第十五話「十ラウンド」
土曜日 11:40
公立の病院だった。それはすぐにわかった。きしむほど磨かれたリノリウムの床、塩素の匂い、そして一文字だけ剥がれかけた「クローク」の札。
ハルトがこのシフトを取ったのは、ぎりぎりになってからだった。朝、派遣会社から連絡が来た。「病院、土曜、面会時間帯。仕事はほぼありません」。最後まで読むより先に、彼は引き受けていた。仕事がほぼない。それはつまり、観られるということだ。
クロークはカウンターの奥にある細長い部屋だった。フックが二百、使われているのは三つ。どこかの面会客の灰色の上着、ウサギのアップリケが縫いつけられた子ども用リュック、そして「母のところに行ってる間だけ、ちょっと預かって」と女性に頼まれた、みかんの入った袋。
ナースステーションの看護師は、家具にでもするように彼に会釈をして、廊下の向こうへ去っていった。あたりはすっかり静かになった。壁の向こうのどこかで、エレベーターが唸っている。
ハルトは丸椅子に腰を下ろし、カウンターにメモ帳を置き、番号札のあいだにスマホを立てかけた。画面をこちらに向けて。
試合まで、あと二十分。
11:52
「ハルト、聞こえない」と蓮が言った。「まったく。魚のマネでもしてんの?」
ハルトは指先でスマホを叩いた。
「これでどうだ?」
「ザーザー言ってる。クローゼットの中から通話してるみたい」
「実際、クローゼットの中だよ。ほぼな」
設定を開く。マイクは「ヘッドセット」になっていた。だがヘッドセットはない。イヤホンは家に置いてきた。机の上、ノートパソコンの横に。電車の中で気づいて、まあなんとかなるだろうと思ったのだ。
内蔵マイクに切り替える。スマホを少し手前に寄せた。
「テスト。テスト、テスト」
「お」とトビが言った。「クリア。ラジオみたい」
「音量は最小にしとく」とハルトは言った。「仕事中なんだ。ここ、病院だから。俺が黙ったら、誰かが上着を取りに来たってことだ。パニクるなよ」
「五十秒黙ったら?」とケイジが訊いた。
全員が笑った。エルマまで。
ハルトは音量をいちばん下の目盛りまで下げた。仲間の声が細くなり、隣の部屋から漏れてくるように聞こえる。カウンターにほとんど顔をくっつけるようにして、身を乗り出すしかなかった。
同じ画面の小さなウィンドウで、ロビーの配信を見ていた。Hollow Crownの五つのシルエット。Kuroganeの五つのシルエット。
マップは同じ。13対1を食らった、あのマップ。
「守りからだ」とエルマが言った。「得意なサイド」
「得意なサイド、な」とハルトは繰り返した。「いつも通りでいい。作戦は後半だ。今は崩れないことだけ考えろ」
12:00 前半
崩れた。
すぐにではない。ピストルラウンドは正々堂々と負けた。ロックがゴーストを手にAへ一番乗りし、トビが振り向くより先に二人を落とした。それはいい。そこまではハルトも覚悟していた。
そこから、全部が狂い始めた。
第三ラウンド、蓮がスモークの位置を間違えた。第五ラウンド、ケイジのローテーションが早すぎて、空になったBサイトを五人に取られた。第六ラウンドは取った。不格好に、最後の数秒で。トビがシェリフで二人を抜き、全員が叫んだせいで、ハルトは手のひらでスマホを覆わなければならなかった。
「静かに」と彼は囁いた。「静かにしろって。ここ、病人がいるんだよ」
それからまた、Kuroganeに食われた。第七、第八、第九。
ハルトはメモ帳に書き込んだ。字が跳ねる。
「守り――2。得意なサイドのはずが、全然得意じゃない」
彼らは、ハルトがやるなと言ったことをやっていた。焦っていた。毎ラウンド誰かが「ほら、そろそろ来るぞ」と言い、そのたびにKuroganeは別の場所に来た。
「ストップ」第十ラウンドで、ハルトが言った。「蓮、お前がピークするのは、じっとしてるのが怖いからだ。ピークするな。向こうから来させろ」
