからのフォースを待ってる。毎回だ。俺たちは一度もそこに行かなかった。十四ラウンド目だけ、たまたま行った。そして勝った」
蓮は黙って、びっしり書き込まれたページを見つめていた。
「一マップだけ」ハルトは言った。「それでダメなら、もう口は出さない」
蓮の後ろで誰かがため息をついた。「じゃあ連絡してみろよ。そんなに頭いいなら」
ハルトはロックにメッセージを送った。返事は一分で来た。
「マジで? ランクいくつだよ、五千?お前らともう一回やっても面白くないって。試合したいならミオに泣きつけ。スケジュールはあいつが持ってる」
続けて、連絡先が届いた。
ミオがちょうど帰ろうとしていたとき、見知らぬIDからメッセージが届いた。
「こんばんは。13対1で負けたチームです。もう一マップお願いしたいです。ロックさんにこちらを紹介されました」
「あいつ、誰でも私に回すのよ。なんで再戦したいの?」
「そちらのチームがとても強いからです。そして、何もかもが計画通りに進みすぎている」
「それ、褒めてる?」
「半分は」
間。
「残りの半分は?」
「それは試合で見せる。受けてくれるなら」
「私のこと、煽ってる?」
「少しだけ」
誰もいないオフィスで、ミオはふっと吹き出した。
「あなた、コーチなの?」
「いいえ。一試合を見ただけです。じっくりと」
「具体的なことがないと、興味持てないな。何かひとつくらい教えてよ」
「わかりました。ひとつだけ。そちらの選手は、先に一人落とされると、すごく読みやすくなる。残りは取っておきます」
「読みやすい、ね」ミオは小さく繰り返した。あのウォームアップの後につけた自分のメモを開く。そこには自分の字でこう書いてあった。『ピストル負けの後――要確認』。ミオはファイルを閉じた。
ミオはそのやり取りを、選手たちのチャットに転送した。
「冗談だろ?」 「もう分析済みだし」 「ボット相手に夜を潰す意味ある?」 「読みやすい?俺たちが?」 「そもそも誰だよこいつ」
ミオはハルトに送った。「選手は反対。あなたたちのこと、ボットだって」
ハルトは指が白くなるほどスマホを握りしめた。きつく言い返したかった。下書きを三つ書いては、三つとも消した。
それから、こう打った。
「そちらにとってはただのウォームアップでした。でも俺たちは、初めてどこで負けているのかが見えたんです。一マップだけ。俺たちがまたボットなら、そちらが失うのは四十分。そうじゃなければ、どんな野良試合でも見えない自分たちの姿がわかります」
ミオはそれも転送した。
一分間、チャットは静まり返った。そして――
「わかった。もう一回ボコりたくなってきた」 「+」 「+。来させろよ」
ミオは微笑んだ。食いついた。
「おめでとう、本気で怒らせたね。一マップ。土曜日。マップはそっちが選んでいい。もしこれがただの口だけだったら、もう二度と連絡してこないで」
ハルトはメッセージを二度読み返し、立ち上がって、チームに連絡しに行った。
ミオは見知らぬIDとのトークを閉じ、表に戻った。そこにはもう何日も前から、同じ空欄の行が残っている。
『No.193 ― ?』