「クローゼットから言うのは簡単だよな」
「簡単だよ」とハルトは認めた。
蓮はピークしなかった。それでも殺された。セナのモロトフが、足元にぴたりと落ちてきた。でも、死に方が違った。さっきほど間抜けじゃなかった。
サイド交代の時点で、スコアは2対10。
12:24
Kuroganeの部屋は涼しかった。外が八月みたいに、エアコンが効いている。
大城哲也は選手たちの後ろ、オフィスチェアに座って、ミントキャンディの包みを開けていた。ゆっくり、二本の指で、包み紙が鳴らないように。四十二にもなって、テスト中の中学生みたいな癖だ。
「悪くない」と彼は言った。「気を抜くなよ」
「抜くも何もないですよ」とロックが言った。手首を回して、ほぐしている。試合中はサポーターをつけない。邪魔だから、と本人は言う。「あいつら、前と同じです。ちょっと静かになっただけで」
「静かに、か」と大城は繰り返した。
彼は、ロックが結局チャットに貼らなかったメッセージのことを考えていた。ロックは誰も知らないと思っている。大城は知っていた。夜中にロックがスマホを握って座っているのをセナが見ていて、朝、コーチにひと言だけ告げたのだ。「来てましたよ」と。
大城はロックに何も言わなかった。自分で何とかすればいい。
サイドが変わった。Kuroganeは守りへ。Hollow Crownは攻めへ。
第十三ラウンド、二本目のピストル。Kuroganeはそれも取った。Hollow Crownがサイトに着く前に、ロックが二人を落とした。
2対11。
「あと二本」とセナが言った。
「一本だ」とロックが言った。「必要なのは一本」
大城は黙っていた。必要なのは二本だ。ロックは数を数えられる。ただ、早く終わってほしいだけだ。
12:27
ミオがノートパソコンを小脇に抱えて部屋に入ってきた。土曜日。報告書を仕上げに出社したのに、報告書は仕上がらない。表がこちらを見つめ、彼女は表を見つめ返していた。
「哲也さん、いらっしゃいます?」
大城は顎で画面を示した。
「例のリベンジマッチだ」
「ああ」とミオは言った。「『読みやすい』人たち」
彼女は机の端に腰かけた。プリントを渡しに、ちょっと寄っただけのつもりだった。
続いてドアから顔を覗かせたのはユイだった。同じ人事部で、おにぎりの袋を提げている。
「ミオ、お昼行く?」
「今行く。ねえ……見て。13対1で勝った相手」
ユイはスコアを見た。
「2対11。見るとこある?」
「わかんない」とミオは正直に言った。「なんとなく、退屈だから」
ユイはため息をつき、椅子を引き寄せて、おにぎりの包みを開けた。
12:28 第十四ラウンド エコ
「エコだ」とハルトが言った。「フルエコ。誰も何も買うな」
「完全に?」とトビが訊いた。「シェリフくらいなら買えるけど」
「完全に。いいか、単純な計算だ」
半分は自分に言い聞かせるように、スマホに身をかがめて、小声で続けた。
VALORANTでは、金はエイムと同じくらい勝敗を左右する。ラウンドを取れば三千。負ければ千九百、連敗が続けば二千四百、二千九百。フルバイ――ライフル、アーマー、全スキル――には一人四千近く、あるいはそれ以上かかる。選択肢は三つ。
フルバイ。全部買える金があるとき。
フォース。足りないのに、買えるだけ買うとき。安い銃、ライトアーマー、中途半端な装備。そして次のラウンドは丸腰になる。
エコ。何も、あるいはほとんど何も買わないとき。そのラウンドはほぼ確実に落とす。その代わり金を貯めて、次のラウンドには五人全員がフルバイできる。
「今フォースしたら」とハルトは言った。「このラウンドを落として、次はピストルでライフル相手に戦うことになる。それで二本だ。でも俺たちに二本はない。一本しかない。このラウンドを差し出して、次を丸ごと手に入れる。全員ライフル、アーマー、スキル全部」
「マッチポイントを差し出すってことか」とケイジが言った。「まあ、ほぼ」
「マッチポイントじゃない。マッチポイントは次だ。そっちを取りに行く」
エルマは少し黙った。
「こいつの言う通りにする」
彼らはピストルで出た。トビは結局、残りの金でシェリフを買っていた。そしてミッドの出口で一人を、セナを、ヘッドショットで抜いた。それで何かが変わったわけではない。ラウンドはKuroganeが取った。
だが、セナは死んだ。そしてセナは、それを覚えていた。
2対12。
残り一ラウンド。Kuroganeの勝利まで、あと一ラウンド。
12:30
ウサギのリュックの女性がクロークに来た。ハルトは飛び起き、番号札を見つけて、リュックを渡し、笑ってみせた。
「ありがとうございます」と彼女は言った。「ずいぶん静かに座ってらっしゃるのね」
「そういう仕事なので」とハルトは言った。
座り直す。心臓が、自分がプレイしているみたいに打っていた。
画面の中で、第十五ラウンドが始まった。
「全員フルバイだ」とエルマが言った。「ハルト。コールは?」
ハルトはメモ帳を見た。二重丸で囲んだ一行を。
「ロック ― 50秒以上の静寂 → 自分で見に行く」
「金曜日のやつだ」と彼は言った。「待つ。黙る。五十まで。それより前は動くな」
12:31 第十五ラウンド 2対12
ボイスチャットの静けさは、エレベーターの唸りが聞こえるほどだった。
一分二十秒。一分十秒。一分。
誰かが大きく息を吐いた。誰も何も言わなかった。
0:55。
0:52。
「ミッド、空いた」とケイジが囁いた。「ロックが動いた。Aに足音」
「B」とハルトは言った。「全員」
五人がミッドを抜けた。スモークを持ったトビが先頭、蓮、ケイジ、エルマと続き、最後尾には五人目、チームのデュエリストが黙ってついていく。
美しかったのは、ちょうど四秒間だけだった。
金曜日のリプレイとは違い、持ち場を離れずに残っていたKuroganeのミッド担当が、トビを殺した。蓮がミッド担当を殺した。途中から戻ってきたセナが蓮を殺した。ケイジがセナを殺し、自分もBサイトの誰かにやられた。
ハルトは人数表示を見て、目を疑った。Hollow Crown、生存一。Kurogane、生存四。
生き残っていたのはエルマだった。
チームで一番ランクの低い男。かつて「キャプテンがエースである必要はないだろ」と言った、キャプテン。
「みんな」とエルマが静かに言った。「何も言うな」
全員が黙った。死んだ者たちまで。
ハルトはカウンターに指を食い込ませた。
0:31。スパイクはまだ設置されていない。エルマはミッドに一人、ヴァンダルを持っている。
彼はBへは向かわなかった。引き返した。
「あいつ何してんの?」と蓮が囁き、自分の口を手で塞いだ。
エルマが陣取ったのは、ある角だった。金曜日のリプレイで、ロックがローテーションのたびに必ず駆け抜けていた角。必ず。毎回。
足音。
静かすぎる時間が長すぎて、ロックが角から飛び出してきた。
ヘッドショット。
ハルトは叫ばなかった。ただ口を開けただけだった。
残り三人。エルマは待たなかった。死体のあいだを抜けてBへ走り、箱の陰にスパイクを設置した。ラウンドタイマーは0:21。ここからはスパイクのタイマーが回る。Kuroganeの二人が解除に来た。一人目は、解除にしゃがんだところを撃ち抜いた。二人目がフラッシュを投げた。
エルマは顔を背けた。まだ何者でもなかった頃、野良で教わった通りに。背けて、一つ数えて、向き直る。
向き直った。
二人目。
そこでようやく、最後の一人、四人目が――スパイクのすぐそばにいた――銃を上げた。エルマの体力はもうゼロに近かった。ほとんどゼロ。残り二十。
二人は同時に撃った。
どちらが先だったのか、ハルトには見えなかった。画面が瞬いた。
「ROUND WIN」
3対12。
ボイスチャットは二秒間、静まり返っていた。それから、爆発した。
「エルマああああ!」 「1対4! 1対4だぞ!」 「お前ランク四千だろ!」 「自分のランクくらい知ってるよ!」
ハルトは音量を下げようとした――もう下げようがなかった、目盛りはとっくにゼロだ――そしてスマホを手のひらで覆い、カウンターに突っ伏して、声もなく笑った。
ちくしょう、と彼は思った。病院でそんな言葉が浮かんだことが、少しだけ恥ずかしかった。でも、本当は全然恥ずかしくなかった。
12:34 Kurogane
「は?」とロックが言った。「は?」
マウスから手を離し、手首を見た。まるで手首に裏切られたみたいに。手首は裏切っていない。彼がただ、角から出ただけだ。
「待ってたんだよ」とセナが言った。「お前が行く場所に、ぴったり座ってた」
「どこに座ってたかは知ってる」
大城は身じろぎもしなかった。頬の中のキャンディは溶けきっていたが、新しい包みは開けなかった。
「ロック」と彼は平坦な声で言った。「どれだけ待った?」
「何をです?」
「静けさを。何秒だ?」
ロックは口を開けた。そして閉じた。
机の端に座ったミオは、あのやり取りの一文を頭の中でゆっくりと繰り返していた。「そちらは先に叩かれると、とても読みやすくなる」。
先に叩かれたわけじゃない。今、12点の場面で叩かれた。それでも彼らは、同じことをした。
「ユイ」とミオは言った。「まだ行かないで」
おにぎりを頬張ったまま、ユイは眉だけを上げた。
12:36 第十六ラウンド 4対12
ラウンドを取ったHollow Crownには金がたっぷりあった。Kuroganeのほうは少ない。スパイクも置けずに負け、撃ち合いで三人を失ったのだから。
「向こうは苛立ってる」とハルトが言った。「苛立ったロックは真っ先に来る。すぐにだ。五十秒も待つな。今は逆だ。今のあいつは三十秒ももたない」
「なんでわかる?」
「俺ならもたない」
ロックは二十八秒で出てきた。三人が出迎えた。
4対12。
第十七ラウンド 5対12
セナが位置を変えた。ハルトは仲間より先にそれに気づいた。いつもの場所が、妙に空っぽだった。
「セナがロックと一緒じゃない」と彼は言った。「入れ替えてきた。コーチが何か言ったってことだ」
「大城だ」とエルマが言った。「あの人のやり方だ。今、チームを立て直しにかかってる」
「なら、こっちも変える。Aへ行く。すぐに、ミッドは使わない。トビ、お前が先頭だ」
「俺?」とトビが言った。「専門ほっぽり出した俺を、先頭に?」
「だからだ。お前には失うものがない」
トビは吹き出して、先頭で突っ込んだ。二人を取った。
金曜日の夜、ハルトが改札に向かって歩いていたとき、トビは言った。「俺たち、このゲームで生きてるんだよな」。今、それが目に見えた。母親がすぐ後ろに立っていて、ようやくそれを見せられるとでもいうように、彼はプレイしていた。
5対12。
第十八ラウンド 6対12
「今、蓮が要る」とハルトが言った。「蓮。リプレイの第五ラウンド、覚えてるか? お前が水を取りに行ったやつ」
「残念ながら覚えてる」
「水を取りに行け」
「は?」
「その場で立って、何もするな。二十秒。お前がいなくなったと思わせろ」
蓮は動かずに立ち続けた。二十一秒目、そこには誰もいないと信じ込んだKuroganeのミッド担当が出てきた。
蓮は、そこにいた。
「俺は水だ!」と蓮が叫んだ。「俺は水なんだよ、わかったか!」
ハルトは笑いをこらえて咳き込んだ。廊下の突き当たりで、看護師が顔を上げた。彼はスマホを見せ、口の形だけで「すみません」と言った。彼女は手をひらひらと振った。
6対12。
12:44 Kurogane
「タイムアウト」と大城が言った。
戦術タイムアウト、三十秒。大城は静かに話した。怒っているときはいつもそうだ。
「あいつらは俺たちと戦ってるんじゃない。前回の俺たちと戦ってるんだ。なら、前回とは違う俺たちになればいい」
「俺たちは俺たちですよ」とロックが言った。
「そうだ」と大城は言った。「そこが問題なんだ」
ロックの頬がぴくりと動いた。
おにぎりを食べ終えたユイが、ふいに言った。
「向こうで叫んでるのって誰? ほら、どこ行けって指示出してる人」
「知らない」とミオは言った。「なんかのハンドルネーム。名前すら知らないの」
彼女はあのやり取りを開いた。ハンドルネームは、ただのハンドルネームだった。文字の羅列。名前も、写真もない。
「その人、今どこにいるの?」
「さっぱり」
ロックが不意に振り向いた。
「ハルト」と彼は言った。「そいつの名前は、ハルトだ」
ミオは彼を見た。
「なんで知ってるの?」
「俺に連絡してきた」ロックはそう言って、モニターに向き直った。
それ以上は何も言わなかった。ミオは思い出した。あのとき、彼を自分のところへ回したのはロックだった。つまり、二人のやり取りは一度きりではなかったのだ。
第十九ラウンド 7対12
ロックはまったく待たなかった。開始数秒で、一人で、ミッドを抜け、純粋なエイムだけで――三人を取った。
うまかった。美しかった。チーム一のエイム、書いた通りだ、とハルトは思った。
だが、残ったHollow Crownの二人は、ケイジとエルマだった。
「俺、夜はコンビニに立ってるんだ」とケイジが落ち着いた声で言った。何の脈絡もなく。「夜中の三時に何してると思う? 待ってるんだよ。今も、待ってる」
彼は待った。ロックが来た。ケイジが撃ち抜いた。
7対12。
あとでケイジは、手が震えて外すと思った、と言った。親父はゲームを病気だと言った、とも。それでいい。だったら俺の病気は、Kuroganeに勝てる病気だ。
第二十ラウンド 8対12
美しいラウンドではなかった。泥臭く、長く、全員がほとんど同時に死んだ。最後に残ったのは、ピストルのトビと、ライフルのセナ。トビは角から馬鹿みたいに跳び出した。野良みたいに。金曜の夜、Bへの飛び出し方で揉めていたときみたいに。
セナが外した。ほとんど外したことのないセナが。
8対12。
「信じない」とセナが自分たちのボイスで言った。「信じないからな」
「信じろ」とロックが返した。声が妙だった。怒っていない。怒るのをやめて、考え始めたみたいな声だった。
第二十一ラウンド 9対12
ここでKuroganeの金が尽きた。
連敗が続き、千九百、二千四百、二千九百では、もう立て直せなかった。大城はフォースを指示した。彼らは中途半端な装備で出た。Hollow Crownはフルバイだった。
「気を抜くな」とハルトが言った。「フォースってのは、失うものがない人間の買い物だ。見た目より危ないぞ」
エルマが最初に倒れた。蓮が二番目。トビとケイジで三人を片付け、最後の一人は、残り体力二十のケイジが仕留めた。
9対12。
「あいつら、もう敬意のために戦ってるんじゃない」と大城が静かに言った。選手たちにではなく、自分自身に。
ミオが聞いていた。
「じゃあ、何のために?」
大城は長いこと答えなかった。それからようやく新しいキャンディの包みを開け、言った。
「信じてもらうためにだ」
12:58 第二十二ラウンド 10対12
ハルトはまた上着を渡した。灰色のやつだ。男は黙って受け取り、頷いて、去っていった。ハンガーに残ったのは、みかんの袋だけ。
スマホの前に戻る。仲間たちは黙っていた。
「どうした?」
「お前を待ってた」とエルマが言った。「コール出すの、お前だろ」
ハルトの喉の奥で、何かがきゅっと締まった。咳払いをする。
「ああ」
コールは単純だった。「ミッド経由でB。金曜日と同じ。他の選択肢はなし」
金曜日と同じ。五十秒黙っていても壊れなかった、あの最初のときと同じ。ロックはまた0:52で動いた。癖で。やってはいけないとわかっていた。それでも、我慢できなかった。
癖は一晩じゃ変わらない、とハルトは思った。自分でエルマにそう書いたのだ。
10対12。
第二十三ラウンド 11対12
重いラウンドだった。Kuroganeは全部を出してきた。大城がタイムアウトで配置をまるごと組み替えていた。ミッド担当がBへ回り、ロックがミッドに立った。今度こそ、動かずに。自分の意思で。静けさのせいでもなく。耐えていた。
それは見ていてわかった。彼はほぼ一分、立ち続けた。五十五秒。
五十六。
五十七。
彼は五十八秒目に出た。
「我慢した」とハルトは声に出して言った。「本当に、我慢しやがった」
そして、なぜだか……嬉しくなった。ロックのために。妙な話だ。
それでもラウンドを取ったのはHollow Crownだった。蓮が――何ひとつうまくいったことのない蓮が――エースを取ったのだ。
五人。一人ずつ。
三キル目のあと、ボイスは静まり返った。誰も息をしていなかった。四キル目で、ケイジが「嘘だろ」と言った。五キル目、蓮自身は何も言わなかった。ただ、しゃくり上げた。あるいは笑った。あるいは、その両方。
「俺、切られたんだ」やがて彼は言った。「前のチームに。クオリファイの前に。『個人的な理由じゃない』って」
「知ってる」とエルマが言った。
「見てりゃいい」
11対12。
13:06 Kurogane
ロックはマウスから手を離し、手首を振った。痛い。顔には出さなかった。
「もう一度だ」と大城は声を荒らげずに言った。「俺たちのほうが強い。それは本当だ。でも、今はあいつらのほうが飢えてる。それも本当だ」
「我慢しました」とロックが言った。「ちゃんと立ってました」
「見てたよ」と大城は言った。「よくやった」
ロックはコーチを見た。まるで一年ぶりに、何かいいことを言われたみたいな顔で。本当に、そうだったのかもしれない。
ユイは背筋を伸ばして座り、おにぎりの空き袋を丸めて握りしめていた。
「なんか私、両方応援しちゃってる」と彼女は言った。「これって普通?」
「普通じゃない」とミオは言った。「私もだけど」
13:07 第二十四ラウンド 11対12
後半最後のラウンド。Kuroganeが取れば勝利、13対11。Hollow Crownが取れば、延長戦。
ハルトはメモ帳を置いた。
このラウンドのコールは、あった。でも、言わなかった。
「みんな」と彼は言った。「わからない。正直に。金曜日みたいにやれ。お前らが喋ってたみたいに。俺抜きで」
「金曜はスモークのことで揉めてたけど」とトビが言った。
「じゃあ揉めろ」
そして彼らは揉めた。ラウンドの真っ最中に。大声で、おかしくて、互いの言葉を遮りながら。ハルトが駅へ歩いていた、あの金曜の夜みたいに。「スモークここ」「いや、こっち」「バカ、あっちだって」「お前がバカだ」。そしてその言い合いの中で、ハルトが与えたのではない作戦が、ふいに出来上がった。
蓮とトビがAへ向かった。騒がしく。チーム全員がいるみたいに。
エルマ、ケイジ、そして静けさが、Bへ向かった。
ロックはAの騒ぎを聞いて、そちらへ走った。それは正しい判断だった。音から考えれば。彼が教わってきたすべてから考えれば。セナがその後を追った。
Bに残ったのは二人。
ケイジとエルマは、一対一で相手と相打ちになった。エルマはスパイクの上で死んだ。ケイジが設置した。
ロックが戻ってきた。遅かった。残り十五秒。十秒。彼が解除にしゃがんだそのとき――傷を負ったケイジが箱の陰から顔を出した。何の作戦もなく。ただ、もう失うもののない人間が野良でやるように。
一発。
12対12。
延長戦。
13:10
丸椅子からどうやって立ち上がったのか、ハルトは覚えていなかった。覚えているのは、自分が立っていて、両手でスマホを握りしめ、何も言えずにいたことだけだ。
ボイスの叫び声は、音量ゼロでも聞こえるほどだった。トビは「母さん!」と叫んでいた。母親に向けてなのか、ただ叫んでいるだけなのか、わからない。ケイジは小声で悪態をついていた。コンビニ仕込みの小声で、隣にいもしない交代要員を起こさないように。蓮は「12対12、12対12」と繰り返していた。
エルマは黙っていた。それから、言った。
「ハルト」
「ああ」
「十本、連続で取った」
「知ってる」
「2対12から」
「知ってる」
「チームで一番弱いキャプテンで、ローン抱えてて、明日も倉庫だ。なのに俺たち、2対12からKurogane相手に12対12まで持ってったんだぞ」
ハルトは丸椅子に腰を落とした。
「知ってるよ」三度目にそう言ったとき、声が割れた。
ちくしょう、と彼はまた思った。ただ今度は、声に出して。小さく、空っぽのクロークに向かって。
13:11 Kurogane
部屋の中で、誰も口をきかなかった。
ロックはモニターを凝視していた。セナは椅子の背にもたれて天井を見ていた。残りの一人――ミッドを担当していた選手――はヘッドホンを外し、また着けた。そうすれば何かが変わるとでもいうように。
大城が立ち上がった。
「いいか」と彼は言った。「ここまでお前たちは、かつて13対1で下したチームと戦ってきた。そのチームは、もういない。今戦ってるのは、お前たちに追いついたチームだ。別のチームだ。わかるな?」
「わかります」とセナが言った。
ロックは黙っていた。それから、言った。
「もう、敬意のためじゃないですね」
「ああ」と大城は言った。「敬意のためじゃない」
「じゃあ、何のために?」
大城はスコアの映った画面を長いこと見つめていた。
「自分たちが何者であるかのためにだ」ようやく彼は言った。「あいつらも、俺たちも」
ミオは、仕上がらなかった報告書の入ったノートパソコンを、そっと閉じた。ユイは自分でも気づかないまま、ミオの肩に手を置いていた。
延長戦が始まろうとしていた。
13:12 延長戦
延長戦のルールは単純だ。勝つには二ラウンド連取が必要。一本ずつ取り合えば、また二ラウンド。金は全員同じで、全員にフルバイが配られる。エコもフォースもない。あるのは、人間だけ。
「よし」とハルトは言った。「これで全部フェアだ。経済も、小細工もない。俺たちと、あいつらだけだ」
「コールは?」とエルマが訊いた。
ハルトはスマホに身をかがめ、口を開いた――
その瞬間、サイレンが鳴り響いた。
13:12
みかんの袋がフックの上で揺れるほどの音だった。甲高く、平坦な、電子音。天井で白いランプが点滅し始めた。
ハルトは最初、ゲームの音だと思った。それから、ゲームでこんな音は鳴らないと気づいた。
廊下を、あの看護師が足早にやってくる。その後ろに、無線機を持った警備員の制服の男。
「クローク!」と警備員が叫んだ。「避難です! 出てください!」
「何があったんですか? 火事ですか?」
「いえ。火災報知設備の定期点検です。公共施設なので、避難訓練です。全員外に出てください。職員の方も」
「ここに預かり物が……袋が……」
「袋は持って出て、外で渡してください」警備員は札を見て、空っぽのフックを見て、ハルトを見た。「派遣の方?」
「はい」
「今日のシフトはこれで終わりです。点検のあと、クロークはもう開けませんから。給料は満額出ます、心配しないで。こっちで記録しておきます」
ハルトはスマホを握ったまま立ち尽くしていた。
音量ゼロのスマホから、サイレン越しに、か細く、か細く、エルマの声が聞こえた。
「ハルト? ハルト、どこだ? コールが要るんだ。ハルト?」
サイレンは鳴り続けた。
画面の中で、ラウンドタイマーが進んでいく。九十九秒。九十八。
「すみません」と看護師が言った。「お願いします」
ハルトは、みかんの袋を手に取った。
画面の中で、第二十五ラウンドが始まった。




